2018年4月30日月曜日

フィリピン暮らし 「裏」あるある


先日投稿した「フィリピン暮らし あるある」は、予想以上の好評で、フィリピン在住の方々からも、面白かったと感想をいただきました。実はあれを書いた時、裏ではもっとたくさんの「あるある」を書き出してたんですよ。ボツにした理由は、ちょっとネガティブだったり、あまり一般的ではないと思ったから。

ところがフェイスブックで「裏あるあるも書いたんやで」とこぼすと、それも読みたいと言われてしまいました。フィリピン暮らしとは関係なく、単に私が思うことも入っているので、共感する人は少ないでしょうけど、面白ければそれでもいいかなという気もする。

読んだ人の中には、「俺のことをディスってんのか!?」とマジで怒り出す人がいるかも知れません。でもそこは、笑いを取るために多少のリスクも厭わない、関西人気質に免じて、ということで。


ではまず、とてもよくある、時間にルーズ編

PTAのミーティングに10分遅れて行っても、まだ誰も来ていない

約束の時間通りにお客さんが来ると、何かあったのかと尋ねてしまう

あんまり先の事を約束しても忘れられるので、必ず前日に連絡するようになった

日本・フィリピンの時差ネタのジョークは、使い過ぎて言い飽きた

ロードが無くて電話できなかったのが、無断欠席の立派な理由になる

雨で勤め先を休んでも、それは仕方がないで済まされる

これは説明不要ですね。最近は約束の相手がどれだけ遅れて来ても、すっぽかされても、怒る気がしなくなりました。


次に、フィリピンでハンドルを握ると分かる、運転編

信号がちゃんと作動している方が珍しい

交通整理中の警官の動作が、止まれなのか進めなのかよく分からない

止められたのはこっちなのに、まず警官に身分証明書を出させ、スマホで写真を撮る

運転していて本当に恐ろしいのは、乱暴運転のジプニーやタクシーではなく、どんな道でも女王様気取りで横断するオバちゃんだ

家族が5人も6人も、ノーヘルで1台のバイクに乗っているので、事故ったら一家全滅

基本フィリピンでは、自分で運転はしない方がいいでしょう。田舎のシライで、タクシーもろくに走っていない場所だし、降雨時の子供の送り迎えなど、自家用車がないと不便で、仕方なく運転してますが、毎度本気で運転手を雇おうかと思っていまいます。


そして日常生活編

深夜、悲しくなるほど下手なカラオケが聴こえてくると、軽く殺意を覚える

扇風機についているボタンは、弱・中・強ではなく、強・中強・最強である

ウインドブレーカーは、屋外用ではなく、冷房の効き過ぎた屋内用に持っていく

「寒い(Cold)」という言葉の使い方が、国によってこれほど違うものかと思う

飲み物に氷を入れようとすると、何日か前の長時間停電のせいで、でっかい一塊の氷ができている

何時間ものネット通信障害があっても、誰も謝らないしニュースにもならない

扇風機の微風や、弱冷車なんて設定が、実は極めて日本的なことだと実感します。またすぐに謝罪というのも日本独特。フィリピンでは毎週日曜日に、本物の神さまに謝っているから、それで十分なんでしょうか。


レストランでの食事や買い物での外出編

トイレで水が流れると驚き、便座があると奇跡だと叫ぶ

日本人経営の新しいレストランが出来たと聞くと、つぶれる前にと、急いで行ってみる

大きな買い物をする時、担当が男だと、大丈夫かいな?と思ってしまう

でもそれがオカマさんだと分かると安心する

ローカルの経営でもすぐに淘汰されてしまう飲食業。日本で多少の経験があって、フィリピンを舐めてかかる人が多いのか、新規開店の日本人経営で長続きするお店は少ない。また、ビジネスでの女性比率が高く、頼りにならない男ばっかり。その点、オカマさんは真面目で優秀。


フィリピンでは避けて通れない貧困と、日本人ボランティア編

公立学校の授業料が無料でも、教科書や制服が有料では意味がない

楽しそうに笑っているから、貧乏でも幸せだなんていう人は、スラムで1年ぐらい暮らしてみるべきだ

わざわざ日本で古着を集める手間と金があるなら、こっちへ来て古着屋で買えば、ずっとたくさん集められるのに

フィリピンに日本人の税金をばら撒く前に、日本の貧困を何とかしろ

この辺りから、だんだん怒気を含んできてます。特にネット上で、貧困が自己責任だなんて言い放つ輩には、本気でキレそうに。これは日本でもそうですが、頑張りたくても頑張りようがないケースがどれだけ多いことか。


そして極めつけが、フィリピン人を見下す日本人編

日本風にアレンジして、オリジナルとは別物になったカレーやラーメンを褒め称えるくせに、フィリピン・スタイルの日本食は許せないという矛盾

何かというとフィリピン人は...と一括りで悪口を言う奴は、ロクデナシを引き寄せている原因が自分だと、気づいていない

空港で日本への出発便を待つ時、大声で買った女の話をする連中を見ると、「国辱」という言葉を思い出す

金で女を買っておいて、フィリピン人は金次第で何でもするとほざく馬鹿

人手不足で困っているのは日本なのに、フィリピンからの労働者受け入れは、日本からの援助だと勘違いしている奴が多すぎる

もう「あるある」じゃなくて、ただ怒っているだけですね。私の場合、フィリピンに住んで頭に来るのは、フィリピン人に対してよりも、フィリピンに関わる日本人であることが多い。なので平素は、事前にSNSなどでやり取りした人としか、会わないように心がけています。


そして最後に。
今回は、これが言いたいがために、この投稿をしたようなもの。

フィリピンの大統領が日本の現政権と同じ醜態を晒したら、ピープルパワーで即退陣は間違いない

2018年4月27日金曜日

八つの橋 フィリピン諸島改造論


イロイロ〜ギマラス橋 完成予想図
出典:Iloilo Today

タイトル見て元ネタがすぐに分かった人は、私の同世代かそれ以上のお歳ですね。これは、土地バブルの元凶を作った、日本の元総理大臣、田中角栄氏が掲げた「日本列島改造論」のもじり。1970年代、この掛け声でいくつかの巨大建設プロジェクトが本格始動。柱となったのが、北陸新幹線を始めとする整備新幹線であり、本州四国連絡橋でした。

日本での高度経済成長期を彷彿とさせるような、建設ラッシュ真っ只中の現在のフィリピン。つい先日、バコロド・エコノミック・ハイウェイの話題を取り上げた矢先、今度は、本州四国連絡橋レベルでフィリピン全土を結ぶ、大架橋計画がブチ上げられました。

4月19〜20日付けの、フィリピン国内の報道機関や、CNNなどの記事によると、総工費約2,700億ペソ(約5,676億円)を投じて、マニラのあるルソン島と、国内第二の都市セブを含むビサヤ地方の各島やミンダナオ島を、八つの橋で結ぶ壮大な構想。

ドゥテルテ大統領の任期中、2022年までに実施するインフラ整備計画「Build Build Build」の目玉事業という位置付けで、まさに「フィリピン諸島改造」と呼ぶべき規模。ちなみに大幅増額で話題になった、2018年度の国家予算が、3兆7,670億ペソ(約8兆円)なので、ざっくりその7パーセントぐらい。もちろん今年中に完成するわけではないので、数字そのものに意味はありませんが、好調のフィリピン経済にあっても、相当な支出であると、お分かりいただけるでしょう。

八つの橋は、以下の内容。
1. サマール〜ルソン 18.2キロ
2. レイテ〜ミンダナオ 20キロ
3. パナイ〜ギマラス 5.7キロ
4. ギマラス〜ネグロス 12.3キロ
5. ネグロス〜セブ 5.5キロ
6. セブ〜ボホール 24.5キロ
7. ボホール〜ラピニッグ 1キロ
8. ラピニッグ〜レイテ 18キロ

中国の広東〜香港〜澳門を結ぶ世界最長の海上橋が、今年(2018年)3月に公開され、その全長が55キロ。それに比べるとどれも半分以下の長さながら、決して楽な工事ではないでしょうね。

地図にプロットしてみると、こんな感じになります。


こうして見ると、フィリピン全土と言うより、ビサヤの交通インフラ大整備。マニラ・タイムズの記事にも、新規雇用の創出で、ビサヤ地域の貧困率を下げ、地方経済を活性化させるのが狙いとあります。私たちネグロス在住者として嬉しいのは、隣島パナイやギマラスへ陸路で行けるようになる点。ついこの間、パナイ島経由でのギマラス観光について書いたところ。確かに、西ビサヤの2大中核都市、ネグロスのバコロド市とパナイのイロイロ市の往来が便利になれば、経済はより活発になるでしょう。

ところで、パナイ〜ギマラス〜ネグロス〜セブ連絡橋は、今回急に出てきた話でもなく、もう20年ほど前から構想があったらしい。

さて、地域住民には夢のある計画ながら、かつての日本列島改造論がもたらした負の遺産を思い、多少心配になるのも正直なところ。1970年代前半の日本では、開発候補に挙げられた地方の土地価格が高騰し、狂乱物価を引き起こしました。

また、3ルートも作られた本州四国連絡橋は、未だに建設時の費用などで1兆4,000億円もの債務があり、利用者数の低迷で、返済は、かなり深刻な事態に陥っているとのこと。着工当時からも、ルートは一つで十分だという声はあって、それが現実のものとなってしまったわけです。

まぁ、それも大きなお世話で、住まわせてもらっている外国人の私が、口出しすることではありませんね。今のところは、できるだけ早めに完成してもらって、ネグロス暮らしが少しでも便利になることを願うだけです。

2018年4月26日木曜日

2005年の結婚記念日


今日は、前回投稿した、私たちの結婚記念日にちなむ出来事について。まだ日本に住んでいた2005年のことです。

あの年の結婚記念日、4月25日は、忘れもしない、JR西日本の福知山線・尼崎駅付近で脱線事故が起こり、死者107名、負傷者562名の大惨事となった日。当時は、私だけが横浜市内に勤務し、家内は兵庫県尼崎にある私の実家で、両親と共に住む単身赴任状態。

これは1ヶ月間の暫定措置で、急遽決まった転勤のため、異動先での住まい探しが間に合わず、勤め先の会社が契約していた、東京都内の長期出張者用マンスリーマンションに借り住まい中。ゴールデンウィークには、引っ越しというタイミングでした。

前年冬に懐妊した家内から、オフィスにいた私の携帯に連絡が。「お家の上をヘリコプターがいっぱい飛んでる!」というのが事故後の第一声。

後から思えば、これは事故を取材するためにテレビ局が飛ばせていたもの。事故現場から実家までは、直線距離で2キロも離れていません。ヘリのエンジン音は、さぞかし間近に聴こえたことでしょう。自宅上空をヘリが飛ぶというのは、1995年の阪神大震災を思い出してしまいます。あの時は取材用ではなく、自衛隊のものでしたが。

その後、続々と入ってくる事故関連のニュース。実は転勤直前まで、私が毎日の通勤に利用していた路線でした。事故を起こした列車は快速だったので、たとえ転勤がなくても、私が乗っていた可能性は、ほとんどなかったとは言え、通い慣れた場所で、おおぜいの人が亡くなる惨事。とても他人事とは思えません。結局その日は、仕事にならなかったように記憶しています。

そして、事故から3ヶ月後の8月に息子が生まれたり、上司のパワーハラスメントが原因の鬱で休職したり、いろんな事が起こった2005年。私たち夫婦にとって、忘れられない年になりました。

あの日から13年。フィリピン・ネグロス島に移住してから5年が経過。ヘリコプターが頭上を飛ぶ悪夢も、遠い記憶になったはずが、今住んでいる場所というのが、シライ-バコロド空港から車で10分の場所。時々自宅の上空を、軍用のヘリやプロペラの輸送機が、機種が判別できるほどの低空で飛ぶんですよ。

かなり活動が沈静化したとは言え、まだネグロスの山間部には、フィリピン政府によってテロ組織に指定されたNPA(新人民軍)が潜伏している関係なんでしょうか。

いずれにせよ、結婚記念日になると、ネット上でも事故関連の記事が多く投稿され、嫌でもあの日のことを思い出してしまいます。当たり前のことですが、海外に移住したって、良くも悪くも過去は断ち切れるものではないですね。


2018年4月25日水曜日

20回目の結婚記念日


今日4月25日は、私たち夫婦の結婚記念日。それも今年は、20回目という節目。欧米式には「磁器婚式」というんですね。ようやく貴金属になる銀婚式が25年目だそうで、金・銀・宝石類にならないとイマイチ有り難みがなさそう。それでも20年。まぁ、よく保ったと思います。世の大抵の夫婦と同様、いろいろありました。

19回目の時にも投稿した通り、子供の誕生日などでも、最近はあまり大層なパーティをすることもなく、今日もお客さんは呼ばずに、やや豪華な夕食とケーキを用意する程度。

このところ結婚記念日の行動パターンはほとんど同じで、隣街タリサイにある、アヤラ・ショッピングモールに行ってきました。私たちの移住とほぼ同時期にオープンした、このモール。きれいな建物なのに、年々寂れていきます。

もうすぐ州都バコロド市内に、ビサヤ地方最大の売り場面積になるという、6階建ての巨大モールをオープンさせるアヤラ。おそらく経営資源はそっちに集中させるんでしょうね。そこそこお客さんが入っているのは、スーパーマーケットぐらいで、テナントは半分以上が撤収してしまいました。

昨年は、アップルストアーとスターバックスが潰れてしまったと書きましたが、今度は、お気に入りだった、カフェ兼ケーキ屋さんのカレアまで閉店の憂き目に。え〜っと、この店でケーキを買うのが目的だったんですけど...。

仕方がないので、ケーキとは別のプレゼントということで、スマホでも使えるブルートゥース対応の小さいけど音のいい、JBLのスピーカーを購入。家内専用というより、旅行の時など、夫婦で使うための品。

そしてケーキは、アヤラ・モールから帰る途中にある、アン・コ・ケーキで買うことにしました。以前にもこのブログで、シライ市内のカフェ紹介の時にレポートしたアン・コ・ケーキ。店構えもケーキの味も、そのまま神戸か宝塚あたりの、高級住宅地に持っていっても繁盛しそう。いつもは、小さくカットしてもらったものを数種類なんですが、今日だけはちょっと奮発して、かなり大きめのを丸々1個。


そして、ディナーのメインは、これまたシライ市内のお店から、宅配ピザを注文しました。帰宅すると、メイドのネルジーに頼んだベッドルームの掃除も終わったし、あとは家内からリクエストのあった、スパゲティ・ボロネーゼを作るだけ。

それでは、食事の準備にかかりますので、今日はこの辺で失礼します。


2018年4月24日火曜日

河童への道 夏休みの水泳レッスン

3月の最終週から始まった息子の夏休み。もう1ヶ月が経過しているのに、まだ半分終わっていないという、超長期休暇の真っ只中でございます。

フィリピンでは、毎年4〜5月が暑さの最盛期。暑いということは、雨が少ないということで、数日から1週間に1度ぐらい、夕立のようにザっと降る以外は、文字通りの乾季。マニラ首都圏では連日40度にも達する暑さだとのこと。

ここネグロス島のシライでは、周囲が緑に囲まれているのと、人工の遮蔽物がなく風通しが良いため、暑いと言ってもせいぜい32〜3度ぐらいの感じ。私が子供の頃の大阪近辺と同程度。それでも昨夜はさすがに寝苦しくて、今年初めて1時間ぐらいクーラーを使いました。

さて、長い長い夏休み。日本のような宿題もないし、子供は毎日ヒマを持て余してしまうもの。それを見越して、一昨年就任したシライの市長、マーク・ゴレツ氏の新政策。スポーツ振興の一環として、シライ市民の子供たちを対象にした、夏のスポーツ教室を始めました。

フィリピンで人気のバスケットを始めとして、バレーボールやサッカー、バドミントンにテニス。ちゃんとコーチをつけて場所も確保。月曜から金曜、朝8時から昼前ぐらいまで、レッスンをしてくれます。

去年はテニスに参加させた息子ですが、イマイチだったらしく、今年は水泳に。我が家から徒歩20分、トライシクル(オート輪タク)なら5分ぐらいの場所にある、宿泊施設付きの小さなプールリゾート「サンバースト」のプールを借りて、毎日水泳レッスン、ということになりました。

ちなみにこのサンバースト、約10年ほど前に、我が家の設計をお願いした日本人建築家に、現地出張していただいた際の宿舎として利用。当時はまだ、近くにホテルなどありませんでした。



さて、プールで水遊びが大好きな息子、実はカナヅチ。浮き輪なしで水に放り込んだら、パニックになってしまうほど。とは言え、小学校にプールがあって当たり前の日本とは違い、子供の頃に水泳を教わることが一般的ではないフィリピン。泳げない人は意外に多かったりします。


最初はちょっと心配でしたが、数日ぐらいで普通に泳げるようになった模様。先日のギマラス島観光では、宿泊先のプールでも、ビーチでも、一応それらしいクロールを披露して、同行したオバちゃんたちを驚かせていました。まだ息継ぎが下手くそなのは、ご愛嬌。


そんなこんなで3週間のレッスンは無事終了して、真っ黒に日焼けした一人前の河童くんの出来上がり。クラスでも一人だけ生っ白くて、昔の日本ならモヤシとあだ名されそうだった息子も、ようやくフィリピンの子供っぽくなりました。そして毎日泳いだせいか、少し逞しくなった。

夏のスポーツ教室が終わっても、まだ1ヶ月以上も残っている夏休み。さぁ、これからは、日本語の本でも読ませて、母国語の退化を防ぎましょうか。でも、すっかり自信をつけた息子は、自宅のある宅地セント・フランシス・サブディビジョンのプールへ行きたくて仕方がない。

自発的に屋外へ遊びに行きたいなんて言い出したことがない、インドア派だった息子。変われば変わるもの。ということで、今日も朝から快晴のシライ。息子は従兄姉たちと一緒に、朝からプールで泳いでおります。




2018年4月23日月曜日

火花がパッチン


先週投稿した「フィリピン暮らし あるある」で書き漏らしていた件。フィリピンでとてもよくあるのが、電源コンセントに電気製品のプラグを差し込む際に、パッチンと来る火花。

これって昔は、日本でもかなり頻繁にあった記憶が。いつの頃からか、あんまり見なくなりましたが、ここフィリピンでは毎度のこと。最初は220Vの、日本の倍の電圧のせいかと思ったり。でも考えてみると、仕事やらプライベートの旅行でよく行った西ヨーロッパ諸国は、全域が220Vでフィリピンと同じ。そんなの覚えがないなぁ。

例によってネットで調べてみると、周辺の東南アジア諸国や中国でも、同様の状態とのこと。中国の場合、電圧の不安定さが尋常ではないケースもあって、火花どころかパソコンがぶっ壊れてしまうこともあるらしい。

電圧がらみでよくある事故が、日本から持ち込んだ110Vにしか対応していないドライヤーを、フィリピンで使って火を吹かせたり爆発させたりという悲劇。海外旅行でも使うことが多い、スマホやタブレット、パソコンなどに付属しているアダプターは、110〜220Vのマルチ対応が普通なので、それと同じ感覚になってしまうんでしょうね。

実は私も20年以上前に、マニラのホテルでラジオ付きのCDプレーヤーを1台オシャカにした経験があります。そのホテルは、日本やアメリカからのお客さんへの配慮で、110Vのコンセントも併設。うっかり挿し間違えてしまったという次第。

それはさて置き、コンセントの火花。
原因は、埃や湿気だったり、タコ足配線で負荷がかかっている状態などだそうです。火災にもつながり危険なので、コンセント周りをきれいに保って、タコ足配線はやめなさい、とのご忠告。当たり前ですね。

ネグロス島の我が家の場合、それに該当するようなことが皆無でも、本当によく起こる火花がパッチン。220Vの電圧のせいだと思っている、在留邦人の方も多いようですが、電圧そのものではなく、コンセントとソケットの形状が、きちんと合致していないことから起こるという説も。

これは日本とは全然違うコンセント形状を言っているのではなく、形は日本でもお馴染みの豚の鼻タイプ。工業規格で決まっているので、違うはずがないと思いきや、あんまり丁寧とは言えない生産工程で生み出される商品。やたらキツかったりユルユルだったり。そこまではっきり分からなくても、抜き差しの時に、軽い接触不良が起こる程度に、寸法が合っていないということらしい。

たいへん尤もらしい話ながら、最近購入したJBLのスピーカーで、コンセントにつないだアダプターを、本体と接続する際にも起こるのは説明しにくい。フィリピン的には、かなりの高級品だし、そんなに安っぽい部品を使っているようにも見えない。

消去法で行くと、考えられる原因は、やっぱり電圧が不安定だからということなんでしょうか。電気メーカーに勤務していた者が尋ねるのは、はなはだ恥ずかしいことながら、どなたかフィリピンの電気製品事情に詳しい方、火花の理由をご存知でしたら教えてくださいませ。


2018年4月22日日曜日

フィリピンの灘中

日本では卒業・入学シーズンも終わり、新学期が始まって数週間という時期でしょうか。ここフィリピンでは、同じように3月の終わり頃に、多くの学校が学年末を迎えるので、日本と似たようなタイミングながら、新学期は長い夏休みを挟んでの6月開始。なので、比較的スケジュールがゆっくりです。

教育省のシライ市オフィス、つまり市の教育委員会みたいな場所に勤務している家内は、昨日(4/21)に、市内公立高校の卒業式に、教育省代表として祝辞を述べに行ってました。

日比ハーフの息子は、今年で小学6年生。今通っている、聖テレシタ学院は、小・中・高一貫校で、別に中学受験などは必要ありません。移住前は特に期待をしていたわけではないけれど、意外と学校の勉強に関しては要領が良いらしく、年4回の定期試験では、英語や算数、理科で、毎回学年トップの賞状やら、学外模試上位入賞のメダルを貰って来る。

国立のフィリピン大学卒で、大学院を経て研究所にまで残ったという才女の家内は、親の欲目満タン。「これは私の遺伝だ〜」と勝ち誇っております。こうなると、やっぱり子供もフィリピン大へ、と思うようで、そのための進学高に目星をつけ始めました。

家内の一押しは、フィリピン科学高等学校(Philippine Science High School)。教育省ではなく、科学技術省によって設立された、全国規模の教育機関。中高一貫で、16のリージョン(日本の、近畿や関東の地方に相当)に1キャンパスづつ配置。数学・科学の分野で優秀な学生に奨学金を支給し、卒業生の多くがフィリピン大学へ進学するという、私の生まれ育った関西地方で言うなら、公立版の、みたいな感じでしょうか。


フィリピン科学高等学校
西ビサヤ・キャンパス

私たちが住む西ネグロス州からだと、対象になるのは、隣島パナイのイロイロ市内にある、西ビサヤ・キャンパス(Western Visaya Campus)。毎年1000人程度の入学志望者から70名を選抜する難関で、まず小学校の所属クラスで、トップ10パーセント内に入ることが受験の条件。全教科ではなく、理数系の才能を伸ばそうということらしく、筆記試験は、主に数学と科学。それに加えて口頭試問もあります。

と書くと、さぁ、この1年はお受験でたいへんだ〜、と思われそうですが、進学前最後の夏休みである今も、別に特別なことはしてないし、何がなんでも、目指せフィリピン大!みたいな気負いもない。中学・高校自体は、今の学校にそのまま通い続けても別に構いません。決して悪い学校ではない聖テレシタ学院。学費がそれほど高いわけでもない。

飽くまでも、本人が何をやりたいかが最優先。ただ、日本以上に学歴社会のこの国なので、フィリピン大学とまでは言わなくても、近所にある、そこそこの大学は卒業しておいた方がいいだろうなぁ、程度には思っております。

我が身を振り返ってみると、高校進学の頃には、はっきり美術系にと専門分野を思い定めていたので、大学はその進路の中で一番望ましい学校という決め方。大学に入ってから何をするかを考える、という人が大多数の中にあっては、かなり変わっていたと思います。

もっと言えば、やりたいことができるのであれば、行き先が学校でなくても構わなかった。今ならばインターネットという、最強のツールがある。これを活用すれば、専門教育を受けるとか、資格を取得するというプロセスをすっ飛ばして、いきなり起業もできる時代。息子の場合、英語はネイティブ並みで、日本とフィリピン、二つのカルチャーを背景にしているという、私にはなかった強みもあります。

ということで、どんな将来を思い描くにしても、絶対に大学までは卒業しろ、という気持ちはありません。もちろんフィリピン科学高校へ行きたいのなら、それなりのサポートはしますが、授業の内容よりも、親元を離れて寮生活をすることの方が、息子にはいい経験になるでしょうね。


2018年4月21日土曜日

フィリピン缶詰ライフ

フィリピン暮らしを始めてから、缶詰の食品を買ったり食べたりすることが増えました。日本にいた頃だと、シーチキンと、たまにコーンビーフを口にするぐらい。缶入りの桃やパイナップルを年に数回程度だったでしょうか。

もっと昔だったら缶詰だったものも、最近はレトルトパックが主流になったことも大きいでしょう。ボンカレーの登場前は、家で缶詰のカレーを時々食べてました。こっちが子供だったせいか、ずいぶん辛かった記憶が。最近ではタイカレーの缶詰が売られています。

食品ではないけれど、おもちゃのカンヅメなんてのもありましたね...って、調べてみたら、まだあった。チョコボール食べて、金のエンゼルが入ってたら貰えるというもので、銀のエンゼルだと5枚貯めないといけません。何回も銀のエンゼルは入手しましたが、いつも次のが出てくる前に紛失。結局、実物を手に取ることはありませんでした。21世紀の今でも、このコンセプトは続いている。すごいぞ森永製菓

それはさて置き、フィリピンでの缶詰。
日本でも、スーパーに行けば、缶詰はたくさんあるでしょうけど、フィリピンはもっと品揃えが豊富な気がします。朝食にはコーンビーフと刻んだ玉ねぎを炒めたものが、定番のおかずだったり、夕食のメインが軽く焼いただけの、スパムステーキだったり。どうやらフィリピンでは、缶詰好きな人が多いらしい。

当初は自分から進んで缶詰を買ったり、料理に使ったりしなかった私も、いつの間にかフィリピン風に染まって、台所の食品棚には、いくつかの缶詰が常備されています。今日はそれを紹介してみましょう。


嫌いなものの代表で、「スパム・メール」なんて、不名誉な流用をされているスパムの名前。こっちに来て頻繁に食べるようになって、全然そんなことはないと気づきました。前述のように、ちょっとおかずに困った時や、お弁当の手軽な一品にもできるし、ゴーヤチャンプルーに卵と一緒にどっさり入れたり。

フィリピンの一般家庭では、あまりお目にかからないクリームシチュー。日本と違って、箱入りのルーは売っていないので、苦肉の策で使ってみたのが、キャンベルの缶入りクリームスープ。生卵と牛乳に混ぜて使うと、これが実に美味。ルーから作るより美味しく感じるぐらい。

そして何と言っても欠かせないのがマッシュルーム。シチューにも入れるし、フィリピン人のソウルフード、スパゲティ・ミートソースには無くてはならないアイテム。義妹のジーナに「たくさん入れないとダメ」と、教えてもらい、一缶丸ごと使い切ることもしばしば。その他にも椎茸の代わりに春巻きに入れたり。

お次に、日本ではまったく無縁だったイワシの缶詰。フィリピンだけではないんでしょうけど、シンプルなオイル漬けや、トマトソース、スパイシーなものなど、ずいぶんと種類があると知りました。何より一缶30円ぐらいと安い。肉類が食べられないメイドのネルジーに、わざわざ別メニューを用意するのが面倒な時に重宝してます。最初はちょっと可哀想かと思いましたが、本人が気に入っている様子。もちろん家族用の料理にも。

フィリピンに来て飼い始めた、犬のためのドッグフードも缶詰。イワシの缶詰より、重さ当たりの値段が高い。これだけだと贅沢すぎるので、極安の米を炊いて、混ぜて与えています。ついでに猫たちにも同じもの。犬も猫も、大喜びでよく食べる。

この他に、写真にはないものでは、カレーやシチューに使うココナツミルクも缶入りですね。

最後に、唯一の日本製が、缶入りの味覇(ウェイパー)。こればかりはネグロスでは入手不可能で、日本からの来客に頼んだり、一時帰国を利用して買い込んできたり。フィリピン人も驚く、我が家のアドボの美味しさの秘密はこれ。


私もフィリピンで流通している缶詰製品を、すべて網羅してるわけではないので、これ以外にも、もっと美味しいものや珍しいもの多々あろうかと思います。フィリピン在留主夫として、これからも開拓を続けて、豊かにして省エネな食生活を、目指していこうと思っております。


2018年4月20日金曜日

2000円・20ドル・20ペソ


理由はよく分かりませんが、日本の貨幣・紙幣って、1・10・50・100・500・1000・5000・10000 と、きれいに頭の数字が1と5に統一されています。私が物心ついた時には、すでにこうなってました。紙幣のグラフィックデザインを別にすれば、大きな変化というと、100円と500円が、紙幣から貨幣に変わったというぐらい。

ところが1999年、当時の総理大臣だった小渕恵三さんが、翌年の西暦2000年に因んで、2000円札を発行しよう、とぶち上げました。もう30をいくつか過ぎた私には、いささか唐突な印象だったのを覚えています。一般の人たちも反応もイマイチで、盛り上がりに欠けてました。

紙幣そのものには、色々と新しいことが試されていて、各種の偽造防止技術が採用されたり、現在流通している紙幣では唯一、表面に人物の肖像画を配さず、沖縄にある首里城の守礼門、裏には源氏物語絵巻の一部と紫式部。ずいぶんと目新しい感じが。



でも、取り立てて用途がはっきりしているとか、実用的な理由があったわけでもなく、自動販売機で受け付けないこともあって、案の定ほとんど流通せず、2003年以降の新規製造はストップ。ただ沖縄県だけは例外で、国内全流通量の1億枚のうち、4割が沖縄県内で使われているそうです。

これに対して、アメリカの20ドル紙幣(約2000円)は、全米で一番よく出回っている。何故かというと、その上の50ドルや100ドルは、高額紙幣ということで、偽札を掴まされるのを恐れ、使える場所が限られてしまうから。もう20年ほど前ですが、私が3ヶ月ほど仕事でアメリカに滞在した時に、これを実感しました。タクシーなんて、50ドル札ですら嫌な顔をされて、仕方なくクレジットカードで払ったり、コンビニに併設されたATMでお金をおろすと、20ドルばかりで札束状態になったり。

では、フィリピンではどうかと言いますと、20ペソ紙幣(約40円)をよく見ます。トライシクル(輪タク)やジプニー(乗り合いバス)での支払いにちょうどいい額だし、カトリック信徒として便利なのは、日曜日のミサの献金。一応お札なので、コインを「ちゃりん」と言わせるよりも見栄えがいい感じ。

特に月収が5000ペソ程度で生活しているような人々にとっては、一番使い勝手がいいようです。80ペソのお釣りで20ペソ札4枚という、意表を突いた返し技も。大抵は、本当に使い込まれてボロボロ。札入れなんて持たずに、コインと一緒にグチャっとポケットに突っ込んでる。我が家のメイドのネルジーもこのスタイルなので、最近お使いを頼む時は、使い古しの財布を貸し出し。

さらにフィリピンでは、200ペソ紙幣もある。ところがこちらは、日本の2000円札と同様の仕打ちを受けています。元々、自動販売機なんて滅多にないお国柄なので、単に額が中途半端で、貧困層からすれば、100ペソまでで十分なのか。2000円と同様、そうそうに手にすることはありません。たまにお釣りで貰ったら、何かいいことあるかも?と言われるほど。


戦前や終戦直後辺りまでは、日本でも2銭、20銭、2円、20円などの貨幣・紙幣があったとのこと。当時はそれなりに、生活での金銭感覚に即したものだったのかも知れません。私が覚えている限り、小学生の頃の100円札が、今のフィリピンでの20ペソ札に近い感じかなぁ?



2018年4月19日木曜日

フィリピン暮らし あるある


結構長いことフィリピンに住んでいると、最初は変な習慣だなぁと思ってのが、いつの間にか伝染ってしまい、反対に日本で当たり前だったことが、奇異に見えたりするものです。今日はそんな、フィリピン暮らしの「あるある」を並べてみました。

よくブログで書かれているように、10項目ぐらいにまとめようと思いましたが、書いていくと結構な数。とは言っても広いフィリピン。同じフィリピン在住の日本人でも、場所やライフスタイルによって、共感できることもあれば、それはちょっと違うなぁ、なんてこともあるでしょう。そこは、ネグロス島にいる私個人の感想ということで、軽く読み飛ばしてくださいませ。


ではまず、初級者

見えている場所でも、ついトライシクルに乗ってしまう

タクシーに乗ると、まずメーターがあるかどうか確認する

激甘インスタントが出てくるのを恐れて、コーヒーを断ってしまう

長袖シャツが暑くて着る気が起こらない

フィリピンの一般家庭にお邪魔して、インスタントでないコーヒーを出してもらうことは、とても稀。そして大抵がスリー・イン・ワンのミルクと砂糖が最初から入っているもの。これがずいぶん甘い方に味が振れていて、さすがの甘党の私も、ちょっと勘弁なレベル。


何ヶ月かして中級者になると

喫茶店でウェイトレスを呼ぶ時、ミ〜スと言う

目上の男性には、ボ〜スと呼びかける

英米風に英語を発音しても無駄だと感じる

英語とフィリピノ語を混ぜて喋るようになった

タガログや地元の方言を真面目に習得しようとする、殊勝な心がけの人は別として、最初は大抵の人が英語でコミュニケーション。でもビジネス会話ならともかく、ちょっとした買い物やメイドさんと話すぐらいなら、文法・発音に気を使っても無駄。だんだん面倒になってきて、ベタベタのジャパニーズ・イングリッシュで、必要な言葉を羅列するだけになってしまいます。通じれば何でいい。


そして1年を過ぎた上級者

お箸ではなく、フォーク・スプーンがデフォルトになった

白米はお茶碗ではなく、平皿に盛って食べる

アイスクリームの容器を捨てられず、タッパーとして再利用している

買ってきた卵やバナナを、洗う癖がついた

アリ避けに冷蔵庫にしまっておいたお菓子を、1ヶ月ぐらいしてから発見する

襟のあるシャツ着ている人を見ると、ドレスアップしていると思う

日本の真冬にTシャツ・短パン姿の写真を投稿して、優越感に浸る

渡航前の冬場に撮った自分のプロフ写真が、暑苦しく感じて仕方がない

靴下を履く機会が、めっきり減った

自炊したり台所仕事をしていると、家事もフィリピンスタイルに染まってきます。食べるだけの人でも、あまり箸を使わなくなったり。また、エアコン効き過ぎ以外で、寒くなることがない気候。ポロシャツ程度でも着るのが煩わしくなり、たまにそんな格好している人をみると、結婚式にでも行くのかと思ってしまいます。


数年ぐらいして、たまに日本に帰国すると

日本円の値札を見て、頭の中でフィリピンペソに換算して高いと思う

手に痛いほど水圧の高い水道に、感動する

最初に追焚き機能付きのお風呂を作った人は、天才だと思う

洗浄便座は、人類史上最高の発明だと本気で信じる

最近、景気がよくて物価が高くなっても、食材などは、まだまだ安いものが多いフィリピン。やっぱり日本価格に逆カルチャーショックを受けてしまいます。その他には、何と言っても、日本の水回りの清潔さや快適さには、涙が出そうになることも。


最後に、かなり重篤患者の症状

濡れ髪で人前に出るのが、気にならなくなった

洗濯物干し中の雨でも取り入れずに、また乾くのを待てばいいと思う

レストランや買い物で多少待たされることがあっても、イライラしなくなった

停電や断水に動じなくなった

電気製品購入は電球1個でも、必ず通電して確認する

配偶者や恋人に、人前でもキスできるようになった

気がつくとFBのタイムラインは、自撮り写真で埋め尽くされている

細かいことが気にならなくなるんですよ。日本にいた時は、ちょっと待たされただけで、すごくストレスが溜まったものなのに。ただ、数日も日本に滞在すると、元の黙阿弥になってしまいますけどね。


と、いろいろ書きましたが、順応性は本当に人それぞれ。特に食生活では、いきなりフィリピンフードにハマってしまう人がいれば、頑固なほど日本食にこだわる人もいる。私の場合、無理やり何でもかんでも、フィリピン流に合わせようとは思わないけれど、合わせた方が楽なことは、あまり日本スタイルに執着する気はありません。

さていかがでしたでしょう。すでにフィリピンにお住まいの方、フィリピンに足繁く通っている方、これからフィリピンと付き合おうという方。それぞれの視点で参考になさってください。


2018年4月18日水曜日

バコロド・エコノミック・ハイウェイ


昨年(2017年)から建設が始まった、バコロド・エコノミック・ハイウェイ。これは、フィリピン政府から資金援助を受けたもので、地元紙サンスター・バコロドによると、単独プロジェクトとしては、バコロド史上最大規模なんだそうです。

マニラ首都圏やセブ周辺に比べると、感覚的には5〜10年ぐらいのタイムラグがあるものの、近年好調のフィリピン経済の波は、ここネグロス島の西半分の中心地、バコロドまで確実に到達。巨大商業施設やら、コンドミニアムやら、建設ラッシュに沸いています。

先日投稿したように、こんな田舎街のシライにまでショッピングモールのガイサノが進出してくるご時世。そんな経済成長にはつきものの交通渋滞も、バコロド市街地では、かなりひどくなってきました。もちろん、末期的症状のマニラのそれと比べると、まだまだ可愛いものでも、地元民にとっては深刻な問題。

四国よりもやや小さいぐらいのネグロス島。ほんの一部で使われている、サトウキビ運搬用の蒸気機関車路線はあっても、旅客鉄道は皆無。バスやジプニー、自家用車など、一般道路だけが交通ネットワークです。

バコロド近辺では、ラクソン通りが、市外〜市内を結ぶ、ほぼ唯一の幹線道路。それも途中で各種店舗が密集する商業エリアを通り抜けるため、ジプニーや自家用車の路上駐車が多い上に、バスもトラックも全部この道に集中してしまいます。裏道はあるにはあっても、こちらは生活道路と重なっている箇所が多い。本当に路肩で貧しい人々生活していて、露店がはみ出したり、子供の遊び場になってたりのカオス状態。

バコロド市内が目的地ではない、サトウキビ・建築資材などを積んだトラックや、市外から温泉リゾートのあるマンブカルへ行く車までが、この混乱した中へ突っ込むしか、他に方法がありません。そりゃ、渋滞がひどくなるのも無理はないでしょう。

ラクソン通り以外の幹線道路には、5年前に完成した、シライ市内にある空港からバコロド市内への空港〜バコロドのバイパスがあります。韓国のODA(政府開発援助)によるこの道路。最近では追加工事も進んで、両側4車線の、数少ない高速道路と呼べる体裁。(厳密には日本で言う高速道路ではなく、高架でもないし、時々牛が歩いていたりします)

しかし、このバイパスも中途半端。それほど混雑のないシライ市やタリサイ市を迂回するだけでの代物。せっかくここまで作るのなら、バコロドの南側の街、バゴ市やカバンカラン市から空港へ直接通じる道にすれば、バコロド市内の渋滞緩和に役立ったのに。

と考えるのは、やっぱり私だけではなかったらしい。2009年から構想があったという、バコロド市街地を大きく迂回するバイパス道路の建設。8年目の2017年に、ようやく着工したわけです。

このバコロド・エコノミック・ハイウェイ。ネット上の記事では、総工費は48億ペソで全長21.8キロとあります。例によって完成時期はよく分かりませんが、一応順調に工事は進んでいるようなので、来年ぐらいには出来上がるんでしょうか? 空港バイパスと同じく両側4車線で、途中3つの川に架橋し、自転車専用レーンも設けるとあります。


正直に言って、これ以上ショッピングモールはいらなし、コンドミニアムも今建設中のもので十分過ぎる。それよりも、今回のような道路整備にお金を注ぎ込む方が、後々のことを考えるとはるかに大事。本当なら自動車の代替交通手段、路面電車とか地下鉄が必要なんでしょうけど、それはまだまだ難しい。

まぁ、最近は、重い腰を上げてラクソン通り沿いに、大雨時の道路冠水を防ぐ排水設備を作ったり、レーンを拡張したりと、ようやくまともなインフラ整備が進んでいます。注文をつければキリがないし、そもそも住まわせてもらっている外国人からすれば、賞賛の拍手を送るべきところなんでしょうね。


2018年4月17日火曜日

至宝 サランラップ

今日は主夫ネタ。
フィリピンに来てからも、愛用してますサランラップ。もちろん、フィリピンでも食品用のラップ(正式名称は、食品用ラップフィルムというそうです)は市販されています。ところが、似て非なると言うか、月とスッポンと言うか、見た目は同じでもまったくの別物。

勤め人の時代、業務出張で世界中出かけて行ったことはあっても、じっくり腰を据えて生活するのは、フィリピンが初めて。なので、他の国のことは分かりませんが、ネットの記事やブログを読む限り、サランラップほど使いやすいラップは、日本以外ではなかなかお目にかかれないらしい。

そこで調べてみました、サランラップ(Saran Wrap)。
まず、サランという名称。素材とか製造の工法から来てるのかと思ったら、アメリカ人女性の名前「サラ Sarah」と「アン Ann」をくっつけただけ。元々、戦場で弾薬を湿気から守るために開発されたラップ。それを米国ダウ・ケミカルの技術者二人が、ピクニックに行った時、レタスを包んで持って行ったことがきっかけで食品包装に転用。商品化に際して、この二人の技術者の妻、サラとアンに因んで命名されました。

そして1960年、当時日本で、ダウ・ケミカルとの合弁企業だった旭ダウから、日本でも発売。合弁解消後は、旭化成ホームプロダクツが改良を行いつつ、現在も食品ラップのトップブランドとして販売されています。もう登録商標自体が商品名として定着するほど。

それにしても、旭化成サランラップの使い心地の良さは別格。スーと引っ張り出して、手首をクイッと捻るだけで、パッときれいに切れる。フィリピンで売ってるラップでは、とてもこんな芸当はできません。スー・クイッ・パッ、どころか、まず全部丸まってしまって、フィルムの端っこを探すところから始めないといけない。やっと見つけた端っこを引っ張っても、絡みつく、途中でちぎれる。最後はハサミを持ち出すことになるのがオチ。イーッとなります。

移住当初は、地元ラップと格闘の毎日。こんなことにストレスを溜めてもつまらないので、いつしか我が家の台所棚には、タッパーウェアが大量に保管。それでも電子レンジを使って、魚の蒸し料理を作ったりする時には、どうしても必要だし、いちいちお皿からタッパーに移し替えるのも手間。

ということで、日本からお客さんが来る時は、それほど大きくない、幅22センチのものをお願いすることに。もちろん一時帰国でもお持ち帰り。タッパーウェアと併用なので、1本あれば半年以上は大丈夫。マニラやセブなら、日本食材のお店に置いてあるんでしょうね。


最近ネット上で、日本の製品や習慣を外国(特に近隣のアジア諸国)と比べて、日本礼讃を叫ぶ記事の多さに食傷気味な私でも、さすがにサランラップに関しては、創意工夫に対する日本人の執念を感じてしまいます。


【追記】
早速、フィリピン在住読者の方々から反響をいただきました。マニラなどでは、サランラップ並みの使いやすいものが入手できるそうです。あるところには、あるんですね。ただし、相当大きな業務用のものらしく、一般庶民からすれば高額商品の部類になりそう。


2018年4月16日月曜日

説明書きは読まれない


今日は思いっきり愚痴です。
昔、日本の家電メーカー勤務の頃、他部署の応援で、電話による苦情受付対応をしたことがあります。その時に結構あったのは、マニュアルなんか一切読まずに、いきなり「壊れた!金返せ!」と激高して電話してくるケース。よく確認してみると、使い方が間違ってる以前に、電源コンセントが抜けてたなんてことも。

これは少々極端な例ですが、インターネットの世界でも、説明書きを全然読まない人は多いようです。いつも思うのはフェイスブックの友達申請。妙齢の美女ならぬ、私のような中年のオッさんでも、このブログを書いているお陰で、まったく未知の人からリクエストを頂くことがあります。

それは有り難いことながら、自己紹介もなければ、タイムラインを見に行っても、ほとんど何の情報もない人が意外に多い。これでは承認のしようがない。最近は「いきなりの友達申請お断り」とキツめの書き方で警告しているのに、無言申請は後を絶ちません。

今、運営に携わっているフィリピン関連のコミュニティにしても同様で、参加希望の方は自己紹介をお願いします、とあるのに無視される。コミュニティの趣旨が、みんなで楽しくフィリピン暮らしについての情報を交換しましょう、というものなので、敢えて管理人の意向に逆らっているとは考えにくく、やっぱり冒頭の説明書きを読んでいないんでしょうね。

中には、「政治や歴史、宗教についての問題提起や議論は禁止します」と掲げても、メンバーになってから「フィリピンに敬意を払うのなら、問題提起や議論ができないのはおかしい」と、退会してしまった人もいました。だから、最初に説明を読んでくださいって。

スマホやパソコンのバージョンアップの際、ダウンロードやインストールの前に、ものすっごく長い、嫌がらせのような文章が掲げられていることがよくあります。これは明らかに、読ませないようにしながら、何か問題があっても、当方は関知しませんよ〜、という責任逃れ。でも注意しないと、勝手に契約を結んだことになってしまう場合もある。

ひょっとして、説明書きを読まない人たちって、個人のサイトやコミュニティにアクセスする時も同じ感覚なのかも知れません。有形無形を問わず、お金を払って商品購入ならば、客が異常なまでに甘やかされている日本の場合、マニュアルに何と書いてあってもお構いなしで、我儘が通ってしまう。それに慣れてしまったのか、と思ってみたり。

ネット上でのやり取りという、直接相手の顔を見ない、文章だけでのコミュニケーションは、時間も手間も不要ですごく便利になった反面、考えられないような、常識も礼儀も欠いた発言を、頻発させることになりました。最近のツィッターなんて、ひどいもんですから。

たとえネット上の文章であろうと、それを書いた生身の人間が必ず背後にいるという事実を、忘れてしまうのか想像できなくなっているのか。まぁ最近は技術革新著しい時代。機械が文章を書いてしまえることもあって、必ずしもそうとは言えませんが。

それでも、コミュニケーションの道具としてネットを使っている以上は、まず相手の言っていることを聞く、書いてあることを読む、という最低限のマナーは守ってほしいものです。それに対抗する手段がブロックしかない、というのも問題なんですけどね。

ところで、フェイスブック大好きなフィリピンの人たち。友達申請する前にメッセージする人って、会ったことがない。友達の友達で、あんた誰?という人でも。


2018年4月15日日曜日

メイドさんのお留守番


しつこいようですが、今日は、ギマラス観光の番外編。
久しぶりに、家族全員が家を空けての2泊3日。いくらフェンスで囲まれて、ガードが24時間警備と言え、やっぱり心配になるのがフィリピンの治安状態。マニラなどに比べればまだ安全なシライも空き巣は多い。では、どうしたかと言うと、メイドのネルジーに鍵を預けて、留守番を頼んだのでした。

フィリピンのことをよくご存知の方ならば、余計に危ないと思われるかも。そうなんですよ。盗癖があったり、雇い主の断りもなしに、自分の子供を連れてきてご飯を食べさせたり、中にはラブホテル代わりに彼氏を連れ込んだり。留守番どころか、誰かが家にいても、油断ならない厄介なメイドさんもいる。

しかし、雇用3年目に入った我が家のメイド、ネルジー嬢は抜群の信頼度。未だかつて買い物の釣り銭も誤魔化したことはないし、休暇後も連絡なしに帰りが遅れることもない。お金と時間の感覚は、ずいぶんしっかりしています。一晩留守を任せたことも、何度かあるぐらい。

しかし今回は、初めての二晩。ずっと一人っきりで、そこそこ広い家に居続けるのは、さすがに心細いとのこと。腕力と体力は普通の男性並みか、それ以上でも、やっぱりお化けや幽霊の類いは、怖いらしい。

そこで、家内からの許可で、夜は妹が泊まりに来ることになりました。以前にも少し書いた通り、別の家でメイドをしていた妹さん。1カ月前にそこを辞めて、今では我が家から徒歩10分ぐらいの、ショッピングモールで働き始めました。もう住み込みではないので、夕方以降は時間が自由になります。

それでも旅行中は、家内も気になるようで、何度かネルジーにテキストを送付。ちゃんと戸締りしたか? 怖くないか? なんてやり取りをしていました。夜は、妹だけでなく、姪っ子も一緒に宿泊。折りたたみ式のベッドを居間に出して眠ったそうです。

旅行を終えて、私たちが戻ってからの夕食時。いつになく多弁になったネルジー。留守中の出来事を、家内に報告です。それにしても、実に楽しそう。早口のイロンゴ語(西ネグロスの方言)なので、何を言ってるのか分かりませんが、後で家内に聞くと、大雨で生まれたばかりのヒヨコが死んじゃったとか、いなくなっていた仔猫が戻って来たとか。

飼い犬のゴマと猫のチャコ美にも、指示通り、1日2回の餌を忘れずにやってくれたようです。でも報告にあった仔猫の茶チャは、また旅立ってしまって、それから姿を見ていません。

ということで、別に備品が無くなったり壊れたり、なんてことは皆無だったし、冷蔵庫の中身も大丈夫。っちゅうか、ネルジーと妹のために作り置きしていったおかずも、そのままでした。遠慮しすぎ。フィリピン人離れした真面目ぶりのネルジーなので、ちょっとボーナスでも上げようかと思っております。


2018年4月14日土曜日

ペドロッソ一家 in ギマラス島


前回に続きギマラス旅行のお話、これが最後の6回目の投稿です。今日は、この旅に誘ってくれた家内の友達グロリアとのそ家族、ペドロッソ一家について。

最初にも少し書いた通り、グロリアは大学時代からの家内の友達。20年前に私たちがバコロドの教会で結婚式を挙げた時には、家内のメイド・オブ・オナー(花嫁の介添え人)を務めてくれました。本当は姉妹か親戚の中から未婚の女性が選ばれるところ、該当する人がいなかったので、親友のグロリアに頼んだという次第。ちなみに私の介添え人、ベスト・マンは弟でした。

今回は、そのグロリアのお母さん、息子のジェッド、妹のフィオナとラッセル、義妹のアンとその旦那さんリチャード、甥レネ、二人の姪エミーとバド、そしてメイドさんまで引き連れて11人の大所帯。そのうち大人の男性はリチャードただ一人。


手前から、グロリアと息子のジェッド
メイドさんと妹のフィオナ


妹ラッセルとお母さん


義妹アンと、その息子レネ
バドを挟んで娘のエミー

これには理由があって、グロリアの旦那さんは船乗り。クリスマスなどの休暇中にしか自宅には戻れません。そしてアンの夫でグロリアの実弟は、二人の子供エミーとレネを残し、心臓の病気で、若くして亡くなったそうです。グロリアのお父さんも、すでに他界しているので、結果的に女系家族みたいな状況となりました。

それにしても...どういうわけか、この一家の女性、みんな胸が大きい。姉妹3人が、似たような体型になるのは分かりますが、お嫁さんのアンも、なぜかメイドさんまで、堂々たるおっぱいの持ち主。偶然なのか、意図的なのか。私も男だし、この頃は「フィリピン美女図鑑」と称して、セクシーな女性のイラストばかり描いているほどなので、どうにも気になって仕方ありません。

特にグロリアの姪っ子、17歳のエミーは、FHM(フィリピンでよく売れている男性向け雑誌)の、カバーガールが務まりそうなほどの美人。すごくスリムなのに、胸だけは一族の血を受け継いでいる。しかも、ビーチリゾートに遊びに来てるもんだから、当たり前に水着だし。目のやり場に困るというのを、久しぶりに経験しました。


そして、まだ11歳のバド。12歳の息子より歳下とはとても思えない成長ぶり。さすがにまだ子供なので、エミーほど肌の露出はないものの、みごとなくびれは、嫌でも目についてしまいます。

それはさて置き、このペドロッソ一家。宿泊先ファティマ農園の富豪のオーナーと友達だったり、グロリアも妹フィオナもフィリピン大学(日本の東京大学に相当)出の才女だったり。決して大金持ちではないけれど、十分余裕のある経済状態。そうでなければ、お母さんの誕生日祝いにと、バンカーボートを丸1日チャーターしたりは、なかなかできることではありません。持ってるスマホも安物ではなく、みんなiPhoneだし。

80歳の誕生日を迎えたお母さんからして、なんとも品のいいご婦人といった佇まい。これまたチャーターしたバンの乗り降りも、頼まれもしないのに、つい手を取ってお手伝いしてしまいます。話し方も穏やかだし、私にも分りやすいきれいな英語。


ただ一人、制御不能の大暴れだったのが、グロリアの一人息子、4歳のジェッドくん。昔は子供嫌いだった私も、息子ができてから子供の扱い方が分かり、フィリピンに来てからはティト・フランシスと呼ばれて、これぐらいの歳の子には人気のオジさん。ところが、ジェッドにだけは、神通力もまったく無力。

抱っこしたら、顔を殴られるのには参りました。そのうち近づいただけでも「インディ〜(いや〜)」と絶叫されるし。私だけが嫌われているのではなく、同世代の男性、ジェッドの叔父さんリチャードもダメ。どうやらオっさん全般を目の敵にしているらしい。日頃、お母さんのグロリアとメイドさんにしか、接してないからでしょうか?

ということで、私と家内の結婚式以来の再会となり、ギマラス珍道中に加えていただいたペドロッソ一家。これを機に、また我が家にも来て欲しい。来てくださいと言ったら、本当に来てくれるのがフィリピン人の気安さ。この調子だと、孤独な老後を心配する必要は、一切なさそうです。

2018年4月13日金曜日

南国リゾートの発電風車


フィリピン美女図鑑「キューティーハニー」を挟んで、ギマラス観光の投稿再開です。前回は、宿泊したファティマ農園を褒めちぎりました。今回は、ようやくギマラス本島の見どころをご紹介。

アイランド・ホッピングから一夜明けて日曜日。旅行中でもさすがのフィリピン人、ちゃんと朝のミサには与るのは偉い。たまたま農園のすぐ隣、歩いて5分ほどの場所にチャペルがあったから、ということもありますが。

このチャペル、おそらく農園オーナーからの寄進もたくさんあるんでしょうね。こんな田舎で、所属信徒の数も決して多くないはずなのに、かなりしっかりした作りで、内装もきれい。農園内に置かれている、真珠の装飾付きマリア像の祝福も、数年前ここで盛大に執り行われたそうです。



ミサ後は、農園の小高い丘にあるカフェからも遠望できた、風力発電所を訪問。恥ずかしながら、まったく知らなかったのは、ギマラスにこれほどの風力発電所があったということ。100平方キロの敷地に、発電風車が27基。2014年末から運転を開始しているんだとか。

調べてみるとフィリピンは、アセアン諸国で一番の風力発電国。ギマラスを含め、すでに6ヶ所で商業発電が始まっていて、40ヶ所で候補地選定中。日本からの支援も受けている。

もちろん日本でも同様の取り組みは進んでいて、主なものだけでも約100ヶ所の発電所があります。ところが、台風対策のため、効率のよい大型のものが設置できなかったり、なかなか十分な広さの土地が確保できなかったりで、まだまだ問題山積状態。ひょっとすると、近いうちに、この分野ではフィリピンが日本を追い抜くかも。ただ、台風に関してはフィリピンも同じ条件なので、大丈夫かいな?という気もします。

ということで、生まれて初めて実物を見た発電風車。これはデカい。一面緑に覆われた田園風景の中に、巨大風車が林立するのは、とても現実離れした未来のイメージです。こんなのが見られるなんて、全然期待していなかった。ちなみに、私たちが住むネグロス島には、風力発電所の代わりに、かなりの規模の太陽光発電所があります。シライ市の自宅から、車で10分ほどの場所。



羽が巨大なので、先端の回転速度は怖いぐらい



風車を見下ろすレストハウス
バーベキューが楽しめます


風車を見ながらひと泳ぎ
サンダーバード1号が飛び立ちそう

風車を後にして、お昼ごはんはまたまたビーチ。とは言え、前日のプライベートビーチのような感じとは程遠く、芋を洗うがごとくに混雑してました。聞くところによると、ボラカイ封鎖の影響で、イロイロ辺りから近場のビーチに、観光客が流れてるらしい。


午後は、マウンテン・リゾート。こちらは子供がメインのキャンプ・アルフレド(Camp Alfredo)。目玉はジップラインと呼ばれる、樹間に張ったワイヤーロープを、滑車を使って滑るアトラクション。ヘルメットや装備を着用して、インストラクターも付く本格的なもの。12歳の息子と、11歳の女の子バドが大喜びで挑戦。






他にもキャンプ場やプールもあるし、宿泊できるコテージも。これは次の機会には一泊したいところ。

適度なサイズのギマラス島は、海にも山にも、車で簡単に移動できる範囲に、子供連れで楽しめる場所が、コンパクトに収まっています。見たところ、大資本の大きなホテルやカジノもないし、地元の人が観光客ズレしてないのは、たいへん好ましい。



最後に立ち寄った美しい教会


教会の庭に咲く、桜みたいな花

わざわざギマラスだけを目的地にして、日本から来るほどではないけれど、セブやボホール観光のオプションツアーならば、これはコストパフォーマンスが高い。天邪鬼な私には、何より、日本人がいないのが、気に入りました。


2018年4月12日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 キューティーハニー

約半月ぶりに、フィリピン美女図鑑の更新です。
ラムちゃん、スターシャ、森雪、メーテルに続き、今回は禁断の永井豪キャラクター。私の世代ならば、ずいぶん永井さんの作品には親しみましたねぇ。何と言っても強烈だったのは、スカートめくりが、一種の社会現象にまでなった「ハレンチ学園」。

少年誌掲載作としては、考えられないほどに殺戮シーンが多い「あばしり一家」。一番衝撃を受けた「デビルマン」。これは全巻揃えてフィリピンにまで持ってきました。「バイオレンス・ジャック」も凄かった。そしてロボットヒーロー物としては、一世を風靡したマジンガーZ。それに続くゲッター・ロボ。

とまぁ、ここで取り上げるのは、ちょっと憚られる永井豪美女の中で、やっぱりこれしかないと思ったのが「キューティーハニー」。今回調べてみて知ったのは、永井豪さんのオリジナルではなかったこと。アニメ化前提の、東映との共同制作だったのか。

実は放送当時、小学生だった私は、ほとんど見ておりませんでした。学校でキューティーハニーを見てると知れたら、「助平」のレッテルを貼られること間違いなしの問題作。裸のシーンが多すぎて、2クールで打ち切られたというほど。

しかし、設定はなかなか凝ってたんですね。変身のメカニズムが秀逸で、空中の分子を自由に結合させて、あらゆる物質を創り出せる「空中元素固定装置」。ハニーがアンドロイドというのは、よくある話にしても、骨格と脳以外は、生きた細胞でできたハイブリッド。記憶は、ハニーを作った科学者、如月博士の幼くして亡くなった娘のものを移植。そのため、ハニー本人が自分はアンドロイドだと自覚がなかった。

後年のハリウッド映画「ターミネーター」で、アーノルド・シュワルツネガーが演じた殺人アンドロイドのスタイルを、完全に先取り。ひょっとしてジェームズ・キャメロン監督が、キューティーハニーからヒントを得たのかも。

そしてハニーの造形。強くてセクシーでファッショナブル。永井豪さん曰く「男性にも女性にも愛されるキャラクターにしたかった」とのこと。初回放送当時は、相当な批判があったものの、その後何度も再映像化されているし、つい先週(2018年4月5日)から、最新アニメ「キューティーハニー・ユニバース」の放送が始まったそうです。時代を超えて愛される、原作者が意図した通りのキャラクターに育ちました。

今回、そのハニー役に選んだのは、レッド・デラ・クルーズ嬢(Red Dela Cruz)。フィリピン、ケソン市生まれの25歳で、アメリカの総合格闘技 UFC のラウンド・ガールに選ばれ、フィリピンだけでなく国際的な人気を博すモデルさん。さて、うまく描けましたでしょうか...。


ところで、キューティーハニーと言うと、誰でも思い浮かべるのはテーマソング。歌詞のインパクトが強くて、何度テレビ化・映画化されても、同じ曲が使われています。でも私が気に入っているのは、有名なオープニングテーマではなくエンディング「夜霧のハニー」。あんまり好きでCDを買って、今もスマホのプレイリストの中にあります。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年


2018年4月11日水曜日

ギマラスのお宿はマンゴー農園


前回の続きで、またまたギマラス観光の投稿です。

今回の旅のハイライトは、何と言っても宿泊先。この旅行全体が、それほど期待していなかったけれど、中でもホテルはまったく期待値ゼロ。フィリピンでは、かなりお高い場所でも、水周り・電気系統やら清掃がイマイチやら、小さなトラブルがあるのは当然。変に期待すると、大抵がっかりさせられます。

ところが今回だけは、例外中の例外。ゼロに対して、エネルギー充填120パーセントでした。(また、分かりにく表現ですみません。気になる人は、宇宙戦艦ヤマトのDVDを観てください)

アイランド・ホッピング(島巡り)を終えて、ギマラス本島の船着場ブエナ・ビスタから、車で走ること約20分。すごく豪勢なサブディビジョンのゲート風な入り口に到着しました。守衛さんらしきオっちゃんは、ガードにありがちな硬い表情ではなく、にこやかに門扉を開けてお出迎え。敬礼のポーズが、子供がふざけているみたい。


左右にギマラス名物のマンゴーの木々が並ぶのを見ながら、結構長いアプローチが終わった先に、簡素ながら洒落た建物が。ホテルというよりも、大富豪の別荘みたいな佇まい。私たちの他に、滞在客らしき人は誰もいません。




ここはファティマ農園。ファティマとは、ポルトガルの小さな町の名前で、20世紀初頭、この地の子供3人の前に聖母マリアが現れ、三つのメッセージを残しました。その三つ目がのちに「ファティマ第三の予言」と呼ばれ、今でもその内容は秘匿されたままだ、とも言われています。その他にも、多くの人に幻視をもたらしたり、水源のない場所に湧き水が出たりして、バチカンもこれを奇跡と公認。

こんな名前を農園に付けるぐらいなので、オーナーはよほど敬虔なカトリック信者。敷地内には、本物の真珠で飾られ、強化ガラスのケースに入ったマリア像が安置されているし、磔刑に処せられるまでイエスの姿を、15の場面で描写した群像があったり。(十字架の道行き




そういう宗教的な装飾もさることながら、とにかく清潔で、園庭の隅々まで手入れが行き届いている。ホテルのスタッフ...というより、古風に使用人と呼びたくなるような人々は、みんなフレンドリー。営業用ではない素朴な笑顔は、最初の守衛さんだけではありませんでした。




実はこのファティマ農園、宿泊施設としては、まだ営業認可を申請中で、宣伝も何もしていません。今回の旅行の企画者にして、家内の学生時代からの親友グロリアの、個人的な伝で紹介してもらったとのこと。道理で他にお客さんがいないわけだ。

オーナーは昔から何代も続く、フィリピンではよくある大地主かと思ったら、一代で資産を築いた叩き上げ。奥さんが日本人で、その実家からの支援もあったそうです。そのせいか、いくつかの客室には、本物の畳が敷かれてあったり。


スタッフ全員、素朴なオっちゃん・オバちゃん、というわけでもなく、コンシェルジェ役の女性は、とても都会的に洗練された美女。こういう人を雇うあたり、ここのオーナーはタダ者ではない。



そして案内された客室は、「口」の字の間取りでパティオを配したメイン・パビリオンの中の一つ。特別な設備はないけれど、農園全体の印象と同じく、シンプルで清潔。水もちゃんと流れるし、お湯も出る。水圧も十分で申し分なし。唯一、Wi-Fiがなく、シグナルも微弱でネットが繋がらないことだけが難点。まだソフトオープンだし、これは仕方ないか。



そういうわけで、もしギマラスに来ることがあったら、またここに泊まりたい。できたら1週間ぐらい滞在したいなぁ。もちろんその時は、本格的に営業を開始しているでしょうから、広大な敷地を貸し切り気分にはならないでしょうけど。


プールも独占状態




園内の小高い丘にある
見晴らしいのいいカフェ