2017年11月30日木曜日

お金で苦労しない男女交際


日本女性のフィリピン恋愛事情」「それはセクハラやで」の2回、日本女性とフィリピン男性の恋愛について投稿しました。やっぱり気になる人が多いのか、その後も、かなりの方に読んでいただき、反響もありました。

相変わらず多いのが「フィリピンの男は怠け者で、お金をタカるために日本女性と付き合っている」と言う人。ほとんどは男性からのコメントでしたが、中には女性からもそんな意見が。実体験に基づいてるようなので、これはやっかみではなく切実です。

ということで今回は、どうやったらお金目当てではないフィリピン男性を見つけられるか? 正しい交際相手の見つけ方指南。

金持ちの男と付き合いなさい


あ、話が終わってしまった。

これではあまりに不親切なので、もう少し詳しく解説します。ここで言う「金持ち」とは、日本の基準とは違って、日々の暮らしに困らない程度の収入を得ている人。そんなの当たり前だと思うなかれ。

試しにスーパーやレストランで働いている男性に、サラリーをいくら貰っているか、訊いてみてください。いきなり見ず知らずの人に、そんなことを教える人もいないでしょうけど、ここネグロスならば、どんなに良くてもせいぜい1万ペソ(約2万2千円)まで。シライ市役所で次長クラスの義弟ですら、日本円で月10万円貰っているかどうか。

マニラ首都圏ならば、もう少しサラリーは高いと思います。ところが今や、首都圏の生活費は、少し前からは想像もできないほど高騰しているとのこと。飲食店での支払額を聞くと、ネグロス島での2倍かそれ以上は普通。これでは日本で住むのと、あんまり変わりません。

つまり、定職があって真面目に働いていても、実際にはギリギリの生活をしている人が多い。それに加えて、よく言えば、苦しい時は助け合う互助精神、身も蓋もなく言ってしまえば、金銭的甘ったれが日本に比べると許される土壌のフィリピン。給料日前のピンチには、相手がガールフレンドであろうがお構いなしに頼ってしまう...というパターンが多いと推測。

これに対して、多少なりとも経済的に余裕のある層は、同じ国民かと思うほどメンタリティが違ってきます。早い話が、私が配偶者に選んだフィリピン女性の実家。父が溶接工で母が高校の先生。昔から共働きで、決して裕福とは言えないものの、娘と息子を大学まで進学させて、その二人も卒業と同時に、娘(つまり家内)は、フィリピン大学の研究員、息子は市役所付きの技術者に。

家内の友人関係は、今でも大学時代から続いているものばかり。思いつくままに、その職業を上げてみると、フィリピン大学の教授や研究員。中にはビサヤ分校の学長になった人まで。大学以外では、フィルヘルス(健康保険)の管理職、食品加工会社とレストランの経営者、ネグロス島屈指の貿易会社のオーナー。

親戚では、義母を始めとして、高校の先生が3人。アメリカに移住して看護師をしている叔父と従妹家族。小さいながらもフードコートビジネスをやっている従弟などなど。全員が何らかの技能や知識・経験、そして、簡単に親戚や知り合いに借金を頼まない程度の、生活力とプライドは持っている人ばかり。

私が、フィリピン人=金に汚い、と決めつける日本人に、一貫して異を唱えているのは、この経験があるからです。

ということなので、お金のことでギャップの少ない人を、パートナーとして探すなら、まず大卒かどうかは目安となるでしょう。インテリジェンスよりも、大学に入るだけのお金がある家に育ったかどうかがポイント。

学歴で恋愛相手を選別するとは、なんて嫌な話かと思います。もちろん大学出のロクデナシもいれば、貧しくてもマトモな人だっている。単に傾向と確率の問題。それでもこの目安が、そこそこ有効なのは間違いない。「衣食足りて礼節を知る」とは本当によく言ったもの。

ただし、私は家内の実家や親戚・友人の経済状況を踏まえて、恋愛関係になったわけではありません。好きになった人が、たまたまフィリピン人で、たまたまその人だったというだけ。

これからフィリピンと付き合い始めて、フィリピンで配偶者を見つけるかも知れないという人に、私がもしアドバイスをするなら、相手やその親類縁者の経済状況は、確かめておきなさいと言うでしょう。交際相手本人がそうでなくても、親兄弟・親戚には、日本人の目からみたら問題のある人がいるケースも多い。

それを理解して、それでも我が道を行くなら、頑張って幸せになってくださいと言うしかありません。幸運をお祈りします。


2017年11月29日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 スタートレック・ビューティーズ

今回のフィリピン美女図鑑のお題は、スタートレック。もう完全に私の趣味の世界に浸りきってますね。スタートレックに興味がない方には、たいへん申し訳ございません。

何度もこのブログで取り上げたスタートレック。一応かんたんに復習です。これは1966年に放送が始まった、アメリカのSFテレビシリーズ。22世紀の未来が舞台の物語で、宇宙船エンタープライズによる5年間の調査飛行での、未知の天体や異星人との出会いを描いたもの。

最初のシリーズは、3シーズンで打ち切りになったものの、その後再放送で大人気となり、1979年には映画化。テレビでも、新しい宇宙船やステーションを舞台に、次世代の物語が続々と生み出されました。昨年(2016年)には、映画の第13作「スタートレック・ビヨンド」が公開。さらには今年、テレビでの第6シリーズ「スタートレック・ディスカバリー」の放送が始まり、50年間に渡って世界中で根強い人気を誇るSF作品となっています。

ところで、なぜスタートレックにフィリピン美女?と疑問に思う方も多いでしょう。実は、フィリピン系の登場人物がいるんですよ。それも1980年代以降の数あるシリーズの中ではなく、1966年の第1シリーズ。日本語吹き替え版では、ミスター・カトウとして知られる、エンタープライズの操舵士ヒカル・スールー。設定ではフィリピン系の日本人。

スールーは、フィリピンの西にある「スールー海」が由来で、ヒカルは、源氏物語の光源氏からの発想なんだそうです。ということは、父親がフィリピン系で、母親が日系だったんでしょうか。演じたのが日系俳優のジョージ・タケイさんで、全然フィリピンっぽい感じがないのは、ちょっと残念でした。

でも、男性ですよね。なぜに美女図鑑か。
何と、映画の第7作「スタートレック・ジェネレーションズ」で、ヒカル・スールーの娘が、エンタープライズの後継艦クルーとして登場。というわけで今日のテーマはその娘、ディモーラ・スールー少尉。

さて、ここからがいつもの「妄想」です。設定からすると、少なくとも1/4はフィリピンの血が入っているのだから、もしディモーラ・スールーが登場するような、新作映画やテレビシリーズが制作されたら、今度は是非、フィリピンの女優さんを起用してほしい。もしそうなったら、こんな感じじゃないか、というのがこのイラスト。


モデルになってもらったのは、アン・カーティスさんという、フィリピンでは有名な女優。制服着用のフィリピン美人は萌えます。そして作品に敬意を表する意味で、第1シリーズで通信士のウフーラ大尉を演じた、ニシェル・ニコルスさん(右)。さらには、スタートッレクを代表する異星人のバルカン人にして、第5シリーズ「スタートレック・エンタープライズ」の副長トゥポル役の、ジョリーン・ブレイロックさん(左)を描きました。

少々というか、かなり無理矢理な気もしますが、このイラストは、いつにも増して楽しみながらの作業。たまにはこんなのもいいですね。




2017年11月28日火曜日

ジプニー廃止計画




先月(2017年10月)、フィリピンの乗り合いバス、通称ジプニーのストのため、全国の学校と政府関係のオフィスが、2日続けて突然の休みになりました。このストの原因が、ドゥテルテ大統領の打ち出した、旧車両ジプニーの段階的な廃止案への反発。

いまや絶望的なレベルまで悪化した、マニラ首都圏の交通渋滞。空いていれば10分の距離が、2時間かかるなんてのは、日常茶飯事。その原因の一角を占めるのが、ジプニーだと言われています。一説によると、マニラ首都圏を走るジプニーの台数は、何と約22万台。単純比較はあまり意味はないけれど、東京都内のタクシーが個人経営のものを合わせても約4万5千台だと言いますから、やっぱりすごい数です。

フィリピン在留邦人の中には、ジプニーは情緒があるので、廃止されるのは残念だ、などとお気楽な発言をする方もいますが、地方都市ならともかく、2000万もの大人口を抱えるマニラ首都圏では、情緒どころの話ではありません。

ルートは決まっていても、タクシー同様、お客さんの要望でどこでも乗り降り。運転は超乱暴で、マナーが悪い...どころか、もう凹んでいる。ろくにウィンカーは出さないし、無理な割り込み、急停車はし放題。その上、日本だったら絶対に車検が通らないような、骨董品みたいな車両をベースにしているので、エンスト多発。ディーゼルエンジンからはもうもうと黒煙。

マニラに比べれば、交通量は全然大したことない、西ネグロスの州都バコロド近辺ですら、自分で車を運転していると、ジプニーは頭痛のタネ。何回接触されそうになったことか。事故もよく起こしていて、土曜の朝なのに変なところで渋滞してると思ったら、先頭では、故障したり、事故ったジプニーが道を塞いでいることが多い。

就任以来、古いきまりを片っ端から打ち壊しているドゥテルテ大統領が、メスを入れようというのも当然の成り行き。マニラの渋滞解消は、選挙時の公約の一つでもあります。いきなり全廃は無理でも、古い車両から順次廃止していく計画。

でも実際問題、一乗り約20円の格安運賃で移動できる手段は他になく、ドライバーや車掌など、ジプニーで飯を食っている何十万もの労働者の生活救済にも、解決の目処は立っていません。この問題に限らず、違法薬物や、警官・公務員の汚職などを、長年放置してきた歴代大統領たちの罪は重い。

ネグロスに住んでいて思うのは、せめて市街地の車が多いエリアだけでも、固定の停留所やターミナルを設けて、近距離輸送手段のトライシクル(輪タク)と、はっきり棲み分けをするとか、混む場所だけでも専用レーンを作るとかすれば、ずいぶんマシになるんだけどなぁ。

そんな手段も、マニラほど過密で伏魔殿のような状況になってしまっては、焼け石に水。結局、手荒なやり方をするしか、解決のしようがないのかも知れません。根本的には、交通システム全体の見直しや、最低賃金の物価上昇に見合ったアップが同時に進まないと、また別の問題が発生するだけのような気がします。

そうこうするうちに景気が後退して、経済活動が勢いを失えば、結果的に交通量は減り、問題は解消してしまうというのが、現実的な落としどころか? どっちにしても、あまり明るい未来とは言えませんね。


2017年11月26日日曜日

性教育はサイエンス


私とフィリピン人の家内には、日比ハーフで、今年小学校5年生の息子が一人います。小1の終了まで日本の学校へ、そして移住後は、地元シライ市内の私立小学校へ1年生をやり直す形で入学。

フィリピンの公用語は、フィリピノ(タガログ)語と英語。そしてシライ市を含む西ネグロス州では、母語としてイロンゴ語(別名ヒリガイノン)が使われています。息子の通う小学校は、授業はすべて英語。フィリピノもイロンゴも英語で教えるスタイル。

移住して5年近くが経過し、息子はもうすぐ、日本でいうところの中学生になろうかという年齢。学校で教わる内容も日々レベルアップ。英語なんて高度過ぎて、私には辞書なしでは読むことすらできない。算数もサイエンス(理科)も、小学生5年生にしては、相当難しいことを習っています。

そして気になるのが性教育。すこし前までカトリックの影響もあって、小学校ではほとんど何も教えていなかったそうです。ところが、HIVなどの性行為を通じた感染症の流行や、10代での望まない妊娠が社会問題となって、最近では女の子が初潮を迎える時期に合わせて、性教育が行われるようになりました。

どんな内容でどんな教え方をしてるんだろうと、息子の教科書を見せてもらったところ、ちょっとびっくり。特別な教科を設けるのではなく、サイエンスの一環として「人間の生殖系」と題した丸々1チャプターを当てています。それも、雄しべと雌しべが云々、というような遠回しな表現ではなく、男女生殖器の断面図や顕微鏡写真など、とても直接的で医学用語満載の記述。




例えば用語だけでも、陰茎・膣・卵巣・精子・生理・性交など、直球勝負ばかり。「輸精管」(Vas Deferens)なんて、日本語でもあまり目にしない言葉さえありました。さすがに性行為そのものの詳細説明はないけれど、11歳でここまで教えるのは驚きです。そして、クラスをグループに分けて、ディスカッションするらしい。これを男女同席で授業を進める。

息子によると、たまたま生理について話し合うグループに当たったそうです。「僕、男やのに、こんなこと勉強してもしゃあない」と、母親に愚痴ってたんだとか。ははは...。もうあと何年かしたら、男にとっても一大事やと分かるぞ。

それはともかく、親の一人としての意見を言わせてもらうと、興味本位ではなく(興味は思いっきりあるでしょうが)、またネット経由の行き過ぎで偏ったものではない知識を、早い時期から教わるのは、安心感があります。しかも女の子も含めたクラスメートと一緒に学習するのは、とても重要。

私が思うに、性について男女別で隔離するように教えるのは、男視点からすると、行き過ぎた女性の神聖視と、その裏返しである女性のモノ扱いにつながる原因になりかねない。デリケートな問題で、国民性や時代環境でも変わることなので、異論のある方も多いでしょうけど。

さらにフィリピンの教科書では、生理についても、かなり詳しく書かれています。そして、痛みや違和感があったら、すぐ親に言うようにとか、生理中はナプキンを頻繁に交換しなさいなどの実用的なことも。女性だったら当たり前に分かることでも、小学生の男の子にこれを読ませるのは、性教育後進国・日本に育った私には画期的。

4年生や5年生にもなれば、急に生理が始まってスカートを汚してしまい、授業中に女の子が泣き出すような「事故」も起こります。(実際に息子の学校でも、時々あると聞いています)そんな時に、同年齢の周囲の子供たちに予備知識があれば、騒ぎになったり、いじめられたりすることもないでしょう。

振り返って見るに、日本の性教育の現状はお寒いばかり。「寝た子を起こすな」式の、現実逃避の意見ばかりがまかり通り、特に小学校ではタブーなんだとか。結局はいきなり、ネット経由のアダルト画像が性教育の素材になってしまっている。

どれだけ禁じても、いずれは目に触れてしまうし、耳年増な割には避妊具の正しい使い方すら知らないというのは、やっぱり問題だと思います。いくら早く孫の顔が見たいからと言っても、息子が高校卒業前とかにお祖父ちゃんになるのは、勘弁してほしいですよ。


2017年11月24日金曜日

ジョリビーの日本メニュー


出典:Jollibee.com.ph

フィリピンのファーストフード最大手のジョリビー。多少なりともフィリピンに関わりのある日本人なら、知らない人はいないと思います。創業は1975年なので、もう40年以上の歴史。笑顔のミツバチがキャタクターで、そのバタくさい雰囲気から、最初はてっきりアメリカ資本かと勘違い。実は中国系の経営者が創業した、れっきとしたフィリピン・オリジナルです。

そのジョリビーが日本進出を発表してから、もうずいぶん経ちます。確報ではなさそうですが、来年(2018年)には東京に1号店がオープンするという記事も。当初は在日フィリピン人をターゲットにするらしい。

ジョリビーはすでにアメリカ、香港、サウジアラビア、そして東南アジア諸国など、フィリピン国外に161店舗を構えています。シカゴ在住の家内の従妹家族が、近所にジョリビーが出来たと、大喜びでフェイスブックに投稿していました。その動画によると、開店当日はものすごい行列。えらい人気なんですね。

ジョリビー成功の秘訣は、フィリピン人の好みを、無節操なほど追及したメニューにあると言われています。最初はアイスクリーム屋として創業し、ライスと一緒に出されるフィリピン風の朝食、フライドチキン、ハンバーガーと、大阪の「くいだおれ」を連想させる、何でもありの品揃えを展開。中でもジョリビーを代表するのが、フィリピン人のソウルフードとも言われるスパゲティ。

ほとんどのジョリビーの献立は、甘い方に味付けが振れていて、このジョリビースパゲティはその最たるもの。バナナケチャップを使っているというソースは、食事というよりスイーツ。塩と砂糖を間違えたんか?というほどに甘い。


ところが、これがフィリピンテーストにみごとにハマったんですね。子供だけでなく大人にも結構な人気。また、ジョリビーのフロアーを借り切って、誕生日パーティを開くというのが、ちょっとしたステータス。

そう言えば、子どもが通うシライ市内の小学校で、貧しい家庭の人たちを招いてのチャリティ催事があった時。ジョリビーのケータリングサービスに、集まった子供たちが躍り上って喜んでました。

さて、フィリピン国内では、マクドナルド、ケンタッキーの追随を許さない、圧倒的な強さを誇るジョリビー。どのような日本戦略で来るんでしょう。在日フィリピン人以外は相手にしないなら、国内のメニューをそのまま持っていけばいいけれど、それではいくら広い東京でも2〜3店舗も出せばいいところ。とても一般の日本人客から支持されるとは思えません。

そこで頼まれもしないのに、日本でのジョリビー成功のシナリオを考えてみました。日本ではそんなに認知度が高くないフィリピン料理の地位をうまく利用して、伝統的フィリピン料理のお手軽版で、売り出すのはどうでしょう。

日本人が食べても違和感がない、レッチョン・バボイ(豚の丸焼き)、アドボ(肉や魚の酢醤油煮込み)やチキンイナサル(鶏の串焼き)などをアレンジして、エスニック風のメニューとしてアピール。ライスは、地元レストランのスタイルで、お櫃を首からぶら下げたウエイター・ウィトレスさんが、席まで行ってお給仕。もちろん普通の白米と、ガーリックライスを選べる。デザートは当然ハロハロで決まり。それも10種類ぐらいは用意してほしい。

さらに、フィリピンローカルを全面に打ち出して、フィリピンで募集した、美男美女のフィリピーノを雇うのもいいかも知れません。ここまでやると、ただの飲食店ではなく、別の目当てで集まる人が増えそう。

やや面白半分に書いてはいますが、フィリピンに住む私としては、どんな形にせよフィリピン発のビジネスの成功を願います。いつも書いているように、フィリピンという国へのネガティブイメージを減らすには、普通のフィリピンを知らしめるのが第一歩ですから。


2017年11月23日木曜日

それはセクハラやで


先週投稿した「日本女性のフィリピン恋愛事情」。フィリピン男性と結婚したり、ただいま恋愛中だったりの方々から、いくつかのコメントをいただきました。概ね共感してもらったようです。それほど熟考して書いたわけでもなかったので、たいへん有難く思うと同時に、ほっとしております。

ただ、残念だったのは、フィリピン男性との結婚について、国際結婚自体がそれほど珍しくなくなった今の日本でも、偏見に満ち溢れた人が少なくないこと。「フィリピン男性と結婚するなんて、気の強い女だ」「フィリピン人は怠け者ばかりだから、金目当てだ」などの、日常的にひどいことを言われている女性もいるそうです。

これは二重の意味で許しがたい。まずフィリピン人への侮蔑。そして女性全体への蔑視。差別発言にして、完全なセクシャル・ハラスメントです。もし私の娘が(娘はいませんが)こんなことを言われたら、相手を張り倒しているだろうと思うぐらい。

思い起こしてみると、フィリピン女性と結婚した私も、ここまで明らさまではないにしても、偏見の目で見られたり、心ない言葉を投げかけられたこともありました。何人かのフィリピン人と暮らす知人も、フィリピン人と結婚すると言ったら家族や友人に止められたと、異口同音に語ってくれます。

さらに、この投稿への面識のない日本人男性からのコメント。「外国人男性は、アメリカの弁護士資格でもなければ、日本ではマトモな仕事がない。だから男性側の国に住むしかない」という訳の分からない内容。なぜここで急に弁護士資格が出てくるのか意味不明だし、日本で働く外国籍の人が、過去最高数を記録している昨今、何を見たらこんな戯言が出てくるのか。

試しに厚生労働省が発表した2016年の数字を見ると、雇用届けがある人だけでも、100万人を超えています。内訳は中国、ベトナム、フィリピンからだけで全体の半数超。この人たち全員が、アメリカの弁護士資格を持っているとは到底思えない。私が個人的に知っている日本で働くフィリピン男性では、フィリピン料理レストランの経営者や、カトリックの神父さん。これがマトモな仕事でなければ、一体どんな職業がマトモなのか。

腹が立つのでもう一つ書くと、私の家内が日本に暮らして時には、ネイティブレベルの英語力を活かして、ピジョンキッズワールドの先生をしてました。もう10年以上も前ですが、給料が月に30万円。私が会社を辞めて養ってもらおうかと、本気で思いましたよ。

フィリピンに来たこともなければ、フィリピン人に会ったこともない人が、偏見も持つのは、分からないでもない。日本でのフィリピン関連の報道って、経済関連を除くと、犯罪か貧困、災害のニュースが多いですからね。ところが、フィリピン人配偶者がいて、フィリピンに何年も住んでいるような人まで、フィリピン・ネガティブキャンペーンに加担するのは、困ったことです。

思うに、フィリピン人は金目当てで集まる奴らばかりだと言うのは、自分が札束で相手の顔を叩くような付き合いしかしてない証拠。結局のところ偏見というのは、自分の中のネガティブな考えの裏返し。嫌な部分が鏡に映し出されているようなもの。そんな負の感情をネットに流しても、誰の得にもならないんですけどね。


2017年11月21日火曜日

ラーメン vs カレー @フィリピン

フィリピンでは、空前の日式ラーメンのブームなんだそうです。と、少々距離を置いた書き方をしたのは、正確に言うとマニラ首都圏でのことだから。周辺の街も含めると2000万人の大人口を擁する地域で、フィリピン全人口の1/5が住んでいるし、日本の東京と同様、国内への情報発信の拠点なので、間違いでもないんですが。

ネットで調べただけでも、マニラに店を出している日系のラーメンレストランは、「凪」「一風堂」「三ツ矢堂製麺」「優勝軒」「ラーメン山頭火」「一康流」「烏骨鶏ラーメン 龍」「らあめん大翔」「吉虎」「吉田製麺」などなど。

ラーメン専門ではないけれど、大阪王将やフィリピン系の来々軒なども含めると、日本スタイルで、それなりにちゃんとした味のラーメンをフィリピンで食べられる店は、相当な数になっています。そして、その勢いは首都圏だけでなく、このネグロスまで波及。約1年前に、西ネグロスの州都バコロドにある巨大ショッピングモール内に、一康流が進出。

マニラやセブに比べるとネグロスでは、まだまだ数少ない、日本人が食べても違和感のない日本食レストラン。しかもラーメンに関しては、私の知る限りこの一康流だけ。月に一度ぐらいは、家族で食べにいってます。今のところ味が落ちたり、潰れそうな気配はありません。


バコロドの一康流にて

そんなラーメンブームの熱気に比べると、同じように、現代日本人の国民食と呼ばれるカレーは、かなり後手に回っている感じ。私はどちらかと言うと、ラーメンよりもカレー派。ネグロスでは、セーブモアやロビンソンズ、スーパーメトロなど、輸入食材を扱うスーパーでは、ゴールデンカレーなどの日本製ルーが入手できて、移住してからも「週末カレー」と称して、ほぼ毎週土日には自宅でカレーを作っているほど。

家で作るカレーは、たまに来る日本人のお客さんだけではなく、家内の親戚や友達にも大人気。つまり日式カレーは、フィリピン人にも十分受け入れられるポテンシャルがあるということ。ライスと一緒に食べるところなんて、まさにフィリピンスタイルとも言えます。



自作の週末カレー

最近では、マニラにカレー専門店のCoCo壱番屋が進出し、すでに7店舗が営業中なんだとか。他にも何店かカレーレストランはあるようです。それでも知り合いのフィリピン人に聞くと、ラーメンを知らない人は滅多にいないけれど、インド料理ではない日式カレーについて、ラーメン並の知識がある人は少ない。

これはそれぞれの母体となった中華料理とインド料理の、フィリピンでの浸透度の差なんでしょうか? フィリピン料理には、パンシット・カントン(焼きそば)や、チョプスイ(八宝菜)など、明らかにルーツが中華にあるものがいくらでもあります。バッチョイという、ほぼラーメンそのまんまの料理まで。

ところが、インド料理となると、あまり思い浮かびません。第一、香辛料をたっぷり効かせたような味付けが、どうもフィリピンではあまり一般受けしない。インド系の住民は、結構いるんですけどね。

実はフィリピン移住直後に、本気で小さなカレーレストランができないかと、考えたこともあります。でも真面目に原価計算してみて、よほど価格を上げるか相当手広くやらないと、とても満足な利益は出そうになく、早々に諦めてしまいました。そもそもシライは田舎過ぎて、集客が難しい。

ということで、ネグロス島のレストランで、本格的な日式カレーに出会える日はまだまだ先になりそうです。


2017年11月19日日曜日

私的フィリピン美女図鑑 コスプレ・フィリピーナ

日本発のサブカルチャー、コスプレ。Costume Play から造語された和製英語だったのが、今では英語の本家イギリスの辞書にも記載されているとか。それぐらい世界中に広まったコスプレ文化。元々はコミックやアニメのキャラクターに扮する行為を指す言葉。でも最近は、現実の職業で使われるユニフォームなどを着るのも、コスプレ。もう何でもありの様相を呈しています。

日本のアニメが大人気のフィリピンでは、もはや完全に市民権を得たようで、あちこちでコスプレ関連の催し物があるらしい。中でも年に1回、マニラで開催されるコスプレ・マニア(Cosplay Mania)は東南アジア屈指の規模。2日間で3万人を超える入場者を数えるほど。

フィリピンで、最初に日本アニメの名を知らしめたのは、1979年の「超電磁マシーン・ボルテスⅤ(ファイブ)」。ロボットアニメの中では、マジンガーZなどに比べると地味な印象ですが、なぜかフィリピンでは大ヒット。家内も子供の頃、熱心に見たそうで、テーマソングを今でも歌えます。

あまりの人気に、子供が勉強しなくなるとか、劇中に出てくる武器が、旧日本軍の軍刀をイメージしてるとか、大々的なネガティブキャンペーンにまで発展し、時の大統領マルコスの指示で、とうとう放送禁止に。ところが20年後の1999年、再放送が始まると今度はリバイバルブーム。視聴率40%超えを記録し、テーマソングを歌った堀江美津子さんは、国賓待遇でフィリピンに迎えられました。

コスプレに関して言うと、女性にまでその裾野を広げたのは、「美少女戦士セーラームーン」の功績が大きいでしょう。メディアミックスのスタイルで、原作コミックとアニメが同時スタートしたのが、1992年。もう四半世紀も前なんですね。

ゴレンジャーを始めとする戦隊ヒーロー物の中で、女の子キャラがメインなのは、初めての試み。コスチュームがまた独特の世界を作りました。セーラー服で悪と戦うという発想は、それ以前だと、薬師丸ひろ子さん主演の「セーラー服と機関銃」が思い浮かぶくらい。

SFファンタジーのヒロインがセーラー服姿。これは最初見た時には、かなり驚きました。コスプレでは定番となったメイド服にも、セーラームーンの影響がはっきりと見て取れます。

すっかりオタク的に深入りして、前置きが長くなりましが、今日のイラストは、フィリピンの女の子がコスプレで扮するヒロイン、クロエ・ホセガワ。なんで名前まであるのかと言うと、実はこのアイデアを思いついたのが、マニラ在住日本人ご夫婦の、小学1年生の娘さんが描いた絵を見せてもらったのが発端。いかにも小学生らしく可愛い作品は、彼女が考案した「プリパラ」の新しいキャラ。ホセガワのホセは、フィリピンによくある名前 Jose(ホセ)からの着想。

ということで、もう初老に差し掛かろうかというオッさんが、ありったけのイマジネーションと、ネット上で搔き集めた資料を元に描いたのがこれ。顔つきはフィリピーナっぽく、かなりラテン系にアレンジ。すると妙に生々しくて、日本のメイド喫茶に雇われた外国人女性、みたいになってしまいました。(その後、差し替えました。)


そんな印象を和らげようと、背景は、セーラームーンへのオマージュの意味で月をあしらい、少女アニメではよくある、虹と星のアイテムをちりばめてみました。オっちゃん頑張ったけど、原作者の娘さんには「これじゃな〜い」と言われそうですね。

【追記】
やっぱり「これじゃな〜い、顔がこわ〜い」と言われてしまったので、顔だけ思いっきり年齢を下げて、美女ならぬ美少女に差し替えました。これでどやっ!


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年11月18日土曜日

日本女性のフィリピン恋愛事情


日本・フィリピン間の恋愛というと、マニラの水商売女性と、買春目的の日本人男性、特に中高年、というステレオタイプばかり語られて久しい。これは何十年経っても、相対的に貧しい人と比較的余裕のある人の経済差が埋まらない限り、完全になくなることはないでしょう。もう、このブログで書くのも少々飽きてきました。

今日は、手垢の付きまくった、フィリピーナ&日本のオっさんの話題ではなく、日本女性とフィリピン男性の恋愛について。

日本女性とフィリピン男性のカップルというと、私が知っている範囲で一番最初に聞いたのは、「ネグロス・マイラブ」という本の著者、大橋成子さん。日本NGOの現地駐在員としてネグロスに。そして1996年、地元の男性と結婚されました。ネグロス・マイラブは、その経験を元に書かれたノンフィクションです。

この本は、2005年に出版され、ネグロスの名前に惹かれて私も1冊購入。今でも私の手元に。そして改めて確認したら、大橋さんご夫婦が住んでいるというのが、私の自宅と同じ西ネグロス州。しかもサン・エンリケとあるので、車で1時間もあれば行ける場所。とは言え大橋さんとは面識もないし、もう本が出てからだけでも12年なので、今もネグロスにお住まいかどうか、定かではありません。

当時は、本の題材になるほど希少だった日本女性とフィリピン男性の結婚。ところが時代は移り、NGOやボランティア活動、そして英語留学の名目で、90年代に比べると桁違いに多くの若い日本人が、観光以外でフィリピンにやって来るように。しかも数日レベルではなく、数週間から数ヶ月。

こんな状況になれば、男女関係なく、日本人とフィリピン人の接触も増えるし、当然の帰結としてカップルも生まれます。特にボランティアや留学など、海外に積極的に出る若者や学生さんは、日本からの場合、どういうわけか女性の方が多い。我が家を訪れる若い日本人のお客さんも、7〜8割方が女の子。私が選り好みしているわけでもないんですけど。

そしてこれまた当然の帰結として、日本女子とフィリピン男子の、恋人同士や夫婦の数も増える。最近になって、貪欲に男性のパートナーを探している日本女性が、たくさんフィリピンに押しかけているのでもない。単純に全体母数と確率の問題でしょう。

今年になって、私が実際にお会いしたケースだけでも、国際結婚が一人、ただいま恋愛中が二人。どの方もたいへんしっかりしている。いい加減だったり浮ついた感じは微塵もありません。要するに人間として魅力的で、こういう人たちだったら、国籍とは無関係にモテるだろうと思います。

人伝てに聞いたところでは、ネグロスにボーイフレンドができて、日本に帰った後も想いを断ちがたく、休みの度にフィリピン通いをしている女性もいるとか。これは私にも経験があります。男が通うばかりとは限らないんですね。考えてみれば、当たり前のお話。

こう書くと、必ずいるのは「フィリピンの男は怠け者ばかりだから...。」と、したり顔で説教を垂れる日本人。フィリピン女性と結婚してフィリピン暮らしが長い人ほど、こういうことを言いたがる。しかし、物事を現実的に見るのは、日本でもフィリピンでも女性の方がはるかに上手。

私が知っているフィリピンの日本女性たちは、経済的にも精神的にも自立している。将来もちゃんと考えています。そして多くのフィリピン男性は、女性との接し方がよく分かっていて、男が優位に立たなければというような、変な意識やコンプレックスもない。

妻が働いて夫が家事をこなすことにも、日本に比べれば、ほとんど抵抗なし。これは子供の世話も含みます。過大な期待さえしなければ、働く女性が一緒に暮らす相手としては、理想的と言えるかもしれません。(もちろん、これは人に依ります。中にはどうしようもない人がいるのは、日本も同じ)

唯一私がアドバイスするならば、熱々の恋愛感情がずっと続く保証はないので、関係が破綻しても、自分の生活は守れる準備をする、ぐらい。これは、別に日比カップルとか、男女のどちらかに限ったことではないですね。

そういうわけで、50代半ばの私が言うのも矛盾してますが、ここネグロスでも、在留邦人が爺さんやオッさんばかりではなく、少しでも平均年齢が下がって、女性が増えるのは喜ばしい。

そうなれば、日本からフィリピンに向けられた偏見がずいぶん減るだろうし、フィリピンに渡航する日本人の目的も、さらに変わってくるでしょう。大げさに言うと、今が民間人レベルでの、日比二国関係の転換期だという気がします。


2017年11月17日金曜日

ネグロス引きこもり


「引きこもり」という言葉。今の日本では、とても悪いイメージになってしまいました。元々そんなに良い意味で使われることもなかったにしても、最近では、何年も何十年も自室に閉じこもって出てこない(出てこられない)ような、心の病を負った人を指す言葉として、定着してしまった感があります。

日本の厚生労働省が、引きこもりの定義、なるものまで制定。それによると....。

仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて自宅にひきこもっている状態。

これは、時々買い物に出たりする程度も含まれるとのこと。そうすると、かく言う私も、実は引きこもりではないかと、最近気づきました。

息子を毎朝学校に車で送っていくのと、日曜日朝のミサ。他には月に1〜2回の買い物ぐらいでしか、自宅の外に出ることはあまりない私。家内と子供、そして住み込みメイドのネルジー以外、本当に会話もない。これでは英語は錆び付くし、イロンゴ(西ネグロスの方言)を覚えられないのも無理ないですね。

また、ここで指摘されている「交流」が、SNSやLINEなどでのネット経由のコミュニケーションを含まないとすれば、私の引きこもり度はさらにアップ。やっぱりこっちで定職に就いていないのが大きい。

だからと言って、辛いとか生活を改善しなければとかは、全然思わない。筋トレに自転車漕ぎで、それなりの運動量は確保しているし、早寝早起きに規則的な食事の、かなり健康的な状態なので、体調は良好。

しかも、「画家になりたい」「作家になりたい」という昔からの夢が、ある意味で実現しています。似顔絵イラストとブログが、画家と作家の仕事に値するかどうかは、少々怪しいですが、本人が満足しているのでご勘弁を。

こんな暮らしができるのも、住環境が充実しているお陰。これは、フィリピンに限らず、また海外・国内無関係に、引退生活を快適に過ごす上での、最重要ポイントと言えそうです。特にフィリピンの場合、居心地がいい家が手に入れられるかどうかが鍵。フィリピン移住に際しては、この点私は、ずいぶんと綿密に計画を練ったし、相当な投資もしました。

言葉を変えると、引きこもりができるほど居心地のいい場所がなければ、引退後の生活は、かなりストレスに満ちたものになってしまいます。これは必ずしも、自宅である必要はありません。定年後フィリピンに移住して、辛い思いをされているのは、居場所作りに失敗しているケースが多いのでは、というのが私が推測するところ。

おそらくフィリピン移住を考えている、中高年の方は、もっと具体的にどうすればいいのかと訊きたいところでしょう。ところがこれは、その人の経験や置かれている状況によって千差満別。こうすれば誰でも大丈夫な処方箋はありません。

なので以下は、飽くまでも私の場合。
まず、大量の蔵書を収納できるだけの書斎。これは一人になれる個室という意味もあります。そして最低限のネット環境と、騒音に悩まされない、そこそこ閑静な場所。その他、細かく上げるとキリがないにしても、この三つは最初から意識しました。

ここまで書いて、これは「引きこもり」ではなく、「隠棲」とか「隠遁」と言った方が適当なんじゃないかという気もしてきました。もっと気取って言うと「世捨て人」かも。いずれにしても、家族以外とリアルなコミュニケーションが少ない=不幸せ、でもないことを強調したい。

そういうことで、日本でのリアルなコミュニケーションに疲れ果てた、私のような人間の場合、鬱陶しい人間関係を断ち切れる、ネグロス引きこもりライフは、一種のユートピアだと感じております。


2017年11月14日火曜日

関西人フィリピンに憚る


我が家には時々、20代の若いお客さんが日本から来てくれます。NGOの仕事やボランティアだったり、英語留学だったり。このブログを読んで、わざわざ連絡を頂くことも、最近は珍しくなくなりました。

よくあるのが、実際に私に会ってみて、想像したよりもかなりキツい訛りの関西弁を喋ることに、ちょっと驚くというパターン。このブログのサブタイトルに「ネグロス島に家族で移住した、関西人のつぶやき」って書いてあるんですけどね。

確かに、たまに文章の中で関西っぽい言い回しを使うぐらいで、通常は、方言で書いたりはしてません。もし全文関西弁にしようとしたら、かな漢変換がものすごく面倒になるし、第一、読みにくくて仕方がない。上方落語の書き起こしをしているわけではないので、標準的な文体で書くのは、まぁ、当たり前。

しかし、日常生活の私は、紛うことない方言生活者。父が東大阪(河内)で、母が大阪市の都島区(摂津)の出。そして私の生まれ育ちが、お笑いの「ダウンタウン 松本・浜田」で有名になった、兵庫県の尼崎。サラブレッドと言ってもいいぐらい高濃度の関西弁ネイティブ・スピーカーです。

関西出身者にわりと多いのが、東京へ行こうが、関西以外の人たちに囲まれようが、まったく喋り方を変えない人。全部がそうというわけでもないし、別に頑なにイントネーションを守っているわけでもない。単に面倒なだけ。永年にわたる吉本興業の努力の成果で、どこへ行ってもだいたい通じるし。

実は私、30年ほど前に社会人になり、東京出張をする時には努めて訛りを抑えて、少なくともビジネスの場では、聞かれるまで出身地がバレないぐらいに頑張ってました。ところがある日、たまたま同席した同郷の先輩から「気持ち悪いから、普通に喋れ」と指摘されてしまった。日頃、関西弁丸出しで喋っているのを知っている人からすると、やっぱり強烈に不自然だったらしい。

それ以来、すっかりどうでもよくなってしまい、どこへ行っても自然体。すると、英会話の先生には「君の英語は関西訛りだ」と言われるし、横浜に住んでいる頃は、趣味の声楽で、ラテン語なのに「歌まで関西弁ですね」と驚かれる始末。一体どんだけ、骨絡みやねん。

その後、フィリピン人の家内と一緒になり、最初は英語で会話してたけど、家内の日本語レベル向上と共に、家庭内標準語は関西弁に。ネグロスに移住後も、今更フィリピノ語やイロンゴ語(西ネグロスの母語)を覚えるのも無理がある。英語はどんどん錆びつき、ハリー・ポッターを原書で読む小学生の息子には、遠の昔に追い抜かれてしまいました。

ということで、尼崎から3000km離れたネグロスの地でも、家族や、日本人とのコミュニケーションは関西弁を貫いているわけです。もう50代も半ばを過ぎ、若い女性が来たからと、体裁をする気もありません。

ところが意外にも、私の喋り、それほど嫌がられているわけでもなさそう。中には私の関西弁が好きだと言ってくれる、殊勝な若者もいました。話半分でも嬉しい。そして、複数の人からは、フィリピンには関西の人が多いですね、とのご意見。

え、そうですかぃ?
数えたわけではないけど、そんなに多いとは思えないなぁ。推測するに、関西弁というオブラートに包みながらも、思ったことをストレートに言う人が多く、ボケ・ツッコミ・オチがないと、会話ではないと言うぐらい、サービス精神が旺盛。一人に会っただけで、数人分ぐらいのインパクトを残すから、なんだかたくさんという印象になるのかも。

この関西的メンタリティは、ひょっとすると世界スタンダードに近いのではないか、というのが私の仮説。好きなことは好き、嫌なものは嫌とはっきり伝えるのは、会話の基本。相手が誰であっても、ユーモアは意思疎通の潤滑油になる。私など、日本でより、海外出張の方がよっぽど仕事がしやすかった。なぜなら、何を要求しているのか、ちゃんと分かるように言ってくれるから。言葉の裏を探ったり、空気を読む、みたいな面倒臭いことは皆無。

そういうわけで、日本から飛び出してフィリピンに住み着いた関西人は、居心地がよくて、さらに関西濃度が上がるような気がします。さしずめ、関西人フィリピンに憚る、と言ったところでしょうか。


2017年11月13日月曜日

婚約破棄


2015年の年明け早々のことだったので、もう丸3年近く前。家内がフィリピン大学の研究所に在籍していた当時の同僚で、今年(2017年)に還暦を迎えるフランチャスカ。その歳の離れた妹、シーラ嬢の婚約記念パーティがありました。場所は、ネグロスの隣島パナイの中心都市イロイロ。西ネグロスの州都バコロドと並んで、フィリピンで最も暮らしやすい街と言われています。

歳が離れたと言っても、もう30代の半ばは過ぎているシーラ。フィリピンにしてはかなり遅めの初婚。でも全然年齢を感じさせない、知的で清楚な雰囲気の美人で、お相手はアメリカ国籍の白人男性とのこと。

私たち夫婦はパーティに招待されて、珍しく息子を実家に預けての二人だけの一泊旅行。ちょっとしたハネムーン気分でした。それはともかく、会場はかなり広い宅地内の多目的広場。一部に屋根があって、パーティができるようなスペース。

そこに親戚や友人など、20〜30名ほどが集まって、フィリピンにしては比較的こじんまりした雰囲気のパーティ。それでも豚の丸焼きレッチョンを始めとして、本格的なケータリングによる豪華な食事が用意され、味も量も申し分なし。

ちょっと気になったのは、シーラは終始笑顔で幸せそうだったけれど、未来の旦那さんは、何となく場に馴染んでいなくて、戸惑ったような表情だったこと。これは私も経験があって、故国を離れてこういうパーティをすると、自分の家族や友達は誰もいなくて、相手の関係者ばかり。どうしても会話も途切れがちになり、やや浮いてしまうのは、ある程度仕方がない。

そして数日前。家内と朝ごはんを食べている時、来月予定のフランチェスカの還暦祝いの話題になりました。私が何気なく「ところでシーラは、いつになったら結婚するの。ひょとしてもう別れちゃった?」と冗談のつもりで尋ねたら、家内が突然真顔に。

冗談じゃなかったんですよ。詳しい経緯は分かりませんが、婚約破棄しちゃったそうです。それも、家内以外にはまだ誰にも打ち明けていなくて、フランチャスカのお祝いの席では、絶対に言っちゃだめだと、口止めされてしまいました。

家内はシーラのゴッドマザー(名付け親)にして、一番信頼されている姉貴分みたいな存在。シーラが学生だった頃には、ラブレターの代筆したり。そう言えば、去年だったか、シーラが一人で我が家に泊まりに来たこともありましたね。家族にも言えないことでも打ち明けられるのが、20歳も歳上の他人だというのも不思議な感じ。

それにしても、今回は残念な結果になりましたが、フィリピンでこんなにフォーマルな婚約発表というのは、私は初めて聞きました。婚約どころか、親が相手の顔を見る前に妊娠したとか、その後も家族が結婚を認めないので、そのままシングルマザーになった、みたいな話は多い。貧困層だと、子供もたくさんいて、どう見ても夫婦なのに、届け出の費用がないから放置している、なんていうカップルさえいます。

ただ、どういう形で一緒に住んでも、また、親になっても、日本のような生き辛さはあまりないように思います。母親が孤立して、一人で子供の面倒を見るというケースは少ないんじゃないでしょうか。特に、親戚縁者が地域に固まって暮らすことが一般的な、田舎のネグロス。子供の親じゃなくても、大抵誰かが協力して子育てをしているようです。周囲の大人も、両親と同居していない子供を、白眼視したり特別扱いしたりという話は聞かないですね。

シーラの場合は、シングルマザーになったわけでもないし、婚約破棄を知っても、家族や親戚は、温かく見守るという気がします。まあ、経済的にも精神的にも独立した大人の女性なので、本人のプライドの問題だけかも知れません。ということで、部外者の私が言うのも変ですが、シーラの傷心が癒えることを祈りつつ、しばらくは事態を静観したいと思います。


2017年11月12日日曜日

初めての広告料


出典:Western Union Home Page

早いもので、このブログを書き始めてから、丸4年が経過しました。だいたい2日に1本のペースで投稿していて、すでに投稿数は750本に迫ろうかというところ。

そもそも、ネグロス島での自宅建設のプロセスを記録し、フィリピンで同じように家を建てようと思う人の参考になれば、というのが動機でした。家が出来てしまえば、そんなに書くこともなくなるだろうし、そうなったら自然消滅でもいいかという、ごく軽い考え。

開始後半年、工事が終わっても意外とネタは続き、その頃には文章を書くこと自体も面白くなってきました。フィリピンに興味を持つ人しか読まないような、超ピンポイントの話題ばかり。大した数の読者もいないだろうと思いきや、それが幸いしたのか、ずっと愛読いただく方が、思いの外増えた模様。

特に、ネグロス出身者と結婚したとか、仕事や観光でネグロスに渡航する人、そして私同様、ネグロスに永住の計画がある、というような人は、かなりの確率でこのブログを探し出しているらしい。最近では「ネグロス島」でググると、最初のページの5つ目ぐらいには表示してもらえる。これは私にとっては、望外の喜び。

そうなると、多少の欲が出てくるのが人情。もちろん大儲けできるなんて考えはないけれど、自分の書いたものが、一体どれぐらいの価値を産むものなのかを知りたくなりました。そこで、半年ほど前から、広告を表示するように設定を変更したわけです。

ところが以前にも書いたように、広告料を受け取るためには、ネット上のやり取りだけではなく、登録した住所にグーグルから「個人識別番号」が郵送されてきて、それを入力しないといけない仕組み。これがフィリピン在住者には落とし穴。

フィリピンの郵便事情は、劣悪と言うべきレベル。EMS(国際スピード郵便)のように、通常の送料に上乗せした支払いがなければ、数日で届くところが数ヶ月から半年以上かかったり、郵便物が紛失したりは日常茶飯事。案の定、待てど暮らせど何も来ない。これはダメかと諦めて、すっかり忘れていたころに、グーグルからのレターが届きました。日本語表記なのに発送元はマレーシアの住所。さすがグローバル企業ですね。

そして支払い方法も、各国向けにちゃんとローカライズ。海外出稼ぎによる外貨獲得額が、国家予算に匹敵するフィリピン。外国からの送金とその受け取りは、(フィリピンにしては)たいへんシステマティックに整備されています。

いくつかの選択肢があった中で、私が選んだのが、ウェスタン・ユニオンというアメリカ資本の金融機関経由。これは銀行口座を開設する必要もなく、受け取り手数料も不要。広告料の積算が100米ドルを超えた時点で、自動的にグーグルからウェスタン・ユニオンに送金。

ネット経由で送付された、支払い領収書をプリントアウトして、フィリピンならばどこにでもある、ウェスタン・ユニオンの窓口で、私のID(永住ビザ所持者であることを示すアイ・カードか、フィリピンで取得した運転免許)と一緒に提示すれば、ものの数分でフィリピン・ペソで受け取り完了。あっけないほど簡単。送金元はマレーシアではなくシンガポールからでした。

半年がかりで100ドル(約1万1千円)なので、本当にお小遣い程度。これで生計を立てるには、いくら物価が安いネグロスでも全然お話にもならない金額。それでもやっぱり、久しぶりの現金収入は嬉しいものです。さっそく隣街のショッピングモールで、このブログを書いている書斎に置く、午睡用シングルベッドを買ってしまいました。

ということで今回は、ブログの読者諸氏に感謝の念をお伝えしたい。いつもご愛読いただき、たいへんありがとうございます。


2017年11月11日土曜日

9万ペソの愛犬アイボ



前回投稿の11月8日「いいおっぱいの日」の続きではありませんが、11月1日は、「わんわんわんの日」だったんだそうです。この日付に合わせて、ソニーがロボット犬アイボの販売再開を発表しました。そして今日11月11日「わんわんわんわんの日」に、予約受付開始。さらに来年1月11日、再びの「わんわんわんの日」(くどい!)に、販売開始の予定。


最初のアイボが世に出たのが1999年。もっと最近だったと思ったら、18年も経ってたんですね。当時は、工業デザイナーだった私。デザイン事務所を経営していた友達や知り合いは、「研究用」と称してこぞって購入。自分で買うほどの勢いがなかったので、よく仕事のふりをしながら、アイボと遊ぶために飼い主のオフィスにお邪魔したものです。

前回も、サラリーマンが衝動買いするには、やや高価すぎる値段でした。新しいアイボも同様で、19万8千円。書くだけ野暮ながら、我が家の飼い犬ゴマはタダ。それでも、庭がなかったり、動物を飼うには狭すぎる住宅事情、さらには平日の昼間は誰も在宅しない家庭が多いことなど、日本の状況を考慮すれば、一部のマニアックな層だけでなく、ある一定の需要があるのは理解できます。

人間型のロボットでは、やはりホンダのアシモが、いまでも鮮明な印象。ややぎこちない部分はあるものの、中に人間の子供が入ってるんじゃないかとさえ思えました。

その後、人間や生き物の動きを、驚くべき精度で再現するロボットが、玩具や軍事などいろんな分野で現れるようになったのは、ご存知の通り。学生時代に、どこかの大学教授の講演で耳にした「コンピューターやロボットの究極の目標は、人間の完全なコピーを作ること」という言葉を思い出します。当時は遠い未来の話だと思っていたのが、ひょっとすると私が生きている間に実現しそうな雰囲気。


動きよりも、感触も含めた外見が一番の難問だろうと予想してたら、そっちの方面もとんでもない進歩。特にラブドールと呼ばれるセックス人形は、とっくに一線を越えてしまったようです。女性ヌード写真の大家、私の世代では「激写」で有名な篠山紀信さんが、ラブドールの写真集を出しているぐらい。ダッチワイフと呼ぶのも憚れるレベルの、賞賛に値する造形の完成度。

さて、これをフィリピンに置き換えて考えてみましょう。まずアイボ。私には、ロボットオタクか、大金持ちが見栄で子供に買い与えるぐらいしか、ユーザーの姿が想像できません。特にここネグロスでは、庭がなくても家の前で放し飼いにしても大丈夫。また、大家族だったりメイドさんがいたりで、ペットの世話係には事欠かない。我が家の場合は、300平米の裏庭で、仔犬遊ばせ放題。

そして人間型のロボット。こちらもまだ完全実用化は無理でも、家事や介護用途での、商品レベルの研究が進んでいます。人工知能(AI)の開発と相まって、民生市場で普及するのは、もうすぐでしょう。ところがメイド、介護士、運転手、どれも人間を雇った方がはるかに安いフィリピン。

それも半端ではない安さ。例えば我が家の住み込みメイドのネルジーが、一月の給金3000ペソ(約7000円)。これではロボットへの置き換えを、考える気にもなりません。同列に書くとお叱りを受けそうですが、セックスワーカーにしても同様です。

やはり、犬一頭に20万円(約9万ペソ)も払うのは、フィリピンではちょっと難しい。もちろん本物の犬が欲しいだけではなく、それ以外の部分にも価値があるのは理解しています。しかしソニーの謳い文句が「愛らしさ」「寄り添い」「関係性の醸成」というのを見ると、それはまさに動物を飼い育てて得られるのと同じ。

私が思う相違点は、ロボットが対象ならば、生命に対する責任がまったく生じないこと。これはオーナーがどう感じるかとは別問題。極論すれば、飽きたらいつでも捨ててしまえることだけが、少なくとも現在のところの、ロボットで代替することの最大のメリットじゃないでしょうか。

そう考えると、日本でアイボの復活が大々的に報道され、その内容がほぼ歓迎ムードなのは、少々複雑な気分にさせられます。


2017年11月9日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 谷間ガールズ

11月8日は「いいおっぱいの日」だったんだそうですね。ただの語呂合わせだけじゃなくて、ツィッターに女性アイドルが胸の写真を多数投稿するというので、ネット上ではここ数年、私が知らない間に結構盛り上がっていたらしい。

胸の写真と言っても、服や水着、下着は着用していて、例えばフェイスブックに投稿しても削除されたりしないもの。調べてみると、タレントやモデルをプロモートする、ヴィズミック(Vithmic)という芸能プロダクションが制定したとのこと。

なんでこんな書き出しから始まったかというと、今日のフィリピン美女図鑑は、とびっきりセクシーな女性タレントを描こうと思っていたから。そうなると当然の如く、出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる体形の女性が対象。それこそ「いいおっぱい」のイラストになる。残念ながら、これに気づいたのが今日(11月9日)。最初から分かってたら、頑張って昨日のうちに投稿してたのに...。

さてセクシーな女性タレントと言っても、実はそれほどフィリピンの芸能人をよく知っているわけではありません。だいたいテレビをほとんど見ないし。そこで少々雑なやり方ながら、「Filipina」「Sexy」で検索かけたら、2016年の一番セクシーなフィリピン・セレブというトップ10形式のユーチューブ動画が見つかりました。

ワクワクしながら見てみると、ミスコンの勝者だったり、私でも知ってる女優さんだったり。最近このブログでも取り上げた、メイン・メンドーサに、ジュリア・バレット、ピア・ウォツバックなどなど。それでもこんな動画が作られるぐらいなのだから、登場する方はそれなりにフィリピン人も認めるセクシーな女性なんでしょう。そこで、まだ描いたことのない四人を選んでイラストを描くことに。選択基準は単に私の好みです。

で、なぜ四人か?それは、言葉で説明するより出来上がったイラストをご覧いただいた方が早いですね。


カードのスペード・ハート・クラブ・ダイヤの形で、胸の谷間強調の水着を着せたかったというだけの、実にオっさん視点な理由。ハート型のは、昔「銀河鉄道999」でメーテルが着用していたのが印象に残り、それなら他の3つのモチーフも使ったらどうかと、だいぶ前からアイデアを温めていました。実に40年越し。

こういうイラストなので、本当はタイトルを「トランプ・ガールズ」にしたかった。でも、あまりにも時事ネタで、別の検索に引っかかってしまいそうなので、それは自粛。

こうやって四人のゴージャスな美女を並べると、007映画のポスターっぽいかも。そういえば、最近の「カジノロワイヤル」のオープニング映像では、カードのモチーフがとても印象的に使われていました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び


2017年11月7日火曜日

マニラ鉄道保守契約の解除



韓国大っ嫌いな連中は、たぶんこの記事を読んで大喜びの大笑いでしょう。昨日、2017年11月6日、フィリピン運輸省は、2016年1月から3カ年の予定だった、韓国系のプサン・ユニバーサル・レール(BURI)との、マニラ高架鉄道(MRT)3号線の保守契約を解除したと発表しました。

だいぶ前から、車両から発火したり脱線したりで、騒ぎになっていたこの問題。運輸省からはBURIに、改善を求めて警告を出していたそうですが、満足な回答がなかったらしく、とうとう契約解除という事態に。

韓国憎しでざまぁ見ろというのは、馬鹿な野次馬のリアクション。完全に思考停止ですね。フィリピン国民の立場になって考えたら、これはちっとも喜ぶような話ではありません。

なぜこんなことになったんでしょう。記事を読んでみると、日々の点検だけでなく、車両のオーバーホールや信号システムの交換など、全面的に任せていた様子。契約を結ぶ前に、ちゃんとした調査をしなかったのかと、訝しんでしまいます。

最大の責任はBURI側に。しかし去年(2016年)だけで、運行途中の車両から乗客を降ろす必要のあるトラブルが586件もあったというのは、そもそも鉄道の保守能力がなかったとしか思えない業者を選定している。それを決めたのは、フィリピン運輸省の役人のはず。頼んでみたけどダメでした、では許されない。

フィリピンでよくあるのが、有能かどうか、コストパフォーマンスが良いかどうかではなく、選定権を持つ人物に、賄賂を多く払うかどうかで物事が決まるケース。例えば、スーパーマーケットに陳列する商品を選ぶ際に、メーカーからの賄賂を要求。その多寡によって、入荷の度にコロコロ内容が変わり、気に入ったブランドがあっても、継続的に使い続けることが難しかったりします。

フィリピン社会の宿痾と言うべき贈収賄体質。MRTの保守業者を選ぶ時にも、決め手は賄賂だったのかも知れません。そうとでも考えないと、あまりに多すぎるトラブル数の説明がつかない。

契約解除の発表時に、当然後任が決まってるのかと思ったら、それもまだ。運輸省は無責任に過ぎる。保守業務の空白ができてしまって、深刻な事故でも起こしたらと思うと、マニラに行く機会があっても、恐ろしくてMRTには乗れません。役人の無能ぶりのしわ寄せは、結局すべて庶民へ。

契約額は約38億ペソ(約84億円)。1年2ヶ月を残しての契約解除で、いくらかの返金あるのかどうかは、記事には書かれていません。新規に保守会社を探すにしても、財源の目処は立ってるんでしょうか?

日系の業者に依頼すればと言ってる人もいるけれど、もしそうしたら、BURIより相当高くつきそうです。だいたいこの問題の本質は、保守業者の国籍ではありません。フィリピンの役人たちが、国民から預かった税金の投入先を、真面目に調査してるのかどうか。そこが改善されない限り、何度でも失敗を繰り返すのは明らか。

そして心配なのが、日本からの円借款で建設予定のマニラ地下鉄。作るのも難しいけれど、運用はもっと難しい。こっちは日本人の税金をつぎ込むんだから、安心して利用出来る交通機関になってほしい。本当に大丈夫かなぁ?


2017年11月5日日曜日

金払えフィリピン航空



フィリピンのナショナル・フラッグ・キャリア、フィリピン航空(Phiippines Air Lines 通称PAL)が受難です。と言っても自業自得というか、自爆というか。ちょっと考えられないことに、1970年代のマルコス大統領時代から、マニラ空港のターミナル使用料が未納だったことが発覚。その額72億ペソ。(約160億円)

マルコス治世下の超金権・癒着体質の頃はいざ知らず、革命が起こった1986年からでもすでに30年。払わない方もすごいけど、それが見過ごされてきたのもすごい。フィリピン航空のオーナー、ルシオ・タン氏は、中国系フィリピン人。同じく中国系で、フィリピン最大の財閥コファンコ・ファミリー出身のコラソン・アキノ氏を母に持つ、前大統領ベニグノ・アキノ3世と友達だからと、家内は澄まし顔で教えてくれました。

いや、そういう問題じゃないでしょう。ところがフィリピンの政・財界では、そういう問題が重要。本当にこの国は、つくづく法治国家ではなく人治国家。お金と有力な友達の有無で、なんでも好きなことができる側になれば、生涯搾取される側にもなる。こういう話を聞いた時は、さすがにフィリピンという国が嫌になります。

ウィッキペディアによると、PALは1941年創業で、アジアでは最古参の航空会社。その後も1947年にアジア初のヨーロッパ(マドリード)乗り入れを果たし、1967年には同社の社長が、アジア人初の国際航空運送協会(IATA International Air Transport Association)の会長に就任。昔は、輝かしい歴史を誇る名門でした

昨年の選挙で、誰か他の候補者が大統領になっていれば、ひょっとすると今でも、ターミナル使用料未納は国民に知られないままだったかも。PALにとっては運悪く、選ばれたのはドゥテルテ氏。即刻耳を揃えて支払わないと、現在PALが独占的に使用している、第2ターミナルを閉鎖すると、ドゥテルテ大統領から警告を受けてしまいました。

本当に閉鎖されたら、困るのはPALよりも利用者なんでしょうけど、これはPALの常連客である私も仕方ないと思いました。結局PAL側も抵抗は無理と悟ったようで、交渉の末60億ペソを支払うことで合意。そして先日の11月3日、支払いが完了。

PALは1990年代、一時経営危機に。その後なんとか持ち直したものの、最近では後発のセブ・パシフィックに年間乗客数で追い抜かれ、さらにこの60億ペソが追い打ちをかける格好。

日本航空も実質的な経営破綻を経験してから、ずいぶん経営内容が良くなったと聞きます。多くの日本の主要都市との間に路線を持つフィリピン航空。日本〜フィリピンを行き来する身としては、これを機にJAL同様に頑張ってもらい、もうちょっと料金を安くしてほしいものです。


2017年11月4日土曜日

両陛下、ドゥテルテ大統領と会見

我らがドゥテルテ大統領が、就任以来2回目の訪日を果たしました。以前ならば、フィリピンの大統領が日本に来ても、大したニュースにはならなかったでしょう。やっぱり良くも悪くも、彼は注目されてるんですね。見出しを見ると「暴言王」とか「犯罪バスター」とか、むちゃくちゃ書かれてるし。

今回訪日の目玉は、マニラ地下鉄建設に向けての約1045億円の円借款もさることながら、マスコミ受けしたのは、何と言っても天皇皇后両陛下との会見。昨年(2016年)にも予定されていたのが、三笠宮さま急逝のため、直前中止になっていました。

ドゥテルテ大統領と言えば、就任早々、当時のオバマ米大統領を「娼婦の息子」呼ばわり。最近では、EU(欧州連合)加盟国の在フィリピン大使を追い出すと脅迫。極め付けは、カトリック大国の国家元首の立場なのに、フランシスコ・ローマ法皇にまで悪態をつく始末。

何の後ろ盾もなく、破壊的なまでの行動力と、民衆の支持だけで大統領になったドゥテルテらしく、権力や権威に対しては過剰なほど敵対心剥き出しの態度を貫いてきました。そんなアウトローが、日本の皇室にはずいぶんと敬意を払っているようです。

先日公開された、両陛下に対面するドゥテルテ大統領の映像を見ると、校長先生を前にした悪ガキみたいに見えて、つい笑ってしまいました。着慣れないスーツが、全然板についてないのもご愛嬌。ネクタイ緩んでるぞ!



昔から多額の援助を受けている国の象徴に会うのだから、緊張するのも当たり前、と言ってしまえば身も蓋もないけれど、ドゥテルテ大統領に限らず一般のフィリピン人は、日本の皇室、というより、キングやエンペラーに、何となく憧れに近い感情を持っているのではないか? というのが私の推測。

スペイン以前のフィリピンは、島や地域毎に王が君臨していたそうです。冒険家にして侵略者だったマゼランを殺害し、一時的にせよスペインを撃退したラプラプも、そんな王の一人。ただ、高温多湿で元々遺物が残りにくい場所だったことに加えて、征服者のスペイン人が徹底的にイスラム文化を破壊したために、16世紀以前のことは、よく分からなくなってしまいました。

ロシアやフランスが国民の手で皇帝や国王を排除したのとは異なり、他国に奪われたフィリピン。そんな歴史的な背景があるので、同じアジアで、今も王室を持っている国に対しては、羨ましいと思う気持ちがあるらしい。これは、家内やその親戚、友達と話しをしていて、天皇の話題が出る度に、私が感じることです。

それに加えて今上天皇は、かつての激戦地に足を運ばれ、日本人だけでなく、その地で犠牲になったすべての人々の慰霊に勤められています。フィリピンにも昨年1月にお越しになったばかり。単に天皇だというだけではなく、会う人をして居を正しめるのは、陛下のお人柄によるところが大きかったのかも知れません。


2017年11月1日水曜日

万聖節商戦


今年も11月1日、万聖節(All Saints Day)が巡ってきました。昨夜は、相変わらず渋谷で終夜の仮装馬鹿騒ぎがあったそうで、これまた相変わらず翌朝のゴミの映像と、ボランティアの清掃活動の様子がネットにアップされています。

このブログで毎年書いているように、ハロウィンとは万聖節の宵祭り。ハロウィンがメインではなく、飽くまでも前座。でも日本で仮装に興じた人たちは、ほとんど翌日の万聖節の意味なんて、考えたこともないでしょう。カトリック信徒としては苦々しい思い。これはクリスマスイヴだけデートして、クリスマス当日に教会に行くでもなく、お祈りをするでもないのと同様、日本人の不思議なメンタリティの一部。まぁ仕方ないことだと諦めてます。

万聖節はちょっと古めかしい呼称で、現在日本のカトリック教会では、諸聖人の日という訳語が使われています。元々は、すべての聖人と殉教者を記念する日。そして翌日は万霊節。こちらは死者の日で、亡くなった人を偲ぶ。ここから転じてフィリピンでは、万聖節は死者の魂が故郷に戻る日とされ、日本のお盆と似て、帰省してお墓まいりするのが習わし。帰省ラッシュも起こります。

カトリックとは関係なかったハロウィンの仮装も、アメリカの影響を受けて、ここ最近はフィリピンでもずいぶんと派手に。もちろん大人が飲酒して騒ぐのではなく、子供たちのための行事。今年はたまたま、家内の友人を隣街バコロドのフェリー乗り場に送って行っての帰り、立ち寄ったショッピングモールで仮装大会が開催中。地方都市バコロドでも、ここまで大規模な催し物があるんですね。ちょっとびっくり。



さてその後は、家内の祖父母と今年6月に亡くなった叔父の眠る墓地へお参り。万聖節当日ではないので、それほどの混雑はなかったものの、やっぱり家族連れがちらほら。仮設のテントが張られている墓地も目につきました。これは、万聖節に故人の縁者が夜を徹して墓前に集うための準備。雨季なので、こういう備えも必要です。


そして、なぜか小瓶に入った塗料と絵筆を持った子供やオッちゃんたちも。これは、経年変化で薄れてしまった墓銘の描き直しサービス。レリーフ状に彫琢された文字に、墨入れをしてくれるわけです。最初は物乞いの類かと思ってしまいました。それにしても、どこにでも商売のチャンスはあるものですね。料金は100ペソ(約220円)。



考えてみれば、一度に親族が帰省すれば、とうぜんリユニオン(再会)パーティもあるだろうし、タクシーやジプニー(乗り合いバス)、トライシクル(輪タク)ドライバーの懐も潤う。さらには、墓地に設置するテントに、食事の宅配、献花などなど。これは万聖節商戦とも呼ぶべき、一大ビジネスチャンス。

もちろん日本でもお盆の時期は、人の移動が活発になるけれど、どちらかと言うと行楽シーズン。必ずしもみんなが墓参りするとは限らないし、ましてや墓場で夜明かしして、食べたり飲んだりする習慣はありません。


何かとお祭り騒ぎが好きなフィリピン人。この万聖節だけは異質で、少なくとも私たちの住むシライでは、花火を打ち上げたり、ディスコやカラオケは封印。この日の夜だけは、ろうそくの明かりの下で、静かに死者と向き合うのです。


我が家の祭壇にもろうそくが灯されました
写真は、義母と家内の友人、私の祖父母