2017年8月14日月曜日

終戦記念日に思うこと 国の礎?


前回に続き、今日も終戦記念日に思うことです。

前回は、マバラカット飛行場についてのお話を投稿しました。日本では、この地に特攻隊員の像が建てられたことはあまり有名ではなく、私もそういう施設がマバラカットにあると知ったのは、フィリピンに移住してからでした。

最初にネットで見たのは、ここを訪れた日本人によるブログ。現地の看板屋さんに依頼して安価に制作したであろう、およそ慰霊や平和祈願を目的に作られた場所にそぐわない、俗っぽい案内板の写真を見た時には、あまりの配慮のなさに、一体誰がどういう経緯でこの施設をつくったのかと訝しんだのは、前回投稿した通り。

さらに何とも言えない違和感を持ったのは、ブログの内容。「今の日本があるのは、特攻隊の尊い犠牲のおかげ」「国の礎となった若者たち」といった、特攻隊礼讃の美辞麗句が並んでいました。気になったので他にも検索してみたら、同様な内容のものばかり。中には「特攻隊はフィリピンでは英雄だった」などという、どう考えても一般的なフィリピン人の意見を、ちゃんと取材したとは思えない記事まで。

「今の日本があるのは...。」「国の礎」と言う人は、特攻がなければ、その後の日本の復興や繁栄はなかった、とでも思ってるんでしょうか。冗談ではありません。今の日本を築き国の礎になったのは、戦火を生き延び、焦土と化した故郷の瓦礫の片付けから始めた、私の祖父母や両親の世代。二度と家族を、戦災や飢餓で苦しめない社会を作ろうと、必死で働いた人々です。

戦略的に意味があったとは考えられない、体当たり攻撃。特攻で命を落とした若者たちは、勝ち目のない戦争の、捨て石になる人材ではなかったはず。生きていれば、高度経済成長の中核を担ったでしょう。ひょっとすると、世界レベルの技術やアイデアを生み出した人だっていたかもしれない。そう考えれば、特攻を命ずることが、いかに愚かで狂気の沙汰だったかと分かりそうなもの。

以下、多数の特攻機が飛び立った、鹿児島県の知覧に建てられた、知覧特攻記念会館のホームページに掲げられた文章ご紹介します。


 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。

私は、この文章に、100%同意し共感します。特攻など、絶対に命じてはいけない戦法であり、誰よりも亡くなったパイロットたちが、自分のような死に方をする人が二度とないようにと願っていたでしょう。
そういう意味で私にとって特攻隊員は、きわめて痛ましい戦争犠牲者に他ならず、その死を悼み回顧しこそすれ、決して英雄や軍神に祭り上げてはいけない。それが私の子供や孫たちの世代で、この悲劇を繰り返えさないこと、延いては無意味な戦争をさせないことにつながると信じています。
また、「特攻隊はフィリピンでは英雄だった」という記事。自殺を禁じたカトリックを信じる国民が人口の8割で、今現在、自爆テロを辞さないテロリスト集団と、事実上の内戦状態にあるこの国において、特攻を英雄的行為だと思う人が、どれだけいるというのでしょうか。
終わりに、特攻最初のパイロットで、当時23歳だった関行男大尉が、出撃前、記者に語ったとされる言葉を記します。

日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。


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