2017年6月4日日曜日

死者との距離感


前回に引き続き、先日亡くなった、家内の叔父のお話です。この叔父貴、家族や親戚内でのニックネームが「ダディ」。妻や子供以外の従兄弟姉妹や甥っ子、姪っ子たち全員から「父ちゃん」と呼ばれているようなもので、知らない人からすると実に紛らわしい。ブログを読んだ人の方の中にも、私の義父のことだと勘違いしてしまった方がいたようです。

ちなみに、私の義父母は、「パパン」と「ママン」で、こちらも「父ちゃん」「母ちゃん」。ニックネームで呼び合うのは良いけれど、もう少し個人を特定できる名前にすればといいのに。その他にも、「マミー・スモール」とか「ミス・ママ」「パパ・ボーイ」。さらに「インダイ」なんてのもあって、これは「お嬢ちゃん」みたいな意味。だいたいどこでも、親戚には必ず一人「インダイ」がいます。

さて、義父ではない叔父のダディの死後、フィリピンの慣習に従い、亡骸は24時間後には防腐処置が施され、ガラス張りの棺桶に収まりました。メイクもされて、死の直前には黄疸で変わり果てていた肌色も、かなり自然な感じに。

私は今まで何度も、メイク後の死者の顔を、遺族が初めて見る瞬間に立ち会ってきました。特に奥さんが亡き夫を見送るケースの場合、ほとんど全員が「グァポ(男前)になってしまって。」と悲しみながらも、やや安堵の混じったような言葉を漏らします。やはり死の間際の苦悶の表情が、和らいで見えるからでしょうか。

フィリピンでは、通常ここから一週間の通夜となります。棺桶の前に、親族や親しかった友達が交代で集まり、数人は必ずその場に寝泊まり。死者の思い出話に花が咲き、時にはカードや麻雀などのギャンブルが始まったり。そんな風に、一週間ずっと見られ続ける死に顔で、その表情が最後の印象になるわけです。やっぱりメイクは大切なんですね。

今回の葬儀場は、亡くなったダディの自宅から車で15分ほどの距離にある、聖ペトロ・チャペルという場所。ずいぶん設備が完備されていて、100平米以上はあろうかというホールに、ファミリールームと称する、56人は宿泊できそうなベッドルームと、トイレ・シャワー、それにキッチンとダイニングまで付属。



ヘタなホテルよりもずっと居心地が良さそうです。言ってみれば、親族が一週間暮らすようものなので、これぐらいは必要なんでしょう。当然のようにWiFiも使えて、これまた当然のように、海外にいる親戚たちとビデオチャット。(誰でもこんな場所を使えるわけではなく、それ相応の料金が必要です)

数少ない不満点は、冷房の調節ができず涼しすぎることと、窓がほとんどなくて薄暗いこと。いくら防腐処置済みとは言え、遺体を一週間も安置するのですから、霊安所ならぬ冷暗所にしておくためなんでしょうけど、さすがにずっとこの場所にいたら、気分が滅入ってきます。

それにしても一週間だけとは言え、死者と寝食を共にする感覚は、現代の日本にはあまりないこと。死後数日と置かず荼毘に付すのが一般的な日本とは、死者との距離感がずいぶんと異なる気がします。フィリピンでも希望すれば火葬ができるらしいけれど、私が知る限りでは全員が土葬。ちょっと生々しい感じは拭えません。

それとは逆にフィリピン人の家内は、日本に住んでいた頃に、私の親戚の葬儀で目撃した火葬が恐ろしかったそうです。日本の習慣を批判するつもりはなくても、死後に自分の体が焼かれるのだけは、絶対に勘弁してほしいと懇願されてしまいました。


こうして午前中から夕方まで棺桶の前で過ごした一日。まだ明かるい外に出ると、熱帯の外気はめまいがするほど暑くて、メガネが曇るほどの湿気。いつもなら鬱陶しく感じるところが、大げさに言うと冥界から生きている人々の世界に戻ったように思えて、ホッとしてしまいました。


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