2017年6月12日月曜日

死後の世界も金次第

メディアがフィリピンを語る時に、とても高い頻度で使われるキーワードの一つが「貧富の差」。まるで貧富の差があること自体が、絶対悪のように書き立てた記事が多いですね。私はこの風潮があまり好ましいとは思えません。努力しようがしまいが、みんなが同じような暮らし向きになるのが良いことでしょうか。それを目指したソ連は解体され、中国は鄧小平によって、事実上のイデオロギーの改変を余儀なくされました。

努力と才覚で豊かになり、金持ちがさらに金持ちになるのは、資本主義を是認する限りは当然だと思います。ただ問題だと思うのは、貧困の歯止めがかからず、何世代も貧乏暮らしから抜け出せなること。そうなってしまうと、生まれた時から這い上がるチャンスすらなくなってしまう。

と、いきなり大上段に振りかぶった書き出しになってしまいました。ここフィリピンでは、私のような日本から逃げ出してきたあぶれ者でも、銀行の預金残高だけで見ると金持ち扱いされてしまいます。(もちろんそんなものは、滅多なことでは見せませんが)なので貧困者救済は支持しても、金持ち糾弾は無意味だというのが私の考え方。

そんな私でも流石に鼻白んだのは、西ネグロスの州都バコロドにある墓地での光景。先週投稿した、義理の叔父ダディの葬儀と埋葬のために赴いた墓地。一通りの儀式が終わって、参列者一同で敷地内のホールでの昼食後、時間が空いたので周囲を散策しました。

緑の芝生に、シンプルな白い墓標が並ぶのは、まるでアメリカの戦争映画のラストシーンのよう。思わず「千の風になって」を口ずさんでしまう景色です。


それと対照的なのが、ゲートから一番奥まったエリア。ここは墓地というより閑静な住宅地といった佇まいで、本当に一戸建て住宅のようなお墓が並んでいます。それぞれが意匠を凝らしたもので、一基の広さもちょっとした住宅並み。中には私の自宅よりも金がかかってるんじゃないかというものまで。



聖書の記述によると、生前に富を築いた者ほど天国に入るのが難しいとされてるはず。しかもこの墓地に埋葬されるということは、間違いなくカトリック信者。さらには、全然実用的ではなく、言って見れば遺族の見栄のためだけのようなお墓を、ここまで飾り立てるのは、一体どういう了見なんでしょうか?



ここまでくると「霊廟」

やっぱり私の感覚は、日本の庶民のものなんでしょうね。金持ちになるのは悪いことではなくても、必要以上にそれを見せびらかすのは、いい趣味とは言えません。フィリピンに限らず世界中どこに行っても、妬みを買うような行為は、何の得にもならないと思うんですけどね。




グレイブ・デザイナーという仕事が
十分成り立つフィリピン


0 件のコメント:

コメントを投稿