2017年5月31日水曜日

卵焼き大好きフィリピーナ


フィリピンでは、小学校や高校からの友達と、40歳、50歳になっても付き合いが続くのは、フェイスブック普及以前からそう珍しいことではありませんでした。私の家内にも、そういう友達が何人もいます。特に、家が隣同士で、小学校から同級生だった大親友のマジョリーは、今でも家族同然。

ジョイ(家内の名前)の旦那さんなら、当然親友よ!とばかりに、まるで私も昔からの友達のような扱いをしてくれます。考えてみたら家内と付き合い始めてもう20年なので、マジョリーも十分昔からの友達か...。

このマジョリー、ネグロスの隣島パナイに引っ越したとは言え、実家は今でもシライ市内のご近所さん。また彼女の住むパナイの州都イロイロは、フェリーに乗れば1時間。淡路島の洲本から神戸に出て来るぐらいの距離感でしょうか?(いつもながらローカル過ぎて、分かりにくい例えですみません)


家内(左)と親友マジョリー(右)

なので、数ヶ月に一度は我が家にお泊まりで、家内とガールズトーク。夫は船乗りで、結構いいポジション。マジョリーはフィリピンの国民健康保健、フィルヘルスの外交員をしていて、こちらもいい稼ぎらしく、イロイロの市街地に割と大きな家を構えています。そして一人娘のゼニアが、もう26歳。19年前に私たちの結婚式で、フラワーガールを務めてくれた「天使」も、すっかり魅力的な女性になりました。

お医者さんを目指して勉強中のゼニア嬢。シライの我が家を気に入ってくれたらしく、マジョリーと一緒だったり、友達を連れて来たりで頻繁に来宅。以前の投稿で「アニメ大好きフィリピーナ」として紹介したこともあります。

さて、このマジョリーとゼニア母娘、とても嬉しいことに、私が作る日本食も好きだと言ってくれます。なのでこの二人がお客さんだと、何時にも増して一生懸命。特にゼニアに「ティト〜(オジさま)、次はカツカレーが食べた〜い」とか、甘えた声で頼まれると、どんなに疲れていても何とかしなくては、と思ってしまいます。(誤解しないでくださいね。食事の用意をするだけですよ!)

この週末には、医学校の友達カリーンと二人で、我が家に泊まりに来たゼニア。翌朝、家内のために私が作ったお弁当に興味津々。別に大したことはしていなくても、やっぱりフィリピンでは、こういうスタイルのお弁当はあまり見ないですから。お気に入りは卵焼きで、材料やら作り方やら、根掘り葉掘り質問されました。日本で買って持ってきた、卵焼き専用の四角いフライパンを見せたら「可愛ぃぃぃ〜!」と絶叫。



ゼニア(左)と友達のカリーン(右)

実際に食べてみると、醤油と砂糖、だしの素を少々で作ったのが信じられない様子。チーズか何か入ってるんじゃないかと言われました。お母さんのマジョリーも同じような反応で、これは先人が築いた、日本の食文化に感謝しなければいけません。

ゼニアとカリーンは、ちょうどマジョリーと私の家内のような親友らしく、来月には連れ立って香港に旅行するそうです。そして来年、お金を貯めて日本に行きたいとのこと。私が家内と付き合っていた頃は、20代のフィリピン女性が日本の観光ビザを取るのは、99%不可能と言われたのに、時代は変わったんですね。これは是非日本に行って、本物の美味しいカレーやラーメンを食べて来てもらいたいものです。


2017年5月30日火曜日

家事は外注しよう


この4月から大手人材派遣会社による、日本でのフィリピン人家政婦の派遣サービスが始まりました。調べてみたら、すでに何社かがネットで受付を開始。とは言っても始まったばかりなので、実際にサービスを利用しての意見や感想は、ざっと見た範囲では、まだ見当たりません。

しかし、フィリピン人家政婦の利点として、いくつかの項目が上がっていました。まず、日本人家政婦の場合、結構年配の方が多く、利用者の親の世代だったりして、話にくかったり、仕事を頼みにくかったりするとのこと。その点フィリピン人家政婦さんは、比較的若い人が多いので、変に気を遣う必要がない。

なるほど、この日本人独特の感覚は、とてもよく分かります。ただでさえ自宅で家政婦を雇う習慣がない上に、目上の人に何かを命令するとなったら、私だって躊躇します。言った通りにできていなくても、あまり強い口調で苦情を言うこともできない。

そして、日本に渡ったフィリピン家政婦たちは、地元ならば普通に就職できるレベルの教育を受けている人が選ばれているので、当然ながら英会話は流暢。子供の世話を任せつつ、英語の家庭教師も兼ねてくれるのではと、期待されています。

中には、家政婦さんと恋愛関係になるのでは? などと書き込んでいる人もいるようです。まぁ人間同士のことなので、そういうことも無くは無いでしょう。ここネグロス島でも、家内の知人で、自宅で働いていたメイドさんが好きになって、結婚してしまった人もいます。(フィリピン人同士)しかし、今のところ、ちょっとそれは先走り過ぎ。

実際にはそんな心配よりも、家事を他人に任せること自体に、まだまだ抵抗を感じる人もいるのではないかと推測。このブログでも、何度もメイドさんについては話題にしていて、料理だけして、皿洗いは全部メイドさんがやってくれると書いたら「料理は、後片付けまでを含めてが料理!」とマジレスを返されたことがあります。

これは考え方や感受性の違いなので、間違っているとか言うつもりはありませんが、それでは、家事一般、何も外注できなくなってしまいます。また、妙なところに感情論を持ち出して、家のことをメイド任せにすると、子供の教育によくないとか、愛情が不足するとか言い出す人も。

私が思うに、本当に必要なのは、家族と過ごす時間を大切にすること。家事が忙しすぎて、子供の相手はテレビやコンピュータだけだったりする方が、よっぽど教育に悪い。食事は作ることより、子供と一緒に食べることの方が何倍も重要だと考えます。

特に、何でもかんでも奥さんに押し付けて当たり前と思っている男が、まだまだ多い日本。押し付けられた側も、完璧に良き母を演じないとダメと思い込んで、精神的に追い詰められ、結果的に子供に辛く当たってしまうことも、多々あるのではないでしょうか?

そんなことになるぐらいなら、家政婦さんを雇って、家族団欒を充実させた方が、ずっといいと思いますよ。フィリピン国内に比べると費用が高く、1時間2〜3000円はかかったりするようですし、住み込みは住宅環境として無理でしょうが、私の経験上、掃除と洗濯、外出時の子供の世話だけでも肩代わりしてくれたら、どれだけ楽か。月額数万円程度ならば、十分その価値があります。

と、延々とフィリピン人家政婦待望論をブってしまいました。実は今、我が家ではメイドのネルジーが二週間もの長期休暇を取っている最中。子供は夏休みで、文字通りの主夫業邁進中の私なので、メイドのいない生活の大変さが、身にしみているのです。


2017年5月27日土曜日

似合いの夫婦?


最近、フィリピンに住むある日本人の方が、私たち夫婦並んで撮った写真をご覧になっての一言、「お似合いのご夫婦ですね」。まぁよくある褒め言葉で、普通に「ありがとうございます」と返したのですが、実はこの言葉の裏には深ぁ〜い意味がありました。

この方、もう何年かマニラ首都圏に住んでいて、SNS経由でたくさんの在比日本人の知り合いがいます。フィリピン在住の既婚日本人男性の場合、多くがフィリピン女性を配偶者としていて、さらにほとんどが20歳前後も若い奥さんをもらっている。なので私のように、あまり年齢差がないカップルがとても珍しく感じて、そんな発言になってしまったとのこと。

う〜ん、確かに言われてみると、私が知っているフィリピン在留邦人の男性は、ほぼ全部がこのパターンですね。親子ほどの年齢差は当たり前で、ひょっとすると孫娘と言っても通用するようなケースもちらほら。フィリピン女性と外国人男性の国際結婚では、相手の国籍がアメリカだったり、ヨーロッパの国だったりしても、同じような傾向があるようです。(フィリピン人同士では、あまり聞かない)

ちなみに私とフィリピン人の家内の年齢差は3歳。家内は、反則技のようなベビーフェイスで、控えめに言っても10歳は若く見られます。結婚したのは私が35歳の時。当時は会社の同僚から、高校生ぐらいの若い娘を騙して日本に連れてきたんとちゃうか?と、エラい言われようをしたものです。それでもさすがに、親子に間違われたことはありません。

こういうことを書くと、年齢差のある結婚を否定的に捉えていると思われるかも知れませんが、決してそんなことはない。正直、15歳も20歳も若い女性と暮らせるなんて、羨ましい限り。こういう結婚する人で初婚は滅多になく、死別だったり離婚だったり、2回目かそれ以上の場合が多い。つまり人生を二度三度と楽しんでいるわけで、それはそれで結構な話だと思います。

私も今の結婚生活はセカンド・トライで、言ってみればご同輩。それに実のところ、夫婦が上手くいくかどうかは、年齢差や国籍の違いよりも、価値観をどこまで共有できるかに尽きる気がします。よく言われるように、映画やドラマを観て、同じ箇所で泣いたり笑ったりできるかどうかの類。これがあまりにもかけ離れていると、ちょっと厳しい。

私たち夫婦は、そろってスティング(イギリスのロックミュージシャン)のファンで、トレッキー(スタートレック愛好家)。好きな音楽や映画、読んでいる本もだいたい同じジャンル。もちろん何から何まで同じな訳はないけれど、興味の対象や知的好奇心のレベルが近いと、新婚当初の情熱が落ち着いた後も、いい関係を保つことができるようです。これは日本人同士でも同じですね。

ただ、家内にはどうしても理解できないのが「亭主元気で留守がいい」という感覚。ずっとべったりで一緒に居たいというよりも、あまり長く家を空けていると、亭主は外で何をしているか知れたものではないと考えているようです。要するに自分の夫は、今でもモテるので「夜遅くまで帰ってこない=浮気」というロジック。

いろんな意味でフィリピン人離れしている家内も、嫉妬深さでは多くのフィリピン女性と同じ範疇にいるらしい。関西訛りの日本語を流暢に話す家内なので、日頃つい相手がフィリピーナであることを忘れてしまいがちですが、数年に一度ぐらい、このトラップに引っかかって、大揉めになることがあります。

ということで、今日は国際結婚を長持ちさせる秘訣みたいなことを書くつもりが、いつの間にかノロケになってしまいました。


2017年5月26日金曜日

戒厳令の悪夢


この投稿の執筆時点から三日前(2017年5月23日)、フィリピンのミンダナオ島とその周辺の島々に戒厳令が出されました。島の中心部からやや北西に位置する、人口20万のマラウィ市で、イスラム勢力のISとフィリピン国軍による大規模な武力衝突があり、ドゥテルテ大統領は、訪問中だったロシアから急遽帰国。

戒厳令というと、50代以上のフィリピン人には、まさに悪夢以外の何物でもないでしょう。1965年に大統領に就任した、悪名高いフェルディナンド・マルコスが、暴動やテロを理由に1973年にフィリピン全土に戒厳令を布告。憲法を停止し、国民の権利を著しく制限。20年に及ぶ自身の独裁政権を強化しました。

この忌まわしい記憶が、いまだにフィリピンの人々の脳裏に刻まれているのは当然で、野党からはドゥテルテ大統領の決断に対して、根強い反対があるのも心情的には理解できます。しかしながら現在の状況を見ると、マラウィでは戦闘が続き、死亡したISのメンバーにはフィリピン国外からのテロリストもいたとのこと。この情報が正しければ、ドゥテルテ大統領の言うように、もはや国内の騒乱に止まらず、他国からの侵略と判断し、戒厳令もやむを得ないところ。

一方でフィリピンに住む一個人の感覚では、これはテレビやネット越しに傍観しているどころの話ではありません。今すぐ自宅の近くでドンパチが始まるというわけではないものの、つい最近、なんと私たちの住むシライ市内で、アブサヤフのメンバーとされる3人が、爆弾と拳銃の不法所持で逮捕される事件があったばかり。

またミンダナオとシライ市のあるネグロス島は、対岸の位置関係で、マニラ首都圏に比べると至近距離。やはり家族との生活を考えると、冷静になるは難しい。実は一見平和に見えるネグロス島も、1980年代には、極度の貧困から多くの若者が共産ゲリラ(NPA:新人民軍)に身を投じ、山岳地帯の一部が内戦状態になったこともあります。

今回の戒厳令は、60日間限定とのことですが、すでにドゥテルテ大統領は、延長して1年間となることや、全土への拡大の可能性に言及。もしネグロスも戒厳令下に入るとなれば、日本人の私にはまったく未知の状況で、具体的に何が起こるのか、まったく予想不可能。

今のところ、ショッピングモールはいつもの通りの人出で、6月からの新学期に備えて、通学カバンの大売り出しが最盛期。息子の小学校では新しい教科書の配布や授業料の受付など、例年となんの変わりもなく、市民の生活は続いています。この平穏な暮らしが、この先もずっと続くことを、切に願わずにはいられません。


2017年5月25日木曜日

一時帰国2017 人相の悪い日本人

前回に続き5本目の一時帰国についての投稿も、今回でおしまいです。たいへんだったり面倒だったりしたこともありましたが、初めての息子と二人旅も楽しめたし、総じて良い思い出が残りました。と言いつつ、最後にネガティブなことを書くのは気が引けますが、どうしても気になったことが。

昨年の帰国時も同様だったのが、働く年配の方が多いなと感じたこと。それもタクシーの運転手さんだとか、空港リムジンの荷物の積み下ろし作業員、飲食店のウェイターさんなど、どちらかというと昔は若い人の就労先。早朝・深夜の仕事だったり、立ちっぱなしや屋外での労働といった、60代・70代には体力的にキツいと思われる内容。

もしみなさんが活き々してたら、別に気にならなかったのでしょうけど、私が会った範囲では、見るからに疲れた表情の方が目につきました。その中の数人と少し言葉を交わしたところ、「お客さんの間違いを指摘したら、逆ギレされた。」とか「この歳でも働かないと、孫に小遣いもやれません。」など、聞いてる私が辛くなるような話ばかり。

私より10歳から15歳ぐらい年長の人たちなので、高度経済成長の頃に青春時代を送り、それこそ馬車馬のように働いた世代。引退後は悠々自適の暮らしが待っているはず...だったのが、バブルが弾けて、その後の「失われた20年」で、当てにしていた年金はどんどん目減り。気がつけば、終点が間近に迫っているのに、まだまだ働かないと生活ができない。


学生の頃バイトした某駅前地下街
働いていた店は潰れ、その周囲もシャッター街に

本当に冗談ではないし、他人事でもありません。もし私が50歳で早期退職・フィリピンに移住という選択をしなければ、今から5年後10年後に、私がそうなっていたかも知れない。もちろん先のことは分かりませんから、フィリピンに住んでいても、問題が起きないと決まったわけではありません。しかしこれは、間違いなく自分で選んだ道。少なくとも今現在は、将来に対する不安をほとんど感じないで済んでいます。

それにしても、いつの間に日本は、これほど生き辛い国になってしまったんでしょう。それ以外に気になったのは、電車に乗り合わせたり、道行く人たちの顔つき。全員がそうということではないけれど、特に私と同年代かそれ以上で、余裕のない怒ったような感じの人が増えたように思います。人様の顔をどうこう言うのは、天に唾する行為かも知れません。でもここで言いたいのは、顔カタチや美醜ではなく、顔つきや目つき、表情のこと。

昔は「四十を過ぎたら、男は自分の顔に責任を持て」なんて言ったものです。40歳にもなれば、生まれつきの顔の造作を超えて、それまでの経験や生き方が、隠そうとしても表情に出てしまうという意味なんでしょう。私は男女関係なく、今でも有効な格言だと思っています。

そういう意味では、現代の40歳以上の日本人の何割かは、よほど辛くストレスに満ちた人生を送ってきたのか? 「俺・私に近づくな」オーラを漂わせいて、正直、友達にはなりたくない顔つきです。あんまり印象が強烈だったので、自分の顔が同じようになっていないか、鏡で何度も確認してしまいました。

ちょっと安心したのは、今回久しぶりに会った昔の友達や、家族・親戚に、人相が悪くなった人が誰もいなかったこと。心配事が皆無ではないけれど、みんなそれぞれに幸せに暮らしているんだと理解。特に11歳の息子と同年代の子供たちの笑顔をたくさん見られたのは、ひょっとするとこの一時帰国の一番の成果だったのかも知れません。

そして無事帰ってきた、我がフィリピン・ネグロス島。
老いも若きもみんな穏やかで、ええ顔してるねぇ。相変わらず子供はうじゃうじゃいるし。日本みたいに「完璧な」サービスや品質は、まったく期待できないけれど、やっぱりユルユルで、多少失敗しても誰も気にしないこの空気は、今の私にとって何事にも代え難いものなんだと、実感しました。


2017年5月24日水曜日

一時帰国2017 海外送金騒動記

前回から引き続き、日本への一時帰国の話題です。
フィリピン生活も4年が経過して軌道に乗ってきたし、両親の移住も見えてきた今回の帰国。それではとばかりに、国内の銀行口座に残してきた資産の一部を、フィリピンに移動することにしました。

こう書くと簡単なことのように見えますが、実はフィリピン永住者にとって、日本からの高額送金は意外に面倒なんですよ。日本に住民票があればそれほどでもないけれど、私のように税金や健康保険・年金などの支払いから逃れたくて海外転出してしまうと、一気にハードルが上がります。

私の移住先でのメインバンクであるところの、フィリピンの某銀行の大阪出張所では、原則として日本に住んでいない顧客による、日本〜フィリピンの高額送金を認めていません。正確に言うと100万円以上になると、送金者が日本在住であることを示す顔写真付き公文書の写し(運転免許など)を保管し、関係省庁へ報告する義務があるそうです。

また、送金の原資を明確にするため、送金元銀行口座の通帳のコピーが必要。日本に住んでいる人でも、個人からの振込があっただけの記録だと、マネーロンダリング(資金洗浄)を疑われて、送金してもらえない。例えば法人名義振込の給与や退職金、保険の満期による支払いなど、ごく分りやすい内容でなければダメなんだそうです。

因みに、移住前の数千万円レベルの送金時は、私はまだ日本に住んでいましたし、直前まで勤務していた会社から、退職金として送金額を上回る振込の記録があったので、銀行に出向く必要もなく、電話と書類の郵送だけで手続きは完了しました。

さて、いろいろ調べた挙句、母親の口座が要件を満たしていることが判明。そこからの送金となりました。それも、私の母の身元確認から始めて、フィリピン国内の特定口座(ネグロス島での私の口座)への送金者としての登録が必須。さらに登録完了から送金できるまで、1〜2営業日を待たなければなりません。

わりと早めのアクションだったにも拘らず、途中で書類の不備を指摘されて、丸2日無駄にしたこともあり、とうとう振込は私のフィリピンへの帰国に間に合わず。指定の国内銀行の口座への振込という、とてもシンプルな作業でも、80歳の母には、何度説明しても「そんな難しいこと、できるかいな」と言われてしまい、最後には怒り出す始末。

さらに母一人の高額振込は「オレオレ詐欺」対策が厳しい昨今、まずできそうにありません。仕方なく81歳の父(一応現役の建築事務所の経営者)にサポートを頼んできました。しくじっても送金してくれないだけのことで、預金が無くなるわけではありません。まぁダメ元ということで。

それにしても個人名義での高額海外送金って、無駄に時間と労力を使わされます。こうなると、最近脚光を浴びているビットコインに代表される、仮想通貨に期待してしまいます。送金しても通貨が変わるわけではないので、円高だ円安だと騒がなくていいし、入出金のタイムラグもないとのこと。いつまでも国境に障壁を置く時代でもないと思うんですけどねぇ。


「諸般の事情」で一時的に手にした現金
やっぱり実物の札束は迫力ありますね


2017年5月22日月曜日

一時帰国2017 出国審査2時間待ち


着陸前の機窓から見た
マニラ首都圏の街並み

前回前々回に続き、日本への一時帰国についての投稿3回目です。今回は、唯一たいへんだった、マニラ国際空港の出入国審査について。

もう今年の3月初旬からなので、3ヶ月も続く、出入国審査官のストライキ。退職者が相次いでいるというのですから、ストなんて生易しいものではなく、完全に職場放棄。帰国前にも少し書いたように、日本語の報道では残業代の未払いが原因となっていますが、家内によると、ドゥテルテ大統領により、搭乗客への違法なチップや手数料要求の取り締まりが厳格化されたことへの報復なんだそうです。

本当の原因はなんにせよ、出入国審査官の正規の給料は、生活が苦しいほど安いことに間違いなさそう。日本ならば公務員は、安定した収入が得られると、今では人気の就職先。ところがフィリピンでは、国家公務員でも一般的には安月給だし、管轄省庁や地方によって給与不払いもあるらしい。

私の家内は、フィリピン教育省の地方職員で、その給与額はよく知ってます。我が家のような3人家族ならば、日々の生活費に事欠くほどではないけれど、子供がたくさんいたりすると、かなり厳しい。持ち家や自家用車も簡単には手に入らないでしょうね。

そんな事情なので、出入国審査官には同情の余地は多いにあるとしても、空港を使う外国人の立場にすれば、それは知ったことではありません。案の定、ネグロスからの国内便でマニラに着くと、第2ターミナル国際線の出発ロビーは長蛇の列となっていました。


混雑する聖週間やゴールデンウィークは外したし、お昼前の比較的国際便の搭乗客が少ない時間帯だったのですが、ダメでした。仕方なく列に加わったとたん、空港職員から1人1本の飲料水の無料支給。そんなことしてもらっても全然嬉しくないし、それほど待たされるのかと、かえって暗〜い気分になりました。

さらに気分を悪くさせるのが、この列をコントロールする職員の態度。とにかくいい加減な上に、ものすごく偉そう。タガログ語が片言しか分からない私ですら、ムカっとくるような言い方。普段はおとなしくて辛抱強いフィリピン人ですら、神経を逆なでされたようで、辺りは一触即発の不穏な空気に包まれました。

そしてトドメは「もう搭乗時間が過ぎてしまった」と、強引に割り込んできた日本人客。白髪混じりで、多分60歳は過ぎてそうな小柄なオジさん。本当に飛行機が出発するなら、係員が先導して優先搭乗になるはずなのに、我慢ができなかったのか。当然ながら、1時間も2時間も並んでいる人達からは、怒号の嵐。さすがに日本語で怒鳴るのは日本人の恥の上塗りになりそうだったので、私は英語で文句を言いました。

日頃ネット上では、中国や韓国からの観光客の、マナーの悪さを指摘する人が多いけれど、日本人にだってルールを守れない連中はいるんですよ。少なくとも私が見た範囲では、中国、韓国の人も列の中にいましたが、こんな無茶をする人は皆無。このオジさんは空港職員に制止されて、お先に搭乗とはなりませんでした。そりゃそうでしょう。

さて待つこと2時間。ようやく私たちの順番が来て、窓越しに顔を合わせた若い女性の審査官は、疲労困憊の表情。悪いけど同情する気分にはなれないなぁ。結局、お昼ご飯を食べることもできず、11歳の息子と2人、腹ペコのまま搭乗。ところがまだ20人以上も出国審査待ちで、そこからまた機内で待たされて、フライトは1時間遅れとなりました。やっと飛び上がってありついた機内食。こんなに美味しく感じたのは初めてです。


帰路は、まるで往路が嘘のように約10分で通過したのですが、今度は国内便が3時間遅れで、なんと初日よりも長くマニラ空港で待たされる羽目に。う〜ん、これさえなかったら、ハッピー・トリップだったんですけどねぇ。


2017年5月21日日曜日

一時帰国2017 父子二人旅



大変貌を遂げたJR大阪駅

前回に続き日本への一時帰国、投稿2本目です。
移住して早4年。引っ越し直後は、もうしばらく日本に戻ることもないかなと思い、少々感傷的になったりしてました。ところが意外にも、家内が日本のNGOの臨時雇いになって、一昨年、昨年と続けて2回、一人だけ日本へ出張。そして私も銀行の手続きやら何やらで、昨年単独帰国。

11歳の息子だけが、取り残されたような格好になってしまいました。そこで家族会議の話が出た時、家内に「子供を連れて帰っていい?」と言ったら、ちょっと考えてから「じゃあ、本人に聞いてみよう」。帰国予定の5月は、フィリピンでは学校の夏休み。息子は二つ返事で「日本に行きたい」とのことで、今回の父子旅行となったわけです。

家内は昨年末にフィリピン教育省に就職して、平日はフルタイムの仕事。そんなに長く職場を空けることはできないので、家族揃っての帰国は無理でした。それでも孫の顔が見られると、私の両親は大喜び。昨年の私の帰国時は、「あ、そう?」という感じだったのに...。

家内は、フィリピン人の母親にしては比較的珍しく、母子べったりの甘やかせ親ではありません。叱る時は結構キツいし、食べ物の好き嫌いもそう簡単には許さない。この態度が功を奏したのか、幼稚園の頃には、寝るのもお風呂も、一人でできるようになった息子。家内が休日に親戚の家に用事で出かける時なども、たいてい留守番しています。

そんな子供なので、10日間ぐらいは母親に会わなくても、全然問題無しでした。実際はほとんど毎日ビデオチャットしてたので、顔も見えるし声も聞いていたので、離れた感じがしないほど。毎回「また同じ服着てる!」と母親らしい指摘が。

さて、息子にとっては4年ぶりの日本。どこか行きたいところはないかと尋ねると「本屋さん」とのこと。早速、阪急梅田駅下の紀伊国屋に行ったら、真っ先に洋書売り場へ。英語の本なら、フィリピンでいくらでも買えるのに。でも息子に言わせると、フィリピンでは売ってないものもあるらしい。私も大の本好きなので、つい安くもない輸入書籍を買うことになりました。

その後は、紀伊国屋近くに最近オープンした阪急ブリックミュージアムへ。ここは以前、水槽がいくつか並んだ小さな水族館。跡地を利用して、レゴ製のジオラマや阪急梅田駅、侍の甲冑など、大人が見ても夢中になるような展示品があります。同じように小学生の頃にはレゴならぬダイヤブロック好きだった私。嗜好がほとんど同じなので、実に楽なものです。自分が行きたいと思う場所に行けばいいだけ。


日曜日に家族会議が終り、翌月曜日には、昨年京都にオープンした鉄道博物館へ。まだここが梅小路蒸気機関車館だった昔、ちょうど今の息子と同い年の頃に、何度か来た場所。SLだけでなく、歴代の新幹線やブルートレインなど、息子と二人、目を輝かせながら見て回りました。まったく、息子を持った父親冥利に尽きますね。


他には、私が40年前に通った小学校や、息子の幼稚園などにも連れていきました。ところがこちらはイマイチ。私の小学校は仕方ないにしても、自分の幼稚園ぐらいはもうちょっと懐かしがるかと思ったのですが、どうもあんまり覚えてない様子。男の子ってこんなものなんでしょうか?

食べ物に関しては、大好きな天下一品のラーメンは三回も食べたし、きつねうどんもカツ丼も制覇。中学時代の友人が握る、本物の寿司もカウンターで満喫して、最終日にはネグロスではお目にかかれない、サーロインにフィレステーキ。さらには納豆も。よかったな〜。


往復ともマニラ空港で何時間も待たされた以外は、私も息子も体調を崩すこともなく、概ね順調に日本滞在を終了。息子に「フィリピンと日本、どっちに住みたい?」と訊いたら、真剣に考えてました。息子の頭の中でも、答えはまだ出ていないようです。


2017年5月20日土曜日

一時帰国2017 介護移住に向けて


すっかりご無沙汰してしまいました。
先週から10日間、日本に一時帰国しておりました。パソコンもスマホも持って行ったので、環境としてはブログ更新できたのですが、やはり1年ぶりの帰国。親戚や友人に会ったり、美味しいものを食べにいったりで、朝から晩まで出歩くことが多くて、ゆっくり物書きをする時間を捻出できませんでした。

また、今回は息子を連れての親子旅。まだ11歳なので、単独行動させるわけにもいかず、どこへ行くにもいつも一緒。万博公園で大観覧車に乗ったり、昨年オープンした京都の鉄道博物館を見たりで、子連れ観光も楽しみました。



さて一時帰国の主目的は、81歳の父と80歳の母の介護をどうするかの相談。と言っても、二人とも年齢の割には元気すぎるほどで、父はまだ建築現場監督の仕事をしてるし、夫婦揃って週一でゴルフ。頭も足腰もしっかりしてます。

しかしながら、問題は住宅。諸般の事情があって、毎月かなりの額を家賃に当てなければならず、今の場所に住み続けるのが難しくなってきました。そして二人一度に「コロッ」と逝ければいいけれど、どちらかがボケたり寝たきりになるリスクもあり、そろそろ子供との同居を考えたいとのこと。

私には弟が二人いて、当然もう独立していて親とは別居。でもこれまた諸般の事情で、弟たちが両親を引き取るのはかなり難しい。特に居住スペースで比べると、3年前フィリピンに建てた我が家はダントツで広く、最初からゲストルームも備えているので、今すぐに同居もできます。

実は昨年11月に両親がしばらく我が家に逗留した目的には、移住を見据えての調査も含まれていました。海外での業務経験がある父は、移住に乗り気。でも母は、やはり日本語で話せる友達がいなくなることや、気ままに出歩くことに制限がかかるフィリピン・ネグロス島暮らしには、かなりの躊躇があります。

そこで今回、何年かぶりに親兄弟の一家5人が集まっての家族会議となった次第。そして結論は、父親がもう1年か2年仕事を頑張って、フィリピンの家の増築資金を貯めてから移住ということになりました。

母は、義理の娘である私のフィリピン人家内がお気に入り。「癒し系」嫁なんだそうで、最後の最後はフィリピン嫁との同居が、母の背中を押したような形になりました。その他にも、メイドさんも看護婦も住み込みで雇えるとか、年中温暖だとかの好条件はあっても、一番大事なのは誰と住むかなんですね。

まぁ、いろいろとたいへんではありましたが、今回会って話した友人の中には、もう両親とも他界していたり、存命でも重度の要介護者だったりで、改めて現在私の置かれた状況が、神さまに感謝すべき幸運に恵まれていることを実感しました。

そんなわけで、ここしばらくモヤモヤとしていた問題が期限付きで方向が決まり、気持ちはスッキリ。家族会議以降はリラックスモードで、息子と二人の食べ歩き・遊び歩き珍道中となりました。次回から何回か続けて、一時帰国中のエピソードを投稿したいと思います。


2017年5月7日日曜日

執筆のすすめ


このブログを書き始めたのが、フィリピンに移住して半年後の2013年の10月。自宅の新築工事開始がきっかけでした。フィリピン移住とネグロス島という比較的珍しい素材ということから、別に有名人でもなく、文才があるわけではない私のブログにも、最近では1本の投稿につき、コンスタントに200〜500アクセスしていただくまでになりました。

内容がとてもピンポイントなので、ネグロス島に縁があったり、初めて渡航する方からメッセージをいただくことも度々。何人かとは、実際にお会いして友達付き合いをしていただくことも。フィリピンに移住してしまったら、新たな友達は現地の人ばかりになるかと思っていただけに、これは嬉しい誤算でした。

実はそれ以前から、ブログのような完全にオープンなスタイルではなかったものの、ミクシィの日記は2006年から書いていました。フェイスブックやこのブログが、私にとって主流になるまで続けていたので、約7年間はそちらに投稿していたことに。

そんなこんなで合わせてほぼ10年間、何らかの形で日々の記録や、その時に思ったことを文章にしてきました。継続は力なりなんてことを言いますが、さすがにこれだけ長くやってると、自分自身にとって、かなりの価値が生じてきます。

一番いいと思うのは、楽しいことよりも嫌なことを文章化することで、その体験を客観的に見られるようになり、心の整理ができること。何となく鬱陶しいことなどを言語化すると、具体的に何に対して自分がネガティブな感情を抱いていたのかが、ある程度は自覚できるようになって、とてもスッキリして忘れてしまえる効用が。

異国で生活すると、習慣や考え方の違いから、頭にきたりイライラすることもしょっちゅう。時にはフィリピンに住む日本人から、不愉快なことをされたり言われたりすることもあります。そんな時にブログを書いて気持ちを落ち着けるのは、ヘタなカウンセリングを受けるよりも、よほど効き目があります。

そしてただの日記と違うのは、未知の読者からコメントがいただけること。前述のように、そこからリアルのお付合いが始まることもあるし、そこまではいかなくても、思違いを指摘いただいたり、もっと深いことに言及いただいたりと、一人で考えていただけでは知り得なかった知識を頂くことも多い。

心配していたのは、ネガティブなコメント。ところが、ごく稀に意味不明の書き込みはありますが、意外にも真っ向否定とか、罵詈雑言の類は今のところありません。日々の出来事だけでなく、政治的なことや社会ネタも投稿しているので、もっと叩かれるかと思いました。まぁ、心配するほど注目されてはいない、ということなのかも。

ということで、人によっては、それほど長い文章を書かなくても、フェイスブックやツィッター、インスタグラムで十分と言われるかも知れません。表現方法はそれぞれなので、それも悪くはないけれど、私の場合はやはり、ある程度まとまった分量の言葉数がある方がいいようです。


2017年5月6日土曜日

肉食鶏 vs 半野良猫


裏庭で飼っている雌鶏ポチョラ(家内が命名)が生んだ卵から、6羽のひよこが誕生して約2ヶ月。1羽減り2羽減りして、今は半分の3羽になってしまいました。それでも生き残った3羽は毎日元気で、見た目は小型の鶏に成長。鳴き声がまだピヨピヨなのが、不似合いな感じです。

同じ頃から我が家で、ネズミ対策で餌付けを始めた半野良猫。今でもほぼ毎日餌を与えていて、当初の警戒心丸出し状態から比べるとだいぶ緊張も解けてきた様子。かなり近づいても逃げない。そろそろこちらも名前を...ということで、私の独断でチャコⅡ(ツー)と名付けました。

チャコは2年前に飼っていた拾い仔猫。家に連れてきて、1週間も生きられずに死んでしまった可哀想な子でした。そのチャコに比べると最近我が家に来たヤツは、かなりふてぶてしい成猫。しかし猫を見ると、どうしてもチャコのことを思い出してしまうので、名前を継がせることに。

チャコについての投稿
仔猫が家にやって来た仔猫のチャコ5日目のお別れ

さて、このチャコⅡ。右後ろ脚が不自由で、尻尾も付け根辺りから無くなっている。おそらく野犬と喧嘩でもしたんでしょうか。それほど素早く動くこともできないし、これではネズミ対策にはならないかと思いきや、チャコⅡが家の敷地内をうろつくようになってから、屋根裏はコトリとも音がしなくなりました。実際にネズミを捕獲するかどうかは関係なく、猫の臭気や気配を察知して、ネズミは寄り付かなくなったようです。


そんなチャコⅡ大明神さま、見た目のふてぶてしさとは裏腹に、どうも喧嘩はからっきしダメ。なんと餌を雌鶏ポチョラに横取りされてる。最近では中坊ぐらいに育ったひよこ3羽にすら遅れを取る始末です。

ポチョラと中坊たちは、毎朝メイドのネルジーがトウモロコシの餌を与えているのに、チャコⅡの分を庭に置いたとたん「コケ〜!ピヨピヨ!」と飛んできて、あっと言う間に完食。これは誇張ではなく、ネグロスの地鶏って本当にかなりの距離を飛ぶんですよ。そうなると意気地なしのチャコⅡは、物陰に隠れて見てるだけ。

猫用の餌なので、生魚や豚肉を混ぜているのに、お構いなし。以前ポチョラが生きているヤモリを食べているのを目撃しましたが、鶏って肉食なんですね。しかも、鶏肉でもガツガツ。それは倫理的に問題があるんとちゅうか?

この頃はポチョラ親子を避けて、暗くなってからが猫のお食事タイムとなりました。なかなか食べているところは観察しにくいけれど、朝になるとお皿は拭ったようにキレイになっています。乾季に入ってからは、チャコⅡだけでなく他の猫も裏庭に集合して、時々深夜に「アオォォォォ〜〜〜ン」と物凄い声で鳴いている。これはそのうち仔猫が生まれるかも。

我が家の鶏と猫の共存状態、今のところ鶏族が圧倒的な優勢を誇っていますが、次世代には形勢逆転もあるかも知れませんね。


2017年5月5日金曜日

足掛け3年、免許の更新


先日、ずいぶん長いこと待たされた運転免許の更新がようやく完了し、プラスティック製の免許カードを手にすることができました。申請したのが何と一昨年の9月。交付まで約1年8ヶ月、足掛け3年もかかってしまいました。

私がフィリピンの免許を取得したのは、移住後約4ヶ月の頃。日本の免許がまだ有効だった時期に、それを書き換える形。その後すぐに車を購入して、交通巡査の交差点での手信号に慣れず、無視したと見なされて罰金(1000円未満)を払ったり、トライシクル(輪タク)に接触されてバンパーが凹んだりの、マイナーなトラブルはあったものの、概ね無事に運転してきました。

フィリピンでは免許取得2年目の誕生日までに更新の必要があり、用心して1ヶ月早めに、隣街の州都バコロドにある免許更新センターに出向いたのが、2015年の9月。即日交付など最初から期待しておらず、1週間やそこらはかかるかなと思っていたら、3ヶ月経っても半年経っても音沙汰なし。もちろんその間、何度も問い合わせをしましたが、マニラの陸運局(Land Transportation Office 通称LTO)本部の返事待ちの一点張り。

そしてついに申請1年を過ぎた頃に、現地の報道で、LTOがプラスティックカードのメーカーへの支払い滞納のために、新規免許の発行がフィリピン全土でほとんど停止状態だったことを知りました。ここまでは以前このブログで投稿した通り。

とはいうものの、更新の申請時に貰った手数料の領収書が実質的には免許代りで、運転することはできるので、私も焦ることなく待っていました。そうこうするうちに、新大統領のドゥッテルテさんがブチ切れたようで、フィリピン三大汚職官庁の一つと、LTOを名指しで非難してからしばらくした後、免許カードの発行を再開するという発表がありました。

それによると、マニラ首都圏では昨年末、地方でも2月には通常通りに戻るとのこと。しかしそれを過ぎても、バコロドの更新センターからは連絡はなく、重い腰を上げてようやく様子を見に行ったのが、4月の末になってから。

トラブルに備えて、念のためフィリピン人の家内に、仕事を昼迄で早引きしてもらって同伴。さすがに今回は、既にカードが出来上がっていたようで、その場で貰って帰ることができました。更新に1年8ヶ月かかったので、新しい免許の命はたったの1年ちょっと。来年の10月には、もう次の更新になってしまいます。


LTOの問題が片付いたと思ったら、今度は入国管理局(Bureau of Immigration 通称BI)。マニラ国際空港の入国審査官が、ストに入ったとのニュース。間の悪いことに、久しぶりの一時帰国のタイミングにぶつかってしまいました。これ、表向きは残業手当の不払いが原因となってますが、家内によると、ドゥテルテ大統領就任後、搭乗客からの不正なチップや手数料の受け取りを全面的に禁止されてしまった措置に対する報復ということらしい。まぁ、そもそも職員の給与が安すぎるのが、根本原因なのは間違いないでしょう。

ということで、フィリピンのお役所の手前勝手な都合に振り回される生活とは、そう簡単に縁切りになりそうにありません。


2017年5月1日月曜日

水道周り総点検


今日5月1日は世界的にメーデー。日本ではお休みの会社もあるし、ここフィリピンではレイバーズ・デー(労働者の日)で国民の祝日。移住して5回目なのに、やっぱり忘れていました。目が覚めたらもう8時で、息子の夏休みテニスレッスンの時間。焦って飛び起きたら、出勤時間が過ぎたはずなのに、家内は普段着で息子と朝食中でした。

さて、二回連続で、私のブログにしてはスーパー・ヘビー級に重たい話題を投稿したので、少々気分も重い週末でした。月曜日は気分を変えて、他愛のないお話を。

先週の水曜日、家内も息子も送り出した後、優雅に昼前シャワーを浴びていたところ、蛇口がベキっと鈍い音を立てて壊れて、水が止まらなくなってしまいました。と言っても噴水のように吹き出したわけではなく、蛇口の中の何かが折れるかどうかしたようで、完全に閉めることができなくなり、じわじわと漏水状態。

これはどう見ても、蛇口そのものの交換しかなさそうなので、急いで体を拭いて服を着て、階下から大きなバケツを持ってきて、漏水受け。すぐに仕事中の家内に電話して、水道屋さんに来てもらうよう、お願いしました。

ちなみにフィリピンでは、水漏れではなく、断水や水圧の低下に備えて、たいていの家庭で大きめのバケツが何個が常備されています。私たちが移住してからの4年、ここネグロス島のシライ市内では、幸い本格的な断水はないものの、隣島のセブでは昨年、深刻な旱魃で給水制限があったりしました。

日本ならばこの手の緊急事態には、すぐ対応してくれる業者さんが、電話帳を探せばいくらでも見つかるでしょう。しかしここはフィリピンのネグロス島。そんな気の利いたサービスはないし、家を建てたときの水道屋さんは、遠の昔に音信不通。かんたんに携帯番号を変えてくれるからなぁ。

そこで家内は、市役所で建築関連の仕事をしている弟に、水道屋さんを紹介してもらったそうです。でもお役所の仕事が終わってからなので、夕方5時まで待ってほしいとのこと。昼食が終わった頃には、大きなバケツも満水状態に近づいて、仕方なくメインのバルブを閉めて、隣町のハードウェアの店(日本で言うとコーナンみたいなホームセンター)に、取り替え用の蛇口を買いに出かけました。

実はこの2階のシャワー、もう何ヶ月も前から具合が悪く、開け閉めが難しくなっていました。バスタブ給湯とシャワーへの分岐ができるタイプで、やや複雑な機構部品とは言え、新品で買って3年で壊れるとは思わなかった。


2ヶ月ほど前に、家のあちこちにガタが来ていて、そろそろリノベが必要かとブログに書いたばかり。フィリピンでは新築コンドミニアム(マンション)の購入は要注意で、数年経って一通りの補修が終わった中古物件の方がいい、なんて話を聞きますが、それを身をもって実感するハメに。

約束の5時より少し早く、二人組の水道屋のオッちゃんが到着。この人たち、市役所で雇われるだけあって、真面目だし仕事もキッチリ。フィリピンで暮していると、日本では当たり前のことでもすごくラッキーに思います。お陰さまで夕食を作り始める頃には、問題は完全に解決しました。



一体型ではなくお湯と水を別にしました
給湯器で湯温調節できるので問題なし

そして二人の腕を見込んで、土曜日には我が家の水道周りの総点検を依頼。1階のトイレの水漏れに、2階の水圧の低下などなど。部品の劣化と、与圧するための水タンク内の汚れが問題だったようです。(フィリピンでは盗水の影響などで水圧が低く、2階にトイレやシャワーを設置するには、自前のポンプと水タンクが必須)

そんな経緯で、故障の修理だけでなく、すっかり新築の状態に戻りました。ということで、教訓です。フィリピンで快適な住環境を実現するためには、工事が終わったあとも、信頼できる電気や水道の業者さんと、連絡が取れるようにしておくこと。インフラ関係が実に脆弱な国なので、自衛手段は常に講じておかないと、本当に不意打ちを食らいます。