2017年11月24日金曜日

ジョリビーの日本メニュー


出典:Jollibee.com.ph

フィリピンのファーストフード最大手のジョリビー。多少なりともフィリピンに関わりのある日本人なら、知らない人はいないと思います。創業は1975年なので、もう40年以上の歴史。笑顔のミツバチがキャタクターで、そのバタくさい雰囲気から、最初はてっきりアメリカ資本かと勘違い。実は中国系の経営者が創業した、れっきとしたフィリピン・オリジナルです。

そのジョリビーが日本進出を発表してから、もうずいぶん経ちます。確報ではなさそうですが、来年(2018年)には東京に1号店がオープンするという記事も。当初は在日フィリピン人をターゲットにするらしい。

ジョリビーはすでにアメリカ、香港、サウジアラビア、そして東南アジア諸国など、フィリピン国外に161店舗を構えています。シカゴ在住の家内の従妹家族が、近所にジョリビーが出来たと、大喜びでフェイスブックに投稿していました。その動画によると、開店当日はものすごい行列。えらい人気なんですね。

ジョリビー成功の秘訣は、フィリピン人の好みを、無節操なほど追及したメニューにあると言われています。最初はアイスクリーム屋として創業し、ライスと一緒に出されるフィリピン風の朝食、フライドチキン、ハンバーガーと、大阪の「くいだおれ」を連想させる、何でもありの品揃えを展開。中でもジョリビーを代表するのが、フィリピン人のソウルフードとも言われるスパゲティ。

ほとんどのジョリビーの献立は、甘い方に味付けが振れていて、このジョリビースパゲティはその最たるもの。バナナケチャップを使っているというソースは、食事というよりスイーツ。塩と砂糖を間違えたんか?というほどに甘い。


ところが、これがフィリピンテーストにみごとにハマったんですね。子供だけでなく大人にも結構な人気。また、ジョリビーのフロアーを借り切って、誕生日パーティを開くというのが、ちょっとしたステータス。

そう言えば、子どもが通うシライ市内の小学校で、貧しい家庭の人たちを招いてのチャリティ催事があった時。ジョリビーのケータリングサービスに、集まった子供たちが躍り上って喜んでました。

さて、フィリピン国内では、マクドナルド、ケンタッキーの追随を許さない、圧倒的な強さを誇るジョリビー。どのような日本戦略で来るんでしょう。在日フィリピン人以外は相手にしないなら、国内のメニューをそのまま持っていけばいいけれど、それではいくら広い東京でも2〜3店舗も出せばいいところ。とても一般の日本人客から支持されるとは思えません。

そこで頼まれもしないのに、日本でのジョリビー成功のシナリオを考えてみました。日本ではそんなに認知度が高くないフィリピン料理の地位をうまく利用して、伝統的フィリピン料理のお手軽版で、売り出すのはどうでしょう。

日本人が食べても違和感がない、レッチョン・バボイ(豚の丸焼き)、アドボ(肉や魚の酢醤油煮込み)やチキンイナサル(鶏の串焼き)などをアレンジして、エスニック風のメニューとしてアピール。ライスは、地元のフィリピンレストランスタイルで、お櫃を首からぶら下げたウエイター・ウィトレスさんが、席まで行ってお給仕。もちろん普通の白米と、ガーリックライスを選べる。デザートは当然ハロハロで決まり。それも10種類ぐらいは用意してほしい。

さらに、フィリピンローカルを全面に打ち出して、フィリピンで募集した、美男美女のフィリピーノを雇うのもいいかも知れません。ここまでやると、ただの飲食店ではなく、別の目当てで集まる人が増えそう。

やや面白半分に書いてはいますが、フィリピンに住む私としては、どんな形にせよフィリピン発のビジネスの成功を願います。いつも書いているように、フィリピンという国へのネガティブイメージを減らすには、普通のフィリピンを知らしめるのが第一歩ですから。


2017年11月23日木曜日

それはセクハラやで


先週投稿した「日本女性のフィリピン恋愛事情」。フィリピン男性と結婚したり、ただいま恋愛中だったりの方々から、いくつかのコメントをいただきました。概ね共感してもらったようです。それほど熟考して書いたわけでもなかったので、たいへん有難く思うと同時に、ほっとしております。

ただ、残念だったのは、フィリピン男性との結婚について、国際結婚自体がそれほど珍しくなくなった今の日本でも、偏見に満ち溢れた人が少なくないこと。「フィリピン男性と結婚するなんて、気の強い女だ」「フィリピン人は怠け者ばかりだから、金目当てだ」などの、日常的にひどいことを言われている女性もいるそうです。

これは二重の意味で許しがたい。まずフィリピン人への侮蔑。そして女性全体への蔑視。差別発言にして、完全なセクシャル・ハラスメントです。もし私の娘が(娘はいませんが)こんなことを言われたら、相手を張り倒しているだろうと思うぐらい。

思い起こしてみると、フィリピン女性と結婚した私も、ここまで明らさまではないにしても、偏見の目で見られたり、心ない言葉を投げかけられたこともありました。何人かのフィリピン人と暮らす知人も、フィリピン人と結婚すると言ったら家族や友人に止められたと、異口同音に語ってくれます。

さらに、この投稿への面識のない日本人男性からのコメント。「外国人男性は、アメリカの弁護士資格でもなければ、日本ではマトモな仕事がない。だから男性側の国に住むしかない」という訳の分からない内容。なぜここで急に弁護士資格が出てくるのか意味不明だし、日本で働く外国籍の人が、過去最高数を記録している昨今、何を見たらこんな戯言が出てくるのか。

試しに厚生労働省が発表した2016年の数字を見ると、雇用届けがある人だけでも、100万人を超えています。内訳は中国、ベトナム、フィリピンからだけで全体の半数超。この人たち全員が、アメリカの弁護士資格を持っているとは到底思えない。私が個人的に知っている日本で働くフィリピン男性では、フィリピン料理レストランの経営者や、カトリックの神父さん。これがマトモな仕事でなければ、一体どんな職業がマトモなのか。

腹が立つのでもう一つ書くと、私の家内が日本に暮らして時には、ネイティブレベルの英語力を活かして、ピジョンキッズワールドの先生をしてました。もう10年以上も前ですが、給料が月に30万円。私が会社を辞めて養ってもらおうかと、本気で思いましたよ。

フィリピンに来たこともなければ、フィリピン人に会ったこともない人が、偏見も持つのは、分からないでもない。日本でのフィリピン関連の報道って、経済関連を除くと、犯罪か貧困、災害のニュースが多いですからね。ところが、フィリピン人配偶者がいて、フィリピンに何年も住んでいるような人まで、フィリピン・ネガティブキャンペーンに加担するのは、困ったことです。

思うに、フィリピン人は金目当てで集まる奴らばかりだと言うのは、自分が札束で相手の顔を叩くような付き合いしかしてない証拠。結局のところ偏見というのは、自分の中のネガティブな考えの裏返し。嫌な部分が鏡に映し出されているようなもの。そんな負の感情をネットに流しても、誰の得にもならないんですけどね。


2017年11月21日火曜日

ラーメン vs カレー @フィリピン

フィリピンでは、空前の日式ラーメンのブームなんだそうです。と、少々距離を置いた書き方をしたのは、正確に言うとマニラ首都圏でのことだから。周辺の街も含めると2000万人の大人口を擁する地域で、フィリピン全人口の1/5が住んでいるし、日本の東京と同様、国内への情報発信の拠点なので、間違いでもないんですが。

ネットで調べただけでも、マニラに店を出している日系のラーメンレストランは、「凪」「一風堂」「三ツ矢堂製麺」「優勝軒」「ラーメン山頭火」「一康流」「烏骨鶏ラーメン 龍」「らあめん大翔」「吉虎」「吉田製麺」などなど。

ラーメン専門ではないけれど、大阪王将やフィリピン系の来々軒なども含めると、日本スタイルで、それなりにちゃんとした味のラーメンをフィリピンで食べられる店は、相当な数になっています。そして、その勢いは首都圏だけでなく、このネグロスまで波及。約1年前に、西ネグロスの州都バコロドにある巨大ショッピングモール内に、一康流が進出。

マニラやセブに比べるとネグロスでは、まだまだ数少ない、日本人が食べても違和感のない日本食レストラン。しかもラーメンに関しては、私の知る限りこの一康流だけ。月に一度ぐらいは、家族で食べにいってます。今のところ味が落ちたり、潰れそうな気配はありません。


バコロドの一康流にて

そんなラーメンブームの熱気に比べると、同じように、現代日本人の国民食と呼ばれるカレーは、かなり後手に回っている感じ。私はどちらかと言うと、ラーメンよりもカレー派。ネグロスでは、セーブモアやロビンソンズ、スーパーメトロなど、輸入食材を扱うスーパーでは、ゴールデンカレーなどの日本製ルーが入手できて、移住してからも「週末カレー」と称して、ほぼ毎週土日には自宅でカレーを作っているほど。

家で作るカレーは、たまに来る日本人のお客さんだけではなく、家内の親戚や友達にも大人気。つまり日式カレーは、フィリピン人にも十分受け入れられるポテンシャルがあるということ。ライスと一緒に食べるところなんて、まさにフィリピンスタイルとも言えます。



自作の週末カレー

最近では、マニラにカレー専門店のCoCo壱番屋が進出し、すでに7店舗が営業中なんだとか。他にも何店かカレーレストランはあるようです。それでも知り合いのフィリピン人に聞くと、ラーメンを知らない人は滅多にいないけれど、インド料理ではない日式カレーについて、ラーメン並の知識がある人は少ない。

これはそれぞれの母体となった中華料理とインド料理の、フィリピンでの浸透度の差なんでしょうか? フィリピン料理には、パンシット・カントン(焼きそば)や、チョプスイ(八宝菜)など、明らかにルーツが中華にあるものがいくらでもあります。バッチョイという、ほぼラーメンそのまんまの料理まで。

ところが、インド料理となると、あまり思い浮かびません。第一、香辛料をたっぷり効かせたような味付けが、どうもフィリピンではあまり一般受けしない。インド系の住民は、結構いるんですけどね。

実はフィリピン移住直後に、本気で小さなカレーレストランができないかと、考えたこともあります。でも真面目に原価計算してみて、よほど価格を上げるか相当手広くやらないと、とても満足な利益は出そうになく、早々に諦めてしまいました。そもそもシライは田舎過ぎて、集客が難しい。

ということで、ネグロス島のレストランで、日式レストランに出会える日はまだまだ先になりそうです。


2017年11月19日日曜日

私的フィリピン美女図鑑 コスプレ・フィリピーナ



日本発のサブカルチャー、コスプレ。Costume Play から造語された和製英語だったのが、今では英語の本家イギリスの辞書にも記載されているとか。それぐらい世界中に広まったコスプレ文化。元々はコミックやアニメのキャラクターに扮する行為を指す言葉。でも最近は、現実の職業で使われるユニフォームなどを着るのも、コスプレ。もう何でもありの様相を呈しています。

日本のアニメが大人気のフィリピンでは、もはや完全に市民権を得たようで、あちこちでコスプレ関連の催し物があるらしい。中でも年に1回、マニラで開催されるコスプレ・マニア(Cosplay Mania)は東南アジア屈指の規模。2日間で3万人を超える入場者を数えるほど。

フィリピンで、最初に日本アニメの名を知らしめたのは、1979年の「超電磁マシーン・ボルテスⅤ(ファイブ)」。ロボットアニメの中では、マジンガーZなどに比べると地味な印象ですが、なぜかフィリピンでは大ヒット。家内も子供の頃、熱心に見たそうで、テーマソングを今でも歌えます。

あまりの人気に、子供が勉強しなくなるとか、劇中に出てくる武器が、旧日本軍の軍刀をイメージしてるとか、大々的なネガティブキャンペーンにまで発展し、時の大統領マルコスの指示で、とうとう放送禁止に。ところが20年後の1999年、再放送が始まると今度はリバイバルブーム。視聴率40%超えを記録し、テーマソングを歌った堀江美津子さんは、国賓待遇でフィリピンに迎えられました。

コスプレに関して言うと、女性にまでその裾野を広げたのは、「美少女戦士セーラームーン」の功績が大きいでしょう。メディアミックスのスタイルで、原作コミックとアニメが同時スタートしたのが、1992年。もう四半世紀も前なんですね。

ゴレンジャーを始めとする戦隊ヒーロー物の中で、女の子キャラがメインなのは、初めての試み。コスチュームがまた独特の世界を作りました。セーラー服で悪と戦うという発想は、それ以前だと、薬師丸ひろ子さん主演の「セーラー服と機関銃」が思い浮かぶくらい。

SFファンタジーのヒロインがセーラー服姿。これは最初見た時には、かなり驚きました。コスプレでは定番となったメイド服にも、セーラームーンの影響がはっきりと見て取れます。

すっかりオタク的に深入りして、前置きが長くなりましが、今日のイラストは、フィリピンの女の子がコスプレで扮するヒロイン、クロエ・ホセガワ。なんで名前まであるのかと言うと、実はこのアイデアを思いついたのが、マニラ在住日本人ご夫婦の、小学1年生の娘さんが描いた絵を見せてもらったのが発端。いかにも小学生らしく可愛い作品は、彼女が考案した「プリパラ」の新しいキャラ。ホセガワのホセは、フィリピンによくある名前 Jose(ホセ)からの着想。

ということで、もう初老に差し掛かろうかというオッさんが、ありったけのイマジネーションと、ネット上で搔き集めた資料を元に描いたのがこれ。顔つきはフィリピーナっぽく、かなりラテン系にアレンジ。すると妙に生々しくて、日本のメイド喫茶に雇われた外国人女性、みたいになってしまいました。


そんな印象を和らげようと、背景は、セーラームーンへのオマージュの意味で月をあしらい、少女アニメではよくある、虹と星のアイテムをちりばめてみました。オっちゃん頑張ったけど、原作者の娘さんには「これじゃな〜い」と言われそうですね。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び
日比カップル


2017年11月18日土曜日

日本女性のフィリピン恋愛事情


日本・フィリピン間の恋愛というと、マニラの水商売女性と、買春目的の日本人男性、特に中高年、というステレオタイプばかり語られて久しい。これは何十年経っても、相対的に貧しい人と比較的余裕のある人の経済差が埋まらない限り、完全になくなることはないでしょう。もう、このブログで書くのも少々飽きてきました。

今日は、手垢の付きまくった、フィリピーナ&日本のオっさんの話題ではなく、日本女性とフィリピン男性の恋愛について。

日本女性とフィリピン男性のカップルというと、私が知っている範囲で一番最初に聞いたのは、「ネグロス・マイラブ」という本の著者、大橋成子さん。日本NGOの現地駐在員としてネグロスに。そして1996年、地元の男性と結婚されました。ネグロス・マイラブは、その経験を元に書かれたノンフィクションです。

この本は、2005年に出版され、ネグロスの名前に惹かれて私も1冊購入。今でも私の手元に。そして改めて確認したら、大橋さんご夫婦が住んでいるというのが、私の自宅と同じ西ネグロス州。しかもサン・エンリケとあるので、車で1時間もあれば行ける場所。とは言え大橋さんとは面識もないし、もう本が出てからだけでも12年なので、今もネグロスにお住まいかどうか、定かではありません。

当時は、本の題材になるほど希少だった日本女性とフィリピン男性の結婚。ところが時代は移り、NGOやボランティア活動、そして英語留学の名目で、90年代に比べると桁違いに多くの若い日本人が、観光以外でフィリピンにやって来るように。しかも数日レベルではなく、数週間から数ヶ月。

こんな状況になれば、男女関係なく、日本人とフィリピン人の接触も増えるし、当然の帰結としてカップルも生まれます。特にボランティアや留学など、海外に積極的に出る若者や学生さんは、日本からの場合、どういうわけか女性の方が多い。我が家を訪れる若い日本人のお客さんも、7〜8割方が女の子。私が選り好みしているわけでもないんですけど。

そしてこれまた当然の帰結として、日本女子とフィリピン男子の、恋人同士や夫婦の数も増える。最近になって、貪欲に男性のパートナーを探している日本女性が、たくさんフィリピンに押しかけているのでもない。単純に全体母数と確率の問題でしょう。

今年になって、私が実際にお会いしたケースだけでも、国際結婚が一人、ただいま恋愛中が二人。どの方もたいへんしっかりしている。いい加減だったり浮ついた感じは微塵もありません。要するに人間として魅力的で、こういう人たちだったら、国籍とは無関係にモテるだろうと思います。

人伝てに聞いたところでは、ネグロスにボーイフレンドができて、日本に帰った後も想いを断ちがたく、休みの度にフィリピン通いをしている女性もいるとか。これは私にも経験があります。男が通うばかりとは限らないんですね。考えてみれば、当たり前のお話。

こう書くと、必ずいるのは「フィリピンの男は怠け者ばかりだから...。」と、したり顔で説教を垂れる日本人。フィリピン女性と結婚してフィリピン暮らしが長い人ほど、こういうことを言いたがる。しかし、物事を現実的に見るのは、日本でもフィリピンでも女性の方がはるかに上手。

私が知っているフィリピンの日本女性たちは、経済的にも精神的にも自立している。将来もちゃんと考えています。そして多くのフィリピン男性は、女性との接し方がよく分かっていて、男が優位に立たなければというような、変な意識やコンプレックスもない。

妻が働いて夫が家事をこなすことにも、日本に比べれば、ほとんど抵抗なし。これは子供の世話も含みます。過大な期待さえしなければ、働く女性が一緒に暮らす相手としては、理想的と言えるかもしれません。(もちろん、これは人に依ります。中にはどうしようもない人がいるのは、日本も同じ)

唯一私がアドバイスするならば、熱々の恋愛感情がずっと続く保証はないので、関係が破綻しても、自分の生活は守れる準備をする、ぐらい。これは、別に日比カップルとか、男女のどちらかに限ったことではないですね。

そういうわけで、50代半ばの私が言うのも矛盾してますが、ここネグロスでも、在留邦人が爺さんやオッさんばかりではなく、少しでも平均年齢が下がって、女性が増えるのは喜ばしい。

そうなれば、日本からフィリピンに向けられた偏見がずいぶん減るだろうし、フィリピンに渡航する日本人の目的も、さらに変わってくるでしょう。大げさに言うと、今が民間人レベルでの、日比二国関係の転換期だという気がします。


2017年11月17日金曜日

ネグロス引きこもり


「引きこもり」という言葉。今の日本では、とても悪いイメージになってしまいました。元々そんなに良い意味で使われることもなかったにしても、最近では、何年も何十年も自室に閉じこもって出てこない(出てこられない)ような、心の病を負った人を指す言葉として、定着してしまった感があります。

日本の厚生労働省が、引きこもりの定義、なるものまで制定。それによると....。

仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて自宅にひきこもっている状態。

これは、時々買い物に出たりする程度も含まれるとのこと。そうすると、かく言う私も、実は引きこもりではないかと、最近気づきました。

息子を毎朝学校に車で送っていくのと、日曜日朝のミサ。他には月に1〜2回の買い物ぐらいでしか、自宅の外に出ることはあまりない私。家内と子供、そして住み込みメイドのネルジー以外、本当に会話もない。これでは英語は錆び付くし、イロンゴ(西ネグロスの方言)を覚えられないのも無理ないですね。

また、ここで指摘されている「交流」が、SNSやLINEなどでのネット経由のコミュニケーションを含まないとすれば、私の引きこもり度はさらにアップ。やっぱりこっちで定職に就いていないのが大きい。

だからと言って、辛いとか生活を改善しなければとかは、全然思わない。筋トレに自転車漕ぎで、それなりの運動量は確保しているし、早寝早起きに規則的な食事の、かなり健康的な状態なので、体調は良好。

しかも、「画家になりたい」「作家になりたい」という昔からの夢が、ある意味で実現しています。似顔絵イラストとブログが、画家と作家の仕事に値するかどうかは、少々怪しいですが、本人が満足しているのでご勘弁を。

こんな暮らしができるのも、住環境が充実しているお陰。これは、フィリピンに限らず、また海外・国内無関係に、引退生活を快適に過ごす上での、最重要ポイントと言えそうです。特にフィリピンの場合、居心地がいい家が手に入れられるかどうかが鍵。フィリピン移住に際しては、この点私は、ずいぶんと綿密に計画を練ったし、相当な投資もしました。

言葉を変えると、引きこもりができるほど居心地のいい場所がなければ、引退後の生活は、かなりストレスに満ちたものになってしまいます。これは必ずしも、自宅である必要はありません。定年後フィリピンに移住して、辛い思いをされているのは、居場所作りに失敗しているケースが多いのでは、というのが私が推測するところ。

おそらくフィリピン移住を考えている、中高年の方は、もっと具体的にどうすればいいのかと訊きたいところでしょう。ところがこれは、その人の経験や置かれている状況によって千差満別。こうすれば誰でも大丈夫な処方箋はありません。

なので以下は、飽くまでも私の場合。
まず、大量の蔵書を収納できるだけの書斎。これは一人になれる個室という意味もあります。そして最低限のネット環境と、騒音に悩まされない、そこそこ閑静な場所。その他、細かく上げるとキリがないにしても、この三つは最初から意識しました。

ここまで書いて、これは「引きこもり」ではなく、「隠棲」とか「隠遁」と言った方が適当なんじゃないかという気もしてきました。もっと気取って言うと「世捨て人」かも。いずれにしても、家族以外とリアルなコミュニケーションが少ない=不幸せ、でもないことを強調したい。

そういうことで、日本でのリアルなコミュニケーションに疲れ果てた、私のような人間の場合、鬱陶しい人間関係を断ち切れる、ネグロス引きこもりライフは、一種のユートピアだと感じております。


2017年11月14日火曜日

関西人フィリピンに憚る


我が家には時々、20代の若いお客さんが日本から来てくれます。NGOの仕事やボランティアだったり、英語留学だったり。このブログを読んで、わざわざ連絡を頂くことも、最近は珍しくなくなりました。

よくあるのが、実際に私に会ってみて、想像したよりもかなりキツい訛りの関西弁を喋ることに、ちょっと驚くというパターン。このブログのサブタイトルに「ネグロス島に家族で移住した、関西人のつぶやき」って書いてあるんですけどね。

確かに、たまに文章の中で関西っぽい言い回しを使うぐらいで、通常は、方言で書いたりはしてません。もし全文関西弁にしようとしたら、かな漢変換がものすごく面倒になるし、第一、読みにくくて仕方がない。上方落語の書き起こしをしているわけではないので、標準的な文体で書くのは、まぁ、当たり前。

しかし、日常生活の私は、紛うことない方言生活者。父が東大阪(河内)で、母が大阪市の都島区(摂津)の出。そして私の生まれ育ちが、お笑いの「ダウンタウン 松本・浜田」で有名になった、兵庫県の尼崎。サラブレッドと言ってもいいぐらい高濃度の関西弁ネイティブ・スピーカーです。

関西出身者にわりと多いのが、東京へ行こうが、関西以外の人たちに囲まれようが、まったく喋り方を変えない人。全部がそうというわけでもないし、別に頑なにイントネーションを守っているわけでもない。単に面倒なだけ。永年にわたる吉本興業の努力の成果で、どこへ行ってもだいたい通じるし。

実は私、30年ほど前に社会人になり、東京出張をする時には努めて訛りを抑えて、少なくともビジネスの場では、聞かれるまで出身地がバレないぐらいに頑張ってました。ところがある日、たまたま同席した同郷の先輩から「気持ち悪いから、普通に喋れ」と指摘されてしまった。日頃、関西弁丸出しで喋っているのを知っている人からすると、やっぱり強烈に不自然だったらしい。

それ以来、すっかりどうでもよくなってしまい、どこへ行っても自然体。すると、英会話の先生には「君の英語は関西訛りだ」と言われるし、横浜に住んでいる頃は、趣味の声楽で、ラテン語なのに「歌まで関西弁ですね」と驚かれる始末。一体どんだけ、骨絡みやねん。

その後、フィリピン人の家内と一緒になり、最初は英語で会話してたけど、家内の日本語レベル向上と共に、家庭内標準語は関西弁に。ネグロスに移住後も、今更フィリピノ語やイロンゴ語(西ネグロスの母語)を覚えるのも無理がある。英語はどんどん錆びつき、ハリー・ポッターを原書で読む小学生の息子には、遠の昔に追い抜かれてしまいました。

ということで、尼崎から3000km離れたネグロスの地でも、家族や、日本人とのコミュニケーションは関西弁を貫いているわけです。もう50代も半ばを過ぎ、若い女性が来たからと、体裁をする気もありません。

ところが意外にも、私の喋り、それほど嫌がられているわけでもなさそう。中には私の関西弁が好きだと言ってくれる、殊勝な若者もいました。話半分でも嬉しい。そして、複数の人からは、フィリピンには関西の人が多いですね、とのご意見。

え、そうですかぃ?
数えたわけではないけど、そんなに多いとは思えないなぁ。推測するに、関西弁というオブラートに包みながらも、思ったことをストレートに言う人が多く、ボケ・ツッコミ・オチがないと、会話ではないと言うぐらい、サービス精神が旺盛。一人に会っただけで、数人分ぐらいのインパクトを残すから、なんだかたくさんという印象になるのかも。

この関西的メンタリティは、ひょっとすると世界スタンダードに近いのではないか、というのが私の仮説。好きなことは好き、嫌なものは嫌とはっきり伝えるのは、会話の基本。相手が誰であっても、ユーモアは意思疎通の潤滑油になる。私など、日本でより、海外出張の方がよっぽど仕事がしやすかった。なぜなら、何を要求しているのか、ちゃんと分かるように言ってくれるから。言葉の裏を探ったり、空気を読む、みたいな面倒臭いことは皆無。

そういうわけで、日本から飛び出してフィリピンに住み着いた関西人は、居心地がよくて、さらに関西濃度が上がるような気がします。さしずめ、関西人フィリピンに憚る、と言ったところでしょうか。


2017年11月13日月曜日

婚約破棄


2015年の年明け早々のことだったので、もう丸3年近く前。家内がフィリピン大学の研究所に在籍していた当時の同僚で、今年(2017年)に還暦を迎えるフランチャスカ。その歳の離れた妹、シーラ嬢の婚約記念パーティがありました。場所は、ネグロスの隣島パナイの中心都市イロイロ。西ネグロスの州都バコロドと並んで、フィリピンで最も暮らしやすい街と言われています。

歳が離れたと言っても、もう30代の半ばは過ぎているシーラ。フィリピンにしてはかなり遅めの初婚。でも全然年齢を感じさせない、知的で清楚な雰囲気の美人で、お相手はアメリカ国籍の白人男性とのこと。

私たち夫婦はパーティに招待されて、珍しく息子を実家に預けての二人だけの一泊旅行。ちょっとしたハネムーン気分でした。それはともかく、会場はかなり広い宅地内の多目的広場。一部に屋根があって、パーティができるようなスペース。

そこに親戚や友人など、20〜30名ほどが集まって、フィリピンにしては比較的こじんまりした雰囲気のパーティ。それでも豚の丸焼きレッチョンを始めとして、本格的なケータリングによる豪華な食事が用意され、味も量も申し分なし。

ちょっと気になったのは、シーラは終始笑顔で幸せそうだったけれど、未来の旦那さんは、何となく場に馴染んでいなくて、戸惑ったような表情だったこと。これは私も経験があって、故国を離れてこういうパーティをすると、自分の家族や友達は誰もいなくて、相手の関係者ばかり。どうしても会話も途切れがちになり、やや浮いてしまうのは、ある程度仕方がない。

そして数日前。家内と朝ごはんを食べている時、来月予定のフランチェスカの還暦祝いの話題になりました。私が何気なく「ところでシーラは、いつになったら結婚するの。ひょとしてもう別れちゃった?」と冗談のつもりで尋ねたら、家内が突然真顔に。

冗談じゃなかったんですよ。詳しい経緯は分かりませんが、婚約破棄しちゃったそうです。それも、家内以外にはまだ誰にも打ち明けていなくて、フランチャスカのお祝いの席では、絶対に言っちゃだめだと、口止めされてしまいました。

家内はシーラのゴッドマザー(名付け親)にして、一番信頼されている姉貴分みたいな存在。シーラが学生だった頃には、ラブレターの代筆したり。そう言えば、去年だったか、シーラが一人で我が家に泊まりに来たこともありましたね。家族にも言えないことでも打ち明けられるのが、20歳も歳上の他人だというのも不思議な感じ。

それにしても、今回は残念な結果になりましたが、フィリピンでこんなにフォーマルな婚約発表というのは、私は初めて聞きました。婚約どころか、親が相手の顔を見る前に妊娠したとか、その後も家族が結婚を認めないので、そのままシングルマザーになった、みたいな話は多い。貧困層だと、子供もたくさんいて、どう見ても夫婦なのに、届け出の費用がないから放置している、なんていうカップルさえいます。

ただ、どういう形で一緒に住んでも、また、親になっても、日本のような生き辛さはあまりないように思います。母親が孤立して、一人で子供の面倒を見るというケースは少ないんじゃないでしょうか。特に、親戚縁者が地域に固まって暮らすことが一般的な、田舎のネグロス。子供の親じゃなくても、大抵誰かが協力して子育てをしているようです。周囲の大人も、両親と同居していない子供を、白眼視したり特別扱いしたりという話は聞かないですね。

シーラの場合は、シングルマザーになったわけでもないし、婚約破棄を知っても、家族や親戚は、温かく見守るという気がします。まあ、経済的にも精神的にも独立した大人の女性なので、本人のプライドの問題だけかも知れません。ということで、部外者の私が言うのも変ですが、シーラの傷心が癒えることを祈りつつ、しばらくは事態を静観したいと思います。


2017年11月12日日曜日

初めての広告料


出典:Western Union Home Page

早いもので、このブログを書き始めてから、丸4年が経過しました。だいたい2日に1本のペースで投稿していて、すでに投稿数は750本に迫ろうかというところ。

そもそも、ネグロス島での自宅建設のプロセスを記録し、フィリピンで同じように家を建てようと思う人の参考になれば、というのが動機でした。家が出来てしまえば、そんなに書くこともなくなるだろうし、そうなったら自然消滅でもいいかという、ごく軽い考え。

開始後半年、工事が終わっても意外とネタは続き、その頃には文章を書くこと自体も面白くなってきました。フィリピンに興味を持つ人しか読まないような、超ピンポイントの話題ばかり。大した数の読者もいないだろうと思いきや、それが幸いしたのか、ずっと愛読いただく方が、思いの外増えた模様。

特に、ネグロス出身者と結婚したとか、仕事や観光でネグロスに渡航する人、そして私同様、ネグロスに永住の計画がある、というような人は、かなりの確率でこのブログを探し出しているらしい。最近では「ネグロス島」でググると、最初のページの5つ目ぐらいには表示してもらえる。これは私にとっては、望外の喜び。

そうなると、多少の欲が出てくるのが人情。もちろん大儲けできるなんて考えはないけれど、自分の書いたものが、一体どれぐらいの価値を産むものなのかを知りたくなりました。そこで、半年ほど前から、広告を表示するように設定を変更したわけです。

ところが以前にも書いたように、広告料を受け取るためには、ネット上のやり取りだけではなく、登録した住所にグーグルから「個人識別番号」が郵送されてきて、それを入力しないといけない仕組み。これがフィリピン在住者には落とし穴。

フィリピンの郵便事情は、劣悪と言うべきレベル。EMS(国際スピード郵便)のように、通常の送料に上乗せした支払いがなければ、数日で届くところが数ヶ月から半年以上かかったり、郵便物が紛失したりは日常茶飯事。案の定、待てど暮らせど何も来ない。これはダメかと諦めて、すっかり忘れていたころに、グーグルからのレターが届きました。日本語表記なのに発送元はマレーシアの住所。さすがグローバル企業ですね。

そして支払い方法も、各国向けにちゃんとローカライズ。海外出稼ぎによる外貨獲得額が、国家予算に匹敵するフィリピン。外国からの送金とその受け取りは、(フィリピンにしては)たいへんシステマティックに整備されています。

いくつかの選択肢があった中で、私が選んだのが、ウェスタン・ユニオンというアメリカ資本の金融機関経由。これは銀行口座を開設する必要もなく、受け取り手数料も不要。広告料の積算が100米ドルを超えた時点で、自動的にグーグルからウェスタン・ユニオンに送金。

ネット経由で送付された、支払い領収書をプリントアウトして、フィリピンならばどこにでもある、ウェスタン・ユニオンの窓口で、私のID(永住ビザ所持者であることを示すアイ・カードか、フィリピンで取得した運転免許)と一緒に提示すれば、ものの数分でフィリピン・ペソで受け取り完了。あっけないほど簡単。送金元はマレーシアではなくシンガポールからでした。

半年がかりで100ドル(約1万1千円)なので、本当にお小遣い程度。これで生計を立てるには、いくら物価が安いネグロスでも全然お話にもならない金額。それでもやっぱり、久しぶりの現金収入は嬉しいものです。さっそく隣街のショッピングモールで、このブログを書いている書斎に置く、午睡用シングルベッドを買ってしまいました。

ということで今回は、ブログの読者諸氏に感謝の念をお伝えしたい。いつもご愛読いただき、たいへんありがとうございます。


2017年11月11日土曜日

9万ペソの愛犬アイボ



前回投稿の11月8日「いいおっぱいの日」の続きではありませんが、11月1日は、「わんわんわんの日」だったんだそうです。この日付に合わせて、ソニーがロボット犬アイボの販売再開を発表しました。そして今日11月11日「わんわんわんわんの日」に、予約受付開始。さらに来年1月11日、再びの「わんわんわんの日」(くどい!)に、販売開始の予定。


最初のアイボが世に出たのが1999年。もっと最近だったと思ったら、18年も経ってたんですね。当時は、工業デザイナーだった私。デザイン事務所を経営していた友達や知り合いは、「研究用」と称してこぞって購入。自分で買うほどの勢いがなかったので、よく仕事のふりをしながら、アイボと遊ぶために飼い主のオフィスにお邪魔したものです。

前回も、サラリーマンが衝動買いするには、やや高価すぎる値段でした。新しいアイボも同様で、19万8千円。書くだけ野暮ながら、我が家の飼い犬ゴマはタダ。それでも、庭がなかったり、動物を飼うには狭すぎる住宅事情、さらには平日の昼間は誰も在宅しない家庭が多いことなど、日本の状況を考慮すれば、一部のマニアックな層だけでなく、ある一定の需要があるのは理解できます。

人間型のロボットでは、やはりホンダのアシモが、いまでも鮮明な印象。ややぎこちない部分はあるものの、中に人間の子供が入ってるんじゃないかとさえ思えました。

その後、人間や生き物の動きを、驚くべき精度で再現するロボットが、玩具や軍事などいろんな分野で現れるようになったのは、ご存知の通り。学生時代に、どこかの大学教授の講演で耳にした「コンピューターやロボットの究極の目標は、人間の完全なコピーを作ること」という言葉を思い出します。当時は遠い未来の話だと思っていたのが、ひょっとすると私が生きている間に実現しそうな雰囲気。


動きよりも、感触も含めた外見が一番の難問だろうと予想してたら、そっちの方面もとんでもない進歩。特にラブドールと呼ばれるセックス人形は、とっくに一線を越えてしまったようです。女性ヌード写真の大家、私の世代では「激写」で有名な篠山紀信さんが、ラブドールの写真集を出しているぐらい。ダッチワイフと呼ぶのも憚れるレベルの、賞賛に値する造形の完成度。

さて、これをフィリピンに置き換えて考えてみましょう。まずアイボ。私には、ロボットオタクか、大金持ちが見栄で子供に買い与えるぐらいしか、ユーザーの姿が想像できません。特にここネグロスでは、庭がなくても家の前で放し飼いにしても大丈夫。また、大家族だったりメイドさんがいたりで、ペットの世話係には事欠かない。我が家の場合は、300平米の裏庭で、仔犬遊ばせ放題。

そして人間型のロボット。こちらもまだ完全実用化は無理でも、家事や介護用途での、商品レベルの研究が進んでいます。人工知能(AI)の開発と相まって、民生市場で普及するのは、もうすぐでしょう。ところがメイド、介護士、運転手、どれも人間を雇った方がはるかに安いフィリピン。

それも半端ではない安さ。例えば我が家の住み込みメイドのネルジーが、一月の給金3000ペソ(約7000円)。これではロボットへの置き換えを、考える気にもなりません。同列に書くとお叱りを受けそうですが、セックスワーカーにしても同様です。

やはり、犬一頭に20万円(約9万ペソ)も払うのは、フィリピンではちょっと難しい。もちろん本物の犬が欲しいだけではなく、それ以外の部分にも価値があるのは理解しています。しかしソニーの謳い文句が「愛らしさ」「寄り添い」「関係性の醸成」というのを見ると、それはまさに動物を飼い育てて得られるのと同じ。

私が思う相違点は、ロボットが対象ならば、生命に対する責任がまったく生じないこと。これはオーナーがどう感じるかとは別問題。極論すれば、飽きたらいつでも捨ててしまえることだけが、少なくとも現在のところの、ロボットで代替することの最大のメリットじゃないでしょうか。

そう考えると、日本でアイボの復活が大々的に報道され、その内容がほぼ歓迎ムードなのは、少々複雑な気分にさせられます。


2017年11月9日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 谷間ガールズ


11月8日は「いいおっぱいの日」だったんだそうですね。ただの語呂合わせだけじゃなくて、ツィッターに女性アイドルが胸の写真を多数投稿するというので、ネット上ではここ数年、私が知らない間に結構盛り上がっていたらしい。

胸の写真と言っても、服や水着、下着は着用していて、例えばフェイスブックに投稿しても削除されたりしないもの。調べてみると、タレントやモデルをプロモートする、ヴィズミック(Vithmic)という芸能プロダクションが制定したとのこと。

なんでこんな書き出しから始まったかというと、今日のフィリピン美女図鑑は、とびっきりセクシーな女性タレントを描こうと思っていたから。そうなると当然の如く、出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる体形の女性が対象。それこそ「いいおっぱい」のイラストになる。残念ながら、これに気づいたのが今日(11月9日)。最初から分かってたら、頑張って昨日のうちに投稿してたのに...。

さてセクシーな女性タレントと言っても、実はそれほどフィリピンの芸能人をよく知っているわけではありません。だいたいテレビをほとんど見ないし。そこで少々雑なやり方ながら、「Filipina」「Sexy」で検索かけたら、2016年の一番セクシーなフィリピン・セレブというトップ10形式のユーチューブ動画が見つかりました。

ワクワクしながら見てみると、ミスコンの勝者だったり、私でも知ってる女優さんだったり。最近このブログでも取り上げた、メイン・メンドーサに、ジュリア・バレット、ピア・ウォツバックなどなど。それでもこんな動画が作られるぐらいなのだから、登場する方はそれなりにフィリピン人も認めるセクシーな女性なんでしょう。そこで、まだ描いたことのない四人を選んでイラストを描くことに。選択基準は単に私の好みです。

で、なぜ四人か?それは、言葉で説明するより出来上がったイラストをご覧いただいた方が早いですね。


カードのスペード・ハート・クラブ・ダイヤの形で、胸の谷間強調の水着を着せたかったというだけの、実にオっさん視点な理由。ハート型のは、昔「銀河鉄道999」でメーテルが着用していたのが印象に残り、それなら他の3つのモチーフも使ったらどうかと、だいぶ前からアイデアを温めていました。実に40年越し。

こういうイラストなので、本当はタイトルを「トランプ・ガールズ」にしたかった。でも、あまりにも時事ネタで、別の検索に引っかかってしまいそうなので、それは自粛。

こうやって四人のゴージャスな美女を並べると、007映画のポスターっぽいかも。そういえば、最近の「カジノロワイヤル」のオープニング映像では、カードのモチーフがとても印象的に使われていました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び
日比カップル


2017年11月7日火曜日

マニラ鉄道保守契約の解除



韓国大っ嫌いな連中は、たぶんこの記事を読んで大喜びの大笑いでしょう。昨日、2017年11月6日、フィリピン運輸省は、2016年1月から3カ年の予定だった、韓国系のプサン・ユニバーサル・レール(BURI)との、マニラ高架鉄道(MRT)3号線の保守契約を解除したと発表しました。

だいぶ前から、車両から発火したり脱線したりで、騒ぎになっていたこの問題。運輸省からはBURIに、改善を求めて警告を出していたそうですが、満足な回答がなかったらしく、とうとう契約解除という事態に。

韓国憎しでざまぁ見ろというのは、馬鹿な野次馬のリアクション。完全に思考停止ですね。フィリピン国民の立場になって考えたら、これはちっとも喜ぶような話ではありません。

なぜこんなことになったんでしょう。記事を読んでみると、日々の点検だけでなく、車両のオーバーホールや信号システムの交換など、全面的に任せていた様子。契約を結ぶ前に、ちゃんとした調査をしなかったのかと、訝しんでしまいます。

最大の責任はBURI側に。しかし去年(2016年)だけで、運行途中の車両から乗客を降ろす必要のあるトラブルが586件もあったというのは、そもそも鉄道の保守能力がなかったとしか思えない業者を選定している。それを決めたのは、フィリピン運輸省の役人のはず。頼んでみたけどダメでした、では許されない。

フィリピンでよくあるのが、有能かどうか、コストパフォーマンスが良いかどうかではなく、選定権を持つ人物に、賄賂を多く払うかどうかで物事が決まるケース。例えば、スーパーマーケットに陳列する商品を選ぶ際に、メーカーからの賄賂を要求。その多寡によって、入荷の度にコロコロ内容が変わり、気に入ったブランドがあっても、継続的に使い続けることが難しかったりします。

フィリピン社会の宿痾と言うべき贈収賄体質。MRTの保守業者を選ぶ時にも、決め手は賄賂だったのかも知れません。そうとでも考えないと、あまりに多すぎるトラブル数の説明がつかない。

契約解除の発表時に、当然後任が決まってるのかと思ったら、それもまだ。運輸省は無責任に過ぎる。保守業務の空白ができてしまって、深刻な事故でも起こしたらと思うと、マニラに行く機会があっても、恐ろしくてMRTには乗れません。役人の無能ぶりのしわ寄せは、結局すべて庶民へ。

契約額は約38億ペソ(約84億円)。1年2ヶ月を残しての契約解除で、いくらかの返金あるのかどうかは、記事には書かれていません。新規に保守会社を探すにしても、財源の目処は立ってるんでしょうか?

日系の業者に依頼すればと言ってる人もいるけれど、もしそうしたら、BURIより相当高くつきそうです。だいたいこの問題の本質は、保守業者の国籍ではありません。フィリピンの役人たちが、国民から預かった税金の投入先を、真面目に調査してるのかどうか。そこが改善されない限り、何度でも失敗を繰り返すのは明らか。

そして心配なのが、日本からの円借款で建設予定のマニラ地下鉄。作るのも難しいけれど、運用はもっと難しい。こっちは日本人の税金をつぎ込むんだから、安心して利用出来る交通機関になってほしい。本当に大丈夫かなぁ?


2017年11月5日日曜日

金払えフィリピン航空



フィリピンのナショナル・フラッグ・キャリア、フィリピン航空(Phiippines Air Lines 通称PAL)が受難です。と言っても自業自得というか、自爆というか。ちょっと考えられないことに、1970年代のマルコス大統領時代から、マニラ空港のターミナル使用料が未納だったことが発覚。その額72億ペソ。(約160億円)

マルコス治世下の超金権・癒着体質の頃はいざ知らず、革命が起こった1986年からでもすでに30年。払わない方もすごいけど、それが見過ごされてきたのもすごい。フィリピン航空のオーナー、ルシオ・タン氏は、中国系フィリピン人。同じく中国系で、フィリピン最大の財閥コファンコ・ファミリー出身のコラソン・アキノ氏を母に持つ、前大統領ベニグノ・アキノ3世と友達だからと、家内は澄まし顔で教えてくれました。

いや、そういう問題じゃないでしょう。ところがフィリピンの政・財界では、そういう問題が重要。本当にこの国は、つくづく法治国家ではなく人治国家。お金と有力な友達の有無で、なんでも好きなことができる側になれば、生涯搾取される側にもなる。こういう話を聞いた時は、さすがにフィリピンという国が嫌になります。

ウィッキペディアによると、PALは1941年創業で、アジアでは最古参の航空会社。その後も1947年にアジア初のヨーロッパ(マドリード)乗り入れを果たし、1967年には同社の社長が、アジア人初の国際航空運送協会(IATA International Air Transport Association)の会長に就任。昔は、輝かしい歴史を誇る名門でした

昨年の選挙で、誰か他の候補者が大統領になっていれば、ひょっとすると今でも、ターミナル使用料未納は国民に知られないままだったかも。PALにとっては運悪く、選ばれたのはドゥテルテ氏。即刻耳を揃えて支払わないと、現在PALが独占的に使用している、第2ターミナルを閉鎖すると、ドゥテルテ大統領から警告を受けてしまいました。

本当に閉鎖されたら、困るのはPALよりも利用者なんでしょうけど、これはPALの常連客である私も仕方ないと思いました。結局PAL側も抵抗は無理と悟ったようで、交渉の末60億ペソを支払うことで合意。そして先日の11月3日、支払いが完了。

PALは1990年代、一時経営危機に。その後なんとか持ち直したものの、最近では後発のセブ・パシフィックに年間乗客数で追い抜かれ、さらにこの60億ペソが追い打ちをかける格好。

日本航空も実質的な経営破綻を経験してから、ずいぶん経営内容が良くなったと聞きます。多くの日本の主要都市との間に路線を持つフィリピン航空。日本〜フィリピンを行き来する身としては、これを機にJAL同様に頑張ってもらい、もうちょっと料金を安くしてほしいものです。


2017年11月4日土曜日

両陛下、ドゥテルテ大統領と会見

我らがドゥテルテ大統領が、就任以来2回目の訪日を果たしました。以前ならば、フィリピンの大統領が日本に来ても、大したニュースにはならなかったでしょう。やっぱり良くも悪くも、彼は注目されてるんですね。見出しを見ると「暴言王」とか「犯罪バスター」とか、むちゃくちゃ書かれてるし。

今回訪日の目玉は、マニラ地下鉄建設に向けての約1045億円の円借款もさることながら、マスコミ受けしたのは、何と言っても天皇皇后両陛下との会見。昨年(2016年)にも予定されていたのが、三笠宮さま急逝のため、直前中止になっていました。

ドゥテルテ大統領と言えば、就任早々、当時のオバマ米大統領を「娼婦の息子」呼ばわり。最近では、EU(欧州連合)加盟国の在フィリピン大使を追い出すと脅迫。極め付けは、カトリック大国の国家元首の立場なのに、フランシスコ・ローマ法皇にまで悪態をつく始末。

何の後ろ盾もなく、破壊的なまでの行動力と、民衆の支持だけで大統領になったドゥテルテらしく、権力や権威に対しては過剰なほど敵対心剥き出しの態度を貫いてきました。そんなアウトローが、日本の皇室にはずいぶんと敬意を払っているようです。

先日公開された、両陛下に対面するドゥテルテ大統領の映像を見ると、校長先生を前にした悪ガキみたいに見えて、つい笑ってしまいました。着慣れないスーツが、全然板についてないのもご愛嬌。ネクタイ緩んでるぞ!



昔から多額の援助を受けている国の象徴に会うのだから、緊張するのも当たり前、と言ってしまえば身も蓋もないけれど、ドゥテルテ大統領に限らず一般のフィリピン人は、日本の皇室、というより、キングやエンペラーに、何となく憧れに近い感情を持っているのではないか? というのが私の推測。

スペイン以前のフィリピンは、島や地域毎に王が君臨していたそうです。冒険家にして侵略者だったマゼランを殺害し、一時的にせよスペインを撃退したラプラプも、そんな王の一人。ただ、高温多湿で元々遺物が残りにくい場所だったことに加えて、征服者のスペイン人が徹底的にイスラム文化を破壊したために、16世紀以前のことは、よく分からなくなってしまいました。

ロシアやフランスが国民の手で皇帝や国王を排除したのとは異なり、他国に奪われたフィリピン。そんな歴史的な背景があるので、同じアジアで、今も王室を持っている国に対しては、羨ましいと思う気持ちがあるらしい。これは、家内やその親戚、友達と話しをしていて、天皇の話題が出る度に、私が感じることです。

それに加えて今上天皇は、かつての激戦地に足を運ばれ、日本人だけでなく、その地で犠牲になったすべての人々の慰霊に勤められています。フィリピンにも昨年1月にお越しになったばかり。単に天皇だというだけではなく、会う人をして居を正しめるのは、陛下のお人柄によるところが大きかったのかも知れません。


2017年11月1日水曜日

万聖節商戦


今年も11月1日、万聖節(All Saints Day)が巡ってきました。昨夜は、相変わらず渋谷で終夜の仮装馬鹿騒ぎがあったそうで、これまた相変わらず翌朝のゴミの映像と、ボランティアの清掃活動の様子がネットにアップされています。

このブログで毎年書いているように、ハロウィンとは万聖節の宵祭り。ハロウィンがメインではなく、飽くまでも前座。でも日本で仮装に興じた人たちは、ほとんど翌日の万聖節の意味なんて、考えたこともないでしょう。カトリック信徒としては苦々しい思い。これはクリスマスイヴだけデートして、クリスマス当日に教会に行くでもなく、お祈りをするでもないのと同様、日本人の不思議なメンタリティの一部。まぁ仕方ないことだと諦めてます。

万聖節はちょっと古めかしい呼称で、現在日本のカトリック教会では、諸聖人の日という訳語が使われています。元々は、すべての聖人と殉教者を記念する日。そして翌日は万霊節。こちらは死者の日で、亡くなった人を偲ぶ。ここから転じてフィリピンでは、万聖節は死者の魂が故郷に戻る日とされ、日本のお盆と似て、帰省してお墓まいりするのが習わし。帰省ラッシュも起こります。

カトリックとは関係なかったハロウィンの仮装も、アメリカの影響を受けて、ここ最近はフィリピンでもずいぶんと派手に。もちろん大人が飲酒して騒ぐのではなく、子供たちのための行事。今年はたまたま、家内の友人を隣街バコロドのフェリー乗り場に送って行っての帰り、立ち寄ったショッピングモールで仮装大会が開催中。地方都市バコロドでも、ここまで大規模な催し物があるんですね。ちょっとびっくり。



さてその後は、家内の祖父母と今年6月に亡くなった叔父の眠る墓地へお参り。万聖節当日ではないので、それほどの混雑はなかったものの、やっぱり家族連れがちらほら。仮設のテントが張られている墓地も目につきました。これは、万聖節に故人の縁者が夜を徹して墓前に集うための準備。雨季なので、こういう備えも必要です。


そして、なぜか小瓶に入った塗料と絵筆を持った子供やオッちゃんたちも。これは、経年変化で薄れてしまった墓銘の描き直しサービス。レリーフ状に彫琢された文字に、墨入れをしてくれるわけです。最初は物乞いの類かと思ってしまいました。それにしても、どこにでも商売のチャンスはあるものですね。料金は100ペソ(約220円)。



考えてみれば、一度に親族が帰省すれば、とうぜんリユニオン(再会)パーティもあるだろうし、タクシーやジプニー(乗り合いバス)、トライシクル(輪タク)ドライバーの懐も潤う。さらには、墓地に設置するテントに、食事の宅配、献花などなど。これは万聖節商戦とも呼ぶべき、一大ビジネスチャンス。

もちろん日本でもお盆の時期は、人の移動が活発になるけれど、どちらかと言うと行楽シーズン。必ずしもみんなが墓参りするとは限らないし、ましてや墓場で夜明かしして、食べたり飲んだりする習慣はありません。


何かとお祭り騒ぎが好きなフィリピン人。この万聖節だけは異質で、少なくとも私たちの住むシライでは、花火を打ち上げたり、ディスコやカラオケは封印。この日の夜だけは、ろうそくの明かりの下で、静かに死者と向き合うのです。


我が家の祭壇にもろうそくが灯されました
写真は、義母と家内の友人、私の祖父母


2017年10月31日火曜日

不透明なビジネス環境


フィリピンで起業する日本人ビジネスマンの方々。学生寮や、タクシー会社の経営、中には地方で農業だったり養豚だったりと、私が見聞きした範囲だけでも、かなりの数の日本人が、様々な職種で頑張っておられます。

私がフィリピンと関わり始めた20年ほど前は、たまたま知り合ったフィリピン女性に、引っ張られるようにフィリピン暮らしを始めた人が、簡単にできそうだからとジプニー(ジープを改造した小型乗り合いバス)のオーナーになったものの、トラブル頻発で結局大損、なんて話をよく耳にしました。

これは、フィリピン社会を舐めてかかって失敗した典型的な例。さすがに最近は、そこまで軽率な人は減ったようです。マニラ首都圏で永年に渡り、多種多様な事業を手がけて、いまでは地元日本人社会の名士というべき人もいるし、フィリピンと日本を股にかけて、投資ビジネスで堅実に稼いでいる人も知っています。

それでも失敗する人も少なくない。特に私が難しいという印象を持つのが飲食店経営。まだ日本食が珍しかった頃ならともかく、今では高級レストランだけでなく、フードコートの中にでも、フィリピン人が経営するTAKOYAKIの店があるほど。よほど低価格でコストパフォーマンスが良いか、日本から本物の料理人を招聘して、超一流のメニューとサービスを提供するか、とにかく他に抜きん出た特長がないと、利益も出ないし長続きもしない。

都心の一等地に、鳴り物入りで派手にオープンした日本人経営のレストランが、瞬く間に閉店に追い込まれるのは、珍しことでもありません。もちろんこれは日本人に限らず、誰がやっても難しさは変わらないようです。

例えばネグロスの州都バコロドで実際あった話。十数年前、ちょうど私がネグロスに宅地を購入し、日本人の建築家に現地に来てもらい、自宅の設計プランを練り始めた頃。出来立ての日本食レストランがあると聞いて、その建築家の方と一緒にバコロドで最大のショッピングモール、SMシティへ。

日本人シェフの元、日本で研修を受けたというフィリピン人コックが作る料理は、多少高くても、私たちが食べてもまったく違和感なく美味しかった。特にバコロドチキンで有名な地鶏の卵と、これまた地元産の豚肉を使ったカツ丼の味は、ネグロスにいることを忘れるほど。

ところが翌年、店構え・メニューはそのままなのに、味は別物に変わり果てていました。どうやら利益を出せずに、居抜きでオーナーが変わった模様。日本食の看板は降ろさず、材料や調理方法でコストダウンして、味付けもローカルテーストに変えてしまったようです。超ガッカリ。その店は今でも同じ名前で続いていますが、日本人が期待する日本食ではなくなってしまい、その後2度と行くことなし。

また、フィリピン独特の難しさは、ビジネス環境の不透明さ。私も運転免許やビザの発給で嫌というほど知っている通り、あらゆる種類の許可や書類の発行に、恐ろしいほどの手間、時間、そして費用が必要。それも事前に分かっていることではなく、担当窓口によって言うことが違うし、露骨にワイロを要求される。そして困るのが時間が全然読めないこと。上司が休みだから出直せとか、急にルールが変わったなんてのは日常茶飯事です。

さらに商売を初めてからも、日本では予想もできないようなリスクが。つい最近、マニラ首都圏のマカティで、昔から営業している日本食レストランが多数入ったテナントビルが、実は10年以上も、政府に対しての不動産賃貸料などが5億ペソ以上も未払だったと理由で、突然閉鎖となる事件があったばかり。(詳細は、こちら。)

こういうところが、外資導入で発展したシンガポールやマレーシアとの、決定的な違いでしょう。手間や経費の面で優遇しますから、末長く我が国に雇用と納税を、というギブ&テイクが明確なのに対して、片やフィリピンは、外国籍経営者への規制が大きいし、取れる奴らからは徹底的に搾取の姿勢が露骨すぎます。結局労働力の安さぐらいしか魅力がない。いつまで経っても貧困層が多いままなのは、この辺りにも原因がありそう。

私の場合、一応デザインという専門能力や知識はあり、フィリピン市場向け商品も担当したとは言え、30年近く企業内のインハウスデザイナーの経験のみ。こんなレッドオーシャン真っ只中で仕事を立ち上げる自信は、まったくありませんでした。なので無職でも、そこそこの生活ができる目処が立ってから移住したというのが実際のところ。幸い家内が政府関係の仕事が得られたので、今はメイド付きの主夫として気楽な生活を送っています。

はっきり言って、ストレスから逃れてネグロスにたどり着いたのに、またぞろストレス渦巻くフィリピンでのビジネスに頭を突っ込むつもりは、毛頭ありませんでした。そういう目で見ると、果敢にもこの国で起業し、成功している人を見るにつけ、心から尊敬の念が湧いてきます。本当にすごい。到底真似できません。


2017年10月29日日曜日

アレルギー大国ニッポン


フェイスブックで知り合った、フィリピン在住の方や、かつてフィリピンに住んでおられた日本人のお友達。その複数の方が異口同音に、一時帰国すると鼻や喉の調子が悪くなるとか、国外にいた頃にはそんなにひどくなかった病状が、戻ってから悪化したとか。いわゆるアレルギーの症状が出るそうです。

実は私も中学生ぐらいまでは、花粉症持ち。当時は花粉症という言葉が一般的ではなく、アレルギー性の鼻炎とされ、原因も分かりませんでした。その後、潜在的な患者で自覚した人も含めて、花粉症患者がどっと増え、スギ花粉を始めとする発症のメカニズムが知られるようになり、花粉症は日本の国民病と言われるまでに。

私のアレルギー体質は、なぜか周囲が騒ぎ始めた頃には沈静化。それでも完治ではなかったようで、大掃除をして埃っぽい空気を吸ったり、黄砂の季節になったりすると、数日間の限定ながら、くしゃみ・鼻水・鼻づまりの発作。そして最初に書いたお友達のように、フィリピンに移住してからは、パッタリと発症しなくなりました。

これが日本人特有のことかと思いきや、フィリピン人の家内は日本在住時だけ花粉症患者。それだけではなく、お世話になったカトリック教会のスリランカ人の神父さまや、ドイツから来日して同じ職場に在籍していたデザイナーなど、明らかに花粉症とは縁のなかった人も、国籍や生まれた場所と関係なく同じ症状。そして帰国すると治る。

春先のスギ花粉の時期とは関係ない発症もある。薄々感付いている人もおられるように、これはやっぱり日本の国土そのもの、空気なのか水なのか、何かの問題があるような気がします。排ガス規制なんてどこ吹く風で、ジプニーやトラックが黒煙を上げて走り回っているフィリピンの方が、アレルギー物質が蔓延しているような気がしますが、そういうことでもないらしい。

ただ、ネグロスだけは年に数回サトウキビ収穫後に、全島が薄っすらと煙に包まれるほどの焼畑をするせいか、少数ながら煙アレルギー患者は存在します。症状は花粉症にそっくり。原因は明確で、他の地域では見られないので、日本の花粉症と同じなわけではありません。

さて、日本のアレルギー患者。重篤な人は、全身の皮膚に発疹や痒みが出たり、ちょっとマスクをしたぐらいではどうにもならないほど、くしゃみや鼻水が出たりで、日常生活に重大な支障が。以前勤めていた会社の上司の息子さんは、それが主たる理由でカナダに移住したと言います。出国した途端に治って、一時帰国で空港ロビーに着いた途端にぶり返す。何だか書いていて、恐ろしくなってきた。

このブログでは、国外に移住した者の視点で、日本の社会的な要因での住み難さを再三取り上げてきました。でもそれは、日本人の意識が変われば改善できること。ところがアレルギー性疾病に関しては、こうすれば解決できるという手段さえよく分からない。困ったことです。


【追記】その後この投稿へのコメントで、都市部の若い在留邦人の中には、フィリピン渡航後にアレルギー症状が出た人が多いとの情報が寄せられました。やっぱり一筋縄ではいかない問題なんですね。


2017年10月27日金曜日

私的フィリピン美女図鑑 日比カップル


前回の美女図鑑から、ずいぶんと間が空いてしまいました。今日のモデルはフィリピーナではありません。フィリピン在住なので無関係ではないけれど、日本人女性を描いたイラストです。

このブログの読者にして、シライ市内で働く在留邦人。しかも妙齢の美人さん。美女図鑑も結構気に入っているそうで、ぜひポートレートを描いてくださいとのご依頼。二つ返事で引き受けたという次第です。

このブログでも度々触れているように、フィリピンに渡航する日本人=ガールハントのオっさんという図式は、もうかなり陳腐化しています。まだまだそういう人も少なくはないし、別にそれを非難する気は毛頭なし。それでも、勉強や仕事で若い日本人がフィリピンに来てくれるのは、家族でフィリピンに住む者としては喜ばしい。

観光地としては決してポピュラーとは言えないネグロス島。さらに州都でもなければ、英語留学の施設があるわけでもないシライ市。正直に言って、移住前にこの場所で、若い日本人女性と知り合いになれるとは、想像もしていませんでした。

ところが物事は、やってみないと分からない。まるで家が建つのを待っていたかのように、NGO活動や各種のプロジェクトのために、数ヶ月〜数年単位でシライやバコロドに滞在する20〜30代の日本人が、入れ替わり立ち替わりで、我が家を訪ねてくれています。中にはこのブログを読んで、わざわざ連絡をくれる人も。

そんな若い世代の日本人の一人で、ポートレートのモデルになっていただいたYさん。職場がシライ市内という縁で、親子ほどの年齢差も気にせず、友達付き合いをしてくれています。

今回の依頼内容は、こちらで出会ったフィリピン男性の、ボーイフレンドとツーショット。彼も我が家に来たことがあります。それほど長くは話してませんが、たいへん真面目で几帳面な印象。なかなか端正な顔立ちの好青年です。こう書くと、まるで娘の交際相手を品定めする父親みたいですね。

ということで、イラストです。
服装はフィリピンの民族衣装で、背景はシライ沿岸に植林されたマンブローブ林。ご要望はとても明快。デザイナーだった頃から思うのは、こんな具合に求めるものがはっきりしていると、実に仕事がしやすい。参考写真を受け取って、少しチャットでやりとりする間に、最終イメージがすんなり頭の中に浮かびました。


ただ、衣装の細かい刺繍や、背景の溢れるような緑は、絵にする作業としては難物。こういうモチーフって、あんまり省略すると安っぽく見えるんですよ。結局2週間かかって、ようやく完成。おかげさまでYさんには喜んでいただき、ブログ掲載も快諾です。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
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タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び


家猫のチャコ美

前回の続きです。

犬と猫を飼い始めたけれど、人と動物の距離は、それなりに保ちたい。なので基本は外飼いで、部屋の中には入れないというルール。これは私も家内も同じ感覚だし、日本ではあり得ないような、裏庭だけで300平米という恵まれた環境もあり、数日前までは問題なく運用されてました。

ところが猫の出産によって、状況が一変。
この雌猫、元々が野良。天井裏に居ついてしまったネズミを追い出すため、時々我が家の庭に出没していたのを餌付けした個体。すでにもう1頭の雄猫が餌付けに成功していました。おそらく、そのパートナーだったのでしょう。

以前拾ってきて、たった数日で死んでしまった仔猫の名前がチャコ。その2代目と3代目なので、雄はチャコⅡ(ツー)、雌はチャコ美(3=み)と命名。しばらくして、警戒心の強いチャコⅡは、あまり寄り付かなくなりました。チャコ美は野良にしては、ずいぶんと人懐っこくて、いつの間にか朝と夜は、ほぼ毎日我が家で餌を食べに来るように。


野良猫のチャコ美。去勢手術など当然受けてないし、本能のままに妊娠。つい3ヶ月ほど前に我が家の庭で、4頭の仔猫を産みました。ところが、どうやら新米母猫だったようで、雨水が溜まる場所を巣に選んでしまい、2頭を数日で死なせてしまいました。そして、いつの間にか1頭になり、その生き残りも、最後に見た時はすっかり衰弱して動けない状態。結局4頭とも育たなかった模様。

そして性懲りもなくまた妊娠して、2頭の仔猫を産み落としたのが、5日前の日曜日。日本では衆議院選挙の投票があった日でした。

前回の子育て失敗で少しは学習したのか、今度は別の場所を巣にしようと、庭のあちこちを生まれたての仔猫を咥えて徘徊するチャコ美。どうするのか見ていたら、庭にある東屋のテーブルの上に放置。案の定、赤ちゃんは落っこちて、タイルの床でミーミー。

その次に仔猫を連れ込んだのは、何と私の愛車トヨタ・アバンザのエンジンルーム。ガレージから鳴き声がして、車体の下を覗き込んでも姿なし。ボンネットを開けると隅っこに猫家族。これではエンジンをかけたら、仔猫の蒸し焼きかミンチができてしまう。

何度仔猫を外に出しても、チャコ美は余程ここが気に入ったのか、すぐに元に戻す。これが真夏だったら、多分こんなに暑い場所は選ばなかったんでしょうけど、季節は雨季。朝から雨だと、仔猫の体温を奪うには十分なほど気温が下がります。何回かイタチごっこの末、とうとう根負けして家の中に引き取ること。

赤いプラスティックの洗面器に、家内の古着を敷いて仔猫を寝かせました。しばらくは不満げなチャコ美でしたが、夜には母子揃って「猫鍋」状態。安心して授乳開始。まるでチャコ美と仔猫たちのために誂えたかのように、ぴったりサイズ。


これで一安心と思ったのは早計で、翌日からはチャコ美の野生の血が覚醒。十分餌をやっているのに、食事中の家内の目の前で、お皿から煮魚を掻っ払い。ちょっと目を離すと、暗くて狭い場所を求めて、すぐに仔猫たちをお引っ越し。クローゼットから服を出そうとして「ビックリ」が、2回ありました。


そんなわけで、個室は開けっ放しが基本の我が家だったのに、ドアを閉めるのがディフォルトに。いくら雨季でも、蒸し暑くって仕方がない。家内は怒って「ケージに入れろ」と怒鳴り出す始末。まだ目も開かない仔猫に免じて、なんとか1ヶ月の期限付きということで、その場は収まりました。やれやれ。


その後フェイスブックに仔猫の写真をアップしたら、フィリピン人の友達からは、屋根裏にネズミが入って困ってるから、乳離れしたら1頭ちょうだいとオファー。それは結構な話なんですが、まずはちゃんと育ってくれるでしょうか。チャコ美よ、応援してるから、今度は死なせずに頑張ってくれよ。


2017年10月25日水曜日

ペットとの距離感

突如として犬と猫を飼い始めてから、外を歩いていても他家の動物たちが気になって仕方がありません。私が見たことがある民家は、フィリピンでも、ほとんどここネグロスばかり。その限られた経験で言うと、日本よりも家畜との距離がずいぶんと近い。

一番ポピュラーな犬の場合、飼い犬でも家の前で放し飼い状態が多く、番犬用のでっかいジャーマンシェパードとかでもない限り、鎖で繋がれたりしているのは、あまり見ません。野良犬もたくさんなので、もうどれが飼い犬でどれが野良なのか、判別不可能のカオス状態。また優しい飼い主さんが博愛精神全開で、集まる犬全部に餌を上げたり。

家の敷地内だと、よく見るのがガレージで飼われているケース。こちらで一戸建て住宅は、ガレージ付きが当たり前。日本のように自宅から離れた場所に、駐車場を借りるなんて、少なくともシライ市内ではないんじゃないか? もし夜間、自動車をそんな置き方をすれば、車上荒らしはもちろん、車そのものを盗まれるのは確実。

ガレージと言っても、完全に居住空間と分離しているわけではなく、大抵その脇にベンチや小さなテーブルを置いて、夕涼みしたり、ちょっとした来客時に話し込んだり。そうなると、飼い主かお客さんかに関係なく、犬がじゃれついてきます。

実は我が家も、しばらく前まではそんな状態。家のリノベーションで打ち合わせしてる最中など、見知らぬ人に大興奮した飼い犬のゴマ。大工さんの足を舐めまくって、話にならず、仕方なくケージに放り込みました。すると今度は、話し声が聴き取れないほどのキャン鳴き。


私も家内も、犬猫に鶏まで飼っているぐらいなので、動物嫌いではないけれど、家の中には入れたくない。ソファやベッドに上げて、ペットを抱きしめたりする感覚は、ちょっと理解できないタイプ。もちろん、そういう接し方が好きな人を批判はしません。人それぞれ。

なので、ゴマも一番手のかかる時期は過ぎたようだし、そろそろもう少し距離を取ろうかと考えていた矢先。それまで糞は裏庭の土の上にしていたのが、長雨で庭に出られず、ガレージのタイルの上に粗相。それをゴマが見ている前で、水洗いしたのがいけなかったらしい。タイルの上に糞をすれば、飼い主に構ってもらえると、間違った学習をしてしまいました。

それ以来、雨じゃなくてもガレージ内に糞尿垂れ流し。さらに手に負えないことに、一箇所ではなくバラ撒き状態。急遽、ガレージと裏庭をつなぐ通路に、角材と竹で扉を作ってもらいました。自動車2台が駐車できる、広いプレイグランドから締め出されたゴマ。少々可哀想ですが、致し方なし。



そんなわけで、我が家では人とペットの距離感は、適度に保たれています...と格好よく締めくくるはずが、何と数日前から、猫を家の中で飼う羽目に陥ってしまいました。長くなりそうなので、猫編は次回に投稿します。


2017年10月22日日曜日

日本グルメは生きづらい

「文明」と「文化」はどう違うか。日常生活の会話で、そう頻繁に使う言葉ではないし、きちんと定義を意識することはあまりないかも知れません。ネットのブリタニカ国際大百科事典で調べても、ずいぶん難しそうな書きようで、イマイチよく分からない。

私にとって一番分かりやすかったのは、辞書や事典ではなく、司馬遼太郎さんが戦時下のベトナムについて綴った著書「人間の集団について」での記述。それによると、文明には普遍性があり、誰でも無条件に参加できるのに対して、文化には、それを育んだ国や地域の住民以外の参加が難しい、とのこと。

典型的な文明の産物は武器。銃器を使えば、世界中どの民族に属していようが、年齢・性別・宗教に関係なく、他人を殺傷できてしまう。もう少し穏当な例がジーンズ。19世紀のアメリカで現在の形のものが考案されたという、デニム生地のズボン。誰が身につけても格好よく見えるし、丈夫で動きやすい。冷戦当時の、アメリカと敵対していたソ連の若者にすら好まれたそうです。つまり人も場所も選ばない普遍的で合理的なもの。

これに対して文化は、非合理的で普遍性がない。例えば、襖を足で開けないとか、畳の縁を踏まないと言った類のこと。司馬さんによると、日本はたいへんな重文化の国。確かにそうでしょうね。日本人として育った私ですら、敬語や丁寧表現に始まって、親戚付き合いや職場での上下関係、冠婚葬祭の決まり事などなど、本当に息苦しくて仕方なかった。

文明と文化の差は、どれだけ多くの人を経由して、洗練されたかどうか。例えば「寿司」。もともと鮒鮨(ふなずし)とか熟鮓(なれずし)と呼ばれた一種の発酵食品だったもの。江戸時代に、食べやすくアレンジされた握り寿司が登場してから、日本中に広まりました。


さらに1980年代、カリフォルニアでSushiブームが起こったことが発端で、今や寿司は、代表的な日本料理として世界中で認知。これは、ごく限られた地域の文化だった寿司が、まず日本国内で洗練され、健康志向の流行に乗って、文明レベルに昇華した例。

こう書くと、合理的な文明に囲まれていた方が、生きやすいように思えます。ところが、なんでも理詰めでは、今度は寒々しく感じてしまうのが人間の不思議さ。フィリピンに住んでいても、やっぱり年末には大掃除をして、正月には雑煮が食べたいし、子供には「いただきます」「ごちそうさま」を言うように躾けてます。

特に食事。「食文化」という言葉に象徴されるように、食材選びや調理方法、食べ方の作法ほど、その国や地方の文化が色濃く反映される事柄もないでしょう。突き詰めれば、何を美味しく感じるかは、文化によってかなり違う。これは生まれ育った環境で刷り込まれてしまうので、成人してからは、そう簡単に変えられません。

ずいぶん長い前振りになりましたが、ここからが今日のポイント。

フィリピンの在留邦人は、最近でこそ若くて順応力がある年代が増えたものの、永住者は、私と同世代か歳上の男性が多数派。好奇心も柔軟性もかなり擦り切れた人が多い。和食回帰しがちな年齢層なので、フィリピン料理が嫌い、受け付けないという話を時々聞きます。

私もフィリピン料理を毛嫌いするわけではないけれど、毎日の食事には、日本的な献立も欲しい。なので、やや割高な食材や輸入品の調味料も使っています。アドボやチョプスイなど、地元スタイルの料理を作っても、やっぱり日本風の味付けに。

だからと言って「こいつらは、美味いものを食べたことがないから、味が分からない」とか「こんなものを食ってるから、早死にする」と罵詈雑言を吐くのは、フィリピン食文化への侮辱。これはちょっと許せません。別に、フィリピン政府に頼まれて移住したわけでもなし、住まわせてもらってる国に敬意を払えないのなら、早々に帰国しろと言いたい。

何かにつけ日本と外国を比べて優劣をつけたがるのは、一部の日本人の悪い癖。大抵の場合、それは単なる違いでしかない。料理の味付けなんて、母国の味、もっと言えば子供の頃に食べたものが、誰だって好ましいに決まってます。バロット(孵化寸前の茹で卵)が苦手な日本人がいるのと同様、納豆に生理的嫌悪を感じるフィリピン人がいる。単なる慣れの問題。私だったら「ほっとけ!」と怒鳴りつけるでしょう。

結局のところ、海外移住=異文化の中で暮らすことなのに、そこで現地の料理を頭から拒否するのは、ただ好き嫌いが多いことにしかなりません。いくらグルメを気取っても、食費は高くつくし、ストレスは溜まる。自分で自分を生きづらくしてるだけだと思うんですけどねぇ。


2017年10月20日金曜日

そしてアラ還


「アラカン」と聞いた時、鞍馬天狗の映画俳優がなんで今頃出てくんの、と思ってしまいました。これが分かる人は、少なくとも私と同世代か、それ以上。知らない若者は「嵐寛寿郎」でググってみてください。

当然、最近言われるアラカンは、嵐寛寿郎さんの愛称ではなく、アラウンド還暦。つまり60歳前後。アラサー、アラフォー、アラフィフまでは分かります。60だとアラシクスか? 言いにくいなと思ったら、こんな言い方を考えた人がいるんですね。ちっとも知りませんでした。

かく言う私が、この10月の初めに55歳に到達。四捨五入したら60歳のアラ還になりました。それにしても、この無自覚ぶりはどうでしょう。私が子供の頃、本家本元のアラカンさんが、まだ存命だった時期には、60歳と言えばもう完全に老人。30代にもなれば堂々たる大人だし、40歳は文字通りの不惑。50を過ぎれば初老と言われたものです。

ところが、体力的にあまり衰えを感じないせいか、いまだに30代の後半か40そこそこのような気がしています。太るわけでもなく禿げるわけでもない。微妙に白髪が増えたのと、近くのものが見えにくくなったぐらいでしょうか。特に50歳でフィリピンに移住後、日本でのストレス満載の勤め人生活とおさらばしてからは、食事は旨いし、あれほど頑固だった不眠に悩まされることがなくなりました。

もちろん本当の30代に比べれば、あらゆる面で老化は進んでいるんでしょうけど、「ガクッ」という落ち方でもない。やはり昔に比べると平均寿命は延びてるし、個人差はあっても、全体的に老けるのが遅くなってきたのかも知れません。私の場合は、頭の中もガキのままという気もします。

さて、フィリピンでの60歳。中国系の住民でもなければ、干支や十二支なんて意識しないでしょうから「赤いちゃんちゃんこ」の還暦祝いはありません。しかし60歳はこの国でも、リタイアする人が多い。また10年毎の誕生日祝いは、特に盛大にする習慣もあって、こちらでも大掛かりなパーティをするのが一般的。

フィリピン人が60歳前後にもなれば、大抵の人がそれ相応の外見になるようです。ただし歳を取っても、家族や友達に囲まれて、孫が何人もいるのが当たり前のお国柄。孤独だったり、気難しい人は多くない印象。老人ばかりが集まる光景も、あまり見かけないですね。

だからと言って、フィリピンのお年寄りが、一概に日本より幸福だと考えるのも短絡的。相対的に医療費が高額なこともあり、平均寿命は2015年現在で69歳(!)。医療的なケアという点では、恵まれているとは言えません。そう言えば、お隣の私と同い年の旦那さんは、昨年心臓発作で亡くなりました。

ところで、私の還暦までは5年ありますが、この12月に、家内の元同僚の女性が60歳の誕生日を迎えます。ご主人は大学の教授で、日頃から海外旅行を楽しんだりする富裕層。当然60歳のお祝いも盛大にやるらしく、半年近くも前から、家内を含めた友人一同に告知がありました。

ということで、自分の時のための視察も兼ねて、隣島パナイへ家族で出かけることに。このブログでもその様子を報告したいと思います。


2017年10月18日水曜日

物よりも知恵の支援を


国内では、あまり知られていないようですが、日本はフィリピンへのODA(政府開発援助 Official Development Assistance)でダントツのナンバー1。どれぐらいかというと、例えば今年(2017年)の1〜6月の支援額が、約5400億円なんだそうです。

2020年東京オリンピックでは、仮設会場の整備費用が当初見積もりの4倍近い、3000億円に膨れ上がったと騒いでいますが、それを上回る税金が、半年でフィリピに注ぎ込まれたことになります。

もちろんこれは融資。タダでお金を上げているわけではありません。しかし、金利は年0.1%の40年償還という条件。フィリピン・インサイドニュースの記事では、借り手のフィリピン政府からすると、この間の物価上昇を勘案すれば、実質的には儲けになっていると指摘されています。

日本のODAで建設されたものは、私が知っているだけでも、ここネグロス島シライ市のバコロド・シライ空港や、隣島パナイのイロイロ空港。ニノイ・アキノ・マニラ国際空港の第二ターミナル。セブとマクタンの海峡にかかる架橋など。最近では、このブログでも取り上げた、マニラの地下鉄プロジェクトも。

こうした気前の良さが、フィリピンでの対日感情に良い影響を与えているのは間違いない。フィリピン在留邦人もその恩恵に浴しているわけだし、先の大戦で日本がフィリピンに与えた被害の大きさを思えば、フィリピンに住んでいる私が、これを批判するべきではないでしょう。

とは言え、いくら政治的な思惑があっても、いささか常軌を逸した金額。まるで、タチの悪い商売女の色香に迷って、湯水のように金を貢ぐオっさんのようです。それなら、フィリピン女性と結婚して、その女性名義で土地を買い家を建てた私には、いよいよ批判する資格はないですが...。

金額もさることながら、JICAの作成した資料によると、ODAの内訳は、輸送インフラや水害対策など、物的支援にかなり偏っているのがわかります。4年前のヨランダ台風の被災時の緊急支援のようなケースでは、食料や医薬品、衣料が主体になるのは当然としても、ず〜っと箱物寄りというのは、いかがなものか。

民間でも、古着や中古自転車を、フィリピンの貧しい人たちに送り届けるといった活動があります。対費用効果を考えたら、現地で新品の服や自転車を購入した方が、はるかに効率的。それでもこの活動を通して、日本人にフィリピンの貧困の現実を知らしめるのが目的ということらしい。(日本でも貧困が問題になっているというのに)

それが無意味とは言いません。しかし、わずかな量の中古品ぐらいでは、砂漠にバケツで水まいているようなもの。同じお金を使うんだったら、他にやり方はいくらでもあると思いますよ。本当にそれを必要としている人に届くかどうかも不透明だし、受け取った子供の親が売っ払って、違法薬物購入のお金になってることも考えられる。悲しいことに、それがフィリピンの現実。

その点、昨年までの3年間、ここシライ市内で、日本のNPO法人 森は海の恋人 が行った活動には感心しました。簡単に言うと、環境問題を子供に教えるための、知識やスキルを持った教師の育成プログラム。まさしく物よりも知恵の支援。家内もセクレタリー兼通訳として参加しました。

地味で、遠回りな支援。森は海の恋人の日本人マネージャーも、即効性を求めるなら、日本企業を誘致して雇用を増やす方がいいとの意見。それでも長期の視点に立てば、教育に勝る支援は、ないのかも知れません。

物や食料を与えてもその場しのぎにしかならず、かえって依頼心を植え付けるだけ。助けになるどころか、悪い影響が出ることすらあります。川を渡れずに困っている人がいるなら、橋を作ってあげればいい。でも橋が壊れたり、老朽化したらどうする? 未来永劫ずっと助けることはできないのだから、川の渡り方を教えるのが、結局は一番いい方法だということでしょう。

2017年10月16日月曜日

前日に決まる休日


今日、2017年10月16日(月)は突然のお休み。フィリピン全土の公立・私立の学校と、政府機関の仕事はすべて休業。理由は、交通機関(乗り合いバスのジプニー)のストライキ。ストだから休みにするというのもすごいですが、もっとすごいのは大統領令による通達があったのが前日の日曜日。

フィリピンでは、突然、休日や祝日が決まるのは、それほど珍しくはありません。移住して4年半の経験では、平均すると年に2〜3回はある感じ。イスラム関連の祝日だったり、前年までは休日ではなかった「ティーチャーズ・デイ」をその年だけ休みにしたり。恣意的な運用と言われても仕方がない唐突さ。それにしても前日に発表というのは、初めて聞きました。

慣例的なやり方を、どんどんぶっ壊しているドゥテルテ大統領も、休日や祝日の決め方に関しては、あまり変える気がないようです。

日本で急に学校が休みとなったら、共働きの親は困るでしょうね。頼れる親戚も友達もいなくて、仕方なくどちらかが会社を休まないといけなくなったり。ものすごい抗議が殺到しそう。

フィリピンでも困る人はいるでしょうけど、ここネグロス島シライ市では、あまりそんな話を聞いたことがない。祖父母と同居は多いし、昼間からブラブラしてる大人もたくさん。隣近所に子供を預けるのも、日本よりはるかにハードルが低い。

また子連れ出勤も、職場によっては、さほど奇異な行動とも思われません。以前、週一で雇っていた通いのメイドさんは、時々孫娘を連れてきてました。家内もまったく問題視せず。

家内が勤務する、教育省の出先機関にしても、私や息子が急に訪ねていっても、守衛さんが止めるわけでもなく、上司が見咎めることもない。事情があって終日事務所に子供が一緒にいても、仕事さえちゃんとすれば、誰も苦情を言わないでしょうね。

本当に困るのは、急に休日扱いになった場合の経営者。レストランや小売業など、平日で通常営業のつもりが、突如として休日手当を支給しなければなりません。かと言って、休日の書き入れ時に店を閉めてしまうと、損失は大きい。これは痛い。

さて、今回の突然の休校。連絡は学校からではなく、フェイスブックのグループ経由。息子の通う私立小学校は、保護者有志が学年毎にFB内にグループを運営していて、何か連絡事項があれば、ここでシェア。


グループでシェアされた記事
スマホ画面のスクリーンショット
というのもフィリピンらしい大雑把さ

フェイスブック利用率が、世界でも最高レベルのフィリピンらしい。家内に訊くと、特に連絡網みたいなものは決めておらず、フェイスブックが普及する前は、もっぱらママ友、パパ友の口コミだったようです。規則でガチガチ、息が詰まりそうな日本の学校事情と比べると、あまりのユルさ加減に笑いそう。

ということで、3連休となった息子は、朝からリラックス。ところが本来なら当然休みになるはず家内は、今日から2泊の隣島パナイへの業務出張予定。これは50名以上が参加するセミナーの開催だそうで、今更ホテルや会場のキャンセルもできず、朝5時台のフェリーで出かけました。こういうフィリピン人もいるんですよ。ご苦労さんなことです。


2017年10月15日日曜日

英語落語、フィリピンへ


2週間ほど前(2017.10/6)のことになります。落語家の桂かい枝さんが、マニラ首都圏のマカティで英語落語の公演を行いました。フィリピンでの公演は今年2月に続いて2回目。

かい枝さんは、もう20年来、英語落語に取り組んでいて、日本にいる時は、私も家内と一緒にかい枝さんの英語落語を聞きにいったことがあります。落語を英語で演じるのは、桂枝雀さんを始めとして、何人かの方がおられます。

かい枝さんのマニラ公演のニュースをネットで見て、ちょっと調べてみたら、全米を半年かけて回ったり、東南アジア諸国やオーストラリアなど15カ国で英語落語を披露されているそうです。すごいですね。

日本語を解さない人に落語の面白さを分かってもらうのが、英語落語の本来の目的。でも私のような多少英語を聴きかじった程度の者でも、楽しく聴くことができます。教科書には絶対出てこないような超関西的な口語表現を、実に巧妙に英語で語る様は、たいへんためになる。聴いたらすぐに、家内やその友達との会話で試してみたり。

ただ表面的に英訳しているのではなく、落語の真髄を体で知っている落語家自身の言葉。本当に「なるほどなぁ〜。」と感心することしきり。しかも関西訛りの英語なので、聞き取りは100パーセント完璧にできます。おそらく、日本人の前で演じる時は、かなりの配慮もされているんでしょう。

元々落語が大好きだった私。特に桂米朝さんと、その門下の枝雀さん、吉朝さんは、よく寄席に行ったり、CD化された噺を聴いたりしました。吉朝さんは落語だけでなく、作家の中島らもさん主催の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の役者としても大ファン。とても残念なことに、らもさんも含めて、みんな鬼籍に入ってしまわれましたね。

実は、かい枝さん、高校の後輩。私と同じ兵庫県尼崎市の出身で、尼崎北高等学校(通称、尼北)を卒業されたそうです。私より7つも若いので、在学中の接点はまったくないけれど、やっぱり少しでも縁のある人がフィリピンでも活躍されると聞くと、嬉しくなります。

そういうことなので、もう少し前に知っていれば、ぜひ聴きに行きたかった。数日前に思い立って、マニラ行きを決められるほど、身軽でなくなった身上。こういう情報って、直前にならないと、中々入ってきません。ネグロス田舎暮らしの不便さとも言えるでしょう。これを教訓(?)に、フェイスブックでかい枝さんの追っかけをすることに。50代半ばをすぎたオっさんに追っかけられても、嬉しくもないだろうと思いますが...。

次回フィリピンに来られる機会がありましたら、マニラやセブばかりではなく、是非ネグロス島の州都バコロド辺りに来ていただきたい。とは言えさすがにたった人口50万の地方都市では集客が難しいし、スポンサーもつかないでしょう。日本人もあんまりいないし。

英語落語を生で聴くのは、しばらく先になるかも知れませんが、次のチャンスは逃さないよう、アンテナを張っておきたいと思います。


2017年10月13日金曜日

私的フィリピン美女図鑑 スーパーの警備員 再び


今日の美女図鑑は、以前の作品「スーパーの警備員」の描き直し。

本当は、気になる箇所を少し修正して、元の投稿のイラストだけ差し替えておこうと思ってました。ところが、いざ手をつけてみると、ここも気になる、あそこも直したい。そっちがそう変わったら他も整合性が取れない...てな具合で、芋づる式にどんどん修正箇所が拡大。気が付いたら、画面の基本構成からすっかり別物になってしまいました。

そんな経緯で、投稿もやり直すことに。

これが手描きの水彩作品だったら、ここまでの手直しはできなかったでしょう。油画の場合は、厚塗りをすれば下絵を隠すこともできるので、完全描き替えもできます。高校の美術部にいた頃は、先輩が放置していった使用済みのキャンパスを、上塗りして自分の絵を描いたこともありましたね。

デジタルのイラストでは、元のデータをそのまま残して、かなり初期の段階から描き直しができるので、たいへん便利。ただし、各部分をきちんとレイヤー別に分けておくことが重要。これをいい加減にして、詳細まで描き込んだ部分をごっちゃにすると、それこそオモチャ箱をひっくり返したようになって、収拾がつかなくなります。

今回はいい機会なので、どういう手順で描いたかを、プロセスを追ってご紹介します。

まず、人物。
当初のポーズやアングルはそのままで、詳細だけ追加しようという意図。ところがどう見直しても無理そうなので、人物は総入れ替え。顔の表情を描いて、頭髪、全体のプロポーションと進めていきます。


リアルに表現する場合は、陰影の描写がとても重要。元写真を減色して、陰影の段階を分解し、それをグラデーションに置き換える。このプロセスは、細くやればいくらでもできてしまうので、止め時の見極めが難しいところです。

 

着衣のベースが完成したら、ネクタイやベルト、ワッペンなどのアクセサリー類。衣服のような曖昧さが少ないので、工業デザインで培ったテクニックが活かせるところ。私としては、一番楽しんで描けるプロセスでもあります。

次に背景。
元絵で描き起こしたスーパーの正面図と後ろの雲は、ほぼそのままで、スケールを変更して使用。空いたスペースを埋めるために、やっぱり別の要素が必要なようです。


そこで思いついたのが、人物のアクセサリーに多用されたイエロー。スーパーの看板にも同系色があるので、全体をイエローで包むイメージが頭に浮かびました。モデルの女性も、とてもボーイッシュで、女性っぽさを強調するような赤とかピンクより、イエローの方が似つかわしい。私が子供の頃に流行った「ひまわり娘」という歌を思い出しました。

選んだモチーフは、そのひまわりと、フィリピンでは庭木によく用いられるイエローベル。我が家の裏庭にも一株植わってます。


そして完成品がこれ。
ずいぶん健康的なイラストになりましたね。1枚大きくプリントアウトして額に入れて、モデルのお嬢さんにプレゼントしてもいいぐらい。今日は思いがけず、フィリピン美女図鑑の裏舞台紹介になりました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ