2017年9月20日水曜日

ネグロスで聴くユーミン


昨日の投稿でアップしたオフィレニア5人姉妹のイラスト。このシリーズとしては、マニラ・ガール以来となる気合の入れようで、2週間以上も、生活のかなりの時間をイラスト描きに費やしました。勤め人だった頃を思い出すほどの勢い。

勤め人と言っても、営業や事務ではなくデザイン職。40歳過ぎても管理職になるでもなく、28年間ずっとデザインの現場にいました。プレゼンテーションやミーティングを除けば、結構地味で孤独な作業が多い仕事。なので、アイデア発想やスケッチ、図面を描く時は、ヘッドフォンで音楽。企業内でもこれが許されるのは、デザイン職能の良さだったのかも。

考えてみれば、芸大でデザインの勉強してた頃から、このスタイルでした。1980年代当時は、スマホもiPodもなく、ウォークマンが出始めた時期。多分私たちが、最初にヘッドフォン付けて街を歩いた世代。難聴になるとか脳に良くないとか、いろいろ言われましたね。



愛用していたウォークマン(赤)
出典:The Walkman Archive

久しぶりにガッツリ作業で、朝から作業用に流していたのが、他でもないユーミンの曲。おそらくネグロス島内で現在ユーミン聴いてるのは、私一人じゃないかと思います。

実は私、中学生の頃からのユーミンファン。初めてお小遣いで買ったLPレコード(CDじゃないですよ!)が、デビューアルバムの「ひこうき雲」。意識して聴き始めたのは「あの日に帰りたい」や「ルージュの伝言」がヒットしてからなので、1975年頃から。

そんな草創期からのファンなので、いまだにユーミンというと私にとっては、松任谷ではなく、荒井由美さんの方がしっくりきます。レコードはあんまり針を落とすと傷むからと、カセットテープにダビングしてテープが擦り切れるまで聴いたのは、「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルト・アワー」「ユーミンブランド」「14番目の月」辺りまで。

その後、レコードからCDの時代に移っても、アルバムは買い続けました。でも一番多感な時期を過ぎたせいか、全曲の歌詞を暗記するような聴き方はしなくなり、1987年の「ダイアモンドダストが消えぬまに」で、一旦ユーミンの音楽を卒業。

それでも、約15年間のアルバム20枚186曲。プレイリストにすると13時間を超えるボリューム。オイルショックからバブルまで、私にとっては中学生から社会人になるまでの、まさに青春時代のBGM。

作業に熱中すると、音楽の存在は忘れるものの、ちょっと一段落ついた瞬間にかかっている曲で、昔のことを思い出してしまいます。ユーミンは、ほとんど全部が恋愛の歌。やっぱり目に浮かぶのは、中学や高校で片思いだった子や、大学で付き合っていた子、さらには別れたしまった女性のこと。いろいろありましたね。

特に80年代後半の頃は、CMや「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに使われていた曲があって、私にとっては、まさにバブルを代表するサウンド。一緒にスキーに行った、人事部の女の子とか、今頃どうしてるかなぁ。

それにしてもこの時代には、電話や手紙がとっても大事な恋愛アイテム。ガラケー時代すら過去になり、今ではLINEやSNSがコミュニケーションの主流。私が知らないだけで、ラブソングの歌詞もそちらにシフトしてると思います。今の高校生が荒井由美の歌を聴いたら、どんな風に感じるんでしょう。(と書いてから思い出しましたが、「やさしさに包まれたなら」や「ひこうき雲」はジブリ映画に使われてましたね。)

今日はフィリピンとはあまり関係のない、ユーミンの思い出話でした。


2017年9月19日火曜日

私的フィリピン美女図鑑 オフィレニア5人姉妹


たいへんお待たせしました。2週間ぶりの美女図鑑です。
やる気をなくしたのではなく、サボっていた訳でもありません。今回のお題は5人姉妹。5人描いたので、単純に作業量が多くなってしまいました。

家内の従妹の5人。彼女たちのことは、2年前にこのブログで取り上げたことがあります。その時は姉妹の容姿のことではなく、父親、つまり家内の叔父の急逝について。以前から読んでいただいている方は、ご記憶にあるかも。

享年69歳の父親、パパ・ボーイことフルバート・オフィレニアさん。かなりのプレイボーイだったそうです。実は5人姉妹以外に、母親が違う子供が3人いて、すでに孫まで。そして5人姉妹の長女・ディアンと次女ドリーは、後妻さんの連れ子。三女・ダリア、四女・ミニー、五女・ダリルはパパ・ボーイの実子という、少々複雑なことに。

葬儀の様子は、なかなかスリリングな展開だったので、興味のある方は読んでみてください。

イースター、そして通夜の始まり
棺の前の修羅場
出て行け〜
家を壊すということ
コメディな人たち

とまぁ家族構成はともかく、この5人姉妹、揃いも揃って魅力的。若い頃は散々悪さをしたパパ・ボーイは、娘たちが心配で仕方ない。ちょっとでも帰宅が遅くなると、玄関先で待っていたそうです。25歳のディアンを筆頭に、末っ子のダリルはまだ12歳。子供5人は珍しくないフィリピンでも、5人とも女の子というのは、あんまり聞きませんね。

さて、イラストのお話。
かなり以前から構想は練っていた、オフィレニア5人姉妹のイラスト。5人なので、ゴレンジャー...と言うと何とも安直ですが、ゴレンジャーはフィリピンでも人気なんですよ。もっとも日本製の特撮ではなく、アメリカでリメークされたパワーレンジャー。こちらは1色増えたりしてますが...。


出典:IGN.com

もちろんパワーレンジャーのコスチュームを着せるのではなく、5色展開をうまく使えないかな、と試行錯誤。途中からアルフォンス・ミュシャのポスター風にもしたいとか、いろいろ考えてしまい、どんどん深みにハマることに。


そんな紆余曲折を経て出来た絵は、我ながらすいぶん少女趣味な作品。ミュシャというより、若草物語? 一度に、こんなにたくさんの花を描いたのも、たぶん初めて。ちなみにこのイラスト、パソコンで描画しておりまして、データ量が大きくなり過ぎて、JPEGに書き出すのに、今までにないほどの時間がかかりました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット


2017年9月17日日曜日

活躍する日は来なくてもいい


今年(2017年)5月にフィリピン・ミンダナオ島のマラウイ市で、政府軍とイスラム系過激派との軍事衝突より、戒厳令が布告。その後、12月末まで戒厳令の期間延長がフィリピン議会に承認され、4ヶ月が経過した現在の死者数は、過激派660名、政府軍兵士145名、一般市民45名の合計850名となっています。(9/13付け日経の記事による)

日本に住んでいる人にとっては、遠い国の戦争。ところが、フィリピン国内に住む私たちにとっては、たとえ戦闘地域ではなくても、とても生々しく感じられます。それは、テレビのニュースで、政府軍の戦死者の情報が詳しく報道されるから。

家族で夕食を囲む、午後7時前後。亡くなった兵士の顔写真が一人づつ紹介され、それに続き、葬儀で嘆き悲しむ家族の様子が、テレビに映し出されます。フィリピンのテレビ局は、こういう内容の映像にBGMをつけるのが一般的。息子と一緒に見ていると、ちょっと勘弁してくれよ、という気分。

これが、戦時下の国の現実。たいへん幸いなことに、私の生まれ育った日本では、1945年の敗戦以来、一度としてこのような事態になったことはありません。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と謳った憲法下で創設された自衛隊。私には、どう考えても自衛隊は「戦力」にしか思えないけれど、これまた幸いにして、その戦力を行使することなく、現在に至っています。

ここ最近、きな臭い雰囲気が満ちてきた日本周辺。新しい憲法解釈で、自衛隊の海外派遣が可能になったり、北朝鮮の軍事挑発が露骨になってきて、一つ間違えば、日本でも7時のニュースで、戦死した自衛隊員の追悼報道が流されることに、なりかねない情勢。

年齢的に、私はもう兵士として前線に駆り出されることは考えにくい。こうなると、やはり気になるのは小学生の息子の将来。今後、日本・フィリピン、どちらの国籍を選ぶにしても「お国のために名誉の戦死」なんてことにだけは、絶対になってほしくない。まさに「君、死に給うことなかれ」*の心境です。

そんな時に思い出されるのが、27年前に麗美が歌った「走るそよ風たちへ」という歌。1980年代、学園祭の女王と呼ばれて、たいへん人気のあったシンガーソングライターの麗美(れいみ/Reimy)。私も何枚かCDを買って、フィリピン移住後も、スマホに入れて時々聴いています。最近まで知らなかったのですが、この人、フィリピン人のお父さんと日本人のお母さんを持つ、ハーフだったんですね。私より3歳若いだけのほぼ同年代。

沖縄生まれの麗美さん、1985年、横須賀にある陸上自衛隊関連学校の学園祭で歌ったことがきっかけで、その5年後に自衛隊員を目指す学生に捧げる歌をリリースしました。これが「走るそよ風たちへ」。日本のポップソングとしては異例とも言える歌詞。いわゆる「反戦歌」ではありませんが、祖国を守るために集う若者たちに対する、何とも切ない思いが託された良い歌です。


特に終盤の「活躍する日は、来なくてもいい」という一節が胸を打ちます。そうなんですよ。兵士が活躍するということは、その兵士が傷ついたり、命を奪われたりすることに他なりません。当たり前のことだけれど、死んだ兵士の母が、父が、子供の棺に取りすがって涙に暮れる、ということになる。

フィリピンに移住して、この歌詞の重さを実感するとは想像もしていませんでした。本当にマラウイでの戦闘の一刻も早い終結と、日本の自衛隊がこの先もずっと、戦闘で活躍しないで済むことを祈るばかりです。

*君死にたまふことなかれ
明治生まれの歌人、与謝野晶子が、日露戦争に従軍した弟のために書いた詩。


2017年9月13日水曜日

マニラの地下鉄



出典:Carmudi Insider

ベニグノ・アキノ大統領の時代。彼の手腕なのか、たまたま幸運だったのかはともかく、フィリピンの景気が大好転。マニラ首都圏での経済活動が活発になり、あちこちで再開発による建設ラッシュ。こうなると深刻になるのが、世界のどの都市でも同じように交通渋滞です。

1990年代に、交通渋滞「アジア最悪」と言えばタイのバンコクが有名でした。今では我がマニラ首都圏が、ありがたくない後継者に。そこで日本のJICA(国際協力機構)に地下鉄建設の事前調査が依頼されました。調査はすでに完了し、報告書がネット上に公開されています。ちょっと読んでみましたが、実に広範囲に渡った綿密な内容。

この計画は、メガマニラ地下鉄プロジェクトと呼ばれ、前任のアキノ氏を引き継いだ、ドゥテルテ大統領の目玉政策にもなっています。そして先ごろ、終点がマニラ国際空港(NAIA)に延伸の形で変更され、第1期事業が政府機関によって承認されました。

さらに、この11月(2017年)、アセアン首脳会議で、安倍首相が日本からの大規模ODA(政府開発援助)を行うことを伝える見通し。これで、懸案だったマニラの地下鉄建設が、本格的に始動します。総工費は、今後3年間で 3兆6000億ペソ(約7兆9000億円)。2020年着工で2025年営業開始とのこと。

マニラ首都圏に地下鉄を建設については、フィリピン在住だったりフィリピンをよく知る日本人の反応は、だいたい二つに分かれます。「できたら便利だし嬉しいけど、たいへんだろうなぁ」という一縷の希望派と、「フィリピン人に、そんな難しいことができる訳がない」という頭から馬鹿にする派。

フィリピンに関わってかれこれ20年以上の私は、当然前者です。昔は「まるでダメ」なことばかりだったこの国。ところがネグロスの片田舎ですら、新しい空港が完成し、巨大ショッピングモールも開設。最近は停電も減ってきたし、曲りなりにもネットは通じる。日本食レストランだって何軒もある。

場所による格差もあるし、貧富の差は大きいのは相変わらずながら、いろんな面で生活は良くなり、インフラも整備されてきました。ところが、フィリピン人を配偶者に選び、フィリピン、それもマニラに住んでいるオっさんに限って「馬鹿にする派」の急先鋒が多い。すぐに道路が冠水するから、地下鉄作ったりしたら水浸しになるぞ、なんて。それは馬鹿にし過ぎ。

ここで他の東南アジア諸国の現状を見てみましょう。最も早かったのが、東南アジアの優等生シンガポールで、1987開業。1998年にはマレーシアのクアラルンプール。前出のタイ・バンコクが2004年。ベトナムの首都ハノイとホーチミン(旧サイゴン)で現在建設中となっています。

バンコクの場合、日本の円借款や軟弱な地盤、洪水の多発など、マニラとよく似たケース。相当な難工事だったようで、2本ある路線の1本「ブルーライン」は、1997年の着工から運行開始まで、7年を要しました。やはり最初は、地下鉄建設に否定的な意見が多かったそうです。

今回の国家プロジェクトは、フィリピン国内に留まらず、南沙諸島の領有問題などで、日本と中国の思惑が交錯した国際案件。ドゥテルテが、この状況を利用して日本からの援助を勝ち取ったという側面もあるでしょう。

ただしこの両天秤のやり方は、つい最近、インドネシアが高速鉄道建設計画で失敗しています。日本の新幹線方式に決まったと思ったら、金銭面で常識外れな好条件を提示した中国が逆転受注。ところが、中国の融資条件の「土地収用100%完了」が、実はまだ55%。すでに2年経過した2017年現在もほとんど建設が進んでおらず、計画そのものを危ぶむ声も上がっています。

実はフィリピンでも、2007年のアロヨ政権時代、中国に建設を任せた、マニラ首都圏と郊外を結ぶ旅客鉄道が、未完のまま挫折した苦い過去があります。その他にも、既に営業中のマニラの地上鉄道(MRT)で、38億ペソ(約87億円)で中国から購入した車両が、マニラに到着してから不具合が発覚。また、同じくMRTで保守点検を韓国に任せてから、ドア故障や脱輪のトラブルが頻発したり。

嫌中・嫌韓の連中が大喜びしそうな話ですが、フィリピンの納税者にしてみれば、笑い事ではありません。いずれにしてもマニラの地下鉄には、日本の資金が使われるのは間違いない。中国・韓国のことや、これまでの経緯は関係なく、とにかくちゃんと完成させて、ちゃんと運営してほしい。フィリピン在留邦人の一人として、切にそう願います。


2017年9月10日日曜日

やっぱりやめたネグロス・リージョン


前フィリピン大統領の、ベニグノ・アキノ氏の時代。私たちの住むネグロス島の東西2州を、新しいリージョン(地方)にするという決定がありました。リージョン(Region)というのは、日本でいうと、近畿地方とか関東地方などと同様かも知れません。ただし日本の地方とは違い、単なる呼称ではなく、正式な行政区分。フィリピンには18のリージョンがあり、例えばマニラ首都圏は中央ルソン・リージョン。

以前にも投稿した通り、ネグロスは四国より少し小さい島。中央の山岳地帯が、地理的にも文化的にも、島の東西を二分。四国山地に隔てられて、瀬戸内の徳島・香川・愛媛と、太平洋側の高知が、いろんな意味でずいぶん異なっているのと似た感じです。


ネグロスの場合、まず東西で言葉が違う。ちょっと訛りがキツくて聞き取りにくいというようなレベルではなく、語彙も文法も別もの。もちろん共有するボキャブラリーもあるので、相互理解が完全に不可能ではないけれど、外国人の私が耳にしても、言葉の響きがずいぶん違います。


私の感覚では、シライ市のある西ネグロスのイロンゴ語は、どちらかというと柔らくて女性的。それに比べて東のセブアーノ語は、やや硬質な耳触りです。すごく無理矢理に敢えて言うならば、京都弁と江戸弁みたい。

言語名から容易に推測できるように、イロンゴは西隣りのパナイ島の中心都市、イロイロが発祥の地で、セブアーノは言うまでもなく、東隣のセブの言葉。つまり、山越えが難しく、船での交流の方が容易で、それぞれ対岸の島々との関係が深かったことの名残り。そしてそれを反映するように、西側は西ビサヤ・リージョン、東側は中央ビサヤ・リージョンに所属。

今でも旅客鉄道も航空便もなく、西ネグロスの州都バコロドから、東のドマゲティまで車で5〜6時間の道程。それぞれに空港があるので、マニラやセブなら日帰り旅行ができます。こういう状況なので、「ネグロスアイランド・リージョン」ができても、誰が得をするのかよく分からない。

この発表があった一昨年(2015年)、家内は「どうせ選挙で議員が変わったら、どうなるか分からないよ」と冷笑的でした。さすがにこんな大事が、それほど簡単に覆らないだろうと思っておりましたが、驚いたことに覆ったんですよ。

先日ドゥテルテ大統領が、あっさりと「お金がないから、新リージョンは止める」と宣言。対麻薬戦争やらマラウイでの内戦など、重要案件が目白押しの政局で、ほとんど誰も関心を示さないまま、沙汰止みになってしまいました。こんなんでええんかいな。

ええ加減と言えば、ええ加減この上ない話。それでもよ〜く考えてみたら、金がないから止めると言えるのは、ひょっとすると至極マトモな政治判断ではないかと、思えてきました。原発を1機だけ作って、結局稼働させずに放置したりするフィリピン。これだって、無理に発電して事故を起こしていれば、どんな恐ろしいことになっていたか。

一度決めたことは、どれだけ周囲の状況が変わっても、頑固に変えない(変えられない)我が母国のお役所に比べると、よほど税金を大事に使っているとも言えます。例えば、本四連絡橋や整備新幹線。日本経済絶好調の時代に立案された計画なのに、景気が悪化しようが、飛行機の方が安くなろうが、頑迷なほどに見直しも修正もしない。

初志貫徹とか、朝令暮改を戒めるとか、日本の政治や経営では、最初に決めたことをやり抜くことばかり重要視。やってみてアカんかったら、止めるか、やり方を変えるというのは、ダメなことのように思う人が多い。それって、個人の生き方としても疲れるし、周囲も迷惑だと思うんですけどね。柔軟性がないのは、ちっとも自慢になりませんよ。


2017年9月8日金曜日

共益費の滞納

私たちが住む宅地、セントフランシス。面積は約300ヘクタールで、かなりな広さ。現在も造成が続いていて面積は拡大中です。周囲をコンクリートブロック製のフェンスで囲み、3箇所のゲートには、24時間体制のショットガンで武装した警備員が常駐。

こういうスタイルの宅地は、フィリピンではサブディビジョンと呼ばれます。私の知る限り、このセントフランシスは、かなり高級な部類。フェンスのないただの住宅地だったり、フェンスはあっても警備が雑で、コソ泥も強盗もフリーパスなものまであります。

ここは、元々はサトウキビ畑だった場所。オーナーはこの付近の土地を所有する大地主。フィリピンで地主というと、植民地時代から続く搾取の象徴のような存在で、その大金持ちぶりは半端ではありません。

広いと言っても、すべての区画に住宅が建設済みなのは、比較的価格の安いフェイズ1という地区だけ。それ以外のフェイズ2〜6はやや高額で、場所によっては最低でも2ブロック以上が購入条件。そのため売却済みでも投資目的のオーナーが多く、まばらにしか家が建っていません。

私が十数年前に土地を買ったのが、最も早くから売り出されていたフェイズ・エグゼクティブ(すごい名前)内の4ブロック。こんな書き方をすると、びっくりするような値段かと思われますが、全部まとめて200万円に届かず。ローンなしのキャッシュ払いが可能でした。

最新の情報によると、現在フェイズ・エグゼクティブの1ブロック(150平米)の価格が、46万ペソ。ざっと98万円なので、4ブロック(600平米)で 392万円。日本に比べれば桁違いの安さとは言え、購入時のほぼ倍になってたんですね。

この値段の土地を買える人は、ネグロス島の感覚ならば、1ブロックだけの所有でもかなりの金持ち。フェイズ・エグゼクティブのハウスオーナーとなると、「富豪」と言ってもいいぐらい。

ところが、こういう連中が、サブディビジョンの共益費を滞納してるんですよ。先日、クラブハウス(管理事務所)で緊急ミーティングが招集され、未納のハウスオーナーに警告が出ました。払わなかったら、名前書いてゲートに貼り出すぞという、最後通告だったそうです。

どんな高額の共益費なんだと言われそうですが、1ブロックにつきたったの100ペソ余り。(約200円)。4ブロック以上も所有して、超豪邸を建ててるオーナーに限って、全然払ってない。どうも、ネグロスの金持ちって、こういうことが恥ずかしいとは思わないものらしい。



こんな家に住んでて、月1000円程度を払わない

共益費を徴収できないと、警備員も雇えないし、宅地内の街灯の電気代も払えない。定期的に草刈りしたり、伸びすぎた樹木の枝打ちしないと、危なくて車を走らすこともできない。特に最近は、周囲の治安が悪くなってきて、宅地内でも強盗騒ぎがあったばかり。一体、何を考えてるんでしょう。

豪邸の主は、宅地の警備員とは別に、プライベートのガードマンを雇ってたりするので、自分たちには関係ないと思っているのか。それでも、宅地全体が物騒になれば、何をするにも不便で面倒になるのは間違いない。本当に、目先のことしか見えていない。罰則や罰金がなければ、どんなに余裕があっても必要な経費を払おうとしない。周囲から知られていても、平気で開き直る。どうも私の周囲の富裕層は、大なり小なり、こんな感覚の人が多い気がします。

「恥の文化」の国で育った私。その中では例外的に、関西人は体裁ばかり気にすることを「エエ格好しぃ」と馬鹿にする傾向があります。50年間、関西で生きてきて、日本は窮屈で鬱陶しいと思ってましたが、「エエ格好し無さ過ぎる」のも、考えものだったんですね。


2017年9月6日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 ジュリア・バレット


今週はなかなか描き出せなくて、いつも通りの投稿ができるかどうか危ぶまれたフィリピン美女図鑑。なんとか完成しました。

今日の美女は、フィリピンで人気爆発中の女優、ジュリア・バレット嬢(Julia Barretto)。移住してからテレビ番組はほとんど見ない私でも知ってるぐらい、ドラマや映画に引っ張りだこ。芸能関係のニュースにもよく出てますね。フィリピンに親戚や友達がおられるなら、ジュリア・バレットって知ってる?、と訊いてみてください。

私がわざわざ「フィリピン美女」として取り上げるぐらいなので、美人には間違いない。でも、フィリピンのタレントに多い、スペイン系のセクシータイプとはだいぶ趣きが違っているジュリア。敢えて言うなら、飾り気がなくて庶民的。

えくぼがチャームポイントで、これほど笑顔が魅力的な人も珍しい。昔、「えくぼの〜、ひみ〜つ、あげ〜た〜い〜わ〜」という歌をBGMに使った、洗顔料のCMがありましたね。調べてみたら、歌ってたのは松田聖子さんでした。ひょっとすると、ジュリア・バレットは、当時の松田聖子さんに匹敵するぐらいの存在感かも知れません。(毎度、古いたとえばかりでスミマセン)


それにしても若い。まだ今年で二十歳。デビューは2006年のテレビドラマなので、9歳からカメラの前に立ってたんですね。両親ともに俳優の芸能人一家に育ったそうです。びっくりしたのは、お母さんのマジョリー・バレットがまだ43歳で、私より干支一回り若い。さらにその娘さんの世代が活躍してるんだと、シミジミしてしまいました。

実は私がジュリア・バレットを知ったのは、テレビや映画ではなくフェイスブック。家内の従妹(と言ってもまだ24歳)ドリーの投稿がきっかけ。プロのダンサー、ドリー。どうやらジュリアと友達付き合いをしているらしく、時々二人の写真をアップしてます。この話は、以前にこのブログでも書きました


ということで、今回は背景はいたってシンプルに、人物を中心にいつもより描き込んでみました。この人は、モデルとしても完成した容姿だと改めて実感。二十歳といっても、もう10年以上のキャリアがあるわけですから。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇


2017年9月4日月曜日

人権侵害

ドゥテルテ氏がフィリピン大統領に就任して、早くも1年3ヶ月が経過しました。公約通り、フィリピン全土で展開中の対麻薬戦争。今でも毎日のように、この戦争で殺害された人々のことが報道されています。

フィリピンのテレビニュースでは、今回の麻薬戦争に限らず、事件や事故の被害者の死体を撮影することに躊躇がありません。もちろん顔や死体の状況がはっきり分からないように、ボカシをかけたり、体の一部だけをクローズアップ。それでも夕食時に、子供も一緒に見る映像としては、ショッキングに過ぎる。

ドゥテルテ大統領による対麻薬戦争と超法規的殺人は、すでに日本でも繰り返し伝えられているので、ここで詳しく解説する必要もないでしょう。この8月には、薬物とは無関係とされる高校生が、警官に射殺される事件が発生し、国内からの批判が強まっています。

このブログでも、何度か取り上げたこの話題。死刑制度が廃止されたこの国で、裁判抜きでの容疑者の殺害は、議論の余地のない犯罪行為。それでも大統領の支持率が下がる様子は見られない。

私も、国民の支持があるから許される、というものではないと思います。深刻な人権侵害だと、国連や外国の政府が懸念を示すのも当然でしょう。とは言え正直なところ、ヨーロッパやアメリカの政治家や団体が、人権や人道を盾にドゥテルテを非難するのは、感情的に反発を覚えます。

そもそも、フィリピンを含むアジアなどの国を侵略し、何百年にも渡って搾取し続けてきた国に、そんなことを口にする権利があるとは思えない。今さら人権を持ち出すのなら、麻薬がここまで骨がらみの社会問題になる以前に、なんらかの支援策を取れなかったんでしょうか。

無茶苦茶な理屈なのは分かっています。法が無視され、一方的に殺害される人がいる現状に異を唱えるのに、その人の国籍は関係ありません。分かってはいるんですが、どうしても腹が立って仕方がない。

私は今のやり方が最善の方法だとは思いません。毎日、警官に殺された人の肉親や友人が嘆く姿を、テレビで見せつけられるのはうんざりです。でも、雑貨屋のオバちゃんまでが、覚醒剤の密売をするほど歪んだ社会を、他にどんな手段で矯正できると言うのでしょうか。

実は、私たちの住むネグロス島のシライ市にも、対麻薬戦争の影響がジワジワと迫っています。道端で容疑者が射殺、というような直接的な事件はないけれど、こんな田舎街のバランガイ(町内会)でさえ「対麻薬戦争」をポスターで呼びかけ。


そして、麻薬取引ができなくなって生計の道を絶たれた密売人が、窃盗や強盗に流れている。自宅近くでも、目に見えてそうした犯罪が増えています。実際にホールドアップの現場を目撃したり、銃声を聴いたという話も。

フィリピンに住む限り、他人事ではない対麻薬戦争。一刻も早く収束してほしいと願っていつつも、ドゥテルテ大統領のやり方を、単純に批判する気にはなりません。


2017年9月2日土曜日

犬と猫

昔から「犬と猫」比較の話題は尽きないようです。ペットとしてどちらを好むか? 飼い主への愛情や忠誠心はどちらが上か? あなたは犬派?猫派? などなど...。

2ヶ月ほど前から計らずも、犬と猫、両方の飼い主になってしまった私。幼稚園ぐらいの頃は、両親が自宅で犬を飼っていて、小さな庭はほぼ犬に独占されていた時期がありました。ところが本来は動物が大嫌いだった母が、もう絶対に犬や猫は飼わないと宣言。50年経った今に至るまで、実家では熱帯魚や金魚ぐらいしか、生息を許されていません。

その影響もあったし、実家を出てからはずっと賃貸マンション暮らし。フィリピンに移住するまでは、私もペットを飼うことはありませんでした。

ところが生まれて初めて自分の持ち家ができたとたん、仔犬や仔猫が持ち込まれたり、家内が鶏を飼い始めたり。犬と猫は数ヶ月も持たずに死んでしまったものの、鶏はしぶとく生き残り、飼いたくもないネズミが天井裏に住み着いてくれました。

今年(2017年)の初め頃からネズミ駆除を目的に、たまに裏庭に侵入してくる野良猫を餌付け。最初は、うまくいくかどうか半信半疑だったのが、やってみたら雄2頭、雌1頭の猫が我が家をテリトリーに。特に雌猫はすごく懐いて、今では完全に飼い猫状態。

そして7月。今度は成り行きとか必要に迫られてではなく、純粋に愛玩動物として仔犬を1頭もらい受けました。

こんな経緯で、毎日、犬と猫に餌を与えている毎日。しかも少し前からは想像もできないことに、両方から慕われています。単に餌をくれる人間と、認識しているだけとは言え、朝起きて玄関の扉を開けたとたんに、「クンクン、ニャアニャア」とすり寄ってこられると、やっぱり気分がいい。

この状況だと、どうしても犬と猫をいろいろ比べてしまいます。今さら、どっちが優れているとか、不毛な議論をするつもりはないけれど、ゴマ(犬)とチャコ美(猫)と接している限りにおいては、圧倒的にゴマがアホだと思います。

ゴマはまだ仔犬、ということもあるでしょうが、とにかく単純。空腹だとか構ってほしいとか、欲求の表現があからさま。すぐに腹を見せて「服従のポーズ」をするし、変なプライド皆無で、飼い主に全面服従の全面依存。


それに比べると姐さんのチャコ美は、餌の時以外は、それほどベタベタしないし、人間とはそれなりの距離を取っている。餌を催促してニャアニャア鳴いても、しばらく放置したらあっさり諦めて、どこかに行ってしまいます。自主自立の精神満載。


こうなると犬か猫かは、好みの問題。私の場合は、どうもアホな子ほど、可愛いく感じる性分だったらしい。美女猫のチャコ美が嫌いなわけではないけれど、私がもし今日突然死しても、明日から何もなかったかのように、平然と生きていくだろうという感じ。その点ゴマは、いつまでも私の姿を探してクンクン鳴いている気がします。

ここまで感情移入してしまうと、人間の子供を育てるのと、心情的にあまり変わらなくなるもの。息子は、あと10年も経てば、家を出て独立するでしょう。そうしてくれないと困る。しかしゴマはあと何年生きるにしても、飼い主を頼るしか生き方がありません。考えようによっては、ずいぶん重い責任ですね。


餌の時以外は、平和に暮らすゴマとチャコ美


距離を詰めすぎると
チャコ美のネコパンチが炸裂


2017年8月30日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 タクロバンの薔薇


出典:GATAG Photo by Dennis Hill

今週のフィリピン美女図鑑です。
今日のお題は「タクロバンの薔薇」。これだけ聞いてピンと来た方は、かなりのフィリピン通。タクロバンとは、ここネグロスの東に位置するレイテ島の中心都市。現在の人口は20万を超え、古くから漁業で栄えたそうです。

タクロバンの名前は、つい最近、2013年にフィリピン中部を襲ったスーパー台風「ヨランダ」の被害で、日本でもかなり大々的に報道されました。レイテ島以外も多くの島が被災したこの台風。とりわけこの街は、竜巻並みの強風と、津波のような高潮の直撃を受けて、市街地は、文字通り壊滅的な状況に。

そんな有難くないことで名が知れてしまったタクロバン、実はフィリピン史上最も有名な美女が育った場所でもあります。1938年(昭和13年)、父の実家があるこの地に引っ越してきた、当時8歳の少女イメルダ。後の大統領夫人となるイメルダ・マルコスです。

彼女は、以後14年間、思春期をタクロバンで過ごしました。生活はかなり厳しく、母の形見の品まで売り払ったんだとか。22歳で生まれ故郷のマニラに戻った彼女は、銀行の秘書として働き、大学で声楽を学ぶ傍ら、数々のミス・コンテストに出場。「タクロバンの薔薇」とは、コンテストでイメルダに与えられた称号の一つ。

今でこそイメルダ夫人というと、見る影もなく太り、ファーストレディになってからの悪行のせいで、強欲・傲慢のイメージが定着してしまいました。ところが20代のイメルダの写真をネットで見てびっくり。ただの美人ではなく、清楚で知的。しかも強い意志も感じさせる、実に魅力的な女性だったんですね。

この美貌で歌がプロレベルですから、マルコスをして「妻のおかげで、少なくとも100万票は上乗せできた」と言わしめたのも分かります。大統領就任演説に押しかけた群衆は、マルコスのスピーチではなく、イメルダの歌が目的だったと言われるほど。

ということで、どこまでそれが表現できたか、甚だ心もとないですが、イラストにしてみました。背景はシンプルに、薔薇と、彼女が20年間住んだマラカニアン宮殿です。


それにしても、イメルダ女史の経歴には驚きます。1986年の革命で失脚し、夫マルコスと共にアメリカに亡命後、1991年に帰国。その翌年、大統領選挙に出馬。さすがに落選したものの、2010年には下院議員に当選。すでに3選を果たし、88歳の今も現役の政治家なんですよ。すごい女性ですね。


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2017年8月29日火曜日

ミニソー侮りがたし

私たちの住むシライ市から車で20分の距離にある、西ネグロス州の州都バコロド。ここはフィリピン中部のビサヤ地方の中核都市。ネグロスにあっては、島外からの流行がいち早く入ってくる場所。マニラやセブのトレンドから周回遅れぐらいの印象です。

一昨年前あたりから、市の中心部にいくつもコンドミニアムが建ち始めたし、もう飽和状態と思えるほど、ショッピングモールやスーパーも増えています。最初のスターバックスや、アップル・ストアが出店して、もう5年ぐらい。100均のダイソーはもっと以前でしょうか。最近では、日本式のラーメン屋さんが続けてオープン。

とは言っても、景気の良い話ばかりでもなくて、ショッピングモール内のテナントは、実に入れ替わりが激しい。面白そうな店ができたので、次に来た時には...と思ってたら、あっという間に違う店に。スターバックスも1軒潰れたし、2軒あったアップル・ストア(正確にはフランチャイズなので、看板は iStore )は両方閉鎖。

そんな中、バコロド最大のモール、SMシティ・バコロドの2階に「ミニソー」がオープンしました。ダイソーの真似してミニソー。なんとも姑息なネーミング。Miniso Japan となっているけれど、経営者に日本人はいないようだし、日本の資本は入っていない100%の中国系。アルファベット表記に従ってミニソーと書きましたが、カタカナでは「メイソウ」で漢字では「名創優品」。ややこしい。

調べてみると、中国国内だけでなく韓国やベトナムにアメリカ、日本にまで進出済みだったんですね。ちっとも知りませんでした。でもはっきり言って、この手の店には全然関心無し。同じようにダイソーをパクってフィリピンに入ってきた、香港資本の日本城(Japan Home Center)の品質の悪さに懲りてます。

自分一人だったら、わざわざ出かけたりはしないけれど、家内は興味津々。そこで、同じモール内のラーメン屋さん「一康流 Ikkoryu 」(こちらは本当の日系)でお昼を食べた帰りに立ち寄ってみました。

最初から先入観満載で、アラ探しモードで足を踏み入れた店内。ところが予想に反して、意外と悪くないんですよ。あちこちに貼り出された、微妙に変な日本語はともかく、ざっと見て回った感じでは、凡百のコピー商品にありがちな安っぽさがない。店内も整然といしているし、100均というより無印良品みたいです。


ネットによると、ダイソー風の値付けに、ユニクロ的なロゴマーク、無印みたいな洒落た品揃え、などと評されてましたが、本当にそんな雰囲気。本家ダイソーが88ペソ(約190円)なのに対して、99ペソ(約210円)と若干割高。





率直に言って、このレベルの品揃えができるのなら、わざわざ「日本品質」と銘打ったり、あたかも日本人が関わったかのような演出は不要。中国のイメージが悪いのなら、しれっと、ヨーロッパっぽいネーミングにでもすればいい。日本の自動車メーカーが、意味なくイタリア語やフランス語を使ったりするみたいに。

家内はかなり熱心に見て回って、食器や水洗トイレ用の芳香洗浄剤(ブルーレット?)を買い込んでいました。帰宅して使ってみたところ、どれも品質には問題はありません。ミニソー侮りがたし。さてこうなると、売り場面積や品数の点で劣勢に立った、ダイソー・バコロド店の動向が気になる。

この分野でも、日本で流通する品物をそのまま持って来れば売れる、という段階は終わったようです。一消費者の観点からすると、競争が起こって、市場に良い商品が増えるのは大いに歓迎するものの、やはり心情的には日本のダイソーに頑張ってもらいたいですね。


【追記】
店の入り口やホームページには、共同設立者として三宅順也という日本人の写真が掲げられています。ところがウィッキペディア日本語版では、経営には関わっていないという記述があったりして、実際のところ、よく分かりません。


2017年8月28日月曜日

民度って言うな


私は「民度」という言葉が大っ嫌いです。
ここ何年か、やたらとネット上で使われるようになりました。それも日本人が外国人の悪口を言う時の常套文句。おそらく一番頻繁なのは、中国や韓国の人々を侮蔑する書き込みの中でしょう。さらには、フィリピン人配偶者がいたり、フィリピンに住んでいる日本人でさえ、この言葉を使ってフィリピン人を見下したり。

「民度が低い」なんて簡単に書きますが、「民度」とは実に意味や定義があいまいな言葉。行儀や礼儀作法とか、役所の対応、教育レベル、果てはインフラ整備具合にまで、日本と比較して劣っていると感じたら、何でもかんでも「民度が低い」。

たまたま旅行先で見かけた、ゴミのポイ捨てや列への割り込み。その当事者が日本人でないと知ったら、まるで鬼の首でも取ったかのように「奴らは民度が低い」となる。13億5千万の中国人、5千万の韓国人、そして1億のフィリピン人を、自分が見た範囲のサンプル数だけで一括りにする、この傲慢さは何なんでしょう。

そもそも日本人って、そんなに民度が高いのか。
公共のマナーがいいというのも、人によって全然違います。人ごみの中でくわえタバコする人、今でもいますよ。以前そんなアホなスモーカーもせいで、右手の甲に火傷したことがあります。

自宅近くの深夜の公園で、タムロして騒ぐ学生に悩まされて、何度も警察に通報したことがあります。車を運転していると、狂ったようなドライバーに出くわすことも。だいたい、駅前など公共の場所が清潔になったのは、バブル期以降。それ以前は、どこでも汚いのが当たり前。高速道路のサービスエリアのトイレの汚さなんて、悪夢のレベルでした。

そして今でも、フィリピンを始めとした東南アジア諸国への、オっさんたちの買春ツアー。私もいい歳をした男なので、一概にそれが絶対ダメだとは言いません。フィリピン経済への一助にもなるでしょう。ただ、徒党を組んで、空港や機内で大声の「武勇伝」を聞かされるのは我慢できません。これが「民度の高い日本人」の姿。日本語を解さなくても、誰が見たって何をしに来たか、丸分かりです。もうちょっとデリカシーを持って行動してほしい。

こう書くと、それは「一部の日本人」であって、大多数の日本人はマトモだと言う人もいるでしょう。でもそれは「一部のフィリピン人」を見て、悪様に書くのと同じだと思いませんか? 思い出してみれば、バブル経済で成金になった日本人が、世界中の観光地で同じように言われて顰蹙を買っていました。

そういうわけで、SNSで安易に「民度」と書く人とは一定の距離を置くのが常。内容によっては一発ブロック。私にとってこの言葉は、対人関係を考える上での、一種のリトマス試験紙みたいなものになっております。


2017年8月26日土曜日

入院先でも誕生日パーティ


去年もちょうど今頃、デング熱についての投稿をしました。2016年は、西ネグロス州でデング熱が大流行。中でも私たちの住むシライ市内での患者数が一番多かった。雨が多いネグロスの8月、ちょっと油断して短パンで庭に出ただけで、瞬く間に数箇所ぐらいは蚊に刺されてしまいます。

この時は、小学生の姪っ子ジャスミンがデング熱に罹患して、州都バコロドの総合病院に入院の憂き目に。そして今年は、ジャスミンの叔母、ジジが入院。ジジの場合、症状が重篤化してしまいました。

デング熱に罹ると、血中の血小板数が減少するのが特徴。通常1立方ミリ中15万〜40万で、それが12万以下になると、フィリピンでは入院が義務付けられています。ジジはなんと3万にまでなってしまい、輸血治療することに。見舞いに行った家内によると、顔色が真っ白だったそうです。

間が悪いことに、入院して数日目にジジの誕生日が巡ってきてしまいました。誕生日をとても大事にして、毎年楽しみにしているフィリピン人。可哀想にジジは、今年はケーキもパーティもしばらくお預けか...と思っていたら、なんとフェイスブックに病室でパーティやってる写真が。

病状が好転していたこともあるでしょうけど、これは日本人には真似できません。もちろん病室なので、集まったのは身内の4〜5人。それでもささやかながら飾り付けもして、Happy Birthday, Gigi と文字入りバースディケーキも用意。こうなると、かえって忘れがたい誕生日になったことでしょう。

その後、入院一週間で、ジジは無事退院しました。

私も移住以来この時期は、決まって体調が悪くなります。日本とは逆に、朝夕の気温が下がる7〜8月。20度以下にはならないものの、どうしても寝冷えしやすくなる。実は数日前から、咳とくしゃみが。

早く医者に行けよと言われそうですね。ところがこの程度でも、近所のクリニックに行くと抗生物質を処方。どう考えても体に良いとは思えないので、最近では熱が出ない限り、我慢する癖がついてしまいました。

お陰さまで、タチの悪い感染症の類ではなかったようで、咳止めシロップを服用して10時間ぐっすり寝たら、今朝はずいぶん楽になりました。起き抜けは寝過ぎで腰が痛かったほど。この歳になると、長時間睡眠には体力が必要なんだと悟ります。


2017年8月24日木曜日

驚きの大阪吹田大停電


フィリピンのネグロス島に住んで、4年と半年近く経過して、すっかり停電慣れしてしまった今日この頃。つい先日も、停電対策用に購入した発電機の修理について投稿したばかり。しかし昨日(2017/08/23)の停電のニュースにはびっくり。

午前中、フェイスブック友達の何人かが「電気止まった!」と書いていたので、最初はフィリピンのどこかで、また大規模停電でもあったのかな?と思ってしまいました。よく読むと、どうやら日本。しかも私が以前住んでいた大阪・茨木市の近くで、同じ北摂エリアの吹田市でのこと。

私が関西に住んでいた約50年間。落雷などで数分の停電はたまにあったものの、長時間と言えば阪神・淡路大震災の時しか記憶にありません。どうせ日本のことだから、長引かないだろう。ちょっと電気が止まったぐらいで、大騒ぎしてからに...と楽観的に見ていました。

フィリピン人の家内は、日本で停電があったと嬉しそう。いつも何かにつけ、日本とフィリピンを比較してため息をついているので、たまにこんなニュースに接すると、つい顔に出てしまいます。

ところが午後になっても復旧しないし、商業施設や病院などでは笑い事では済まされない状況。結局8時間から最長で12時間近くも停電状態だった場所もあったんだとか。これは完全にネグロス島レベル。しかも相当広範囲だったので、フィリピンでは一部地域の「ブラウンアウト」ではなく、広域長時間停電の「ブラックアウト」と呼ばれる規模。さすがのネグロスでも、これは年に1回あるかどうか。

こうなると、停電慣れしていない日本の悲しさ。そこそこお金に余裕のある家ならば、個人宅で発電機を用意するネグロス島。病院やホテルはもちろん、レストランやスーパー、コンビニですら自家発電が当たり前。なので、12時間程度の停電ではさほど騒がないし、不便ながらも普通に日常生活が続きます。テレビのニュースにもならない。

今回の事故でつくづく思ったのが、社会レベルでも個人レベルでも、日本ってほんとうに脆弱だなぁということ。世界的に見ても珍しいほど一般人の食事がおいしくて、交通機関は時間通り。電気は安定供給で、シャワーが痛いほど高い水圧。駅ですら洗浄便座があって、お役所では賄賂を払わなくても手続きが進む。

だから頻繁に停電がある国の方がいい、などと言うつもりはありません。先人たちが営々と築き上げてきた、インフラに関しては世界で一番便利で快適な国。そこで生まれ育った人々が、世界一の文句言いで、逆境に弱い現実は、なんとも皮肉。

おそらくこれから日本人お得意の、「犯人探し」が始まると思われます。でも電力会社やお役所、ミスをした誰かを非難しておしまい。自分と家族の身は自分で守ろう、という発想になる人は少ないでしょう。昨日は日本でも大停電のニュースを見て、そんなことを考えてしまいました。


2017年8月23日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 スーパーの警備員


前回の美女図鑑「マニラ・ガール」は、なかなかの人気だったようです。やっぱり手間暇かけた絵は、それなりのインパクトがある。それ以上に、タイトルとモチーフもネット受けしたんでしょうね。

今回はフィクションではなく、またまた身近な人がモデル。と言っても親戚や友達ではありません。初対面で声をかけるという、私の人生初めてのナンパ(まがい)で写真を撮らせてもらった女性。半年ほど前「制服萌え」と題してアップした投稿に登場した、近所のスーパーの警備員です。

治安に問題ありのフィリピン。銀行・スーパー・レストラン、それにコンビニまで、現金を扱うありとあらゆる商業施設では、ほぼ必ず銃で武装した警備員がいます。しかも女性が多い。正確には分かりませんが、3〜4割は女性というのが私の印象。

その中でも、一昨年シライ市にオープンしたフィリピン大手のスーパー、セーブモアの警備員はちょっと驚くほどの美形。人間離れしたスリムさで、ウェストは私の太ももと同じぐらいのサイズかも。たいへん大きなお世話ながら、警備員にならず、モデルさんになった方がよかったと思ってしまうほど。

実は、このブログを読んでいただいている、フィリピン在住の日本人の方から、次の美女図鑑で是非にとリクエスト。

まったく予想していなかったご要望で、最初はどうしようかと考えました。元になる写真はたったの2枚で、ほとんど同じアングル。あまり絵になりそうにないポーズ。しかも制服。迷いながら「police woman sexy」でグーグル画像検索しました。

するとあるんですね〜、コスプレの世界が。どうも制服女性に萌えるのは、日本の男だけではないらしい。ただしコスチュームまでパクってしまうと、スーパーの警備員とは別物になってしまいます。まぁ、それはそれで好きな人も多いでしょうけど、ここはぐっと抑えて。結局はポースと拳銃の画像だけを参考に。

そして困ったのが背景。最初はマニラの夜景でハードボイルドに迫ろうとしてイマイチ。シライ市内の名所や古い建物など、いろいろ試してみました。悩んだ挙句に、彼女が勤務する、スーパーの正面図に落ち着きました。


描き上げて感じるのは、自分の好きなテーマやモチーフに限らず、たまには他の人の意見や要望でトライするのも悪くないということ。一人で妄想しているだけでは、思いつかない絵ができたりします。


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2017年8月22日火曜日

発電機は精神安定剤

ここ半年ほど、不調が続いていた我が家の発電機。バッテリーを搭載して、車と同じ要領でキーを回して始動するタイプ。購入後2年目にして、キーを回しても無反応になってしまいました。そこでバッテリーのみ取り外して、近所の車のパーツ屋さんで充電。

その時はそれでエンジンが掛るように。停電がなくても週に1回ぐらい、10分程度は運転するようと教えてもらいました。これで一件落着かと思い、言われた通り1週間後に動かそうとしたら、またもや無反応。今度はバッテリーそのものを新品に交換。ところがさらに1週間後に、同じことに。

私は、日本で発電機など買ったことも使ったこともなく、そっちの方面の知識はほぼ皆無。おそらく大抵の日本人は、そんな感じだろうと思います。よほどの災害でもなければ、長時間の停電になることはない日本。たまに落雷などで電気が止まっても、ものの数分で復旧するのが当たり前。ネグロス島に住んで、それがいかに有難い状況だったかを、思い知るハメに。

無知だったので、約10万円もする買い物にしては、適当に選んでしまいました。燃料費が安いからディーゼル、始動が簡単だからバッテリー搭載。後から日本人の知り合いに聞いたら、ガソリンエンジンの方がメンテナンスは楽なんだとか。また、バッテリーは数年でダメになるし、これが思ったより高価。

うちのディーゼル発電機、バッテリーなしでも手動で始動できるよう、ワイヤーが付いているのに、これがいざやってみると、かなりの腕力と微妙なタイミングが必要。小一時間も格闘しましたが、私にはどうしても動かすことができませんでした。

ところがしばらく停電もなく、何となく忘れていた、ここ最近。突如として、数日置きに停電が頻発する事態に。特別なことがあったわけでもないけれど、なぜか続くときは続くんですよ。特に困るのが夕飯の支度時。炊飯器も電子レンジもダメだし、真っ暗になるし。あの灯りが消えた瞬間の「ガッカリ感」は、日本では分からない感覚。

とうとう我慢できなくなって、この土曜日、怪力メイドのネルジーに手伝ってもらい、大汗かいて発電機を車に積み、購入元の隣街バコロドの販売店へ。アフターサービスが、からっきしダメなこの国。電話一本で出張修理なんて気が利いたことは、まずしてくれません。

とは言え、さすがに餅は餅屋。修理担当のオっちゃんに見せたら「これはスターターがダメだ」と、すぐに悪い箇所を指摘。そうか、そっちだったのか...。昼食を食べに行っている間に修理完了。結局バッテリーも、また新しいものに交換したり、フィルターがヘタっていたりで、1万円近くの修理代。発電機そのものを買い換えるのに比べたら、はるかにマシだけど、決して安くはありません。


ということで、久しぶりに「停電したらどうしよう」との心配が解消。発電機って、実用品である以上に、日常生活での精神安定に絶大な効果があったんですね。修理が終わって、それがよ〜く分かりました。

さて、それから4日が経過。早速、日曜日の朝食準備中に短いのが1回。そして連休明けの今日、火曜日に早朝から約5時間の長時間停電が。いずれも発電機が大活躍で、滞りなくお米炊いたりトーストを焼いたり。発電機が初体験だった仔犬のゴマは、始動の轟音で一目散に逃げてしまいました。

聞くところによると、以前に比べてマニラ首都圏では、ずいぶん停電が減ったそうです。ネグロスでも、たまに半日の計画停電があるものの、だんだんと少なくはなってきている。それでも、4年前のスーパー台風ヨランダの記憶も生々しく、電気が何日も止まる可能性もあります。それを思うと、やっぱりまだまだ発電機とは縁が切れそうにありません。


2017年8月18日金曜日

「まだ東京で消耗してるの?」を読んで


しばらく前に出版された、有名ブロガーのイケダハヤトさんの本「まだ東京で消耗してるの?」。結構話題になったようですね。私も先日、電子書籍版を購入して読んでみました。

ネット上では、既にずいぶんたくさんの書評があって、毀誉褒貶さまざま。ここで本の内容を改めて詳しく説明はしませんが、要約すると、何をするにも不便で生きづらい東京を捨てて、田舎に移住して違う環境に身を置けば、人生が変わる。昔と違って21世紀の今では、田舎のメリットは驚くほどたくさんありますよ。ということ。

フィリピンのネグロス島に移住した私としては、つい「まだ日本で消耗してるの?」と読み替えたくなります。ググってみると、やっぱり同じこと考えている人が多くて、この投稿のタイトルで真似するのはやめたほど。

でも読後感としては、海外移住を考える際に参考にできそうな記述も多々ありました。例えば「東京の子育ては、親に罪悪感を抱かせる」「地方で豊かな人生を生きなおす」「月3万円で駐車場・庭・畑付き一軒家に暮らす」「地方移住で過酷な子育てから解放される」

これは、「東京」を「日本」に、「地方」を「ネグロス島」に置き換えても十分通じる、今現在の私の実感。

小学生の子供を連れて、家族でネグロス島シライ市に来て、一番良かったのは住環境の劇的な改善と、子育てのしやすさだろうと思います。ただし私の場合、住みやすい家を建てるには、10年がかりの周到な準備があってこそ。誰でもここに来れば、広くて快適な家に住めるわけでもありません。

また子育てについても、家内の実家近くに住んでいる関係で、親戚の協力を得られたり、子供自身が思ったより早くネグロスの暮らしに馴染んでくれたことは幸運でした。それにしても、子供がたくさんいるのが当たり前で、いじめの心配をしなくてもいいのは大きい。

次に、「田舎に行きたいなら『二段階移住』が大前提」「移住地には難易度がある」「移住前に旅行して、知り合いを作っておく」

こちらは、フィリピン移住(おそらくそれ以外の海外移住)にも適用できる心構え。日本並みの国土面積と人口を擁するフィリピン。場所によっては住み心地にも、天地ほどの差があります。よくあるパターンが、フィリピン人配偶者の故郷にそのまま住むスタイル。これも必ずしも悪いとは言いませんが、配偶者の家族や親戚が付き合いやすい人とは限らないし、住むにも子育てにも劣悪な環境だったりする可能性も。

最初のベースキャンプとして、現地での義父母宅やその近所に数週間から数ヶ月ほど滞在するのはいいけれど、いきなり土地家屋に投資してしまうのは、まったくお薦めしません。また信頼できるフィリピン人(親戚でも友人でも)を確保しておくのは、本当に重要。

私の場合、結果として家内の生まれたネグロス島のシライに住んでいます。しかしこれは、15年間も里帰りの度に、本当に移住して大丈夫かどうかを見極めた結果。もし不安があれば、同じネグロス島内でも、別の街を探していたでしょう。

さて、フィリピンと決定的に違うのは、仕事に関する記述。暮らすにはいい場所でも、日本にいた時よりも収入がアップしたり、見方を変えるだけで、いくらでもビジネスのチャンスが転がっている...とは思えないフィリピン。特にマニラ首都圏の過密や交通渋滞ぶりは、東京とさほど変わらないか、もっとひどいかも知れません。

ここネグロスでも、ネット活用や日本人顧客を見つけるなどの活路を見出せば、可能性がないわけではないものの、これから学ぼうという若い人ならばともかく、やはりフィリピンでも役に立つ技能や知識がないと、こちらで生きる糧を見出すのは難しい。ということでネグロスに住んで、「まだ日本で消耗してるの?」と言うには、ある程度の蓄えができて、働かなくても生活できる備えが必要なようです。


2017年8月16日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 マニラ・ガール


戦争や特攻隊のことを2本続けて投稿したら、気力を使い果たしてヘトヘト。気分を変えて、今週の美女図鑑です。

フィリピン美女と聞いて、やっぱり多くのオジさんたちが思い浮かべるのが、フィリピン・パブやゴーゴーバーで働くホステスやダンサーでしょう。正直に言いまして、私もその世界を知らない訳ではありません。1995年、30代の前半に仕事で初めてマニラに来た時、夜の接待は案の定ゴーゴーバー。

ご存知ない方のために、説明をしておきます。ゴーゴーバーとは、店内にステージが設置してあるバー。ステージでは番号札をつけた女性が踊っていて、気に入った人をその番号で指定すると、お客さんの席まで来て一緒にお酒を飲んでくれるというシステム。女性と直接交渉してOKならば、店外デートも可。表向きは早退の罰金、バー・ファインを支払ってのプラーベートなお付き合いなのですが、要するに公然たる売春行為です。

マニラを始めてとしてフィリピンの主要な大都市では、だいたいどこでもこの類の店はあって、それ以外ではタイのバンコクが有名。念のために書いておきますが、フィリピンでもタイでも、売買春は違法。特にフィリピンで相手が18歳未満だった場合、極めて厳しい罪に問われます。

私も初めてゴーゴーバーの店内に入った時は、驚きのあまり目が点に。「ジャパゆきさん」が流行語になり、日本でもテレビや雑誌で盛んに情報が流れていたので、映像や活字では見聞きしたことがあっても、実際にその場にいると、熱気で圧倒されてしまいました。

興味がない人は眉をしかめるでしょう。それでもフィリピンにすれば、外貨獲得に小さくない効果を持つ一大産業。国籍に関係なく、こういうのが好きな男性にとっては一種のパラダイス。のめり込んで、母国での生活を捨ててでもフィリピンに通い詰め、全財産を無くしてしまうのも、分からないではない。(あまり利口な散財とは思えませんが)

という訳で、今回のイラストはこの場で披露するかどうか、少々迷ったものの、好むと好まざるに関わらず、これもまたフィリピンの一面。ただし見ていただくからには、手抜きはせず、僅かな記憶と想像力を総動員して、いつになくディテールまで丁寧に描画。


とにかく情報量を増やし細かく描くことで、あの一種独特の猥雑な感じを、できるだけ美しく表現してみました。背景にはマニラ首都圏マカティ市の高層ビル群や、フィリピン名物のジプニーも。おヒマのある方は、じっくりご覧くださいませ。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
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2017年8月14日月曜日

終戦記念日に思うこと 国の礎?


前回に続き、今日も終戦記念日に思うことです。

前回は、マバラカット飛行場についてのお話を投稿しました。日本では、この地に特攻隊員の像が建てられたことはあまり有名ではなく、私もそういう施設がマバラカットにあると知ったのは、フィリピンに移住してからでした。

最初にネットで見たのは、ここを訪れた日本人によるブログ。現地の看板屋さんに依頼して安価に制作したであろう、およそ慰霊や平和祈願を目的に作られた場所にそぐわない、俗っぽい案内板の写真を見た時には、あまりの配慮のなさに、一体誰がどういう経緯でこの施設をつくったのかと訝しんだのは、前回投稿した通り。

さらに何とも言えない違和感を持ったのは、ブログの内容。「今の日本があるのは、特攻隊の尊い犠牲のおかげ」「国の礎となった若者たち」といった、特攻隊礼讃の美辞麗句が並んでいました。気になったので他にも検索してみたら、同様な内容のものばかり。中には「特攻隊はフィリピンでは英雄だった」などという、どう考えても一般的なフィリピン人の意見を、ちゃんと取材したとは思えない記事まで。

「今の日本があるのは...。」「国の礎」と言う人は、特攻がなければ、その後の日本の復興や繁栄はなかった、とでも思ってるんでしょうか。冗談ではありません。今の日本を築き国の礎になったのは、戦火を生き延び、焦土と化した故郷の瓦礫の片付けから始めた、私の祖父母や両親の世代。二度と家族を、戦災や飢餓で苦しめない社会を作ろうと、必死で働いた人々です。

戦略的に意味があったとは考えられない、体当たり攻撃。特攻で命を落とした若者たちは、勝ち目のない戦争の、捨て石になる人材ではなかったはず。生きていれば、高度経済成長の中核を担ったでしょう。ひょっとすると、世界レベルの技術やアイデアを生み出した人だっていたかもしれない。そう考えれば、特攻を命ずることが、いかに愚かで狂気の沙汰だったかと分かりそうなもの。

以下、多数の特攻機が飛び立った、鹿児島県の知覧に建てられた、知覧特攻記念会館のホームページに掲げられた文章ご紹介します。


 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。

私は、この文章に、100%同意し共感します。特攻など、絶対に命じてはいけない戦法であり、誰よりも亡くなったパイロットたちが、自分のような死に方をする人が二度とないようにと願っていたでしょう。
そういう意味で私にとって特攻隊員は、きわめて痛ましい戦争犠牲者に他ならず、その死を悼み回顧しこそすれ、決して英雄や軍神に祭り上げてはいけない。それが私の子供や孫たちの世代で、この悲劇を繰り返えさないこと、延いては無意味な戦争をさせないことにつながると信じています。
また、「特攻隊はフィリピンでは英雄だった」という記事。自殺を禁じたカトリックを信じる国民が人口の8割で、今現在、自爆テロを辞さないテロリスト集団と、事実上の内戦状態にあるこの国において、特攻を英雄的行為だと思う人が、どれだけいるというのでしょうか。
終わりに、特攻最初のパイロットで、当時23歳だった関行男大尉が、出撃前、記者に語ったとされる言葉を記します。

日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。


2017年8月13日日曜日

終戦記念日に思うこと マバラカット飛行場


今年も8月15日が巡ってきます。太平洋戦争中、50万人以上の日本人と100万人を超える現地人戦没者を出してしまったフィリピン。ここネグロス島も、マニラ市街戦、レイテ沖海戦に次ぐ激戦地だったそうで、8000人もの日本兵が亡くなりました。フィリピンに住む日本人としては、毎年いろいろと考え込んでしまう時期。今回は、2回に渡って終戦記念日に思うことを投稿しようと思います。


フィリピン・ルソン島、首都マニラから北西約60kmに位置する、東マバラカット飛行場跡。戦争末期の1944年(昭和19年)10月、ここから最初の特攻機が飛び立ちました。その後の3ヶ月間、当地にあった全機体が失われるまで特攻は続けられ、約700名のパイロットが体当たり攻撃で命を落としたそうです。

その後マバラカットは、1947年のアメリカ・フィリピン両政府間で合意された軍事基地協定により、クラーク空軍基地の主要飛行場の一つとしてアメリカ軍に使用され、1975年までのベトナム戦争中には一大軍事拠点でした。

1991年、基地から20kmのピナツボ火山の大噴火で、マバラカットを含む基地周辺は火砕流に埋まり、冷戦終了という世界情勢の変化もあって、クラークはフィリピンに返還。

そして2004年、このマバラカット飛行場跡に、地元の歴史家ダニエル・ディゾン氏の発意で、特攻隊員の像が建立されました。これは1974年に同地に置かれ、噴火で埋没した記念碑に置きかわるもの。フィリピンでの日本兵の残虐行為を目の当たりにしたはずのディゾン氏が、どうしてこれを思い立ったのか、私にはよく分かりません。それでも日本の関係者からの協力もあり、この像の完成以降、かなりの数の日本人がマバラカットを訪れているようです。


出典:Kamikaze Images

像がある敷地内の日本語の碑文には、こうあります。

「マバラカット観光局が神風平和記念公園の建立を推進した理由は、神風特別攻撃隊の栄光を賞賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて、世界の人々に平和と友好の尊さを訴える為であります。」

フィリピンに特攻隊関連の記念物を設置するならば、これ以外の理由はないだろうと思うし、国籍に関係なく、すべての戦没者を慰霊する場とすることに、何の異論もありません。

ところが、像そのものや、背景にフィリピン国旗と並んで刻まれた旭日旗のレリーフ、入り口付近の看板の意匠を見ると、私にはどうしても、平和祈念や戦没者の慰霊という意図が感じられない。だいたい看板に使われている「神風」「Kamikaze」の書体からして、まるで安物の商業施設。


出典:Kamikaze Images

マバラカットに関するいくつかの英語の記事を読むと、フィリピンでは、碑文を額面通りに受け入れられない人の方が多数派のようで、肉親を日本兵に殺害された地元住民や、フィリピン大学の教授などからも、像設置への反対意見が寄せらています。

参考:ABS-CBN News / INQUIRER NET / the japan times

同様に多くの特攻機が飛び立った、鹿児島県の知覧にある知覧特攻平和会館と比べると、マバラカットの施設全体のデザインが、いかに配慮に欠けたものかというのが、よく分かります。これでは日本からの観光客集めが目的だと言われても仕方がない。

私は、特攻隊に関して、隊員たちが家族に送った遺書や、生き残った関係者の証言など、若い頃からたくさんの本を読んできました。また関連したテレビのドキュメンタリー番組も、気がつけば必ず視聴。二十歳前後で家族や愛する人たちを残して、死地に赴いたパイロットたちの無念さを思うと、決して彼らのことを忘れてはならないと感じています。

それだけに、現状のマバラカット施設の体裁は、残念でなりません。誤解してほしくないのは、特攻隊員の慰霊と平和祈願のために、何らかの記念碑や公園を作り、そこに参拝すること自体を否定する気は、まったくないということ。だからこそマバラカットが、日本人だけでなく、あらゆる国の人々にこの悲劇の実態を知らしめ、平和について静かに思索できる場所になってほしいのです。

次回に続きます。


2017年8月11日金曜日

宿題なしの夏休み


もう8月も半ばに差し掛かり、今が子供達の夏休み真っ最中の日本。いつの間にか8月11日は「山の日」という国民の祝日になってるし、多くの職場でも来週からはお盆休みということでしょう。

さて、4年前にフィリピンのネグロス島に移住して、子供を地元の小学校に通わせるようになってから気づいたのが、夏休みの過ごし方の違い。フィリピンの場合、一番暑いのが4〜5月で、夏休みもこの時期。日本では40日間というのが普通なのに対して、こちらでは丸々2ヶ月。息子の通う私立小学校では、3月の最終週と6月の初めの週まで休みで、ざっと2ヶ月半近くも登校しません。

さぞや、どっさりと宿題が出るだろうと思いきや、そんなものは一切なし。夏休みが学年の変わり目だということもあって、この長い休みの間、子供はほぼ完全な自由ということになります。

もちろん家庭によっては、サマー・プロジェクトと称して、スポーツやダンス、お絵描きや音楽などの習い事に通わせることもあり、今年は息子も毎日4時間のテニス・レッスンを2週間。従兄姉は、ブラスバンドにサッカーをやってました。

でも、塾や予備校に毎日行かせるとか、大量の宿題が出て、休みの最後になると子供が泣きながら机に向かうという話は、聞いたことがありません。大学受験を控えた高校生にでもなれば、それなりの勉強をしているのでしょうけど、日本のように誰もが大学に行くわけでもなく、公立ならば、小学校から高校までは受験の必要がないので、わざわざ夏休みに追加の勉強をする子供の方が珍しい。

ただし、小学校でも年4回の定期試験がきっちりあって、成績が悪ければ落第もあるのがフィリピン。チューター(家庭教師)を雇う親もいるし、勉強する子は長期休暇以外の、授業のある時期に頑張っている印象です。そして就職時に学歴がモノを言うのは、日本並みかそれ以上。

こんな感じなので、優秀でやる気のある子供でも、頑張って集中する時と、力を抜いて休む時を、自然と理解する。これに対して日本の子供は、夏休みなのに休むことが許されない。勉強もそうだし、クラブ活動でも「強化合宿」などと称して、むしろ夏休みの方が厳しいトレーニング。

そう言えば、昔「キャプテン」という中学野球のマンガがありましたね。真夏に朝から晩まで無茶苦茶な練習して、練習試合を1日3ゲームもこなして、苦労の挙句に全国大会優勝。当時はスポ根もの全盛の時期だったので、何の違和感もなく読んでたけれど、今だったら虐待と言われそうな内容。ああいうストーリーを子供の頃から刷り込まれたから、大人になってから、死ぬまで働いたりしてしまう人間が出来てしまうのかと思ったり。

いつ頃からそうなったのか、よく分かりませんが、どうも日本人は、長期休暇などの空白の時間を過ごすこと罪悪だと、教育されてしまっているらしい。私がかつて勤めていた会社は、日本で最初に週休二日制を導入しました。その時のスローガンが「1日休養1日教養」。つまり2日間、会社に来なくてもいいのは、2日とも休んでいいという意味ではないぞ!と言っていたわけです。まったく大きなお世話。

そんな意識が根付いてしまったものだから、本来休養のための土日なのに、昼まで寝てしまったら大損したように感じるし、たまの3〜4日の休みでも、予定ギチギチの海外旅行をして、平日より疲れてしまう。

どんな分野でも、日本一とか世界一を目指すような人たちは、他人の何倍もの努力が必要なのは分かるけれど、どうも日本人の場合、才能の有無に関係なく、誰もが努力だけは、トップレベルを義務付けられているような気がします。また社会人になってからも、キャリアにブランクが空くことを極度に恐れるし、育児で1年休んで復職することすら、認められないケースの方が多い。

だからと言って、フィリピンのように平日の昼間から、何もしない大人が町中に溢れているというのも考えものですが、疲れたら十分休息が取るという、人間として当然の権利が行使できない社会は、普通ではないでしょう。


2017年8月9日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 フィリピーナ in キモノ


皆さまお待ちかねの、今週の美女です。美女なんですが、今日のモデルは家内です。がっかりしてはいけません。「フィリピン美女図鑑」と銘打って、他所の女の絵ばかり描いて、自分の妻を描かないなんてことは、フィリピンでは許されません。これはフィリピーナと結婚した男の、神聖なる義務でございます。

前々回、友達のティンティンのイラストの時もそうでしたが、本人が見るかも知れない似顔絵というのは、実に難しい。まず印象が似ていないといけないし、その上で「そこそこ美人」に描かないとダメ。いくら似てても、本人が嫌がるような箇所を強調すると怒られる。だからと言って美人にしすぎても、皮肉と取られかねない。

ところで家内の顔について。
フィリピン女性と聞くと、目が大きくパッチリしてて、少し前に流行った言い方を借りると「ソース顔」や「濃い顔」を思い浮かべる人が多いでしょう。ところが家内は、フィリピン人から中国人や日本人と間違われるほどの「しょうゆ顔」。目は二重でもパッチリという感じではなく、切れ長の印象です。肌色もそんなに濃くない。

童顔だというのは、このブログでも何度か書きました。結婚した時、既に33歳だったのに、日本では高校生と思われたり。この童顔+日本人顔効果で、日本に住んでいる時、よく道を尋ねられていました。


そして、来日して最初の冬。どうしても雪が見たいと言うので、兵庫県の日本海側にある、城崎温泉へ。当時はまだ新婚早々だったので、張り込んで、城崎マリンワールドに隣接するホテル金波楼(きんぱろう)に泊まりました。

とにかく生まれて初めての日本で、しかも温泉。純和風の食事にして、何も食べられなかったりすると可哀想なので、和牛ステーキも追加で頼むという超豪華コース。ところが生魚以外は、なんでも美味しいと平らげて、結局ステーキは私が頂きました。それより驚いたのが、初めて着た浴衣が不思議なほど似合うこと。

顔つきが南方系っぽくないだけでなく、かなりの撫で肩。食事の用意をしてくれた仲居さんが「本当にフィリピンの方ですか?」と聞き直したほど、浴衣姿がサマになってました。

ということで、今回選んだコスチュームは着物です。結婚して子供までいて、もう50過ぎなのに、なんで振袖なんだというツッコミは禁止。いいんです。フィリピン人はそんなことに拘りません。綺麗だったら何でもいいんです。


一緒になって、来年で20年。いまだに童顔だし、息子のクラスメートの女の子に「マダムは、フィリピンの言葉は喋れますか?」と英語で訊かれたりしてる。ここは家内の生まれ故郷なんですけどねぇ。

過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス


2017年8月8日火曜日

拳銃痴漢


半月ほど前のこと、いつものように家族で日曜日朝のミサに与り、神父さまの説教を聴いておりました。「聞く」ではなく「聴く」と書いたのは、ほとんど意味が分からないから。ここでは通常、ミサは英語で行われるのですが、なぜか説教だけは地元の言葉のイロンゴ。たまに英語も混じるのに、ジョークの落ちだけイロンゴになるので、肝心なところで笑えません。

この日も例によって、イロンゴが片言レベルの私と息子は、蚊帳の外。だいたい30〜40分くらいは黙想会みたいなもの。ミサの後家内が、拳銃強盗のことだったと事後通訳をしてくれました。どういう流れで強盗の話になったのかはよく分かりませんが、わざわざ神父さまが言うぐらいなので、単なる噂ではないでしょう。

日頃このブログでは、私たちの住むシライ、とりわけこの宅地の治安の良さについて書いてきたのに、やっぱりフィリピン。油断できないですね。それもまだ宵の口の午後7時頃に起きたそうで、場所も宅地の管理事務所やサリサリストア(雑貨屋さん)がある、比較的人通りの多い場所。これは物騒な。

それから1週間ほどして、お隣さんにして「情報屋」、家内の高校からの友達ナンシーが、詳細を報告してくれました。被害者は女性でメイドさん。雇い主に頼まれて、雑貨屋さんへ買い物に行く途中、二人組の男に襲われました。

ところがよく話を聞くと、金品が目的ではなく痴漢だったらしい。いきなり体を触られたとのこと。さらによく聞くと、暗かったので犯人が拳銃を持っていたかどうかも定かではなく、痴漢のついでに有り金を盗られたという感じ。といっても雑貨屋で買い物なので1000円も持ってなかったと推測します。

被害にあったメイドさんには気の毒で、さぞ恐ろしかったでしょうけど、なんともケチで情けない犯罪。警備員は銃で武装しているし、見つかれば射殺されるリスクも。これが命がけでやるようなことかいな。

最近は地方のネグロスでも、ドゥテルテ大統領の対麻薬戦争の影響で、仕事にあぶれた薬の売人が、強盗などの他の犯罪に流れているらしい。最初はこれもその一端かと思いましたが、どうもそこまで危ない話ではなく、酔っ払いの悪ふざけだったのかも知れません。

とは言え、住民からすると冗談では済まされない。案の定それからは、宅地の警備が厳しくなりました。「No ID, No Entry」の標識が掲げられ、外部から入ってくる人は、かならずIDカードか免許証をゲートで預けるルールが厳格化。

先週、倉庫を大掃除して大量に出たガラクラを、廃品回収業のオッちゃんに取りにきてもらったら、荷物を持って出るのに許可が必要だから、覚書をくれと言われてしまいました。うわぁ、そこまで徹底するのか。面倒なので、一緒にゲートまでオっちゃんと同行。

それにしても、身近なところで犯罪がジワジワ増えてきたように感じます。少し前、監視カメラと護身用拳銃について投稿したばかり。やっぱり自分と家族の身を守る手段は、そろそろ真剣に考えた方が良さそうですね。


2017年8月6日日曜日

宗教音痴の日本人


総務省の統計によると、2014年現在、日本の仏教徒は約8,712万人もいるんだそうです。これは「うっそ〜!」と言いたくなる数字。仏教徒と言うからには、当然家に仏壇があって、連日連夜、念仏やお題目を唱え、週に一回ぐらいはお寺に行って、お坊さんの講話を聞いているはず。仏教徒をどういう定義で捉えているのか、はなはだ疑問。

もちろんそういう日本人も、少なからずいます。親戚にも創価学会の会員がいて、熱心に「南無妙法蓮華経」を唱和。でも、国民の75%がそうだというのは違うでしょう。おそらく電話などで質問されて、本当は特定の宗教の信者ではないのに、そういうえば実家にある仏壇は、〇〇宗のだったなぁ、程度の根拠で回答したと推測。

私には、少なくとも過半数の日本人は、明確な信仰の対象があるとは思えないし、日常的に神や仏を意識していない。つまり信仰がある日常生活というものを、具体的なものとして想像しずらい人の方が多い。

こういう状況なので、日本で宗教と聞くと、天使か菩薩のように清らかな暮らしをしている「敬虔な〇〇教徒」と思うか、淫祠邪教の類で、洗脳されて財産も自由も、場合によっては命すら取られかねないといった、両極端なイメージを持たれがち。1995年のオウム真理教によるテロの影響もあるでしょう。

しかし、カトリック信徒として20年生きてきた私の実感からすると、信仰とは良くも悪くもそんなに浮世離れしたものではなく、超自然的な体験があったわけでもない。朝夕や食事前に祈りを唱え、日曜日には教会に通う。家を建てたり車を購入すれば、神父さまに「祝福」してもらい、家族の誰かが離れていれば、その無事を祈願する。まさに生活の一部という表現がぴったり。

そして誤解されやすいのが、他宗教の信者との付き合い。ローマ教皇は、他宗教への敬意と共存を呼びかけているし、私個人でも、前述の創価学会員の親戚とは、何のわだかまりもなく付き合っています。またマレーシアやインドネシア、パキスタン、ドバイなどで、イスラムの人たちと普通に仕事をしてました。

ただし、会話や行動にはそれなりの注意も必要。言ってはならないことや、してはならないことはわきまえておかないと、かなり面倒なことになるのも事実。でもこれは宗教に限ったことではなく、どこの国の人であっても、文化背景の異なる人たちに接する時の、基本的なマナー。まずは、安易に政治や宗教の話題を持ち出さないことです。

私の考えでは、宗教の違いイコール生活習慣の違い。経典にある一言一句の解釈の差で、殺し合いをするようなことは、現代社会では、そう簡単に起こることではありません。スペインによる侵略を遠因にして、ずっとフィリピンの内政問題になっている、ミンダナオ島での争いを、宗教戦争だとする人もいますが、これはたいへん危険な認識。

純粋に信仰の違いで戦争が起こっているのではなく、11世紀の十字軍遠征のような昔はいざ知らず、私の知る限り、ほとんどは、領土争いや、弾圧や圧政、差別への反抗が本当の原因。その上で相手を異教徒扱いすることで、殺戮や暴行、破壊、掠奪を正当化して、後付けで宗教の違いを強調しているだけなんじゃないかと思います。宗教音痴な日本人が、それを真に受けているだけの話。

注意深く見れば分かるように、フィリピン政府はイスラム教徒全体を敵視するような発言は、絶対にしていません。むしろラマダン明けなどイスラム関連の休日を設けたりして、歴史的に辛酸を舐めてきた人々の慰撫に努めている。現在マラウィで紛争を起こしているISは宗教団体ではなく、テロリスト集団と規定しているはず。これをカトリック対イスラムという構図で捉えてしまうと、それこそ憎しみの連鎖に、お墨付きを与えるようなもの。

ところで、私は最初に、日本人の多くは特定の宗教を持たないと書きましたが、実はそうではなく、日本人全員が「日本教」の信徒だという説(?)があります。1970年に刊行された、イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏が執筆した「日本人とユダヤ人」がそれ。

例えば、根っからの悪人は存在しなくて、どんなに気難しい人でも「話せば分かる」と思っている。神も仏も拝まないけれど、死んだらそれで終わりでもなくて、お彼岸やお盆にはお墓まいりしたり。周囲の空気を読んで、命じられもしない残業をしたり、行間を読んだり。最近の流行り言葉で言うと「忖度」上手。「他人に迷惑をかけない」なんて信条も共有。

そういう目で見ると日本人は、まるで教祖の言葉や経典による、宗教的な共通の行動規範にでも従っているよう。しかも誰も日本教の信者と意識しないほど、その教義に一片の疑いも持たない。山本七平氏に言わせると、これは人類史上、他に例を見ないほど強固な宗教。因みにこの説に従うと、私は日本教カトリック派の信者、ということになるそうです。

著作「日本人とユダヤ人」は出版直後から、現代ユダヤ人に関する記述の間違いに対してなど、ずいぶんと批判や反発があったらしく、私も書いてある内容すべてを鵜呑みにはしていません。それでも、初読の時には、目から鱗で、いろいろと腑に落ちました。

今でも「日本教」の件りは、なかなか面白い見方だと思うし、宗教のことは分からないと敬遠しがちな日本人も、自分が日本教の信者だと仮定してみれば、何らかの信仰を持つ人たちの気持ちが分かるかも知れません。

海外生活をすると、思い知らされる日本人独特の習慣(特に日本食や入浴への執着)が、日本人にとって当たり前だと思うのと同様に、大多数のフィリピン人にとってのカトリック信仰が、何も特別ではない生活の一部だと考えれば、それほど理解しにくい話でもないと思いますよ。


2017年8月4日金曜日

シャワールーム・リノベ大作戦


今年の3月、そろそろ自宅のリノベーションを考えているという投稿をしました。それから5ヶ月。なかなか大工さんや職人さんと連絡が取れず、のびのびになっていた計画。やっと新築時の大工さんの一人、便利屋のダリ(フランスの画家ではない)が来てくれました。

フィリピンではSIMフリーの安い携帯電話が出回っていて、SIMカードも100ペソ(約220円)も出せば、いくらでも新しいものが購入可能。つまり電話番号の変更が簡単。だからと言って番号変えなくてもいいのに、半年も経つと誰の電話もつながらなくなってしまいます。

ダリの場合は、末っ子がまだ小学生。家内がその子が通う学校まで行って「パパに私の家に来るように、お願いして」と伝言したのでした。その数日後、やっと顔を見せたダリ。早速シャワールームのリノベーションを頼むと、義理のお兄さんが配管工なんだそうで、次の週末、朝から工事を始めますとのこと。

竣工後たった3年の我が家。リノベが必要なのは、老朽化したわけではなく施工ミス。シャワーブースの取り付け方が悪く、半年ほど前からフロアとの間からジワジワと漏水。その上、既製品のブース自体もあまり品質がよくなくて、いきなり把手はもげるし、樹脂製の床面は傾斜がついていなくて、排水がちゃんとできない。カビも臭いもひどいので、取っ払ってしまうことに。

そして洗面台。モノは悪くないけれど、奥を高く手前を低くするところを、逆にしてくれたもんだから、手や顔を洗って跳ね返った水が、全部奥に溜まり、左右から水漏れ。これまたカビやシミの原因に。


写真だときれいに見えるんですけどねぇ

ようやく日取りが決まったので、材料購入のため、隣のタリサイ市に最近オープンしたホームセンターへ。フィリピンで家を建てたり補修したりする場合、建材は施主自らが買い付けるのは珍しくない。大工さんに任せてしまうと、値段や品質の点で、まず思い通りの品物は入手できません。


タリサイ市にできたウィルコン

買ったのは、タイル数枚と角につけるコーナー・モール、シャワーカーテンとカーテン用のバー、排水口の金具。たったこれだけですが、完成のイメージと大雑把な工法の知識が頭にないと、何を買ったらいいのか分からない。自分の家を建てた経験がモノを言います。これが、フィリピンでの住宅建設の難しいところ。

いよいよ工事当日。約束の朝9時ちょうどに、義兄の配管工、兼左官屋さんのジュンを伴ってダリがやって来ました。初対面のジュンは、40歳過ぎぐらい。スリムでなかなかの渋い男前。英語もちゃんと理解できるし、仕事ぶりも悪くありません。これは頼りになりそう。私が用意した材料を見て、コーナー・モールまで揃っていることに満足そう。「お前さん、分かってるやんけ」と言いたげでした。


昼食中のジュン(左)とダリ(右)

工事は思ったより早く、翌日曜日の午前中には完了。シャワーブースは撤去され、畳1枚分程度の広い新シャワーブースが出来上がりました。洗面台も再設置。これなら排水もスムーズだし、カビや悪臭に悩まされることもありません。最初からこうしておけば良かった。



さて、今回の教訓。フィリピンで大工さんに仕事を依頼する場合、施主が具体的な要望をどこまで明確にイメージしているかで、仕事の良否の9割は決まってしまいます。大工さんの腕がよくて、丸投げ仕事で上手くいくのは日本でしか考えられない。

実はこれ、私がかつて所属していたデザインの世界でも同じ。仕事を頼む側(大抵はデザイナーではない経営者や商品企画担当者)が、最終完成形のイメージが希薄だったり皆無だったりすると、ロクな結果にならない。どんなアイデアを出しても、決定者に判断基準なしでは、いつまでも決まらないし、第一どんなアイデアを出すべきなのか不明。

いいデザインの商品を作るには、優秀なデザイナーや設計者の存在だけでなく、経営者や仕事を依頼するクライアントが、デザインの目利きである必要があるということ。有名な例では、スティーブ・ジョブスや本田宗一郎さんのような人たち。デザインとはメーカーの総合力だと言われる所以です。

そこまで偉大な人物を引き合いに出さなくても、フィリピンで住み心地のいい家を手に入れようと思ったら、それなりの熱意と知識、そしてある程度の経験が必須条件。今の私だったら、日本人施主向け建築コンサルタント業ができるかも知れません。誰か仕事くれませんかね? 良心的なお値段で引き受けますよ。