2016年11月7日月曜日

西郷隆盛が過労死を招く


もう何年も前から日本で社会問題になっている過労死。つい最近では、某大手広告代理店勤務の若い社員が自殺し、月100時間を超える残業の事実などから、過労死と認定されました。

私自身も、フィリピンに移住する前は、日本の大企業で28年も働き、一時期は、この亡くなった方と大差のない長時間労働。土日は休みで、1か月が約20日勤務。毎日夕方5時から10時まで残業したとして、1日5時間。これで100時間なのですから、私が20代から40代の前半の頃、1980年代〜2000年代には、当たり前のような毎日。で、その結果どうなったかというと、不眠に抑鬱。退職する直前は、半年以上に及ぶ休職を2回もすることになりました。

私の経験を振り返ってみて、心を病んでしまうほどのストレスの要因は、細かく分類すると、その時々の具体的な仕事の内容で、微妙に違っているけれど、結局行き着くのは、組織としての意思決定能力の、絶望的なまでの欠如ではないでしょうか?

分かりやすくするために、敢えて極端な例を述べてみます。まず最初に、責任者の承認がない「仮」企画書に基づいて、担当者が「仮」案を作る。あやふやな状況でスタートしているので、当然1案に絞ることができず、3案とか5案とか用意しなければならない。

走りながら、仮案を係長、課長、部長と個別に説明し、それぞれから「指示」や「注文」を受ける。これがまたそれぞれに何回も「やり直し」が発生。なぜなら、どの指示も注文も、具体性がなく抽象的なものばかりだから。ひどい場合には「俺は、これが嫌いだ」で会議が終わることすら。どう嫌いで、どうすれば好きになるのか、さっぱり分からないままで、複数案同時進行はそのまま。

そうこうしているうちに、どんどん時間は無くなり、深夜残業して、さらに仕事を家に持ち帰っても、ちっとも先に進めない。闇雲にいろんなアイデアを出しては、上司に拒否されるのを繰り返して、いろんな人の意見で「玉虫色」になった最終案。これを社長が参加した「決定会議」で、ボロクソに貶されて、決定どころか最初からやり直しに。ここでも社長から具体的な指示は出ないので、また暗中模索になる。

書いていて、昔を思い出し気分が落ち込んでしまいました。このプロセスを何ヶ月も続ければ、真面目な人ほど、ぶっ壊れてしまいますね。どうも、日本では、最初にはっきりと細かい指示をするのは、良い上司ではないと信じられているみたいです。「命令」という言葉も嫌いだし。歴史上の人物で、代表的なワンマン指導者、織田信長が、最後には部下に殺された逸話が象徴的。それに対して、理想的とされるのが西郷隆盛でしょう。

優秀な部下を見つけて、全部任せてしまい、大方針だけを示すと言うやり方が、なぜか賞賛されてきました。でも部下に担がれて、その暴走に付き合った結果、西郷隆盛は西南戦争という明治政府への反乱を起こして敗走し、その部下諸共滅んでしまいます。

西郷と対立する形で政府に残った大久保利通は、今でも人気がありません。でも、本当に明治維新後の日本を作ったのは、大久保。版籍奉還、廃藩置県、地租改正、富国強兵、殖産興業、これすべて大久保の業績。大久保利通がいなければ、日本の近代化は、もっと遅れていたか、全然別の形になっていたでしょう。

私には、中途半端な「西郷隆盛」気取りが、日本を働きにくく、住みにくい国にしている元凶に思えて仕方ありません。百歩譲って、西郷的なリーダーを認めるにしても、そんな人は会社のトップに一人いれば十分です。

今日も日本では、曖昧な指示の元、権限もなく安い給料なのに、責任だけを負わされて、深夜まで途方に暮れながら働いている人が、たくさんおられるんでしょう。それを思うと、暗澹たる気持ちになります。やっぱり、子供を日本の企業で働かせようとは、思わないですね。

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