2016年10月7日金曜日

フィリピンで夢見る阪急電車


一時帰国の時に梅田駅にて撮影

関西地方に生まれ育った人には、阪急電車好きが多い。正式名称「阪急電鉄株式会社」によって運営されるこの鉄道は、1907年(明治40年)、小林一三さんによって創業されたそうで、大阪の梅田ターミナルを拠点に、宝塚・神戸・京都を結ぶ関西屈指の私鉄です。

関西には他にも、日本最長の路線を有する近鉄や、阪急神戸線のライバル阪神、京都〜大阪を結ぶ京阪、大阪〜和歌山の南海の大手5社を始めとして、合計20社もの私鉄がしのぎを削る「私鉄王国」。その中でも特に阪急電車の人気が高いように思います。

私は、「撮り鉄」とか「乗り鉄」と称される鉄道愛好家ではありませんが、阪急電車は大好き。もう愛していると言ってもいいぐらい。生まれ育った家の最寄り駅が、阪急神戸線の塚口駅で徒歩10分ほどの距離。物心つく前から、お出かけというと塚口駅。私にとっては、梅田の阪急百貨店でおもちゃを買ってもらったり、ご馳走を食べに連れて行ってもらったり、おばあちゃんの家に遊びに行ったり...楽しいこと嬉しいことは、ほとんどすべて塚口駅が起点でした。

それだけならば、阪急電車に限らず、幼い頃から慣れ親しんだ鉄道に、誰でも愛着は持ちますが、阪急が特別だったのは、子供心にも憧れた高級志向。

まず、車両そのものが美しい。「阪急マルーン」と呼ばれる褐色のボディカラーは、昔から変わらない阪急の色。聞くところによると、元々は汚れや錆びが目立たないから採用されたらしいですが、そんなことは想像もできないほど、上品に見えます。

阪急電鉄の創業者・小林一三さんは、住む人の少ない僻地にばかりに鉄道を敷き、嘲笑されたそうです。でもそれは先見の明。敢えてそういう場所に駅を作り、宅地を造成して沿線開発。今では、阪急沿線の、特に急行停車駅近辺と言えば、高級住宅地のイメージが定着するほど。30年前に亡くなったおばあちゃんが、よく言ってました。「阪急は、客層がええ。国鉄と比べたら、お客さんの履きもんからして全然ちゃう(違う)。」

また、宅地だけでなく、宝塚歌劇場や、かつての阪急ブレーブスの本拠地だった西宮球場などの娯楽施設も建設。関西人にとっての阪急電車は、単なる移動手段をはるかに超えた、高級ブランドそのものでした。最近では「阪急電車」という小説が出版され、映画にまでなりましたね。

私の場合、大学は京都市内だったし、就職先も大阪。かなり最近まで通学・通勤は毎日阪急電車という生活が続きました。フィリピン人の家内と一緒になった後、引っ越し先も阪急沿線。結局ほぼ50年近くも、この電車にはお世話に。

そしてフィリピンへの移住。愛しの阪急電車とは、残念ながら縁切れ。ところが、時々夢に見る日本の風景。なぜか阪急電車に揺られていることが多い。時々、今住んでいるネグロス島とごっちゃになって、塚口駅から輪タクでシライ市の自宅に帰る夢も。そういう夢から覚めた朝は、ちょっぴり感傷的になったりします。

ということで、夢に見た情景を、想像力を目一杯膨らませて、イラストに描いてみました。阪急神戸線が、南に3000キロ、ネグロス島シライ市まで延伸され、始発駅の塚口から「阪急シライ市駅」に、国際特急が到着したところです。


直接日本と線路を結ぶのはありえないにしても、いつの日かネグロスに旅客鉄道が開通し、払い下げで阪急電車の中古車両が走らないものでしょうか? 夢と言うより妄想ですが...。


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