2016年8月25日木曜日

尼崎発フィリピン往き

このブログの自己紹介にも記したように、私は兵庫県の尼崎という街の生まれ。たいていの人がそうであるように、私も生まれ故郷が大好きです。

なんで、いきなりこんな書き出しから始めたかというと、ここ最近立て続けに、尼崎で生まれたり、住んでいたりする人と、フィリピンを通じて知り合ったからです。私と同じようにフィリピン女性と結婚した人や、尼崎に住みながら、同じネグロス島にご家族で長期滞在している人など、フィリピンとの関わり方はさまざま。

それでも、同じ場所に居たというだけで、まったく未知の人と永年の友達だったような感覚になります。特に、日本から遠く離れて暮らしていると、余計に。

尼崎は、大阪市と神戸市の間に位置する中核都市。市内には阪急・JR・阪神の3本の鉄道が走り、住むにはとても便利で、人口は45万人。そんなに大勢人が住んでいるんだから、中には、フィリピン人と結婚したり、フィリピンに滞在する人もいるでしょう。そう言ってしまうと身も蓋もありませんけど。

かつて私が子供の頃は人口55万を数え、臨海部に工場が林立し、幹線道路を大型トラックが走り回って、大気汚染が深刻な状態でした。市内を流れる庄下川は、工場の汚水や生活排水で悪臭を放ち、一時は、尼崎といえば公害の街というイメージが定着してしまった。

ところが今では、すっかり空気もきれいになり、あの庄下川には小魚が戻ってきたと言います。その代り...でもないのですが、2005年のJR西日本・福知山線の脱線事故やら、2012年の尼崎連続変死事件やらで、イメージそのものは、今でもあまり良くないかも知れませんね。

イメージがいいことだと、テニスのクルム伊達公子さんの母校、園田学園は、私の実家のすぐ近くです。その他に尼崎所縁の有名人では、つい先日亡くなった、人間国宝の桂米朝師匠は、ご子息の米團治さんと共に尼崎にお住まいでした。また、ダウンタウンの松本さんと浜田さんが尼崎生まれ。このお二人、私と1年違いの同年代。

この尼崎を、今の家内との結婚を機に離れて、もう20年が経とうとしています。これだけ時間と距離を置くと、生まれ故郷を、ずいぶん客観的に眺められるようになりました。いろんな経緯があって、今はフィリピン暮らし。もちろんそれは気に入っているのですが、もし事情が許せば、もう一度尼崎で、家族一緒に住んでもよかったかな、とも思える最近です。


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