2016年7月6日水曜日

日本人の面倒臭さ

移住するずっと前から、時々私は「日本人離れしている」と言われてきました。例えば、誰かの講演や何かのセミナーで、質疑応答の時間になった途端、真っ先に質問をする。また、教会のミサなどで、座席がずらりと並んだところで、一番前に座る。会社の会議で、回りくどい発言に対して「で、何が言いたいんですか?」と突っ込む。

私にしてみれば、それほど変わった行動だとは思わない。お金を払ってわざわざ誰かの話を聞きに来ているのに、何も質問しないなんて勿体ない。前に席が空いているのに、前から詰めずに、わざわざ後ろに座るのも意味が分からない。時間の無駄遣いして理解不能の発言している人に真意を確かめて、会議時間の節約するのが、いけないことか?

万事そういう調子だったので、「KY」などと言われると、本気で怒ったり。周囲からは面倒臭い奴と思われていただろうし、私自身も窮屈で仕方がない。私の母親という人もこんな感じで、嫌なものは嫌、おかしいことはおかしいと、相手が誰であってもはっきり言ってしまう。それでずいぶんと敵を増やしていたようです。こんな母親の最初の子供として生まれたせいか、その影響を思いっきり受けてしまいました。

周りの雰囲気を過剰に察して、自分の言動を規制する。だから日本の大企業では、物事を決めるのが異常なほど時間がかかるし、いざ決まってみても、誰が責任を持って決定をしたのかが、本当に分かりにく。これは最近の話だけではなく、有名なところでは、先の世界大戦への日本の参戦を決めたのが、結局誰だったのが分からないらしい。

これに加えて、日本人は細かいことを気にしすぎる。誰かが言ったことの言葉の端々まで気を遣い、それを気に病んだり、ちょっとした言い方に腹を立てたり。これは自分自身がそうなので、余計に嫌になってしまいます。しかも、直接顔を合わせての会話だけでなく、ネット内では、これがより拡大されてしまう傾向が大きい。

そこへ行くと、フィリピン人相手の付き合いは、実に気楽。たまたま私の周囲に、そんな人しかいないだけかも知れませんが。ちょっと考えてみても、根に持ったり、誰かの言ったこと(書いたこと)に、いつまでもネガティブな感情を抱いたりする人って、本当に見当たりません。だいたい楽観的で、先のことをあんまり本気で心配する人が少ないしなぁ。嫌なことはすぐ忘れ、将来のことを思い悩まない。

これがあまり極端なので、初めてフィリピンに来た日本人には「雑」としか見えないことも。それでも私は、胃を痛くするような「気遣い」より、はるかに居心地がいい。
今、気がつきましたが、「きづかい」と「きづかれ」って一文字しか違わないんですね。


一時帰国で買ってきた日比の国旗




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