2015年12月30日水曜日

従弟はカジノのカード・ディーラー

「カード・ディーラー」という職業をご存知でしょうか? 007の映画によく出てくる、カジノでのポーカーとかブラックジャックなどの賭けトランプ。そこでカードをシャッフルしたり、配ったりする人がカード・ディーラー。私はギャンブルとは本当に無縁で、パチンコすら自前では100円使ったことがあるだけで、以降二度と足を踏み入れたことがありません。カード・ディーラーなど、生涯会うこともないと思ってたら、何とマニラに住む家内の従弟が、カード・ディーラーだったと分かりました。

従弟のラルフは、ネグロス島生まれで30歳になるかどうかの青年。筋トレ大好きで、結構ガタイが良く、なぜかスキンヘッド。ちょっと見は強面ですが、話をすると実に優しい。半年ほど前に、中国系メスティーソの可愛い奥さんと一緒になったばかりの新婚さんです。クリスマス休暇を利用して、故郷のネグロスに帰省しました。

もう今晩のフライトで、マニラに帰るという日に、奥さんと共に我が家で夕食。食後の雑談で出たのが、カード・ディラーの話でした。最近好景気に沸くフィリピン。特に首都マニラでは臨海部の再開発が盛んで、巨大ショッピングモールの「モール・オブ・アジア」を中心に、たくさんのホテルやカジノがオープン。

ラルフが、3年前からカード・ディーラーとして勤め始めたホテルもその一つで「ソレア・リゾート&カジノ」。今年、日本からのお客さんをマニラに迎えに行った時、前を通りました。デカくて豪華なホテル。一番安い部屋でも一泊2万円はする。最高級のスイートになると、軽く10万円超え。


興味津々でラルフにいろいろ訊いてみると、やっぱり外国人客が多い。特に中国人、韓国人、日本人。バカラ担当のラルフ。彼が担当したある日本人客は、最初の3分で190万ペソ(約410万円)負けたとか。すぐに追加で250万ペソ(約520万円)をチップに替えて、結局15分で全部パー。総額440万ペソって、ちょうど今住んでる自宅の地代と工費を合わせた金額ですよ。

爆買いで有名な中国人はもっとすごくて、一晩に数千万円単位で負けるそうです。勝って帰る客など滅多にいないし、一度勝っても、二度三度と戻ってきて結局大負けする人ばかり。カジノに寄付してるようなもんですね。日本でも公営カジノを開設しようという計画がありますが、こんなに効率のいい集金システムだったら、国家で独占するのも分かります。

一瞬でとんでもない大金を失うのですから、ぶっちギレてしまう客もいる。ラルフの同僚は灰皿をぶつけられたそうです。しかし罰金もすごくて、その客はぶつけた相手のディーラーに5万ペソ(約12万円)を支払い。ラルフが「僕もぶつけてほしかった。」と笑ってました。


ラルフも赤い制服着て仕事してるそうです



2015年12月29日火曜日

2015年 10大ニュース

早いもので、フィリピンに移住してから3回目の年の瀬です。今年もあと2日でおしまい。日本では仕事納めも終わり、家の大掃除が佳境を迎えている方も多いでしょうね。フィリピンではクリスマスがお祝いのメインなので、もう休暇もまる一週間経過。

2014年を振り返ると、フィリピン全体ではローマ教皇フランシスコの来比に始まりました。大きな被害をもたらした台風も多かったですね。もう最近は台風シーズンなど関係なしに、正月から年末までいつ来てもおかしくない。

それから6年に一度の大統領選挙を2016年に控えて、早々に選挙運動開始。明るい話題では、お昼のバラエティ番組「イート・バルガ」でコメディアンヌのメンイ・メンドーサ嬢が大ブレイク。どこへ行ってもコマーシャルやポスターで、彼女の顔を見ない日はないほど。

それでは我が家の2015年10大ニュース行ってみましょう。

第10位「ご近所の美人コンテスト」



私たちの住むサブ・ディビジョン(宅地)で開催された、第一回の美人コンテスト。フィリピン人がどんだけミスコン大好きか、目の当たりにしました。つい先日は、ミス・ユニバースにフィリピン代表が選出されたところ。この国のミスコンの裾野を広さを実感です。この大会には、話題になった日本代表の宮本エリアナさんも出場しましたが、惜しくも入賞を逃しましたね。


第9位「セーブモア開店」



家内の故郷、フィリピンのシライ市に初めて足を踏み入れた19年前には、想像もできませんでした。このド田舎にフィリピン国内最大手のスーパーが開店です。公設市場よりは野菜などが少し割高ですが、いろんな買い物が一度に済ませられるので、我が家の利用率は高いですね。案の定、従来からある他のスーパーは、かなりお客さんが減った模様。


第8位「日本語教室開設」



少々身の程知らずの感はありますが、始めてしまいました日本語教室。まだ3週間しか経っていないものの、なかなか順調です。さっそく噂を聞きつけて、お金を払うから教えてという人まで現れました。


第7位「テニス再開」



移住してから数ヶ月間は頻繁にやってたテニス。諸般の事情でしばらくご無沙汰だったのが、新しい日本人の友達の誘いで、4月頃から再開しました。この頃は日本人だけではなく、地元の高校生やNGO関連のニュージーランド人にアメリカ人が加わり、国際色豊かな草テニスを楽しんでいます。


第6位「仔猫のチャコ」



昨年、仔犬を2頭死なせたばかりなのに、性懲りも無くやってしまいました。道端で拾ってきた小さな仔猫。チャコと名付けて可愛がっていましたが、やっぱり長くは生きてくれませんでしたね。今でも仔猫を見る度にチャコのことを思い出してしまいます。


第5位「終わらない自宅の工事」



昨年の10大ニュースでは堂々の1位だった自宅竣工の話題。予想はしてたものの、やっぱりあちこちから不具合が。一番の厄介事が2階ベランダからの雨漏りでした。少々コストは高くつきましたが、思い切って屋根を新設。結果的にはベランダがずいぶん快適な空間に生まれ変わって、リノベーション大成功でした。


第4位「はるばる日本からのお客さま」



今年もお客さまはいっぱい来てくれました。特にわざわざ日本から、取り立てて有名な観光名所があるわけでもないシライ市に、二組も来て頂いたのは嬉しい限りです。それ以外にも、隣街のバコロドを拠点に活動中の日本のNGO関連で、ほぼ毎週日本人の来客。これは、移住前には全く期待していない展開でしたね。


第3位「パパ・ボーイ逝去」



今年4月4日の朝、家内の叔父パパ・ボーイことハルバート・オフィレニアさんが心臓発作で急逝。享年69歳。上はもう高校生の子供がいる息子から、下は10歳の小学生まで、二人の奥さんとの間にできた、大勢の子供達の父親でした。一週間続くお通夜で、前妻と後妻が棺の前で鉢合わせ寸前の大騒動に。フィリピンの人生模様を垣間見る、貴重な体験となりました。


第2位「メイドのアミー」



去年の10大ニュースでは第3位に、解雇されてしまった初代メイドのカトリーナのことを取り上げました。「家内のお眼鏡に叶う人が見つかるでしょうか?」と不安げな結びに。結局8ヶ月かかったけど見つかりましたよ。良かったね、去年の自分。


第1位「フィリピン妻の日本出張」



予想外の展開と言えば、これが今年一番だったでしょう。日本語、英語、イロンゴ語、セブアノ語、タガログ語を操るフィリピン人の家内。元フィリピン大学の研究員で、日本では英語の教師をこなした経歴を買われて、日本のNGOの現地職員に抜擢されました。(と、大仰に書くほどの給料でもないですが)そして11月には、フィリピン人研修生を引き連れて、10日間の日本出張。すごいですね。


ということで、今年の10大ニュースは以上です。
当ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
来年も、よろしくお願いします。


2015年12月27日日曜日

アミーの進学


今年の7月から、私たちの家に住み込みで働き始めた2代目メイドのアミー。初代のカトリーナが半年でクビになっちゃったので、今度はせめて2〜3年ぐらいは居てほしいと思ってました。先代のような無断外泊はないし、たまにドジやらかして家内の機嫌を悪くすることもあるけれど、概ね真面目な働きぶり。本人も我が家は居心地が良いようで、ずっと働きたいと言ってました。

ところが先月になって、急に進学の話が。今年の4月に高校を卒業したばかりで18歳のアミー。メイドになるぐらいだから、実家の家計に余裕があるわけはありません。英語もちゃんと喋れるし、時間があると家内の本棚から英語の本を借りて読んだりしてる。頭はいいけれど、経済的な理由で諦めていた大学。それが高校出て1年近くも経ってから、奨学金を貰えることになったらしい。

これが結構急なことで、来年1月から隣街の州都バコロドの大学へ通い始めるとのこと。田舎の高校の全部の同級生の中から、3人しか貰えないという奨学金。折角居ついたメイドさんがいなくなって、また新しい人を探すのは面倒ですが、こんなめでたい話、引き止めるわけにはいきませんね。

その後いろいろ聞くと、学費と寮費は無料だけど、生活費は月に500ペソ(約1200円)しか出ない。これではいくら物価の安いフィリピンでも、人口50万都市のバコロドでは暮らせません。実家は山間部で片道3時間以上かかり、少し天候が悪いと乗り合いバスがすぐに運行中止。実家からの通学など考えられない環境です。

そこで平日は寮に寝泊りして、週末の金曜日の夜から翌週月曜の早朝まで、引き続き我が家で「半」住み込みメイドをしてもらうことにしました。雇用関係には厳しい家内ですが、なかなか温情溢れる措置ですね。まぁ給金は下がりますけど。

これで来年から晴れて女子大生のアミー...と思ってたら、どんでん返しが。当初から、そんな簡単に決まるわけないと疑念を持っていた家内が、クリスマス前のバコロドへの買出しのお伴にアミーを連れて行って、ついでに大学で話を聞いて来ました。すると入学は6月から(フィリピンの新学期は、通常6月初め)で、まず高卒の学力確認テストをパスする必要があるとのこと。その上で正式な入試。考えてみたら当たり前。

なんでこんな間違いが起こるのかと思いますが、奨学金の窓口担当者がエエ加減なことを言ったらしい。私もフィリピンの永住ビザや運転免許の取得時、人によって言うことがコロコロ変わるフィリピン流には悩まされたので、想像はつきます。それにしても、フィリピン人が相手でも、そうなんですね。

可哀想に、同じく奨学金を貰うはずのアミーの友達は、勤め始めて2か月の仕事を早々に辞めちゃったそうです。ロクに確認もせず、そんな大事なこと決めてしまうのも問題かも知れません。アミーも相当落ち込んで、しばらく暗ぁい顔してました。とは言え、まだダメと決まったわけではない。元気出せよ、アミー。


洗濯物干しの合間に撮影



2015年12月26日土曜日

南国映画館「ベン・ハー」


先日の「天地創造」に続き、クリスマスの夜はこれしかないというど真ん中の作品「ベン・ハー」を観ました。例によって家内は早々に沈没しましたが、息子とメイドのアミーは11時まで寝ないで、3時間半の超大作を最後まで鑑賞。二人とも筋金入りのカトリック信徒になるかも。

さて映画の内容。副題として「キリストの物語(A Tale of Christ)」とあるように、イエスさまの降誕に始まり、十字架での死に終わります。しかしずっとキリストの足跡をなぞるわけではなく、同時代のユダヤの貴族、ジュダ・ベン・ハーが主人公。このベン・ハーは、原作者のルー・ウォーレスが創り出した架空のキャラクターで、演じたのはチャールトン・ヘストン。この手の超大作には欠かせない名優で、1968年の「猿の惑星」にも出てました。

この映画は1959年公開。いろんな意味で時代を感じますね。今だったら、ここまで直球の真っ向勝負ストーリーでは、リアリティがないとか、先が読めるとか言われそう。それに物語のキーになるハンセン病(字幕では「業病」と表現)の扱いが難しすぎて、これも今なら、相当描き方に配慮が必要だろうと思います。

それにしても前回の「天地創造」と同じく、セットにもエキストラにも金に糸目はつけない作り。特に中盤の見せ場、4頭立ての馬車による競争のシーンは圧巻。これこそCG一切なしの本物の迫力。聞くところによると、撮影中に事故があって死者を出してしまったそうです。そしてちょうど40年後の1999年に公開された「スターウォーズ・ファントム・メナス」でのポッドレースは、ベン・ハーへのオマージュを込めて、かなり忠実なリメーク(というかパロディ?)なのは有名な話。

私が初めてこの作品を劇場で見たのは、大阪・梅田にあったOS劇場の1991年の閉鎖前、最後のリバイバル興行でした。この劇場は私の知る限り関西唯一のシネラマ専用映画館。シネラマとは、縦9メートル以上×横25メートル以上の湾曲した大スクリーンに、3台の35ミリフィルムの映写機を同期させるという、とんでもなく大掛かりな映写規格。それはすごい迫力でしたが、やっぱりお金がかかり過ぎたんでしょうね。


懐かしくて涙が出そうな、在し日のOS劇場

実は初見の頃の私は、洗礼を受ける前。聖書についての一通りの知識はあったものの、正直言って、馬車レースの後の展開は少々退屈してしまいました。なんだか急にトーンが暗くなって、付け足しみたい。ところがそれから5年で、不思議な縁で今の家内と知り合い、フィリピンで受洗してカトリック信徒になってしまいました。

その後、家内と一緒になってから、思い出したようにベン・ハーを観たところ、このレースの後こそが映画の真髄だと理解。本当に聖書の記述をそのまんま映像にしたという仕上がり。またイエス様は後ろ姿しか見せず、最後までご本人の声は聞かれないまま。「イエス」という名前すら直接は語られず「ナザレのお方」とか「若いラビ」と呼ばれていました。こう言う演出が実に上手いですね。不良信徒の私ですが、これは涙なしには観られない、感動の一作でした。



2015年12月24日木曜日

南国映画館「天地創造」


気がつくともうクリスマスイブです。ついこのあいだ12月になったところだと思ってました。熱帯のフィリピンでも、例年この時期は雨が多くなって、日本の年末の寒さには程遠いとは言え扇風機も不要。時には長袖のシャツを羽織りたくなる日もあるのですが、今年はエルニーニョの影響なのか、連日照って30度越え。

しかし待降節も3回目の日曜日が過ぎた12月中旬以降、立て続けの台風もあって急に涼しくなってきました。今朝も昨夜からやや強めの雨で、裏庭には「インスタント池」が。相変わらず極端な天気ですね。

日本人の感覚ではちっともクリスマスっぽくないので、せめて映画でも見て気分を盛り上げようと、昨夜は家族で「天地創造」を鑑賞。ハリウッドで歴史スペクタクルの大作が華やかなりし頃の1966年製作。この映画の原題は「The Bible, in the beginning」そのものズバリの「聖書」。舞台は旧約聖書の冒頭、創世記。神による7日間の天地創造から、アダムとイブのエデン追放、ノアの箱船、バベルの塔、ソドムとゴモラ、アブラハムの物語まで、逃げも捻りもなしに真正面から映像化してます。看板に偽りなしとは、まさにこのこと。

どのエピソードでもお金の掛け方が半端ではない。今だったら全編CGオンパレードになりそうですが、バベルの塔もノアの箱船も原寸大のセットを作って撮影したそうです。箱船に乗せる象も虎もライオンも駝鳥もキリンも...全部生きている本物。これはすごい。日本では同時期の「ベン・ハー」や「十戒」に比べるとやや知名度が低いのは不思議なほどです。

夕食後の8時に見始めて、終わったのは深夜11時。家内は途中で沈没してしまいましたが、ミッションスクールの小学校で聖書のことは詳しく習っているせいか、10歳の息子は最後まで起きてました。メイドのアミーも途中で飽きるかと思いきや、意外なほどの集中力。さすが、ほぼ全員が幼いときから聖書に親しむフィリピン。特にノアの洪水は笑ったり歓声を上げたり。久しぶりに観てみると、映画の中のノアはちょっとコミカルで憎めない好人物でした。

聖書の描写では、さらりと終わってしまう物語も、激しい豪雨に怯えるノアの家族や、不妊に悩み子孫を残すために、止む無く侍女を夫アブラハムに与える妻サラの苦悩、ようやく授かった一人息子のイサクを、神への生贄に捧げるよう命じられた父の絶望の叫び...。映像化すると、そりゃそうなるだろうという場面ですが、やっぱり胸に迫るものがありますね。特にかなり遅めに生まれた息子と一緒に観てると、今までにない感情移入をしてしまいました。


日本人作曲家の黛敏朗さんによる音楽も素晴らしい


2015年12月22日火曜日

もう日本には戻れない 持ち家編

もうタイトル見ただけで想像がつくような話。日本国内で一戸建ての家を持つことは、多くの人たちの夢。一戸建てとまではいかなくて、分譲マンションの購入でも一生に何回もできることではありません。一般のサラリーマンだと、まず現金で一括購入という人はいないでしょうね。20年とか30年とか、気の遠くなるようなローンを組んで、とんでもない額の利息を払って、その上追打ちをかけるように固定資産税やら保険やら...。

宝くじに当たって、億単位のお金を貰ったはいいけれど、勢いで買った土地付き豪邸の税金が高すぎて結局何年か後に売りに出すなんて、ちっとも笑えない話を聞いたことがあります。そんなあぶく銭ではなく、親の代に建てた家でも、地代が高騰して両親が急逝してしまい、相続しようにも相続税が払えないこともあるらしい。

ことほど左様に、今の日本では家を買うのも維持するのも、そして子供に譲ることすら大変なお金が必要です。昔から言われていることですが、住居に必要な費用さえ下がれば、もう少し楽な生活ができて、最近増えている貧困の問題も、かなり軽減されるかも知れません。

私の場合、海外移住を考える以前から、日本で家を持とうとは全然思いませんでした。ローンの支払いで苦労する親の姿を見てきたこともありますし、30代の頃から結構転勤が多くて、一箇所に落ち着いている暇がありませんでした。また私が勤めていた会社では、転宅を伴う転勤の場合、賃貸マンションなどの家賃をかなりサポートしてくれるシステム。こんなに楽だと、敢えて家を買おうという気になりません。

普通ならそろそろ老後のことを考え始める40代の前半には、早々に海外移住を前提にフィリピンに宅地を買ってしまったので、すっかり日本の持ち家には興味無し。この経緯については以前も書きましたので、詳しくはそちらを読んでいただくとして、簡単に説明すると600平米の土地を200万円ほどで現金購入。日本ではあり得ない話ですね。

フィリピンでも土地や建物には税金がかかりますが、今の自宅で年間の支払いが1万円に届きません。総床面積180平米の鉄筋コンクリートの家で建設費が約700万円。同規模の家を日本で...とは、もう考えるだけで疲れてしまいます。

自宅の見取り図



南国映画館「スターウォーズ・フォースの覚醒」


先週から世界同時公開されているスターウォーズ最新作「フォースの覚醒」。ここフィリピンでは日本より少し早く12月17日の木曜日から上映が始まりました。ネグロス島のシライで映画を観ようとすると、隣街バコロドのショッピング・モール、ロビンソンズかSMシティの中にあるシネコンが便利。

昨日、満を持して息子と一緒にロビンソンズの映画館に行って来ました。身近な人たちの間では若者を中心に結構盛り上がってるし、ネットでの日本の騒ぎようを見ると、さぞかし混雑してるだろうと推測。そこで逸る心を抑えて土日は外し、敢えて月曜日の朝11時15分の初回。モールの開店時間は10時なので、その少し前にゲートを開くのを待って、一目散に3階のシネコンへ...。

しかし、予想とは裏腹に映画館の窓口付近には人影なし。だいたい照明が点いてないし、チケットブースも無人。おかしいなぁ、もう学校はクリスマス休暇だし、職場によっては休んでるところもあるから、親子連れで長蛇の列かと思ったんですけどね。

病院の待合いとか、役所の手続き関連窓口はどこでも早朝から行列ができるフィリピン。ロトとかのギャンブルだって平日の午前中から人集りができる国です。料金も大人一人170ペソ(約400円)で日本に比べると断然安いのに。ふ〜ん、そういうものなのかなぁ?


まぁ第1作初公開の1970年代当時、高校生の頃から大ファンだった私のような人ばかりではないんでしょうね。現に同世代の中にも、全6作一度も観たことない友人もチラホラいますから。1時間も手持ち無沙汰になってしまったので、映画の後の予定だったクリスマス用の食材の買い出しを先に済ませました。

結局、チケットブースが開いたのは上映開始の30分前。私たちの他には親子連れ4人家族だけの、ほぼ貸切状態でした。北米では公開直後の興行収入世界記録を樹立かという勢いが信じられませんね。ただでさえ冷房が効きすぎの映画館。長袖のジャージを用意しましたが、ほとんど無人なので相当寒い。息子が鼻をズルズルさせたので、私のジャージまで着せました。


レイトショーかと思うほど誰もいない上映中の館内

肝心の映画の内容ですが、ネタバレしない程度に書かせていただくと、面白かったですよ。何より好感を持てたのは、長年のファンの心理を確実に理解していると思われる脚本。この物語の核である「父と子の葛藤」や「圧倒的なテクノロジー vs チームワーク」のような基本を外してない。また旧作のキャラクターには最大の敬意を払っているようで、それぞれの登場シーンでは拍手したくなるような演出。

監督のJJ・エイブラムスさんは、おそらく世界で一番のプレッシャーを感じながら撮ったと思います。何をやっても、何をやらなくても非難される超注目作。前作のスタートレックも、やはり全世界にファンのいる息の長いシリーズの新作。二つ続けてこんなに重たい仕事を成功させるとは、すごい人ですね。


2015年12月19日土曜日

リユニオン 再会の季節

OFWと書くと何やら新手の格闘技団体みたいですね。そうではなくて、これは「Overseas Filipino Worker」。フィリピンから海外への出稼ぎ労働者のことです。出稼ぎと言っても建築現場の土方やメイドさんのような単純労働だけではなく、企業の管理職や空母に勤務する軍医さんなど様々な職種の人がいます。

私たちのお隣さんで、家内の高校からの友達ナンシーは、お兄さんのレネがUAE(アラブ首長国連邦)のドバイにいて、航空機メーカー・ボーイングのマネージャー。レネの稼ぎで、綺麗な家が建ってそこにナンシーと一人息子のポールが住んでいられるわけです。

このOFW、フィリピン全人口の1割もいて、国家予算に匹敵する額の仕送りをしてるそうです。まさにフィリピンの大黒柱。そしてクリスマスには、里帰りで「国家の英雄」たちが一時帰国します。この時期には、大統領がマニラ国際空港の到着ロビーでお出迎えするのが慣例。ホンマかいなと思いましたが、以前日本にいる頃、家内と一緒に里帰りしたら当時のアロヨ大統領が到着ゲートで待っていました。すごい!

ネグロス島の場合、海外だけでなく首都マニラで働いている人たちも続々と帰省。こうなると、フィリピンでは当然のように連日パーティの嵐に。それでなくても大家族が多いこの国。中にはまだ幼い子供を故国に残して、親族一同のために外国で働いている人もいます。それはもう感動の再会。

こちらでは再会は「リユニオン」。英語をそのまま使います。先日紹介した写真スタジオとか、ちょっと大きなレストランでは「リユニオンにご利用ください」と広告を出すほど、フィリピン人にとっては恒例行事。

家内の従妹や叔父の三家族、医療関係の仕事でアメリカのシカゴに住んでいます。さすがにアメリカは遠くて毎年里帰りは無理ですが、今年は、マニラ在住の新婚の従弟が来週ネグロスに帰省予定。我が家にもご飯を食べに来てくれるので、そろそろメニューを考えないといけません。

そう言えば、家内が日本にいた頃、義父は家内の里帰りを指折り数えていて、帰ってくると帰国まであと何日とまた数えてました。フィリピン人にとってクリスマスとは、宗教的な意味以上にとても大切な季節なんですね。


今年もシライ市役所前の広場にお目見えしたツリー



2015年12月17日木曜日

もう日本には戻れない いじめ編


日本では、ほとんど連日のように報道される学校での「いじめ」。痛ましいことに、記事になるのは、たいてい被害者の自殺という最悪の結果になってからです。セクハラ、パワハラ、モラハラ、虐待...。最近マスコミがどんどん新しい言葉を使いますが、すべて「いじめ」を違う言い方してるだけで、根っこは同じ。

これは日本だけに限ったことではなく、例えば人種・宗教差別に起因するいじめ行為は、世界中にあるでしょう。もちろん、私の住んでいるフィリピンにだってあります。直接目にしたことはないものの、回教徒への嫌がらせや、一部の疾病患者への差別もあるそうです。しかし、小学生や中学生の子供が同じ子供をいじめて、自ら命を絶つまで追い詰めるなんて話は、少なくとも私は聞いたことがありません。

実は私が中学生の頃、かなり悪質ないじめに遭った経験があります。今に至るも原因がよく分からないのですが、5〜6人の学生から学校の行き帰りに殴る蹴るの暴行を受けました。それも実に執拗で、ほとんど毎日繰り返し。思えばこれは、警察に通報レベルの立派な犯罪ですね。ただ私の場合は、幸運にも相談した先生が実に素晴らしい方で、いじめを知ったその日に加害者の学生たちを職員室に呼んで叱りつけ、私に謝罪させました。今でも忘れられない恩人、理科のO先生。

それにしても、もしO先生のようにしっかりした指導をしてくれる人がいなかったら、どうなっていたでしょう。想像するだけで恐ろしいことです。中学生だった私にも、どの先生に頼ればいいか分かっていて、敢えて担任の教師ではなくO先生のところに行きました。頼りない先生も多かったのも事実。当時は「校内暴力」という言葉が初めてマスコミに登場し、私のいた中学でも生徒に殴られる先生がいました。

最近ではいじめをする側の子供の親に気を使うあまり、先生が動けないような状況もあるらしい。いじめられる側も悪いなんてアホなこと言ってる間に、取り返しのつかない事態に。どう考えたって複数で一人をいじめるのは、いじめる方が全面的に悪いに決まってます。殴り返さない者を殴るのは、人間として最低の行為でしょうに。
こういう経験を積んだ目で見ると、日比混血の息子が心配になるのは当然。些細なきっかけでも一度いじめが始まってしまうと、とんでもなくエスカレートするのを身を以て知ってますから。

フィリピン移住に際して、子供の学校について心配頂くこともありましたが、初〜中等教育に関しては全く問題を感じていませんでした。むしろ子供同士のいじめが滅多にないフィリピンの方が安心できるぐらい。実際にネグロス島に来て、息子を現地の小学校に入学させましたが、思った通り。このブログでも何度か書いた通りハーフの子供が多く、同じフィリピン人の友達同士でも家で使ってる言葉が異なったりするお国柄。つまらぬ同調圧力など、大人になっても感じることはありません。

移住後しばらくして、急にSNSで中学の同窓生との交流が増えて、40年ぶりの再会を喜びましたが、なんといじめに加わっていた男から、まるで何もなかったかのようにメッセージが来たのには驚きました。殴った相手は罪の意識どころか、覚えてもいないものなんですね。げんこつで殴られた痛みは、そう簡単に忘れられるものではないですよ。


2015年12月13日日曜日

おいしいと言え!

ほぼ毎日、子供の弁当に昼と夜の家族の食事を作るようになって、1年半ほど過ぎました。フィリピンに移住して、早期定年退職状態の日々。毎日時間はあるし、だいたい日本にいるのと変わらない食材が手に入るので、日本食欲しさに始めた料理。さすがにこれだけ続けると慣れてきて、家族も私が作るのが当たり前状態になってきました。

以前にも書いたように、日本食と言っても本格的な和食ではなく、カレー、トンカツ、ラーメンに餃子などなど。日本の家庭で普通に出てくるような食事です。ありがたいことに、キッコーマンの醤油、ほんだし、みりん、味噌、といった調味料は、割高ですが手に入るので、味噌汁や肉じゃが、麻婆豆腐、ゴーヤチャンプルーなど、日本で食べた味を再現できます。

家族にも好評で、特にカレーの日は息子だけでなく、メイドのアミーも大喜び。先月の万聖節(フィリピンのお盆)に帰省の時には、ぜひ両親や弟・妹たちに食べさせたいと、カレーのルーを持って帰ったほどの気に入りよう。(こちらの輸入食材を扱うスーパーでは、ハウスのカレー・ルーを売っています。)

こんな具合に、最初のうちは食事の度に「美味しい、美味しい」と言ってくれていたのですが、最近は感動がすっかり薄れたようで、頑張って作っても黙って食べています。寂しいことですね。

しかし、よ〜く考えてみると、生まれてから30歳を幾つか過ぎるまで、母親に毎食料理してもらってたわけですが、あんまり「美味しい」と言って食べた覚えがありません。今頃になって、あの時もう少し感謝の念を表現しておけばよかったと思っています。家内に対しては「いただきます」の代わりに「〇〇(家内の名前)、ありがとう」と言ってますが、美味しいとはあんまり言ってないなぁ。

そんな過去の自分の姿は棚に上げて、この頃は家内や息子に「不味かったらしょうがないけど、美味しいんやったら美味しいと言え」と、半強制的に「美味しい」を言わせてます。アミーまで日本語の「美味しい」を覚えてしまい、食事中に目が合うと恥ずかしそうに「オイシィ」。

これを読んでいただいてる方で、日々誰かに食事を作ってもらっている人がいたら、ぜひ「美味しい」を言ってあげてください。絶対に喜ばれますから。





2015年12月11日金曜日

二度目の初聖体

今日はカトリックの宗教行事について。聖体拝領という言葉を聞いたことがありますか? カトリックの信徒ではなくても、映画などで教会のミサ中に信徒が一人づつ小さな煎餅みたいなものを、神父さまの手から食べさせてもらっているのを、見たことがあるかもしれません。正式にはそれだけではなく、ぶどう酒を杯から一口づつ頂きます。

これはパンを模したもので「ホスチア」日本語では「聖餅」(せいへい)と呼ばれ、パンはキリストの体、ぶどう酒はキリストの血を意味します。聖体拝領とは文字どおりキリストの聖なる体を頂くこと。これがカトリックのミサの核心部分。

カトリックは多くの信者が、生後数日から数ヶ月ぐらいで幼児洗礼を受けます。しかし、洗礼を受けたからと言って、すぐに聖体拝領ができるわけではありません。小学生ぐらいでクリスチャンとしての自覚ができたと思われる頃、「初聖体」という儀式を経て、ようやく日曜日のミサで「ご聖体に与る」ことができます。

この初聖体、一律に年齢が決まっているわけではなく、所属する教会や地域によって違います。息子の場合、最後に住んでいた福岡市内の教会で、離日直前のイースターのミサで初聖体。この時、息子は7歳。小学校の1年の最後の頃でした。

ところがフィリピンでは一般的にもう少し遅いようで、先週息子の通う小学校、聖テレシタ学院で、3年生の約70名を対象に初聖体がありました。この学校は学長をシスターが務めるミッション・スクール。この日は3年生以外は休校で、7朝時半から講堂にて保護者を集めての大々的なミサ。こういうのを見ると、やはりフィリピンはカトリック大国ですね。ところで、息子も3年生なので当然のように参加しましたが、二度目なんですけど...。


初聖体の朝。日本晴れならぬ比国晴れ?


講堂に設えられた祭壇


こういう事はフィリピンでは実におおらかで、別段何のお咎めもありませんでした。フィリピン人の家内からして、全く疑問に感じていない。まぁお祝い事やからね。

しかし初聖体だけではなく、何と息子は洗礼を二度受けたという前科があります。息子が生まれたのは横浜にいた時。フィリピンから駆け付けた義母と私の母親にも出席してもらい、横浜市内の教会で、イタリア人神父から洗礼を受けました。

これで無事終了と思っていたら、息子が生後8か月の頃、フィリピンに里帰りした時に、家内がもう一回洗礼を受けさせようと言い出しました。日本の教会ならばあり得ないことでしょうけど、フィリピンではこれまた何の問題もないらしい。二度目は無効なんだろうと思いますよ。まぁいいか。フィリピンでは洗礼の後、家族・親戚・友人を招いての大パーティになります。なるほど、これがやりたかったのね。


2015年12月8日火曜日

アニメを字幕なしで見たいから

さて、成り行きで始めることになった日本語教室。生徒さん第1号は、ちょっとぽっちゃりだけど可愛い顔立ちの女子大生キム。別に私の好みでキムを選んだわけではなく、隣街バコロドを拠点に活動中の日本のNGOマネージャーYさんの紹介です。しかし自宅に毎週若い女性とマンツーマン授業では、家内に変な気を回されそうだし、いろいろとやりにく。そこで、同じように日本語を勉強したい学生さんにも声をかけてと、キムに頼んでみました。

集まったのが、追加で3人。結局キムを含めて男女2名づつの合計4名と、いいバランスに。実は他の3名は以前一緒にテニスをした旧知の人たちでした。ニニンはお調子者の女の子。ちょっと真面目すぎる感じのキムに比べると、くだらないジョークにも反応してくれて日本語教室のムードメーカーになりそう。

キムよりもさらに真面目なのが、黒縁メガネがトレードマークのポール。彼はフィリピン人では珍しいタイプかも知れません。もう一人は、私がフィリピンで初めて知り合った回教徒のサイッド。名前もそうだし、しっかり髭を蓄えて見るからにイスラムな兄ちゃんです。

そして迎えた先週の土曜日。キムを紹介してくれたYさんともう一人の日本人の学生さんが、是非見せてほしいとのことで、オブザーバー含めて6名を前にして、人生初の教師としての授業が始まりました。日本から取り寄せた教科書をベースにはしましたが、日本語で日本語を教える「直接法」ではなく、英語を媒介語に使う「翻訳法」。教科書もそのままコピーしてというわけにはいかず、アルファベットで二重の振りがなを振った、ややクドいテキストをPDFにして事前配布しました。女子2名はちゃんと予習してましたね。さすが。

さて始めてみると、そこは真面目といってもフレンドリーなフィリピン気質の学生さん。積極的に質問してくれるし、かなり関西系のネタふりにも的確な反応が返ってきます。(もちろん英語ですよ。)これは楽しい。最初はそこまでするつもりはなかった、漢字での数字の表記も、西暦の読み方まで教えてしまいました。「千」は「千と千尋の神隠し」に出てくる女の子の名前だと言ったら、知ってるんですよ、これが。


二階ベランダの特設教室

漢字は表意文字なので、一文字一文字に意味がある。だから日本人の名前は全部意味付き、という話から広がってフィリピン人の名前の意味はと聞いたら、キムは「私の名前はパワーレンジャー(日本発「スーパー戦隊シリーズ」のアメリカ向けの英語版)のキャラクターから付けられたの」。すごいね、キムの両親。

授業が終わってから生徒さん全員とFBで友達になりました。早速サイッドがシェアしていた記事が「なぜ日本語を勉強したいのか?」。注目されたいから? 就職に有利だから? 圧倒的大多数が「字幕なしで日本のアニメを見たいから」なんだそうです。冗談かと思いましたが、どうやら本当らしい。よ〜し、それならば、次回はみんなに日本のアニソンを歌わせてやろう。


2015年12月6日日曜日

日本語教えます

1週間ほど前から、意外な成り行きでフィリピンの学生さんに日本語を教え始めました。日本では教員免許があったわけでもなく、日本語検定を受けたこともありません。でもとりあえずやってみたら、思ったよりも楽しい時間を過ごせました。

事の発端は、隣街のバコロドを拠点に活動している、日本の環境NGOマネージャーのYさんとの雑談。移住してもう2年半経ち、そろそろ生活も安定してきて暇な時間が増えそうなので、地元の役に立って自分の人生も充実させるために、フィリピンの学生さんに日本語を教えるというのはどうでしょう?と尋ねてみました。

実はこれ、その場の思いつきでもなくて、移住前から家内と話していたことです。その時は教師役は私ではなく家内でした。家内は私と結婚して日本に来るまで、日本語は全く話せませんでした。そこから数年で敬語までマスターしてしまった学習能力と経験を、そのまま埋もれさせるのは勿体無い。

ところが家内が先に仕事を見つけてしまい、最近はけっこう多忙な毎日。食事の支度はしているというものの、どちらかというと自由な時間が多いのは私の方です。そういう経緯があって、Yさんとの話になりました。

割と軽いノリだったのですが、それを聞いた行動力抜群のYさん、あっとう間に日本語を勉強したいという学生さんを紹介してくれました。それが地元のラ・サール大学で生物学を専攻し、修士課程にいるキムという女の子。半分学生で半分先生なんだそうです。そしてつい先日、JICAの支援で日本への研修旅行に行ってきたところ。今、日本に熱中していて日本語学習意欲満々。

思ったより随分早い進展だったので、慌てて色々調べてみました。やっぱり教科書は必要だろうと、家内の使っていたものを探したところ「みんなの日本語」という本が。ところがなぜか「初級2」からしかない。内容は良さそうなので、Yさんの一時帰国に便乗して「初級1」を持って帰っていただきました。


しかしよく考えてみると、この教科書のベースは「直接法」つまり、他の言語を媒介せず日本語で日本語を教えるスタイル。日本国内では、生徒の国籍や言語がバラバラであることが多いため、翻訳法よりも直接法が一般的なんだそうですね。早い話が、日本語の全くの初心者に教えたいけれど、アルファベットも発音記号も併記していない。さてどうしよう...。ということで、次回投稿に続きます。


2015年12月3日木曜日

もう日本には戻れない 車検編

日本で自動車のオーナーになって、一番頭が痛いのは車検ではないでしょうか? その他にも保険やら駐車場費用やらあります。しかし車検が鬱陶しいのは、よほど自動車の仕組みに詳しくて、ちょっとした不調なら自分で修理できるか、少なくともどこが悪いのかが分かる人でもない限り、明細を見せられてもかかった費用が妥当なのかどうかが分からないところ。

それでも安ければお任せでもいいけれど、10万円とか言われるとちょっとツラい。厄介なのは、ひたすら安いだけの業者さんに任せると、車検が通った直後にぶっ壊れても文句が言えないそうですね。私が日本で車を所有していた時は、ディーラーに完全に丸投げでした。考えてみれば、ずいぶんディーラーの売り上げに貢献してたと思います。

ここフィリピンでは、一応エミッション・テストという排ガスチェックと簡単な検査が年に1回必要ですが、基本的に自動車の整備は自己責任。実は私は一昨年新車を購入しましたが、最初の3年は検査不要なので、まだこの検査を受けたことがありません。しかし日本と比べると随分簡素なようで、費用もエミッション・テストが700ペソ(約1600円)、LTO(フィリピンの陸運局)での検査に4000ペソ(約1万円)ぐらい。

ただしこれは実質的に何の保証にもならないので、ちゃんとした点検は自分でディーラーに頼むなり、街の修理工場に持ち込まないといけません。それでも、よほど悪質な業者にでも引っかからない限り、日本での車の維持費に比べると格段に安いのは間違いないでしょう。やっぱり日本の車検制度が異常に高くつきすぎる。素人考えですけれど、最近の車って、あそこまで神経質に大金かけて点検しなくても大丈夫だと思いますよ、特に日本車は。

でもフィリピンの場合、自己責任と言うと聞こえはいいですが、実際20年落ち30年落ちのすごい車も走ってます。当然ながらトラブルは多くて、道のど真ん中で修理中なんてのは日常茶飯事。困るのは刈り取ったサトウキビを満載して、大通りを塞ぐように立ち往生するでっかいトラック。こちらはパンクが多いみたいです。ラッシュ時にこれをやられると、大渋滞。それにしても、本当に年一回の排ガスチェックを通ってるんか?というぐらい真っ黒けの煙吐いて走ってるなぁ。





現役で頑張っている1980年代の日本車たち


フィリピンの家族写真

最近の日本で、街の写真屋さんに撮影をお願いするのは、かなり稀なんじゃないでしょうか? 結婚式にはさすがに多くの人が依頼するにしても、他には成人式とか子供の入学・卒業、七五三、お見合い写真ぐらい。この頃はスマホのカメラがずいぶん高性能になってその場で自足してしまい、わざわざスタジオに行ったりすることは少ない気がします。ところが同じようにスマホや携帯がすごく普及しているのに、こと写真になるとフィリピンではずいぶん様子が異なります。

私がフィリピン初渡航した20年前、デジタルカメラが普及するずっと以前から、フィリピン人は大の写真好き。撮るよりもとにかく被写体になりたがる。こういう国民性なので、人が集まる場所にカメラ持っていくと異常なほど盛り上がりました。無邪気というか子供っぽいというか。今ではフェイスブック・アクセス率世界一を誇るフィリピンで、誰の投稿も変顔自撮り写真オンパレードになるのは、当然の流れというべきかも。

だからと言って、街の写真スタジオが暇にはならないのが面白い。だいたい、どんな小さな街を歩いても、記念撮影や家族写真のサンプルをたくさん並べた写真屋さんのショーウインドウはすぐに見つかります。その佇まいは20年前とほとんど変わらない。



私たち家族がフィリピンに移住して2年半、一度スタジオで家族写真を撮ってみたいと思ってました。そこで先日の家内の誕生日、家内の父親、弟夫婦とその子供が揃ったところで満を持してのスタジオ入り。普通の日曜日の午後だったんですが、すでに2組の別家族が待ってました。やっぱりフィリピンですね。

小一時間ほどのち、狭いスタジオに案内されておもむろに撮影開始。まぁ親戚たちの慣れきっていること。いきなりリラックスで、照れがまったくありません。ポーズ違いにメンバー違い、滞ることなく30枚ぐらい連写状態であっという間に撮影終了。

そこから先はデジタル時代のお手軽さ。店頭のパソコンで撮った写真をモニターチェックさせてもらい、大焼きするものを選び1時間でプリント完了。選に漏れたものも全部名刺サイズに。さらには全部の写真データをCD-ROMで貰いました。閉めて3000円ちょっと。こうしてどの家庭にも、額に入った家族写真が居間や客間にズラリと並ぶのでした。


2015年12月2日水曜日

50歳女子

最近の日本では「女子」(「じょし」です。「おなご」ではない)という言葉の使い方が、ずいぶん変わったみたいですね。いつ頃からか、年齢に関係なく自称・他称問わず女性一般をそう呼ぶらしい。私は別に構わないと思いますが、中には異論を唱える人も。

私の子供の時の語感だと、なんとなく学生さんのことだったと思います。女子高生、女子大生...。しかしなぜか男子高生、男子大生とはあまり言わない。

それはともかく、私の家内の話。先月末にとうとう50歳の大台に乗ってしまいました。たくさんのお客さんを呼んでの大パーティはしなかったものの、節目なのでネグロス島でも最高級と言われるホテルのレストランで、本当に近しい人だけ10名ばかりで食事をしたり、写真スタジオで記念撮影をしたり。

ランチを頂いたのは、隣町の州都バコロドにあるホテル「エル・フィッシャー」(L'Fisher Hotel)。格式だと同じバコロド市内の「シュガーランド ホテル」の方が歴史は古いそうですが、エル・フィッシャーは設備も新しく綺麗だと評判。だいたいどんなホテルでもロビーのあるフロアのトイレを見れば、サービスレベル分かるもの。さすがにここはピカピカに掃除が行き届いていて、洗面所も便器もちゃんと水が流れました。(日本では当たり前でも、これができている場所の方が少ない。)

久しぶりにお高い場所での食事に写真撮影なので、いつになく家内は気合を入れてメイク。この人、ちょっと驚くほどの童顔で、40歳近くの頃に日本の教会で、神父さまから高校生に間違えられたり。今でも50歳にはとても見えず、まさに「女子」と呼ぶにふさわしい。私など結婚当初は「10年以上歳の離れた女の子をフィリピンから騙して連れて来た」と、ひどい噂を立てられたりしました。

そんなナチュラル・アンチ・エイジングな家内は、家にいる時はほぼノーメイク。近所に出かける時でもあっさりしたものです。ここまで頑張るのは誰かの結婚式でドレスアップする場合ぐらい。なかなか新鮮だったので、毎日したら?と言ったら「面倒くさい」と一蹴されしまいました。


バコロドから帰ってから、自宅近くのサトウキビ畑にて