2015年3月31日火曜日

枝の主日



昨日投稿しようと思ってましたが、寝冷えしてくしゃみが止まらなって寝込んでました。今日は、復活祭の1週間前「枝の主日」のお話。カトリック教会の行事は世界共通なので、ここフィリピンでも基本的には同じ内容になります。この日のミサの第三朗読は、必ず十字架でのキリストの死の場面。それぞれの登場人物の言葉を何人かの朗読者に割り振って、寸劇のような形で読み進められます。

有名なイエスの言葉「私の神、私の神、どうして私を見捨てられるのか?」が最後に朗読され、ここだけは日本でもフィリピンでも「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とヘブライ語が使われます。私が日曜日に与ったのは現地語イロンゴのミサでしたが、やはりこれはまったく同じ構成でした。移住しても「また聖週間の季節が巡ってきたんだなぁ」と実感。ちなみにイロンゴでは「ジョス・コ、ジョス・コ、ンガア・バラ・ンガ・ギンバヤアアン・モ・アコ」Dios ko, Dios ko, Nga-a bala nga ginbayaan mo ako? となるそうです。


それにしても、エラい長かった。ずいぶん前の箇所から読んでいるらしく、朗読の時は全員起立なので、腰が痛くなってしまいました。小学校の朝礼で先生の話が長すぎると、決まって誰かが倒れたことなど、昔のことを思い出したりして。はなはだ不謹慎な信徒ですが、意味が分からないのでどうしても邪念が...。

そもそも「枝の主日」とは、キリストのエルサレム入城の際に、民衆がナツメヤシの枝を持って迎えたことに由来。ナツメヤシがない場所では代用も可で、日本の教会ではソテツの枝でした。英語の名称は Palm Sundy 椰子の日曜日。フィリピンでは椰子が豊富なので、椰子の葉で編んだ十字架を配ります。信徒はそれを自宅の扉に付けるのが習わし。

さて、枝の主日の頃と言えば日本ならば桜の時期。やっと暖かくなってきたなぁとホッとするところですが、何と今年は強烈な台風がフィリピンに接近中。ちょうどイースターの週末めがけて上陸の恐れが出てきました。家内に聞くと珍しいことではないようで、以前には聖金曜日に直撃なんてことがあったそうです。か、神さま...。


聖週間のスケジュールが貼り出されて、いよいよ聖週間


2015年3月29日日曜日

マンブカル 〜国際観光地を目指せる...か?〜

日本人が設計・施工した露天風呂があって清潔なスパも併設。大きなプールで家族でも楽しめる。最寄りの空港から1時間ほどで行ける温泉リゾート...と書けば日本人観光客も興味を持ちそう。観光資源の原石としては、とても素晴らしいポテンシャルを秘めているのは間違いないマンブカル。

でも肝心カナメの宿泊施設と食事が、どうにもヤル気を感じられないのが残念なんですよ。外観は魅力的なコテージがあるのに、メンテナンスが全然ダメ。10年前に来た時もトイレは壊れていて水はバケツに溜めて流さないといけなかった覚えがありました。今回たまたま同じ部屋になったところ、何と同じ箇所が壊れたまま。10年間放置なのか、修理したのに壊れたのかは分かりませんが、これはひどい。



壁も天井も相当ボロが来ていて、いくら1泊2000円程度とは言えこれは頂けません。おまけに窓にも扉にも網戸がないので、せっかく朝晩が涼しい気候なのに締め切ってクーラーつけないと虫が入り放題。自炊できるよう設計されたのか、流し台があっても、冷蔵庫もコンロも何にもない。盗難を恐れるのなら、せめて有料でのレンタルとかできないもんでしょうか。それから、せめてインターネットは繋がってほしい。

フードコートは貧相で、安いんでしょうけどリゾート気分にはとてもなりません。温泉やスパが充実しているので、この「片手落ち感」は半端ではないですね。

自炊でいくなら、中途半端なフードコートなどやめて、米・肉・野菜・シーフードなどのバーベキューメインの食材を売って、コテージのキッチンはちゃんと料理を作れるようにするとかあるでしょう。上手にやれば、健全なイメージの温泉のあるトロピカル・リゾートということで大きなビジネスにできるのに、何とももったいない気がします。

前から感じてますが、タイやベトナム、マレーシアなどの他の東南アジア諸国に比べると、フィリピンは観光地としての売り込みが本当にヘタですね。実際に来てみれば、セブやボラカイ以外にもいい場所はいっぱいあるのに...。


2015年3月27日金曜日

マンブカル 〜マッサージ三昧〜

温泉に来たらマッサージでリラックス。もうすっかり「オっさん」状態が板についてしまいました。日本ではスーパー銭湯という便利で有り難いものが普及しているので、日本にいた時は1ヶ月と空けずに近所の銭湯に通ったものです。そして家族を待たせて全身マッサージしてもらうのがいつものコース。

移住後は、温泉なしのマッサージだけ。それも隣町のバコロドまで行かないとスパがなく、なかなか機会がありませんでした。ところが1年ほど前に田舎のシライ市にも、フィリピン全国にチェーンを持つ「ロイヤル・スパ」がオープン。1時間のボディ・マッサージで300ペソ(約700円)。これが結構本格的で、最近はジムで汗を流した後にマッサージ、帰宅して熱いシャワーというのが週に一度の楽しみになりました。

さて温泉リゾートのマンブカルにも、最近スパができました。やっぱりリゾートにはマッサージがなくては...。日本式の露天風呂を満喫した後、早速行ってみたのが「ブレード・スパ」。シライ市のより100ペソぐらい高いですが、内容はほぼ同じ。




しかし温泉の後というのは、やっぱりいいですね。すっかり気分も良くなって、マッサージ・セラピストのお姉さんと少し話をしました。名前がレネリン。マンブカルの生まれで歳は二十歳だそうです。前回のトレッキングの案内人もそうですが、リゾートができると地元の雇用創出になる。お客さんは外国人、特に日本人と韓国人が多いそうで、日本人なのに英語が喋れると、変なところで感心されてしまいました。

私が行った時は他に日本人はいなくて、ほとんどがフィリピンの奥様方。フット・ケアやネイル・ケア、フェイス・マッサージなどが人気でした。そういえば、シライでも平日の昼間に行くことが多いせいか、おばちゃんの溜まり場になってますね。


スパの並びには、花屋さんがありました。


2015年3月26日木曜日

マンブカル 〜滝巡りトレッキング〜

前回に引き続き、フィリピンの温泉リゾート「マンブカル」のお話。
湯けむりと硫黄のにおいが漂う、谷あいに拓かれた温泉郷。州都バコロドからの距離が大阪市内〜有馬温泉ぐらいと書きましたが、佇まいは何となく箕面温泉に似てる気がしました。というのは、マンブカルにも滝があります。

箕面の場合は、家族でハイキングにちょうどいいぐらいの山道を歩いて、終点に滝ですが、こちらは滝に行くのは少したいへん。全部で7つの滝を見て回れるコースは、ハイキング・コースというより登山道という感じ。狭くて相当きついアップダウンがあります。本当の山登りに慣れた人なら大したことはないのでしょうが、歩くの大嫌いなフィリピンの観光客には、厳しいかも。



トレッキングの入り口には小屋があって、案内人がタムロしています。ここでは、1グループに1人必ず案内人が付かないといけないルール。最初は、えらい大層なこっちゃと思ってましたが、実際に歩き始めてみると足元が岩だらけで、水が湧いているところなど滑りやすくて危ない。途中で足を挫いてしまったらしい幼い女の子が、案内人に背負われているのも見ました。

この案内人、ぱっと見た感じ10人ぐらいはいたようで、どこに住んでいるのか訊いたら、山の上の集落だそうです。なるほど、子供の頃からよく知ってる道なんでしょうね。お揃いのTシャツ着てるので案内人と分かりますが、軽装で足元はサンダルなので、知らなかったらただのオっちゃん。



案内人の後を歩くこと片道約30分。この間にいくつかの滝を見ることができました。どれもこじんまりとしてますが、まるで日本の森の中にいるような雰囲気。昔、家内を箕面に連れて行った時に「マンブカルみたい」と言った理由がよく分かります。

顎が上がってしまった家内のために、途中で何度か小休止を挟みながら、山頂近くの開けたところまで来て、ボトル入りの水を買いました。まだ続きがあるようですが、家内はギブアップ。今日はこれぐらいにしといたろか...。


2015年3月25日水曜日

マンブカル 〜フィリピンの温泉リゾート〜

温帯と熱帯の違いはあるものの、地学的にはよく似たところがいっぱいある日本とフィリピン。四方を海に囲まれた島国で火山も多い。こういう条件ならば温泉も多いはず。ただ年中真夏のような場所なので、お湯に浸かって体を温める必要がなく、そもそもお風呂に入るという習慣がないのが残念なところ。

ところがあるんですよ、温泉。私の住むネグロス島の山中に。しかも、ちゃんと観光客向けに開発されたリゾート地として、フィリピン国内ではかなり有名な「マンブカル」という場所。聞くところによると、1927年(昭和2年)に日本人のイシワタ・コウキチさんという建築技師によって開発されたのが始まりだそうです。やっぱり温泉に目を付けるのは日本人なんですね。



ロケーションもなかなか良くて、ネグロス島最大の都市バコロドから車で1時間かからない距離。大阪市内から有馬温泉に行くぐらいの感じでしょうか。首都マニラからもフィリピンの夏休みの4月〜5月には、たくさんのお客さんが来るそうです。


実は10年ほど前、まだ子供が1歳にもならない頃に一度家族と友人で行ったことがあります。当時もコテージがあってリゾート地にはなってましたが、肝心の湯船がコンクリート打ちっ放しの雑な作りのプールが一つだけ。それでも、少し熱めで日本人が入るにはちょうどいい湯加減ではありました。


温水プールもずいぶんきれいになってました。


その後、フィリピンの好景気が後押ししたようで、新しいプールやスパもできました。今回行ってみて一番良かったのが、日本に本部がある国際NGOのオイスカの協力で設計・施工された日本式の露天風呂。2012年完成とありますから、本当につい最近できたんですね。移住以来ほぼ2年ぶりに、本物のお風呂を満喫させていただきました。唯一違和感があるのは、水着着用でないとダメなところ。これはしょうがないですけど。


設計者・山口氏の住む美川地区からの命名



この露天風呂、フィリピン人には熱すぎるようで、水着どころかTシャツに短パン、その上ホースで水をかぶりながら入ってる人も。肩まで浸かってリラックスしているのは、私と息子しかいない。それ以外に日本とはちょっと違うのは、脱衣所ではなくてシャワールームが付随してること。もちろんここで着替えもできますが、入浴の後に水シャワーというのが、いかにもフィリピンらしい。

お風呂のことだけでかなりの分量になったので、次回に続きます。


2015年3月19日木曜日

キッチン・バトル

毎日の料理を作り始めてからかれこれ半年以上経って、すっかり料理が日常生活の一部になりました。朝は家内に任せていますが、お昼は週に3〜4回、夕食はほぼ毎日作っています。

だいたい私の料理は、子供も家内も美味しい美味しいと食べてくれてますが、時々調理方法で家内とモメることがあります。カレーやハンバーグなどの日本ではポピュラーでもフィリピンでは家庭料理にはない献立の場合は平和なのに、フィリピン料理の場合が難しい。特に魚。

さすがにフィリピン料理の味付けは家内に教えを乞う立場なので、そこで衝突はないけれど、問題は魚のさばき方。家内だけではなく、フィリピンでは家で調理する場合に三枚におろすということはあまりしないようです。以前にも少し書いたように、煮魚でも焼き魚でもぶつ切りで出てくる。

作ってもらってる時は、魚の切り方に文句など言いません。でも自分でやるとなると食べやすい方がいいので、頑張って三枚におろしてます。どうも家内はそれが気に入らない。煮魚は骨や皮も一緒に煮込まないと、味が十分に出ないと宣う。

それではと、先に骨だけ煮込んでスープを取ってから骨を捨てようとすると、まだ肉が付いているからもったいないと言って、タッパーに入れて冷蔵庫に仕舞い込む。いつ食べるのかな?と思っているうちに家内はすっかり忘れてしまって、結局捨てたんですけどね...。

ことほど左様に、比較的食文化が似ている日本とフィリピンでも、故郷の味に関しては、細かいことにも妥協できないもの。最近フィリピンでも時たま見かける「エセ日本料理」は、食べる気にならないですから。


フィリピン料理のチョプスイ(野菜の煮物)と
焼いたミルクフィッシュ



2015年3月18日水曜日

これはひょっとして...花粉症?



ちゃんと数えていないので正確には分かりませんが、もうかれこれ十日ほど雨らしい雨が降っていないネグロス島シライ市。本格的な乾季は4/5月のはずなのですが、去年の投稿を読み返してみると同じように日照りが続いていたようですね。

この時期はサトウキビの刈り取りで焼畑をするために、それでなくても島全体が煙と砂埃に覆われています。これは畑仕事してる人たちは、呼吸器系の病気になりそうやなぁ〜と他人事のように思っていたら、先週から急にくしゃみと鼻水が止まらなくなりました。

匂いが分からないので食事作りもたいへん。薬局で咳・くしゃみ止めの薬を買ってきてもらい日に三度服用したところ、治った...ように見えましたが、昨日から再発。今度は眼の痒みまで併発して、完全に花粉症状態に。

花粉症という名前も知られていなかった40年ほど前、まだ小学生だった頃、私は花粉症に悩まされていました。ところがいつの間にかピタっと症状が出なくなり、花粉症は日本の国民病と騒がれ出してからはまったく無縁。
40歳を過ぎてからは、春先に黄砂が飛散しだすと調子が悪くなることもありましたが、いつも数日程度。市販のくしゃみ止めで乗り切ってました。それが、黄砂が届かないはずのフィリピンに来てから発症するとは...。

こちらには杉はないので、スギ花粉症ではない。しかし半世紀は使い古されたようなトラックが黒煙を撒き散らしながら走っているし、焚き火はし放題。たぶんアレルギーの原因になるような物質は、いっぱいなんでしょうね。
台風でもいいから早く雨が降って、症状がマシになりますように。


2015年3月16日月曜日

孫同伴メイド


住み込みメイドを解雇して早4ヶ月。引き続き何人かの親戚や知り合いを通じて求人してますが、なかなか見つかりませんねぇ。紹介した人が問題を起こしたりすると、その後の付き合いに影響するので、紹介する側も相当慎重になっているようです。
先月も打診があったのですが、条件が合わずに面接まで至りませんでした。

しかし全然メイドさんがいないというわけではなく、仮住まいの時からもう2年近く掃除をしてもらってる人がいます。もともと家内の実家で働いていて、そのつながりで週一回3時間ほど。ライさんという50過ぎのおばさん。私より少し年配だとのことですが、もう孫が一人。

同居している娘夫婦が共働きなので孫の面倒も見ていて、我が家には時々孫同伴でやってきます。家政婦が孫連れて来て、それが許されるというのもフィリピンらしい。スペインっぽい顔立ちのメスティーソの孫娘。来るといつも息子のおもちゃで一人静かに遊んでいます。

この子を見ていると、なんとなく昔の自分を思い出しました。まだ幼稚園に行く前、私の母は曽祖父が経営する食堂で働いていて、私はその間近所で駄菓子屋を営んでいた祖母に預けられていました。以前、このブログで紹介した、フィリピン人みたいな顔のおばあちゃん。朝から晩まで駄菓子屋の店先で何をしていたのか、祖母とどんな会話をしていたのか、今となってはほとんど記憶に残っていませんが、ずいぶん可愛がられていたことは覚えています。

そう言えば、私も祖母がまだ50になる前に生まれた初孫。ちょうどライさんとその孫ぐらいの年齢差でした。そりゃ、このぐらいの孫がいればさぞ可愛いことでしょうね。


2015年3月13日金曜日

電話番号ひとつ100円


フィリピンに移住してすぐに購入したので、かれこれ2年近く使っているノキアの携帯電話。確か2〜3000円ほどだったと思います。日本のとんでもない多機能携帯に慣れていたので、超ベーシックな使い心地が新鮮でした。カメラも音楽プレーヤーも付いてますが、日本で使っていた iPhone 4S は電話機能を除けばWiFiにも繋がるので、拡張機能はそちらで大丈夫。ということで、長い事二つ持ち状態。

よく言われているように、携帯電話に関しては日本は世界の孤島的に隔絶した特殊環境。新規購入にしても機種変更にしても、恐ろしく手間とお金が必要ですね。しかしこちらでは、安いものなら1000円程度で買える端末があり、それにSIMカード一枚挿入すればすぐに自分の電話番号がオープン。身分証明も銀行口座番号も何にも要りません。

つまり番号を変えたければ40ペソ(約100円)払って新しいSIMカードを買い、自分で入れ替えればそれでおしまい。しかもSIMカードが2枚入る機種も多く、私が買ったのもそのタイプ。1台の携帯で番号二つ持ちは、珍しくもありません。

ほとんどのユーザーは、200円とか500円あるいはもっと少額のプリペイドで使っています。コンビニなどに行って、電話番号をノートに書いて金額を伝えると、あっという間にチャージ完了。これは別に電話が手元になくてもできるので、誰かに頼むこともできます。犯罪に使われないように、使用者の身元は確認して記録...などという発想は皆無。ましてや神経質なほどの「個人情報」への配慮とはまったく無縁です。

インターネットは3G回線が繋がりますが、多くの人はWiFiを使っています。ちょっとしたショッピングモールに行けば、だいたい無料のWiFiが繋がるのでそれほど不便を感じない。そして携帯でネットというと、ほとんどがフェイスブックが目的。フェイスブックだけにネット機能を限定してタダにするというサービスが存在するほどの普及ぶり。

このようにユルユルでぬるま湯のように快適な携帯使用環境ですが、私の老眼が最近急に進んでしまい、ノキアの携帯もiPhone 4Sも使うのがツラい。1ヶ月ほど考えた末、昨日ついに画面の大きなiPhone 6+を買ってしまいました。



これでようやく二つ持ち解消。やっぱり大きな画面はいいし、アップルの洗練されたインターフェイスデザインは本当に使いやすい。英文のメッセージを打つのにスペルミスを自動で直してくれるのも大助かり。しかも家内に譲ったノキアの携帯は、フィリピン向けなのに日本語の表示ができるので、これからは家内宛は日本語で書くことができます。(返信はローマ字ですが)

それにしても一般人の月収の数倍にはなろうかというiPhone 6。ストアのお姉さんに訊くと、毎日何台も売れてるそうです。それが一番驚きました。



直営ではなくフランチャイズなのでApple StoreではなくiStore
店内は中学生らしき女の子の溜まり場になってました。


2015年3月11日水曜日

十字架の道行き

今年のイースター(復活祭)は4月5日。もう残り1ヶ月を切りました。磔刑に処されたイエスのよみがえりを祝う、キリスト教の教義の根幹を成す祝祭です。日本でもフィリピンでも、クリスチャンならばクリスマスより重要な日だと考えるほど。

先月の「灰の水曜日」に始まった、イースターを待つ四旬節。この時期にはフィリピンのどこでも準備が始まり、シライ市内でも恒例の「The station of the Cross」が設置されました。日本語では「十字架の道行き」になる言葉ですが、これは聖堂内に飾られる14場面の絵画やレリーフのこと。それとはちょっと違いますね。


13全部撮ったと思ったら、一つ忘れてました...。


こちらの十字架の道行きは全部で13箇所、竹で作られた小さなお堂のようなものに、木製の十字架が置かれます。市内最大のサン・ディエゴ大聖堂の近くに1ブロックおきぐらいの道端で、場所は去年と同じのようです。イースター前の聖金曜日には、イエスに扮した信徒が十字架を背負ってこの13箇所を巡ります。昨年は見逃したので、今年は見ておきたいものです。



2015年3月8日日曜日

フィリピン料理もウェイパァー

 日本にいる時から、料理にはよく使っていた味覇(ウェイパァー)。知っている人には説明不要の万能調味料ですね。ネットでも話題になっているのが、ウェイパァー炒飯。私は最後の仕上げに入れるだけですが、炊飯器に入れて米を炊くともっと美味しいとのこと。

中華だけではなく大抵の煮物や炒め物ならば、ウェイパァーを少し入れるだけで驚くほど味にコクが出ます。味噌汁でも効果大。ならばフィリピン料理にも使えるはず。
ということで、わざわざ日本人の友達にお願いして買ってきてもらいました、ウェイパァー。チキン・アドボ(鶏肉の酢醤油煮込み)やらチョプスイ(野菜の煮物)の定番フィリピン料理に使ってみました。



もうその差歴然で、フィリピン人のお客さんに出したところ、一体どうやって作ったのかと訊かれるほど。もともと中華の影響をかなり強く受けたと思われるフィリピン料理なので、中華料理が美味しくできる調味料ならば当然の結果だと言えますが、ここまでとは思いませんでした。

こうなると、身近な場所に売っていないかと探してみるのですが、残念ながらシライ市はもちろん、州都のバコロドにも置いている店はないようですね。マニラならば入手できるようですが...。



2015年3月7日土曜日

真夏の果実 in タガログ

私が仕事で初めてフィリピンに来たのが、ちょうど20年前の1995年。その頃は中国や東南アジアのへの出張が多く、空港での待ち時間の合間に、現地のポップソングのCDを買うのがちょっとした楽しみになっていました。ほとんどの場合予備知識ゼロなので、店員のおすすめかジャケ買い。その中でも特に買った時の印象が強かったのはドナ・クルーズというシンガーでした。

スペインとフィリピン・ローカルの血がほどよくミックスされた、典型的なフィリピン美人。ジャケット写真に一目惚れ状態。しかしルックスだけでなく実力も人気も当時が絶頂期で、今でもフィリピンでは知らない人はいないぐらいのスターなのでした。



大ヒット曲は多いものの、彼女のオリジナルよりカバー曲が売れているようで、最大のヒットとなった「Habang May Buhay」も、別のバンドが歌ったスタンダードナンバー。意味も分からないまま、完全に歌詞を暗記するほど口ずさみました。偶然にも家内の好きなナンバーだと知ったのは、もうちょっと後のお話。

さて3回目のフィリピン渡航時に買ったアルバム「Pure Donna」。これも最初の曲「Dahil Tnaging Ikaw」はフィリピンではかなり知られた曲で、日本のカラオケでも大抵見つかります。それよりもびっくりしたのが最後から二つ目の曲。あれ〜なんか聴いたようなイントロだと思ったら、サザンの「真夏の果実」でした。



フィリピンでは日本のポップスや歌謡曲がたまにカバーされていて、時々ラジオなどで英語やタガログ語版の懐かしいメロディに出会うことがあります。古いところでは「上を向いて歩こう」や「夢は夜ひらく」。元が日本の歌とは知らない人も多くて、日本語で歌ったら「日本でも流行っているのか?」と真顔で訊かれることもあります。

「真夏の果実」のフィリピンでのタイトルが「Isang Tanong Isang Sagot」"ひとつの問い、ひとつの答え"という意味で、日本語の歌詞とは全然違う内容。しかしこれがなかなか良くて、多分これも日本の曲とは思われないんやろなぁ〜、という感じでした。

家内と結婚してから、フィリピンの親戚や友人に日本から持って来た音楽をよく聴かせてますが、サザン・オールスターズは日本語のままでも何故か大人気。サザンを知ってる人はまずいないので、これは純粋に楽曲の魅力なんでしょうね。


2015年3月5日木曜日

殺処分のない国

先日フェイスブックで何人かの友達が、まるで示し合わせたように「ある犬のおはなし」という絵本のことを投稿してました。私が日本にいる時から問題になっていた、ペットの殺処分をテーマにした、それはそれは悲しい絵本。




つい最近まで犬など飼ったこともなく、もうひとつピンとこなかったんですが、去年知り合いから新居への引越し祝いに子犬を二頭貰って、まだかわいい盛りに二頭とも病気で死なれてから、にわかにこの話題には敏感になりました。

ここで改めて殺処分批判の論陣を張るつもりはありませんが、やっぱり生き物は食べるためや自分の身を守るため以外に、そうやたらと殺すもんじゃないですね。特に犬・猫の類いは利口で情が移りやすいので、人間の事情だけで命を奪われるのは、想像するだけでも実に嫌な気分になります。

以前にもフィリピンの野良犬について、このブログで取り上げたことがありますが、この国は日本に比べると犬の楽園かも知れません。金持ちも貧乏人も犬飼うの好きだし、飼えなくなって放り出しても、誰かが餌をやったりしてる。何よりもいくら野良犬が多くても、捕まえられて殺処分というのは聞いたことがありません。
車にはねられて死んでしまう犬は多いですが、交通事故は仕方がない。

私は見たことがないですが、狂犬病はあるようですね。家内の従妹が子供の頃に狂犬病の犬に噛まれて、生死の境をさまよったとのこと。日本だったら社会問題になって、大騒ぎでしょうが、こちらではそれを理由に、野犬狩り始めるようなことはなさそうです。小学生の親の身としては、少々心配ですが....。

野良犬以外にも、水牛やら鶏、山羊といった家畜が普通に道を歩いているシライ市内なので、ことさら犬だけに神経質になることはないのかも。おおらかな場所ですね。


2015年3月1日日曜日

土地売ります


今住んでいる家を建てた分譲住宅地(こちらでは「ロット」と呼びます)を購入したのが、かれこれ10年以上前。1ロットが約150平米で、2ロット以上一括購入が条件でした。元々一面のサトウキビ畑だった所で、ほとんど島全体がサトウキビに覆われていることを考えると僅かな面積ですが、それでもざっと300ヘクタールぐらいはあるでしょうか?

フィリピンで土地を買うと言っても、知らない人は全然ピンとこないでしょうね。マニラやセブ市内のコンドミニアムならば多少はイメージできるかも知れませんが、ここはネグロス島。日本人の友人と話しても、何やらジャングルみたいな場所を適当に買ったのか?という感じでした。

もちろんここは住宅地なので、電気も水道もちゃんとあります。ケーブルテレビやインターネットのADSL回線が接続できる電話線も。ガスはボンベで買ってくるのでガス配管はありませんが、日本の宅地となんにも変わらない生活ができるレベル。

病院も学校も市場もスーパーも半径1キロ以内に全部揃っていて、さぁ日本だとこの条件で4ロット分、600平米買ったら一体いくら必要になることか。私は10年前の価格で、100万ペソ、当時のレートだとちょうど200万円ぐらいで購入しました。ちょっとした自家用車ぐらいの値段ですね。明らかに日本の感覚とは一桁以上違います。

購入した時は、これほどフィリピンが好景気になるとは思っていませんでしたが、それでも近くに空港が建設中だったりしたこともあって、仮に将来的に住まなくて売ることになっても損はしないだろうと考えて、キャッシュで支払いました。

フィリピンでは外国人名義で土地は買えないので、家内の名前。それも義母からの情報で、すぐに手付けを払わないと...ということだったので、大阪に支店があるフィリピンの銀行、メトロポリタン・バンクを通じて義父の口座に50万ペソを二回に分けて送金しました。

この話、多少ともフィリピンの事情を知っている人ならば、なんと無謀なことを?と思われるかも知れません。こんなことができるのも、私が家内やその両親に絶対的な信頼を置いているからこそ。もしこのブログを読んでいる人で、フィリピン女性と交際していて、実家に送金してほしいとなった場合は、よくよく確かめてください。実家というのが、その女性の両親だけでなく、フィリピンに残してきた夫と子供達...なんてことは、もうジョークにもしたくないぐらい、よくある話なので。

とにかく、それぐらいに即断で手に入れた土地。つまり現金があれば、フィリピンで土地を買うのはそれほど簡単だということです。本当に拍子抜けするぐらいあっさりと、私は(正確には家内は)600平米のランド・オーナーになりました。

それから10年。幸いなことにその時に買ったロットは、転売する必要もなく昨年念願のマイホームを建てることができました。それにしても10年以上経過するというのに、周囲はスカスカ。10ロットに1軒も建ってないのではないか? そして建っている家のオーナーというのが、多くは夫が外国人であるフィリピン女性。出資者だけで言うとお向かいさんが日本人(この人は会ったことがなく、もう亡くなったそうです)、4ロット隔てた東隣がアメリカ人の家が続けて2軒、そして西隣もアメリカ人。

この西隣の2ロットが先日売りに出されたようです。「ようです」と書いたのは、オーナー自身や宅地の管理者からの連絡があったからではなく、代理人(?)のようなオっちゃんが「ロット買いませんか?」と言いに来ただけ。言い値で70万ペソ、約150万円。

そのオっちゃんによると、オーナーのフィリピン人女性はアメリカ在住で、夫のリタイア後に一緒に住もうとこのロットを買ったのですが、出資者の夫と離婚してしまい急遽売りに出したとのこと。ギクっとするような話ですね。 相場からするとかなり安売りですが、こういうややこしい事情だと危なくて手を出しかねます。