2014年10月28日火曜日

威圧する車

貧富の差が激しいけれど、最近景気がいいのは間違いないフィリピン。地方都市のここシライ市でも、新しいショッピングモールやスーパーマーケットの進出ラッシュ。1980年代、私の故郷・尼崎に、ダイエーやら西武やらが矢継ぎ早に建った、バブル期の日本を思い出します。一番実感として感じるのは、車が増えたこと。しかも新車が多い。

他の東南アジア諸国同様、多いのは日本ブランド。トヨタに日産、ホンダに三菱。それ以外では、フォード、シボレー、現代というところ。バイクに至っては、日本以外のものを見た記憶がありません。それにしてもデカい車が多いなぁ。日本国内で言うところのRV車(Recreational Vehicle)が、やたらと目に付きます。








この投稿を書くにあたって調べてみたら、このRV車という言い方は誤用なんだそうですね。正しくは、キャンピングカーを意味するそうですが、日本ではステーションワゴンとかワンボックスワゴン、ミニバンの総称になってしまったとのこと。面倒なので、RV車で通します。

フィリピンで新車を買えるというのは、かなりの高所得者層。しかも日本円で200万円を超えるような価格帯となると、完全にステータスシンボル。物価が1/4〜1/5なので、1千万円以上を車に支払うことになりますから、それも当然ですね。日本だと欧州車や国産でもセダンになるんでしょうが、ネグロス島では、コンパクトカー以外でそういうタイプは、滅多に見ません。

もう高級車と言えば、腰高で威圧感バリバリのRV車ばかり。
ガソリンの値段は変わらないので、もっと燃費のいい車に乗ればいいと思うんですが、お金があったら、他の選択肢はないと言わんばかり。道が悪いところが多いから、車高が高い方がいいってことなのかなぁ? 大家族が普通なので、6〜7人乗れることもポイントなのかも知れません。

息子が通う小学校は、シライ市内唯一の私立。朝の送迎ラッシュ時には、このRV車が列を作ることになります。不思議なのは、校門の外まで列が続いても、絶対誰も途中で子供を下ろさない。雨が降ってるのなら分かりますが、天気に関係なく、一歩でも余分に歩くのが嫌とばかりに、建物の前の屋根のある場所でないとドアを開けません。

学校に限らず、この手の車に限って、自宅に戻ってきても自分ではゲートを開けず、使用人が出てきて開けてくれるまで、延々とクラクションを鳴らし続けます。こういうのを見ると、フィリピンの金持ちって鼻持ちならないなぁと思いますね。どうにもこれが生理的にダメで、私は車で帰宅した時、軽く一回クラクションを鳴らすだけで、すぐ車から降りて自分で門扉を開けます。最初はメイドさんに奇異な目で見られました。

郷に入っては郷に従えと言いますが、この習慣には染まりたくないものですね。


2014年10月26日日曜日

隣人たち〜フィリピンの住宅〜

フィリピンの一般の住宅と言われても、この国に縁のない人にはピンとこないでしょう。かく言う私も、30歳過ぎてから仕事で初めてフィリピンに来るまでは、椰子の葉っぱと竹で作った家が並んでるのかと、漠然と想像してました。

実際、貧しい人たちが不法占拠してかたまって住んでいるスクワッター・エリア、いわゆるスラムに行くと、そういう家も珍しくはないですが、中流以上の一般の人たちは、大抵鉄筋コンクリートの家に住んでいます。と一口に言っても、それこそピンからキリまでいろいろ。

古い家屋だと木造のものもあります。私の住むシライ市内で木造と言えば、ニッパ・ハウスか、市が指定して保存しているスペイン統治時代の頃の文化財かという極端な2分類になってしまいます。やはりシロアリの害がひどいので、中途半端に作った木造家屋は、すぐダメになってしまうらしい。


シライの数少ない観光名所の一つ
築100年以上の木造建築「バライ・ネグレンセ」



ビレッジの外れに建つ、竹と椰子で作ったツリー・ハウス
これは違う意味で住んでみたい


では、鉄筋コンクリートの家とは、どんな感じでしょうか?
例として、私の住むビレッジ(周囲を壁で囲まれ、ゲートには24時間体制で警備員が常駐している住宅地)内のお宅をいくつか紹介します。

同じビレッジでも場所によって様々で、比較的最初の頃に分譲された所では、1区画 300平米が最低2区画以上の一括購入が必要。結果的にお金に余裕のある人しか買えず、投資目的が多く、分譲開始から10年以上経った今でも、まだ疎らにしか家が建っていません。そして建っている家はとても豪奢なものばかりです。

一番最近の、着工から1年以上経っているのにまだ建設中の家がこれ。オーナーは船の船長さんだそうで、一体どんだけお金をかけるつもりか?というほど凝りに凝った家です。母屋はほぼ完成して、今はプールやフェンスを作っているところ。家というよりお屋敷ですね。







その他で派手なのは、この青い塗装の家。オーナーはイスラム教徒。家も庭もでっかくて、その広い庭では土曜の夜になるとガーデン・カラオケパーティが催されます。これが悲しくなるほどヘタで、一旦始まってしまうと、この家の方向に向いた窓は全部閉めないといけません。



ごちゃごちゃと飾りっ気の多い家の中にあって、比較的すっきりして、一見日本の一戸建て風なのが、私の家のお向かいさん。オーナーは以前日本で働いていて、日本人と結婚したというフィリピン人の奥さん。でももう、その出資者である日本人の旦那さんは亡くなったようです。ちょっと怖くて、詳しい事情は聞けないですけど。



表向きはフィリピン人名義でないと土地は購入できないのですが、実際に支払っているのは、持ち主の外国人の夫というパターンが多い。近所で特に目立っているのが、この二軒。隣同士で、両方アメリカ人が建てたそうでうす。噂では両家の仲は悪いとのこと...。




こうして、ざっと眺めて見ると、なんとなくスペイン風な感じがしますね。やはり旧宗主国の影響があるのと、温暖な地中海沿岸のスタイルを持ってきても、あまり違和感がないからでしょうか?

ちなみに気になるお値段はというと、一番豪華な船長さんの家で2000万ペソだとか。日本円で5000万程度。日本でこれ建てたら、上物だけでも何億円かかることやら。


2014年10月25日土曜日

鉄砲玉娘カトリーナ



このブログに三回目の登場、我が家のメイドさんのカトリーナ。
第1回:「メイドがいる生活」
第2回:「メイドがいる生活 その後」
私たち家族との生活にも慣れて、もう大丈夫かと思ってたら、先日また事件が…。

カトリーナのように、住み込みのメイドさんを雇う場合には、週一回はお休みをあげて家に帰らせるのがフィリピンのルールだそうで、家内はきちんと毎週一泊、 帰宅させてます。そして先週の木曜日も、いつものようにカトリーナは帰って行きました。

さて、戻って来るはずの金曜日の朝になったのですが、戻って来ない。連絡もない。お〜い、どうなっとんねん? 家内は「あのアホ、今日中に帰ってこなかったらクビや!」と怒りまくってます。それにしても、ガラの悪い日本語やなぁ。誰の真似してんのやら。

住み込み始めてしばらくの頃、2回立て続けに無断外泊して、家内を怒らせた前科のあるカトリーナ。それ以外は、概ね真面目な働きぶりなんですけどね。まぁ、料理がすごく上手いとか、看護の経験があるとか、特別な技能があるわけではなく、多少ネイル・ケアの心得があるぐらいですが。

自分で言うのも何ですが、優しい雇い主ですよ、ウチは。仕事はおもに、食事の後片付けと掃除に洗濯。全部こなしても、昼からはほとんどいつも休憩時間。 しかもゲストルームを自由に使わせているので、個室付き。その上、ほぼ毎夕「ご主人さま」自らが食事を作っています。(その手伝いはしてますが)
う〜ん、仕事が辛いはずないのになぁ。

その無断外泊というのも、よく理由を聞いてみると、帰るに帰れなくなってしまったという感じばかり。友達の家で話に夢中になってたら、トライシクル(三輪バイクタクシー)が走っている時間が過ぎてたとか、大雨になって外に出られなかったとか(フィリピンでは、本当に尋常ではない雨の降り方)。すぐに携帯でメッセージ入れたらいいだけなのに、要領が悪いというか、ドジというか…。

これは、カトリーナに限ったことではないですが、何か問題があっても、あんまり深刻に考える習慣がないみたい。人によっては、仕事がなくて困っているはずなのに、折角見つけた職場でも、ある日突然来なくなることも。このあたりが、私の想像力が及ばない世界ですね。

さて、戻って来ない鉄砲玉娘のカトリーナ。土曜日の朝になって、やっと家内の携帯にメッセージがありました。熱出して寝込んでたそうです。も〜、それこそすぐに連絡すればいいのに。デング熱とかと違うやろなと言うと、家内は「庭に出る時に長いジャージ履け言うてんのに、あのアホが!」と、まだ エラい剣幕。さすがに息子の目の前だったので、「子供の前でアホって言うな」とたしなめました。

そんなに怒るなら、クビにすればいいと思いますが、そう簡単にいかない事情もあります。メイド雇うのも結構リスクがあって、盗み癖や怠け癖のある人が珍しくありません。ひどいのになると、泥棒と結託して、盗みの手引きするような手合いもいるとか。気に入らないからと解雇しても、それなりに信用の置ける人を見つけるのが、かなり大変なんです。

いろいろありましたが、月曜日の朝、ようやく復帰したカトリーナ。まだすごい声でした。寝込んでたというのは嘘ではないですね。しかし、雇用の危機だったというのに、帰って来てすぐ鼻歌まじりに掃除を始めたのには、少々驚きました。
やれやれ、全然分かっとらんな。


2014年10月24日金曜日

フィリピン美人?

時々取り出して眺める古い写真があります。スマホにする前は、携帯電話の待ち受け画面に使ってたこともありました。撮影されたのは、少なくとも70年以上前。



実はこの女性、私の母方の祖母の若かりし頃。
誰に見せてもフィリピン人と思われます。私の祖母の葬儀の時、形見分けで写真の複製を貰うまではこの写真を見たことがなく、かなり驚きました。こんなに美人だったとは。

ところが撮影当時の昭和初期、こういう顔はあまり美人とは思われなかったようですね。竹久夢二の絵に描かれたような、細面で色白、目は切れ長が美人の条件の時代。丸顔で浅黒く、ぱっちり二重まぶたは、まさに真逆。曾祖母には「何を着せても似合わない」と愚痴られたそうです。

それでも、当時の大阪市バスの車掌さんをやっていたと言うのですから、決して器量が悪いと思われていたのではなかったようです。車掌の制服姿はどんなだったんでしょう。今だったら「美人すぎる○○○」とか言われて、メディアの取材を受けていたかも知れません。

私の家内は、本物のフィリピン人ですが、この写真の祖母ほどフィリピン人風の顔立ちではなく、日本に住んでいた頃は、よく日本人から道を訊かれたりしてました。温泉に 旅行した時など、浴衣があまりに似合い過ぎて仲居のお姐さんが驚いたほど。

祖母は、私が家内と出会う10年も前に亡くなってしまいましたが、血は争えないもので、息子の顔にどことなく面影があります。と言っても息子はハーフなのに全然フィリピンっぽくなく「日本人顔」なのが不思議です。

私は祖母がまだ40代の時に生まれた初孫だったので、もう少し祖母が長生きしてくれて、私がもう少し早く子供を持っていたら、曾孫の顔を見せてあげられたかもと、思う時があります。喜んだでしょうね。


2014年10月23日木曜日

ホームステイさせてください



SNS始めてもう8年。時折知らない人から「はじめまして」とメッセージが来ます。フィリピン人の家内がいることと、カトリックの信者であることをプロフィールに書いているので、だいたいそのどちらかで検索をかけてくるようですね。

フィリピンと関わりが深い私が言うのも変ですが、フィリピン絡みで話しかけてくる人は、妙な人が多い。「フィリピン人の彼女と結婚したいのですが、どうしたらいいでしょう?」 自分でとことん調べて、どうしても分からないとか言うのなら相談に乗らなくもないですが、最初っから丸投げ状態。甘え過ぎ。

かと思えば、あからさまにいかがわしい感じの文面で、マニラにフィリピンパブの店をオープンしますので来てください、なんてのもありましたね。マニラに行くには、飛行機乗らないといけないんですけど、ちゃんとプロフィール読んでますか?

そして昨日、このブログを読んだという人からメッセージが来ました。
いきなり「二人の子供がいる母ですが、ホームステイさせてもらえませんか?」
私と 同じように、国際結婚してハンガリーに暮らす友達から、この手の話は聞いたことがありましたが、 本当にこんな人がいるんですね。びっくりしました。

年齢見るとまだ30代の前半。とするとその子供さんというのは、まだせいぜい小学生ぐらいだと想像しますが、その子供たちはどうするつもりでしょう。旅行ではなくて、ホームステイというぐらいだから、何週間とか何ヶ月とかのつもりではないのか?

文化交流したいけど、英語はあんまり喋れませんって、まず自力で英語を勉強しなはれ。それに英語を勉強するのが目的なら、なんで日本人の家にホームステイしたいのか理解できません。それならセブでもバコロドでも、英語留学できる所はいっぱいあるでしょうに。ひょっとして、見ず知らずの他人の家に、タダで泊めてもらえるとでも思ったのでしょうか?

まぁ、いきなり断るのも失礼かなと思い、SNS上での友達になって、もうちょっとそちらのことを教えてくださいと返信したら、何も投稿してないので、友達になっても同じですよ、とのこと。マトモに相手にするのがバカらしくなって、速攻でアクセスブロックしました。

この話、もし引き受けたらどうなってたんでしょう? 「文化交流」をするには、それなりに人の集まる場所に行かないといけませんが、フィリピンが初めてで英語も喋れないとなると、私を運転手にするつもりだった? 毎日の食事は、ホームステイ先の家族が用意するのが当たり前?

ハンガリーの友達によると、ブログに投稿した文章や写真から家の場所を突き止めて、本当に来てしまう人もいたそうです。うわぁ、それは恐ろしい。フィリピンは合法的に拳銃の所持ができるお国柄なので、本気で一丁護身用に購入しようかと考えてしまいました。


2014年10月22日水曜日

着工から1年



1年ってこんなに早く過ぎるものか?
やっぱり経験の密度が高いからか。ただ移住しただけでも、すごい環境の変化で毎日新しい事ばかりなのに、異国で一から家を建てるというのは、改めてたいへんだったと感じてます。

着工後1週間ぐらいでこのブログを始めたので、着工当日の日記はここにないのですが、ミクシィに投稿していたものが残っていたので、それを引用してみます。


転居して、半年余り。最初の設計依頼から7年。土地購入から10年...。 ついに、着工ぢゃぁぁぁぁぁ~~。 

今日は、朝も早よから、7時半集合。 私に、家内、日比の両父、義弟、そして「カーペンターズ」面々が、時間より遅れて(苦笑)現れました。 まずは、前回の草刈りから、もう三ヶ月も経ってしまって、またもや草茫々の土地を、工事ができるように、再度の草刈り。本日は、ほとんどこの作業で終わってしまいましたが。




昼前ぐらいに、ざっと草刈りが終わったところで、地鎮祭です。 地元の言葉で「ダガ・ダガ」というそうで、土地の精霊をお騒がせして、すんません、という儀式。意味としては、まさしく、地鎮祭ですね。ただし、日本と違って、神主さんも神父さんも来ません。 

生きた鶏を二羽買って来て、その場で潰して、血を土地に撒きます。そして、真ん中あたりに十字架で、ちっちゃなお墓を建てます。これでおしまい。 




残った鶏肉は、当然のように、みんなのお昼ご飯に化けました。 食器や、調理道具、炊いたご飯を持って来て、本格的なピクニックです。幸い、天気にも恵まれて、つ~か、暑いぞ! 炎天下、さっきまで鳴いてた鶏さんを、有り難く頂きました。うま~い。 




本当は、土地の管理事務所の人が来て、測量をし直す予定でしたが、やっぱり明日に延期。水道も、今日出るはずで、工事しに来ましたが、掘り出した水道管に何故か水はなく、これも明日へ。さっすがのフィリピン。 明日は、最初の建材が届きます。しばらく、土砂降りになりませんように..。




以上引用。

うわ〜、えらい興奮して書いてますね。
我が事ながら、何だか微笑ましいです。この数週間後に台風ヨランダが来て、たいへんなことになるのですが…。

地鎮祭、やりましたね。そうか「タガタガ」か。すっかり忘れてた。
生け贄の鶏食べた場所で、今は鶏飼ってます。

いろいろありましたが、無事家が建ったのも、地鎮祭のお陰でしょうか。工事中は、もう永遠にこれが続くような気がして、ちょっと落ち込んだこともありましたが、終わってみれば、あっという間。思い返すと、すごく昔のことのようにも感じるから不思議です。


2014年10月20日月曜日

カレー・焼きそば・お好み焼き

もう先週の水曜日のことになってしまいましたが、新居が完成してから二組目の日本人の来客がありました。前回の女子大生に続いて、またも若い女性。といっても学生さんではなくて、近所で活動している日本のNGOに4ヶ月前に赴任した駐在員。

聞くところによると、ネグロス島に駐在が決まってから、ネットでこのブログを探し出して、ずっと読んでいてくれたそうです。嬉しいですね。ちょっと感動してしまいました。同じ島内でも、もっと遠くに住んでいると思っておられたらしく、歩いて10分の距離だと知った時は、びっくりしたそうです。

さらに嬉しいことに、同郷の兵庫県生まれだとか。晩ご飯を食べに来てくれるので、特別なご馳走ではなく、日本では日常的なメニューにしました。それが、カレー・焼きそば・お好み焼き。フィリピンにしばらく居ると、これが特別なご馳走と言えるかも知れません。何だかバザーの模擬店か夜店みたい。
でも狙い通り、とっても喜んでいただきました。よかったよかった。




食事の後は、恒例の自宅紹介ツアー。
もう見せたくてしょうがないのがバレバレ。しかしこれも「広〜い」とか「ホテルみたい〜」とか、ツボを押してくれるリアクションでした。やさしいお客さんですね。

共通の友人である、フィリピン人の家族(奥さんが以前、私のイロンゴの先生をしてくれてました。)もお招きして、時ならぬパーティ。やっぱり関西弁で会話できると、和むなぁ〜。あっと言う間に夜が更けて、お開きの時間。

仕事はいろいろ大変なようですが、基本はヒマにしてますので、時々遊びに来てほしいものです。


2014年10月19日日曜日

虎キチではないけれど

フィリピンに住んでまで…と思わないでもないですが、やはり尼崎に生まれ育ち、大阪に本社がある会社で30年近くも働いた者としては、触れずにはおけない話題ですね。昨夜、阪神タイガースが日本シリーズ進出を決めました。

実は私、特別にファンというわけでもないのですが、最近フェイスブックのお陰でお付き合いのある、たくさんの高校の同級生の何人かが熱烈な阪神ファン。しかも今回は、対戦相手がジャイアンツで、敵地で4連勝という、ファンならば夢に見るようなシチュエーション。なんとなく熱に煽られたようです。

人気の割には滅多に優勝しないチームなので、その年のことはとても印象に残ります。特に私たちの世代でいうと、1985年。ちょうど社会人1年目の秋で、リーグ優勝が決まった翌朝、社内の「猛虎会」からのサービスで、虎縞模様の菓子パンがファン限定で配られました。今ではちょっと考えられないことかも知れませんね。おおらかな時代でした。

フィリピンでもスポーツは盛んで、 バスケットボールは人気がありますが、あんまり特定のチームのファンだとか、応援で盛り上がるという話は聞いたことがありません。阪神ファンの熱狂ぶりに匹敵すると言えば、ボクシングの世界チャンピオン、マニー・パッキャオの試合の時ぐらいでしょうか?

これ、もし日本での野球とかサッカーのように、フィリピンで地域を代表するスポーツチームがあったりしたらと想像すると、恐ろしい気もします。それでなくても熱くなりやすい国民性。贔屓のチームが優勝したりすると、それこそ道頓堀に飛び込む程度では済みそうにありません。

パリーグは今日、ホークスが日本シリーズ進出を決めるかもしれないとのこと。もう南海ホークスではなくなってずいぶん経ちますが、こうなるとやっぱり「御堂筋シリーズ」なんて言葉を思い出してしまいます。

もし、このまま日本シリーズ制覇ということになれば、1985年以上に印象に残ることになるでしょう。何しろフィリピンに家を建てた年ですから….。


2014年10月16日木曜日

骨も皮もある

またまたビザ手続き(これが今年最後)でセブ島に行ったりして、ちょっとバタバタだったので、久しぶりの更新です。

セブ行きの少し前、急に思い立って親子丼を作りました。フィリピンでは鶏飼ってる人が多く、それも「放し飼い」が多いので、車運転してると、時々ヒナの行列とか轢きそうになって怖い。

ウチでも雄鶏1羽、雌鳥2羽飼ってます。
最近よく卵を産んでくれるので、親子丼にも活用しよう…としたところ、当然予測できた話なんですが、この卵は有精卵。割った6個のうち3個がヒナになりかけ。初めて見ましたが、成育中の卵の中って、こんなだったのか。さすがにグロなので、写真は撮れませんでした。

よく考えてみれば、1個気付いた時点で、照明とかにかざして確認すれば、あと2個は鶏舎に戻せたんですよね。しまった、可哀想なことをした。



理屈では分かってるんですが、卵は生き物。有精卵だったら当然こうなるわけです。やはり日本の都会に生まれ育って、肉も魚も卵もスーパーマーケットでパックされた状態しか知らず、50歳過ぎまでになったので、感覚的に分かってませんでした。
これはトラウマになりそう。卵割る度に思い出すでしょうね。

ここネグロス島では、生産地が近いこともあって、公設市場で手に入る食材の多くが、あまり加工されてません。食肉は主に鶏、豚、牛(カラバオと呼ばれる水牛。固くてあまり美味しくない)。そのどれもが鉈でガンガンとぶった切っただけの代物。骨も一緒に切るので、当然のように骨付き。近所のレストランで肉料理頼むと、細かい骨片がいっぱい入っていることもあって、噛むのにも若干の注意が必要です。

魚は骨を抜いたりしたものの方が珍しく、わざわざ「ボンレス」と表示されて、そのままのものより少し高い。メイドのカトリーナは、あんまり料理は得意ではないようですが、魚料理だけは、よく作ってくれます。どうするかというと、ほぼ毎朝、家の前まで行商に来る魚屋さんから、丸ままの魚を買って、鱗も骨も取らずブツ切りにして煮込むだけ。

こういう食事を続けていると、日本にいるよりもずっと「食べ物=生き物」という実感が湧いて来ます。豚肉は皮がそのままなので、場所によっては相当固いし、それだけで噛む力が鍛えられそう。大量生産品のように、味や 色、固さ、大きさがきっちり揃えた食材をいつも用意することに、どれだけ労力が費やされてるかが、よく分かります。
言い方を変えると、それがどれだけ不自然なことなのかも。


我が家の初代の雄鶏。2ヶ月前に食べちゃいました。


2014年10月11日土曜日

元祖ゲリラ豪雨



水曜日の皆既月食の日から土砂降りで、まったく月を見られず、土曜日の今日もまた雨で、もう4日間。昨日と今日は朝だけ一瞬止んで 日も差したものの、すぐにまた叩き付けるような降り方に戻ってしまいました。

日本のようにきめの細かい気象情報はないので、確かではないですが、もし日本で同じ降り方したら、集中豪雨とかゲリラ豪雨と呼ばれるのではないかと思います。鉄筋コンクリートの家で、アルミサッシの窓を閉め切っても、雨音で話し声が聞き取りにくくなるほど。

降り始めから3日目、とうとう恐れていたことが起こりました。
雨漏り。できて3ヶ月の新築なんやけどな〜。ただ、幸いにも母屋の屋根ではなく、ガレージとベランダの間から、滲み出すような漏水。玄関の外壁だったので、生活に支障を来すようなことはありません。



恐らく、ガレージ両サイドの雨樋(外からは見えないように隠してある)が、あまりの短時間雨量で、オーバーフロー状態が続き、防水剤を混ぜてない壁面まで溢れて、そこからコンクーリ壁に水が染み込んだようです。


いくらフィリピンでも、そうしょっちゅうの事でもないですし、晴れて乾けば大丈夫とは思いますが、やっぱり気色悪いですね。雨が止んで晴れたら、また大工さんに来てもらって、見てもらうことにします。

この雨で影響が一番大きかったのは裏庭。最後に面倒になって土を完全に入れなかったので、1/3ぐらい、少し地面が低い状態で、ちょっと雨が続くと水溜りができるのですが、今回はまるで池のようになってしまいました。


ベンチ代わりの丸太にキノコが生えた


ここは、飼っている三羽の鶏の居住区域。以前、仔犬を入れていた策を転用した鶏舎に、今二羽の雌鳥の一羽「ポチョラ」(家内が命名)が卵を産んで托卵中。水が溢れても大丈夫なように、コンクリートブロックで嵩上げはしておきましたが、さすがにヤバいので、高いところに引越しさせました。



今、土曜日の夜。雨は上がってもう大丈夫そうですが、昨夜も同じ状態で、朝には土砂降りが戻ってきました。もう台風19号の雨雲は行ってしまったはずなんですが、明日は晴れてくれるでしょうか?

4日もこんな降り方されると、いい加減 気分が滅入ってきます。暑くなってもいいので、そろそろ熱帯の日差しが恋しいなぁ。


2014年10月9日木曜日

台風通過中のメリークリスマス

これを書いている2014年10月9日、午後10時(フィリピン時間)現在、台風19号・フィリピン名「オンポン」が、ルソン島の遥か東の海上を北上しています。私たちの住むネグロス島を含めて、フィリピン本土は暴風雨域には まったく入っていないのですが、台風が接近し始めた昨日夕方頃から、時折、激しい雷雨とかなり強い風に見舞われています。
このため、日本で話題になっていた皆既月食は、カケラも見ることができませんでした。

この19号、今年最強の台風とのことで、今週末には日本に上陸の恐れもあるらしい。今年に限らず、ここ最近、日本でもフィリピンでも台風被害が増えているように感じます。特に昨年、レイテ島を中心に壊滅的な被害をもたらした台風「ヨランダ」は、まだ記憶に生々しいところ。

昨夜は、叩き付けるような雨でしたが、今朝は一時的に小康状態で、午前8時頃には青空も顔を出しました。この晴れ間を縫うように、家内を連れて州都バコロドの病院に。実はしばらく前から、家内が体調不良を訴えていて、今日検査の結果を聞きに行ったのです。



童顔で、実年齢より10歳やそこらは当たり前のように若く見られる家内ですが、もうそろそろ更年期が来てもおかしくない時期。こういう時は、家内でなくても悪い方に考えがちで、ここ数日は情緒不安定な状態になっていました。

相変わらず暗い病院の待ち合い室で待っていると、家内がニッコニコ顔で戻ってきました。分かりやすい人やな〜。異常なしって、言わんでも丸分かりです。
その後は、出かける時のドヨヨ〜〜ンな雰囲気とは打って変わって、もうデート状態。ショッピングモールに寄って、お昼ご飯を食べて、食材の買い物。

前回の投稿でも書きましたが、10月にもなれば、街はすっかりクリスマスセール。スーパーの中も、BGMはクリスマスソングで飾り付けはクリスマス一色。ふと見るとデコレーションかと思ったクリスマスツリーに値札が付いてます。2300ペソ(5000円ちょっと)って、安いんちゃうの?



もう、すっかり気分がよくなった家内に言うと、即決で買って帰ることになりました。いずれは買う予定だったとは言え、ほとんど衝動買い。しかもまだ10月。日本ではあり得ないですね。帰宅する頃には、また風雨が強まっていましたが、そんな中家族みんなでツリーの組み立て。ちょうど家内の背丈ぐらいあります。



組み立てが終わって電飾をつけると、気分はもうすっかりクリスマス。元々季節感がない国なので、12月になっても気温は25度ぐらい。山下達郎さんの「クリスマス・イブ」を流したら、今の日付がいつなのか分からない感じ。



クリスマスツリーの飾り付けって、誰が考えたんでしょうね。こうしてキチンと飾ると、いかにも「平和な家庭」。アメリカ映画なんかで、家族団らんの象徴みたいに扱われるのが、何となく実感として分かった気がしました。


2014年10月6日月曜日

ER は、クリスマス月

中学生の頃、英語を習い始めた時、月の名称がなかなか覚えられなくて苦労しました。日本みたいに数字だったら分かりやすいのに、全然規則性がない、まるで嫌がらせみたいな名前。曜日も難しかったですが、まだ終わりが全部 〜day で終わってるだけマシ。
それでも、1,2月は 〜ry、7,8は Ju〜、そして 9〜12は er〜とグルーピングができます。しかし、なぜ最後の4ヶ月だけがまとまってるのか?

フィリピンに引越して、その謎が氷解しました。
これは、本当にフィリピン人の友達から聞いたのですが、終わりに er の付く月は、クリスマスシーズンなんだそうです。確かに今年も9月に入ったとたん、デパートのショーウィンドウにはツリーが飾られ、ラジオからはクリスマスソング。1年の1/3がこの調子なんですね。

先日もセブ島に行った時、ビザ更新の手続きが思ったより早く済んで、家内と二人で最近できたショッピングモールを歩いていると、フロアの半分ほど使った広いクリスマスツリー売り場を見つけました。この写真撮ったのは、まだ9月の半ば。



日本の住宅事情で考えると、デカ過ぎるものばかりですが、こちらでは相当狭い家でも、大人の背丈ほどのツリーを飾るのはザラです。なので、ここに並んでいるのは、大きな家に住むお金持ち用ではなく、一般的なものばかり。価格も高いもので1万円ぐらいまでという感じでした。

分不相応なサイズの家を建ててしまった私たちも、今年は家に見合ったツリーを用意しないといけませんね。それだけでなく、家の外壁を飾る電飾も買わないといけないらしい。

去年は、子供のプレゼントをギリギリになって買いに行って、エラい待たされてしまったので、このクリスマスは早めにしましょう。しかし、今気付きましたが、年が明けてからも1月いっぱいぐらいは、ツリー飾りっぱなしの店も家も多いなぁ。


ヤシの木のクリスマスツリーは初めて見た。これほしい…。
しかしこれだけバカに高いぞ。


2014年10月4日土曜日

日本にいた時よりも幸せ

昨日は私の52回目の誕生日。早いもので、フィリピンに移住してから、もう2回目です。2週間前に新築した自宅の祝福パーティがあって、その時にサプライズで私のバースディケーイも用意されていたので、当日はもうパーティなしの家族だけの晩ご飯…と家内は言っていたのですが。

朝からメイドを引き連れて、たくさん食材買って、しかも2週間前の時よりデッカいケーキまで持って帰宅。え〜、家族だけでこんなに食べられるの? と訝しんでいると、夕方には、親戚やらご近所さんやらが、キレイな服着てやって来ました。結局パーティするのね。



最近いつも晩ご飯は私が担当ですが、この日ばかりは何もせずに座っているだけ。こういうの久しぶりやな〜。お客さんは、本当に私がよく知っている人たちばかりで、心からの笑顔で「おめでと〜、フランシ〜ス」とハグの交換。気持ちは別として、日本ではまず見られない風景ですね。

20名ぐらいのホームパーティで、新しい家の間取りが、当初に目論んだ通りの効果を発揮しました。大きなテーブルが置ける広さのダイニング。主婦が接客しながら台所仕事もできる、カウンター式キッチン。メイドが一緒に作業できる、広い流し周り。そうなんですよ、まさしくこういう使い方ができるようにと、建築家の人にお願いしてたんですよ。



引越し以来、何度も「この家建てて良かった」と感じてましたが、昨日ほど強く思ったのは、初めてかも知れません。

食事が済んで、コーヒーを入れる頃には、機材購入後、最初のカラオケ大会。家内の弟が歌うの大好き。もう一人のカラオケ大好き男の従弟と一緒に、延々歌ってました。やっぱりフィリピンのホームパーティは、これでなくっちゃ。

パーティが終わって、メイドのカトリーナに後片付けを頼んで、撮った写真をフェイスブックにアップすると、すぐに台湾人の友達がコメントくれました。「第二の人生、楽しんでますね。日本にいた時より、ずっと幸せそう。」

そりゃあ、そう見えますよね。ストレスフリーの生活ができたら、誰でもそうなると言うものです。これほど大勢にお祝いしてもらった誕生日というのは、多分大人になってからは、なかったでしょう。ありがとうございました。


ドレスで登場 二人の叔母

2014年10月1日水曜日

ソウルフード お好み焼き

フェイスブックを始めてから、学生時代の友達とネット上で何人も再会して、日本にいる時には、そのつながりで何度か同窓会をしました。フィリピンに移住してからも、ネット環境はほとんど変わりがないので、お付き合いは続いてます。

高校、大学を通じて、国際結婚をして配偶者の国に住んでいる人が4〜5人。どういう訳か私以外は全員女性です。その中で、今ハンガリー人のご主人とブダペスト在住の女性とがいます。ハンガリー語が喋れて、英語も堪能。何とブダペストで子供向けの英語学校に勤めているとのこと。

しかもピアノが弾けて、学生時代はお琴も。こんなマルチタレントな同級生がいたとは、在学中ほとんど交流がなかったのが残念なほど。彼女は海外暮らしが長く、ブログも前から書いているそうで、新米海外移住者としては、いろいろ参考にさせてもらってます。

阪神タイガースの大ファンで、自らも認めるコテコテの関西人の彼女。最近、お好み焼きについての投稿をアップ。写真やイラストはまったく使ってないのですが、同じくかなりディープな関西人としては、読んでいて、ありありとビジュアルが浮かび、もう食べたくて仕方なくなりました。

偶然にも、近くのスーパーで「オタフクお好みソース」が売られているのを見つけたところ。へぇ〜〜、インスタントラーメンやカレーのルーならよく見ますが、ここまで日本の食文化が浸透したのか、と驚きました。

早速、お好みソースと、こちらは以前からよく買っている、キューピーのマヨネーズを入手。フィリピンでもマヨネーズはありますが、甘過ぎて、とてもお好み焼きには合いません。

アンチョビで出汁取って、キャベツ刻むと、もう作っているだけなのに、懐かしさで胸が一杯になってきました。バラ肉がないので、ポークチョップ用の豚肉を自分で薄く切って…。はいできましたよ、ほぼ2年ぶりのお好み焼き・豚玉。

山芋はなくて、最初はタロ芋かキャッサバで代用しようかと思いましたが、粘りが全然ないので、省略。天かす、青のり、鰹節も探せばあるかもしれませんが、こちらも涙を飲んでパス。それでも、焼きたての香りは、間違いなくお好み焼き。

ソースとマヨネーズをかけて、いただきました。
家内も日本にいた時は、お好み焼きファンで、自分でもよく作ってました。息子はもちろん大好物。そしてお好み焼き初体験のメイドのカトリーナが、エラい気に入ったようです。残った最後の一切れまで、美味しそうに完食。




みそ汁や蕎麦なども手に入り、よく食べてますが、やはり久しぶりに、この関西のソウルフードを口にした時ほどのインパクトはないですね。文字通り、これに味を占めたので、月一回ぐらいは、お好み焼きの日にしようかと、考えています。


そば、うどん、そうめんは、よく見かけます



お好み焼きをおかずに白米を食べるのが関西流