2014年7月29日火曜日

フィリピンの座敷童

以前、家内と日本に住んでいた時、家内に座敷童のことを話したことがあります。「日本には座敷童という子供のお化けがいて、古い家に住みついて、夜騒いだり、物を隠したり悪戯をするんや。でも座敷童がいると、その家には幸せが来ると信じられているので、家の人は追っ払ったりしないんやで。」

家内は、怖がるか馬鹿にするかと思っていたら、意外なリアクション。
「へぇ〜、日本にもいるの?」 え?
何と、フィリピンにもまったく同じような伝承があるそうで、こちら「カマカマ」と呼ばれているそうです。子供のお化けであることも同じ、指輪とかが無くなって、さっきまで何もなかったはずの、テーブルの目立つところに置いてあったりという悪戯も同じ。そして、家の守り神みたいな扱いというのまで。

さらに驚いたのが、子供の頃に住んでいた家にカマカマがいたらしい。
子供の頃と言っても、もう家内が大学生になっていて、家族の元を離れてマニラで一人暮らしをしていた時の話。ネグロスの実家には、両親と弟だけが残ったのですが、隣の人が家内がずっと家にいると思っていたというのです。いつも窓から女の子の姿がチラチラ見えていたから…。

うわぁ〜、これ書いていて鳥肌が立ってきたがな。

日本人でも、幽霊やお化けの超自然現象の類いを、頭から否定してしまうことの方が少ないと思いますが、ここフィリピンでは、もっとそれが身近。今でも体調崩したりすると、祈祷師に診てもらったりお祈りしてもらったりというのが、普通に行われています。別に特別な信仰を持っているわけではなく、日曜日にはカトリックの教会に通っている人々。

そして最近、家内が住んでいた家がまだ残っていると聞いて、見に行きました。どんなおどろおどろしい場所かと想像してましたが、至って普通の家屋。ん〜〜、あの窓辺りにカマカマさまが姿を見せていたのか?





トリリンガル・ミサ

時々書いてますが、私の宗旨はカトリックです。フィリピン人でカトリックの家内と一緒になったから、洗礼受けたと思われますが、実は逆で教会を通じて家内と出会ったのでした。しかしその辺りは、いろいろ事情があって、洗礼を受けたのは、家内と知り合ってから、しかもフィリピンで受洗ということになりました。

成人してからの洗礼の場合、日本のカトリック教会では1〜2年ぐらい、代父母(いわゆるゴッドファーザー・マザー)の指導で勉強するものらしいんですが、私の場合は、耳学問の知識があったのと、代母になった家内の叔母という人が、とてもせっかちで思い込みもキツい人だったので「じゃあ、明日洗礼受けましょう!」と決めてしまいました。

このフィリピン人の叔母さん夫婦が日本に住んでいて、未信者ながら教会に通っていた私と友達付き合いをするようになり、フィリピンへの里帰りの時に現地の自宅に遊びにいったのが、家内と出会うきっかけだったのでした。

とまあ、不思議な縁(と仏教用語を使うのも変ですが)で、自覚も覚悟もきわめて希薄なままカトリックの信者になってしまい、今に至っております。このブログでのハンドル・ネームも、洗礼を授けてくれたスペイン国籍のバスク人神父のファーザー・パラシオスに付けてもらった「霊名」。日本史上初のカトリックを伝えた、有名な聖フランシスコ・ザビエルは、この神父さんと同じバスク出身です。

フィリピンに移住してから通っている最寄りの教会は、新居のある「ビレッジ」内にある修道院付属のチャペルで、それほど大きくもなくちょうど日本によくある教会のサイズ。お御堂は100人も入ったらいっぱいになるぐらいでしょうか?
日本と違ってカトリックが人口の9割以上を占めるフィリピンなので、別にここでなくても大きなカテドラルもあるのですが、ここに決めたのは英語でミサをやってくれるから。




ネグロス島の西半分の母語はイロンゴ語という方言で、神父さんも普段はこの言葉で生活しています。大きな教会では、イロンゴのミサが標準。カトリックのミサは、全世界同じ式次第なのでイロンゴで喋っても、何をやっているのかはだいたい分かるのですが、問題は、聖歌。日本では聖歌隊に入ったりしていたので、やっぱり歌いたいんですよ。

この修道院のチャペルでは、英語がメインなだけですなく、ちゃんとスライドで歌詞を映してくれるので、何とか合わせることができます。しかも、たまに「栄光の讃歌」や「主の祈り」をタガログ語で歌うこともあるのですが、表記はアルファベットなので、歌詞さえ見せてくれれば何とかなります。

さすがに説教だけは、いつも地の言葉のイロンゴなので、英語・イロンゴ語・タガログ語を変幻自在に使い分けたトリリンガル・ミサの毎週ですが、この頃は、どの言葉の聖歌でも、歌える曲のレパートリーがだいぶ増えてきました。

これで、もう少し説教の意味が分かるようになればなぁ。


2014年7月26日土曜日

自分大好きフィリピン人

先週から思い立って、シライ市内のジムに通い始めました。4年前に里帰りした時には無かったので、わりと最近オープンしたと思われる「シライ・フィットネス・センター」。以前から気になってはいたんですが、中に入ったのは今回が初めて。

日本でこういう場所に行こうというのは、大抵ダイエットが目的だと思います。しかし私の場合は、移住後半年ほどで何も特別なことはしていないのにエラい痩せてしまいました。体調も悪くなく、よく眠りよく食べているので病気ではなさそうですが、75キロあった体重が現在63キロ。身長が170センチなので、ほぼ理想的と言えるでしょう。

ただスリムになったものの、胸回りも肉が落ちて、なんだか貧相になってしまいました。そこで、もうちょっとTシャツがかっこ良く着れるようにと、ジム通いを思い立ったわけです。

さて、初めてのジム。入ってすぐのところにボクシングのリングがあって、そっちのコーチングもしているらしい。土曜日の午前中は子供が来ていて、ボクシングではなくテコンドーの練習してました。



来てみて意外だったのは、ダイエットと思われるお客さんは少なくて、完全にボディビルのためのオっちゃんがほとんどだったこと。それも、無意味なほど上半身に筋肉つけて、鏡を見ながら筋トレにはげむナルシストの世界でした。

若い女の人もちらほらいましたが、こちらはボクシング系のトレーニングに汗を流していて、無駄な筋肉もなく引き締まった体形の人が多い。それに比べて男の方は、ひたすらバーベルに鉄アレイ。インストラクターも含めて、胸や二の腕はすごいけど、足が笑ってしまうほど細い。自慢ではありませんが、私は自転車をよく漕いでいるので、脹ら脛だけは他の誰よりも太かったりします。



どうも健康のためよいうより、ひたすら見てくれだけなんですね。(人のことは言えませんが)これに限らず、フィリピン人は、自分大好きでフェイスブックでも自分撮り写真がやたら多い。投稿がプロフィール写真の変更ばっかりとか…。
自己愛が強いのかなぁ? フィリピンの言葉で「私は可哀想」という慣用句があるそうですが、他人に優しく自分にはもっと優しい、フィリピン人のメンタリティ理解の鍵は、この辺りにありそうな気がします。


2014年7月24日木曜日

子供大国フィリピン

だいぶ以前から少子化が大問題になっている日本ですが、まったく反対に、ASEAN諸国でもブっちぎりの人口増加率を誇っているのがフィリピンです。ネットの記事によると、昨年総人口1億の大台を突破して、10年以内には日本の人口も追い抜く勢いだとか。

詳しい分析は、専門の方々に任せるとして、生活実感としても本当に子供が多い。道歩いていても、そこらじゅうで子供が遊んでるの見かけます。親戚や息子の友達の家に、誕生日祝いでお邪魔したら、もう湧くように子供がうじゃうじゃ。子供の誕生パーティは、フィリピンの経済を支える大きな要素ではないかと思えるぐらい、ちっちゃな赤ちゃんでも、とんでもなく盛大に、何十人もお客さんを呼んで開きます。

自宅が狭い人は、マクドナルドやジョリビーみたいなファーストフードの店の二階フロアを借り切ってパーティ。結構頻繁に見かけますね。とにかく、こういうことでは大の見栄っ張りのフィリピン人。1ヶ月の稼ぎを全部つぎ込んだりしても平気。

ただ、貧乏人の子沢山とはよく言ったもので、身の回りを見ても子供の数と学歴や収入は、どうも反比例しているようです。家内の大学の友達だけを見ていると、まず40過ぎで独身の人が多いし、子供がいてもせいぜい二人まで。日本と同じような状況。

ビザ取得や更新、そして日本の領事館があるので、各種の手続きで頻繁に訪れるセブで、空港から市街地の途中、いつも見かける産婦人科医院の壁に書かれている「啓蒙ポスター」が、こうしたフィリピンの状況を物語っています。

避けるべき妊娠・出産
 多過ぎ(too many)
 頻度高過ぎ(too often)
 出産年齢低過ぎ(too young)
 出産年齢高過ぎ(too old)

わざわざ大書してあるということは、多いんでしょうね、こういう出産。
息子が通う小学校でも、時々上のお姉ちゃんが末っ子の面倒見てるのかな?と思ったら、母親だったり…。どう考えても14、5歳の時に生んでる勘定になります。それとは逆に、もう孫ができるというのに、下の子が小学生だったり。

戦前の日本のような話ですが、5人6人兄弟姉妹は、決して珍しくありません。さらに、これは実際に家内の親戚にいるんですが、カトリック信徒間では離婚が許されないはずなのに、今の奥さんが(分かっているだけで)3人目で、それぞれに子供が2〜3人づついるなんて話もあります。こちらもそんなに珍しくない。

日本では、経済的な理由で子供を作らない、作れないと言いますが、金があろうとなかろうと、お構いなしのフィリピン。気になって調べてみたら、WHO(世界保健機構)の2010年の調査では、1000人出産当たりの死亡数が、日本の1人に対して、何と14人。やっぱりなぁ、という感じですね。

子供は少ないより多い方が幸せだと、単純には言えないというのが、子供大国フィリピンに住んでの偽らざる気持ちです。


息子が通う聖テレシタ学院の子供達。小学校の数も児童数も多い。


2014年7月23日水曜日

試練のビザ更新

昨日、今日と一泊して隣島のセブにあるイミグレーション、フィリピンの入国管理局へ行ってきました。これは昨年、家内と一緒に相当な労力を費やして取得した、私のフィリピン永住ビザの更新のため。

フィリピン人の配偶者という資格で得られるもので、日本でも同じようなビザがありますが、家内の場合「永住」までは、真面目にしてても5年ぐらいかかりました。それに比べれば、一年目で永住ビザが取れるんだから、まだ楽かも知れませんが、手続きはとっても大変でした。

今回は、仮ビザだったのを正式ビザに格上げしてもらうためのもの。言わば一年間の試用期間が過ぎて、いよいよ本採用(?)ということでしょうか。もう二回目なので、ここまでは、昨年ほどのストレスはなかったものの、昨日は本当に試練の一日でした。


朝のフライトは定刻より早くて快適だったんですが…。


早朝のフライトで8時前にはセブ入り。ところが、空港からのタクシーで、いきなり躓きました。イミグレーションのオフィスが引越しして、大きなショッピングモールの中に入ったのですが、たまたま乗り合わせたタクシーの運転手、家内が何回説明しても古い方の場所しか分からない、の一点張り。空港のタクシー乗り場の係員に説明してもらって、ようやく分かったのか、何とか走り出したのですが、結局連れて行かれたのは、もう無人になった古い方のオフィス。さすがの家内も怒ってしまって、メーターに表示された金額を叩き付けるようにしてタクシーを降りました。ほんとにも〜〜。

別のタクシーに乗り継いでやっとたどり着いた、新装のイミグレーション。
用意した書類を提出して、午前中には終わりそうな気配。これは意外と楽勝だったか?と思ったのも束の間、昨年もあった、弁護士による面接がやっぱり必要だと分かりました。しかもこれが来週か再来週、もう一回ここへ来いとのこと。同じ島に住んでるならともかく、飛行機に乗らないといけない距離になんやけどね〜。



しばらくして、たまたま都合がついて、午後からその弁護士が来るので「レター」を書けと言われました。申込書に記入、じゃなくてレター! どこまで形式ばっとんねん。最初家内は、ネットカフェで文書をタイプして...とか言ってましたが、結局手持ちのノートにハンドライティングでレターを書きました。

ショッピングモール内にある日本食レストランで、まるで「餃子の王将」のような昼食を摂った後、またまた待たされて、やっと弁護士と話ができました。ここでまた問題発覚。
二ヶ月前に新居に引越して、地元の役所で転居の証明書までもらっていたのに、イミグレーション向けの申請が必要だと言い出しました。その上二ヶ月分の「罰金」を払えとのこと。多分、私一人だったら「馬鹿にするな」と叫んで、その場で席を立っていたでしょう。


唯一の楽しみは、日本と変わらぬ味の豚骨ラーメンだった?


こういうのがフィリピンのお役所らしいところ。担当者によって言うことがコロコロ変わるし、いつの間にか新しいルールやポリシーができている。しかも、全然それを周知徹底しようという努力をしないものだから、今回のようにいざ書類提出という段になって、追加や訂正の嵐。その度に手数料も発生。

と、ここでキレても仕方ないので、通りを挟んだ別オフィスで書類を作ってもらい、それを持って来て提出したら、何と名前の綴りが間違ってタイプされてました。「S」のところを「Z」にしていたので、サがザになってる。ったく…。
もう一度さっきの場所に戻って書類作り直し。すると今度は、プリンターが不調で印刷できないって、まるでネタやな。
ここで夕方5時のフライトで帰らないといけない家内は、タイムアップ。用心して私だけ泊りの予定にしていたのが、幸いしました。一人残って、何とかその日のうちに、追加の書類の提出を終えることができました。結局、朝9時前から夕方5時まで完全にフルタイムになってしまった。

可哀想に、新しいショッピングモールでの買い物を楽しみにしていた家内は、他に何もできずにトンボ帰り。帰宅してから散々愚痴られてしまいました。

ここまでやっても即日交付ではなく、イミグレーションのホームページに私の名前が表示されるまで、2ヶ月ぐらい待たなくてはなりません。事務所が新しくなっても、お役所体質は全然変わらんということを、改めて思い知らされた一日でした。


首都マニラに次ぐ大都会、セブ市。
有名なリゾートがあるのは、海峡を挟んだ向かいのマクタン島。

2014年7月18日金曜日

アニメ大好きフィリピーナ

今日は家内の友達の娘さん、ゼニヤ嬢が新居に遊びに来ました。隣の島パナイに住んでいて、お母さんの実家がシライ市内のすぐ近所。昨夜は、おばあちゃん(つまり家内の友達のお母さん)の誕生日祝いに来て泊まったそうです。

フィリピン人はフェイスブックが大好きで、聞くところによると利用率は世界一なんだとか。フェイスブックを通じて、ゼニアが大の日本のアニメ好きというの知りました。

ゼニヤのために用意したわけでもないのですが、私もジブリのアニメや高橋留美子さんのマンガは好きで、その他にも本棚がいっぱいになるほど、日本から持って来ました。もうこれをみた瞬間のゼニヤの喜び方たるや…。まるで探し求めていた恋人に巡り会ったのか?という勢い。

最新作の「風立ちぬ」以外は全部DVDで揃えている宮崎アニメ。まず飛びついたのが「ルパン三世」というところが相当マニアックですね。「トトロ」や「千と千尋」ぐらいは、フィリピンでもかなり知名度が高く、こちらの方は「もう、これ見たし」とあっさりスルーでした。そして一番興奮してたのは、「アキラ」の全巻揃いを見た時でしょうか?



ちょっと驚いたのは、比較的新しいマンガを良く知っていたこと。「デス・ノート」はリュークの人形持ってるほどのファンだし、「xxxホリック」もお気に入り。へぇ〜。古い方では「サイボーグ009」も知ってました。一昨年公開の「Re Cyborg」は、まだ見てなかったけど、昔のテレビシリーズがフィリピンでも放送されていたようです。

パナイ島の看護学校を卒業したてのゼニヤ。歳は二十歳過ぎぐらいですが、小学校の時に日本のアニメの吹き替え版(英語やタガログ語)を見て育った世代。話ていると、出てくるのは、「ドクター・スランプ」や「らんま1/2」に「犬夜叉」。日本のサブカルチャーの浸透度ってすごい。

全員が日本のアニメ、マンガ大好きということでもないですが、多いですね、オタクレベルまではまっている子。因みに一緒に来たゼニアの友達は、「スタートレック」の方が好きだったようです。こちらもテレビシリーズも映画も全部DVD持っていたので、さらに話が盛り上がりました。

知らない人には全然分からない話ですみません。


2014年7月15日火曜日

自分で作る日本食

フィリピンに住んでいるので、他の在フィリピン日本人の書いたブログをよく読みます。とても生き生きと、フィリピンでの生活を楽しんでおられる人がいる反面、やはり多いのがフィリピンやフィリピン人をボロクソに言う人。

そんなに嫌ならば、さっさと日本に帰ればいいと思うのですが、「こんなひどい所には、普通の日本人は住めないだろう」と威張りたいのでしょうか? フィリピン人を猿呼ばわりするくせに、奥さんはフィリピン人だったりというのも多い。

特に多いのが食事について。生活費は安いけど、それはマズいフィリピン料理で我慢すれば…。などと言う記述があると、書いた人は可哀想に、ちゃんとしたフィリピン料理を食べたことないんだなぁと思います。

確かに米は、日本と違ういわゆるインディカ米で、ジャポニカ米を食べ慣れた日本人には、ちょっと違和感があるかも知れません。しかし、それは単に慣れの問題で、フィリピンの気候風土の中で暮らしてたら、すぐ気にならなくなりました。

それ以外の食材、特に鶏肉は、フィリピンでも有名な「バコロド・チキン」の産地であるネグロス島のこと。とても新鮮で美味しいものが安く手に入ります。野菜も、トマト、茄子、白菜、キャベツ、玉ねぎ、人参、ジャガイモ、オクラ…。何でもある。

こういう素材を、朝の市場で買って来て料理してもらえば、美味しくないはずがない。まさに地産地消。それに地元のレストランで食べると、家族3人で5〜600円も出せば、お腹いっぱいになります。

とは言っても、たまには日本食が食べたくなるのが人情というもの。それも刺身とかの純和食ではなく、ラーメンとかとんかつとかハンバーグの類い。でも、よく考えたらこれだけ豊富に食材が手に入るから、作れるんですよね。

ということで、新居ができてからというもの、かなり頻繁に自分で夕食作って、時々日本食を楽しんでます。ドンブリが無かったので、カツ丼ならぬカツ皿になったりしますが、味は変わりません。まぁ、コックが私なので、料理がヘタというのは差し引かないと…。



小麦粉もパン粉も日本のものがあるので、まずハンバーグ作りました。



ラーメンは麺もスープも現地調達で、ちょっと違ってしまった。



揚げ物では最初に作ったトンカツ



これがカツ皿。前日のトンカツを使って昼食に。



ヒット作のコロッケ。ポテトを使ってグラタンも。


それから、うどんやそばに麺つゆは、ちょっと大きなスーパーならば、普通に日本からの輸入品が並んでます。少し高いですが毎日食べるわけではないので、重宝してますよ。
息子にとっては、父親が作った日本食より、カップヌードルの方がご馳走のようですが。(苦笑)


2014年7月11日金曜日

バミューダとカラバオ

この火曜日からランドスケーパー(造園業者)が来て、本格的に庭への土入れと芝生の敷設が始まりました。見積もりの時に教えてもらったのですが、芝生にもいろいろ種類があって、実は裏庭に自生していた草も芝生の一種とのこと。

ぱっと見が雑草のようですが、カラバオ・グラスという芝生。名前がカラバオ(水牛)と付いていることからして、東南アジアで耕作用にたくさん飼われている、カラバオの餌になるんでしょうね。



ランドスケーパーが勧めたのは、もう少し高い(と言っても1平米20円ぐらい)バミューダ・グラス。調べてみたらゴルフ場にも使われているそうです。私が知っている見慣れた芝生は、これです。

そこで建物の周囲は、バミューダ・グラスにしてもらい、裏庭は、すでにたくさん生えているカラバオ・グラスをできるだけ活かして、追加で同じものを敷き詰めることにしました。さらに竹のフェンスに沿ってブーゲンビリアをぐるりと植えることに決定。

作業は至ってシンプル。軽トラックに積んで来た土を薄く庭全体に敷いて、平にしてきます。その上に芝生を植える、というより置いて行くだけです。ただ雨期と言っても熱帯のフィリピン。さすがに時折差す日差しはきつく、日陰のない庭での仕事は、かなりの重労働。



実働三日ほどで、芝生敷設は終わりました。やっぱり庭一面が緑になると、印象がまったく変わりますね。土が剥き出しだと、どうしても空き地に建物があるだけの未完成な感じが拭えませんが、緑の面積が多いと、本当に落ち着きます。心無しか、少し涼しくなったようにも思える。




ブーゲンビリアは、来週明けに植えるということで、これが終わったらこの仕事もお終い。後は、自然に草木が育っていくのを待つだけです。


2014年7月9日水曜日

マルチリンガルへの道

私の家族、家内に息子そして私は、三人とも幼少期の言語環境が違い、それぞれ第一言語以外の言葉の習得には苦労してます。敢えて第一言語以外と書いて外国語と記さないのは、家内の国フィリピンが国内にお互い意思疎通ができない言語を多数抱える、他言語国家だから。

まず私は、他の多くの日本人と同様、成人するまでほぼモノリンガル(単一言語話者)で過ごし、仕事の関係でどうしても英語が必要なため、これまた多くの日本人同様、苦心惨憺して何とか海外で単独業務ができるようになりました。とは言っても、英語の映画や歌は未だによく分かりません。

今、三つ目の言葉のフィリピンの方言「イロンゴ語」を学ぼうとしてますが、五十歳過ぎてからまったく新しい言葉を詰め込むのは苦行。移住後一年ちょっとで、ようやくそこそこの挨拶が何とかできる程度です。

そこへ行くと家内のマルチリンガルぶりは凄い。母語のイロンゴ語はもちろん、公用語のタガログ語(正式にはフィリピノ語)、第二公用語の英語は完全にネイティブ・スピーカーのレベルで、アメリカの映画もドラマも字幕なし(フィリピンでは英語には字幕付きませんが)で理解します。羨ましい限り。フィリピンで大学まで進学すれば、これが当たり前。

その上、イロンゴ以外にセブアーノというフィリピンでは最大言語も理解するし、スペイン語も少し分かる。しかし日本語では苦労しました。

結婚して来日当初は、日本語は片言。ここで変な日本語を覚えられると嫌なので、最初の一年間は学習塾で有名な「公文」が運営していた日本語教室に通わせました。案の定、漢字、敬語、数詞には悩まされたようで、未だに変な表現もしますが、今では家内との会話はほぼ日本語(正確には大阪弁?)。たまに分かりにくい時だけ英語になるぐらい。

さて、目下頑張っているのは、もうすぐ9歳の息子。英語は日本にいる時に幼稚園ぐらいで家内が絵本の読み聞かせしてたお陰で、もう私の読解力は追い抜かれそうです。7歳から突如彼の人生に入って来たタガログ語とイロンゴ語。これは大変でした。

本来ならば、移住当初には小学校2年生になる歳だったのですが、こちらの学校の編入試験で、質問がタガログ語だったため、まったく歯が立たず号泣。試験官の先生に「難しすぎる〜。」と英語で泣訴したそうです。そこで、このまま学校嫌いになっては困るので、先生と相談の上、1年生からやり直しになりました。

日本では優等生だった息子。プライドをいたく傷つけられて最初は抵抗しましたが、結果的にこれはうまくいったようです。全教科の試験の平均点が毎回90以上が1年続き、その都度、表彰状みたいなものを貰ってきました。(親馬鹿失礼)大好きとまでは言わないけれど、朝学校に行くのを渋るようなことには、なっていません。


フィリピンの教科書 フィリピノ語、英語、母語(イロンゴ語)
手前は日本で購入した国語の参考書


なんでこんな話を延々と書いたかというと、今日、日本にいる友人から、娘さんのクラスメートのフィリピン人の女の子が中学の勉強に付いて行けず、どうしようか?と相談されたことで、いろいろ思い出したり、考えたりしたからです。

聞くと、小学生の高学年でお母さんと一緒に来日してから、きちんとした日本語教育を受けていないらしい。可哀想なのは、英語をちゃんと習得し終わる前に日本に来たので、英語も日本語も中途半端なままなんだそうです。恐らく母語のタガログ語は、ネイティブなんでしょうが、たとえ帰国しても、英語がビジネスレベルで話せないと、就職はとても制限されてしまうのがフィリピンの難しさ。

昨今英語留学ブームで、フィリピン人は誰でも英語を喋れると思われているかも知れませんが、教育機会がなくて、フィリピン育ちでも母語しかできない人もたくさんいます。私たちの住むシライ市の目抜き通りに「子供をサトウキビ畑ではなく、学校へ通わせよう」というキャンペーンのポスターが貼ってあります。

実際、多いんですよ。小学校にも行けず超低賃金で重労働している子供が。事情は、様々あるでしょうけど、それぞれの社会で必要な言葉だけは、小学校卒業の年齢までにちゃんと勉強させるのが、親や保護者、広くはその社会全体の最低限の義務だと思います。その子の人生にとって、取り返しがつかないことですから。


2014年7月5日土曜日

ランドスケーパー

先月、家の方は完成しましたが、まだほとんど手付かずで残っている敷地が300平米。これは元々600平米購入した宅地を半分だけ使ったためです。半分とは言っても、二階建ての総床面積160平米で、1階は90平米しかありません。普通に考えて、半分の300平米でもガレージや庭は、十分確保できてしまいます。

一番最初のプランでは、全部使って相当大きな家にするつもりでした。土地購入時は、義母も健在で義両親同居も考慮。しかし、その義母が60歳そこそこの若さでガンで亡くなり、結局住むのは私たち親子3人だけ。また、最近のフィリピンの好景気で、人件費や建材の価格が上がったこともあって、建築規模を縮小して費用を押さえ、ついでに土地の半分は、もしもの時に売却できるように残すことにしました。

図面の第一稿をこっちの建築技師に見せた時は、最低でも500万ペソ(約1200万円)はかかると言われたのが、計画縮小のお陰で結局300万ペソ余りで済みました。しかも建ててみると、それでも3人には十分過ぎる広さ。余裕で車二台入るガレージも作って、住み込みのメイドさんがいても、夜は子供が少し怖がるぐらいです。




さて、残りの300平米の土地。
工事中からいろいろ考えていましたが、放置しておくのも物騒なので、取合えず竹のフェンスで囲んで、同じく竹製の回廊を作ったり、ニッパハウスを建てたり。家内と相談もして、隣街の造園業者に行ってみました。

最初は庭に植える草木を購入して、自分で植えようと思っていましたが、何せ広い。実際に業者に聞いてみると、ガーデン・デザインもするそうです。私はガーデナーと呼んでましたが、貰った名刺にはランドスケーパーとありました。庭師ではなく、造園技術者と言うところでしょうか。


隣市タリサイに事務所を構えるランドスケーパー


なんだか本格的なことになってきました。出してもらった見積もりが4万ペソ。約10万円というところですが、デザインしないで、芝生植えて生け垣を周囲に巡らすだけでこの値段。ちょっと高過ぎるなぁ。結局、たまたま近所に建てている大きな家の造園を担当している別のランドスケーパーに、その半額以下でお願いすることになりました。

早速週明けの月曜日には契約書交わして、またまた工事が始まります。


2014年7月1日火曜日

初めての窓拭き

引越してもう一ヶ月以上経って、今朝始めて窓ガラスの掃除。
工事が終わらないと、タイル切ったり、壁にドリルで穴開けたりしてたので、せっかく掃除しても、またすぐホコリだらけになるかと待っていたのです。何せ明るくしたいという思いから、やたら窓を増やしたので、朝から大汗かいての大騒動でした。



それにしても汚れてましたね〜。
ずっと気になってましたが、窓の取り付けした時の指紋..というか思いっきり手形の跡が残ってるし、ガラスの製造元のロゴがうっすら印刷されたのまで。これって、サッシ組んだ時から、一回も拭いてないということ。それどころか、窓枠に貼ってある汚れ防止のマスキングテープまでそのまんま。

こういう感覚は、窓屋さんに限らず大工さんも電気屋さんもみんな同じみたいです。既製品の扉とか便器とか、値札はったままで剥がしてくれない。完成しても掃除しない。掃除するように言うとしてくれますが、ものすごくザツ。

ウチに来てた人たちだけが特別なわけではなく、どこの工事でも似たり寄ったりみたいですね。建築工事だけでなく、一事が万事この調子。

最近、サッカーのワールドカップで、日本のサポーターが試合後にゴミ拾いをしたことが大きなニュースになっていますが、ニュースになるということは、世界的に見てこの行為はとても珍しいということでしょう。日本の街が清潔だと言われるのも同じ。

これはフィリピンに限ったことではありませんが、大抵の街は日本人の感覚からするとゴミだらけ。それが当たり前すぎて、どうも汚いと感じないようです。たとえそう感じても、自分で掃除しようとは思わない。こうなると、日本人がちょっと特別だと思わざるを得ません。

今日は窓拭きだけでなく、庭中のゴミ拾いをしましたが、建材のパッケージのプラスティックとか大工さんが捨てたタバコの吸い殻などが大量に集まりました。自分の現場をここまで汚して、キチンと掃除をしないというのは、ちょっと信じられませんが、悪気があるのではなく、そういうものなんでしょうね。
現にフィリピン人の家内は、それに対してまったく無反応。きれいにしたければ、メイドさんにしてもらったら?と言いたげでした。

気にならなければ気付かないし、気付かなければ掃除のしようもない。やっぱり自分で黙ってやった方が、精神衛生上よろしいようです。