2014年2月28日金曜日

隣のベイビー

家ができるまでの仮住まいということで、今の借家に引っ越してから10ヶ月が経ちます。5世帯が住居している平屋の集合住宅で、裏の台所部分を背中合わせにするように各部屋が配置されています。



フィリピンの台所は「ダーティ・キッチン」と呼ばれる形式が多く、この借家もそれ。建物の外にガスコンロや流しがあって、軒が深いので雨が直接吹き込まず、暑い中でも涼しく調理ができるという工夫。

隣の台所とは、鉄筋の格子で隔てられていますが、音やにおいはダダ漏れ状態です。フィリピンでは、主婦やメイドさんがお隣とお喋りするのが当たり前なので、よっぽど仲が悪く無い限り問題はありません。

ところが、昨年末頃にウチの隣に引越して来たカップルは、ちょっと様子が違います。男性はインドネシア人で、近くにある空港で飛行機の操縦を習っているそうです。そして女性はフィリピン人。二人とも若くて、多分まだ二十代。

いつも飲料水を買っている水屋の、噂好きでお喋りのおばちゃんによると、結婚はしていない同棲状態。それは別にいいんですが、生活時間があまり一般的ではありません。男性は毎日昼から講習なのか、昼前には家を出てます。女性は夜の仕事のようで、早朝帰宅。つまり平日に二人が一緒に家にいるのは朝から正午ぐらいまで。その時間帯に男女の事もされるわけですね。

若いのでしかたないのですが、聞き耳を立ててるわけでもなく、普通にダイニングでコーヒー飲んでても「えっ!?」というぐらい大きな声が聞こえてくる。もうドキドキするような歳でもないとは言え、さすがにこれは居心地が悪い。窓ぐらい閉めたら?

テレビの音や音楽がうるさいのなら、文句も言える(実際、どこからも大音量で音楽鳴らしてます)のですが、この騒音は最中にドアを叩くこともできません。これ、子供がいる時だったどうしましょうかね?

フィリピンというと、日本ではあまりよくないイメージが蔓延っていて、こういう話は当たり前のように思われるかもしれませんが、マニラの危ない場所ならばともかく、こんな田舎街の住宅地、しかもウチだけでなく、隣家はみんな小さな子供がいる場所では、ちょっと考えられません。

この女性、いつも相手を「ベイビー」と呼んで、庭先でもベタベタ。たまに目が合ったりすると、こっちが恥ずかしくなってしまいます。本人は気付いてないのかな?


2014年2月27日木曜日

こら、砂屋!

もう工期の2/3が済んで、だいたい終わりが見えてきたこの時期ですが、まだまだ問題はたくさんあります。工期が遅れたり、大損害が出たりというほどではないんですけど。

今日、監督の父がキレたのは、いつも土砂や砕石、コンクリートブロックを買っている、通称「砂屋」。トラックで土砂を運搬して、納品の時にメジャーで測って量を確認してます。その時にわざと山のように積んだてっぺんから高さを出して、少しづつ誤魔化すという、悪い癖があります。ほんの少しだったら、しょうがないなぁ、で済ましてましたが、今日は三輪バイクで0.5㎥持って来たと言うので、測ったらその半分しかない。



舐めんのも、え〜加減にせぇよ!と大阪弁で爆発して、受け取らずに追い返してしまいました。通訳の家内が板挟み状態で可哀想ですが、ちょっとこれはひどい。しばらくして、マネージャーの兄ちゃんが、トラック一杯に砂積んで謝りに来ました。今度は、山のままではなく、ちゃんと平に均して測ってみると、6㎥と言ってたのが4.5㎥。

これがフィリピンの商習慣なんでしょうかね?

今朝はこれ以外にも、屋根瓦の取付け業者が「完成しました」と言って、とっとと帰ってしまうし。クライアントの確認も済まさずに勝手に帰るなよ〜。屋根に登ろうとしてもはしご外してある。これは面倒が嫌での確信犯やな。
携帯メッセージで元請けの事務所に「戻ってこい」と連絡して、今返事待ち。

さらに、こちらはだいぶ前から問題になっている、先月末に増員した大工さんの一人。リーダーのリトさんの先輩格で、リトさんに頼み込んだそうなんですが、かなりの怠け癖がある。私や父が見ていないと思うと、何もせずにぼ〜っとタバコ吸ったりしてる。最初から怪しいと思っていた父が、半日こっそり観察してると、その日の作業量は、ベニヤ板と角材で小さな仮枠を一枚作ったきり。

今日のコンクリート打ち終わったら、警告発令予定。これで態度が改まらなかったら、ウチの現場からは退場願うことになります。

あと2ヶ月で工事完了なんだけどなぁ。疲れるなぁ、こういうの。


2014年2月26日水曜日

青い屋根

ちょっとご無沙汰の投稿です。その間に屋根瓦の取付け作業がぐんと進み、遠目にはすっかり家らしい佇まいになりました。屋根の印象って大きいんですね。でも住んでいると意外と意識しない部分でもあります。




自分の家だったら思い入れもあるので、そうでもないですが、賃貸や借家など既成の物件に入居すると、引っ越した後でどんな屋根がどんな形で、何色だったか覚えていないことが多い。

フィリピンの屋根材は、スチールをプレスして作ったスチール瓦が一般的です。そして業者が違っても供給元のメーカーが数社しかないようで、色は10種類もないみたいですね。こちらで好まれるのは、赤や茶色の暖色系。壁が黄色やベージュ、薄いピンクなんかと組み合わせる。明らかに素人が選んだというような、赤い屋根に青い壁なんてのも見かけます。

次に多いのは緑の屋根に白い壁。青い屋根は比較的少ない。私は、根が天の邪鬼な性格なので、できるだけ人が選ばない方向に行くタイプ。当然のように青瓦にしました。実際、家に乗せてみると、青空に映えて中々いい感じの仕上がりです。
着工後ちょうど4ヶ月が経過して、ようやく仕上の色が現れました。




壁の方もブロック積みが終わって、できるところからモルタルの仕上が始まっています。コンクリート・ブロック自体がボロボロなので、誰がやっても、そんなにきれいに積めないのは分かっていますが、もういい加減ガタガタのブロック壁も見飽きてきたところ。仕上面が少しづつ広がっていくと、嬉しくなってきます。



それにしても、すごい分厚さで塗るんですね。コンクリートがどんどん無くなります。フィリピンの住宅って、ほんとにコンクリートの塊だな。


2014年2月22日土曜日

エスタブリッシュメント

今日は自分の家ではなく、友達の家のお話。

フィリピンの金持ち。成金で、趣味悪くて、貧乏人には態度でかくて…というステレオ・タイプな人しか見たことなかったんですが、昨夜は本物のエスタブリッシュメントというべき家族に会いました。

実はこの人たちとは初対面でもなんでもなくて、家内の大学時代の友達。家内と付き合っていた頃から、パーティに呼ばれて知ってました。まぁ裕福な家庭だと思ってはいましたが、これほどすごいとは。

旦那さんの誕生日のサプライズ・パーティ。ディナーで夜遅くなるからホテルの部屋を用意してますと聞いてまずびっくり。最初は家内が自分で部屋を予約するつもりが、間の悪いことに近くのゴルフ場でトーナメントがあり、その夜に限ってどこも満室。奥さんに相談すると、まるで手品のように一部屋用意されてしまいました。後で聞くと、奥さんがそのホテルのオーナーだったのです。

そして、その奥さんの運転手付きの車がホテルまで迎えに来てくれました。パーティに招待した他の友達も全員そのホテルにチェックイン済み。旦那さんが帰宅するちょっと前に、家でみんなで待ち構えるという趣向です。

家に着いてまたびっくり。また別にオーナーやってるというホテルの裏手に、5〜6台は車が駐車されているでっかいガレージ。それを抜けると、家というよりお屋敷の門を使用人が開けて待ってました。

とんでもなく広い客間にダイニング。ホテルのビュッフェか?と間違うように料理が並んでます。何よりも目を引いたのが、内装に木材がふんだんに使われていて、昔のスペイン風の作りだったこと。広い吹き抜けに貝殻をガラス代わりに使った出窓。以前、世界遺産のビガンの住宅をテレビで見たことがありますが、多分こんな感じなんでしょうね。




何代も続く地主の家系だそうで、名字もスペイン風。州都バコロド市内のホテルやビルを所有しているだけでなく、エビの養殖池やリゾート地も持っていたり、日本を含む海外との貿易の仕事もしてたりという、実業家でもあるそうです。





それでも、夫婦ともども、ちっとも偉そうぶったところがなく、お金の使い方に嫌みがない。パーティの間も、お客さんが楽しんでるか?退屈してないか?と気の使いようが細かいこと。

翌朝、ホテルのチェックアウトしようとすると、支払いはもう奥さんが済ませてました。お見事です。


2014年2月20日木曜日

遅れてきた屋根屋

一昨日の火曜日から、屋根のスチール瓦の取付け作業が始まった…はずだったんですが、なぜか初日、足場作って帰ったと思ったら、昨日は結局姿を見せず。そして今日、木曜日も来ないし連絡もありません。さすがの家内もムカっときて、業者に電話しました。

「工具が壊れたので、行けません。」とのこと。何じゃそりゃ? 理由はともかく、来られないのなら、そっちから連絡しろよ〜。しかも二日続けて。こういうところが、さすがのフィリピンですね。結局、工具が修理できたのか、他から調達できたのか、午後になってやっと来てくれました。

それにしても、2月に入ってようやく天候が安定して、屋根の作業にはちょうどいい晴天が続いているのに、もったいない。初日も朝遅くの重役出勤、足場作りの作業もチンタラ、チンタラで最初の印象はとても悪かった二人組の屋根職人。

大工さんたちとも、何だか微妙な距離感があるようです。なかなか言葉では説明しにくい雰囲気ですが、お互いにまったくそこに存在していないように、話もしなければ目も合わさない。やっぱり雇い主が違うと、よそ者意識を持つんでしょうかね? フィリピン人同士だと、見ず知らずでも同じ場所で働けば、すぐに打ち解けそうなものなんですが。

作業スペースに置かれたスチール瓦を移動させたいと思っても、大工さんは「それは、よその荷物やから、ワシら知らん」という感じで、触るのも嫌なようです。別に仲良くするのが目的ではないけど、もうちょっと協力してくれんかなぁ?





とまあ、ちょっとギクシャクしてたんですが、屋根屋さんが遅れを取り戻します、とばかりに夕方五時を過ぎても一生懸命屋根の部材を組み立てているのを見て、ようやく大工のリーダーのリトさんが、何やら話しかけてました。

瓦が葺ければ、これがこの家最初の「仕上がりの色」になります。当初見込みは一週間と言ってましたが、雨など降らず早く終わりますように。


2014年2月19日水曜日

フィリピン水道事情

新築中の自宅。シルエットは最終形が見えてきました。電気も仮敷設済みで、夜見に行くと、もう住めそうな気配。母屋だけでなく、ガレージやフェンスの柱や梁も姿を現しました。増員したおかげで、数カ所の仕事が同時進行。今日は、そのガレージ奥に作っている給水塔のお話。



フィリピンの水道の水圧はかなり低め。出かける前に女性が髪を洗う習慣があるので、朝6時〜9時ぐらいは一段と下がります。もうチョロチョロ状態。聞くところによると、水圧が低い原因は盗水だとか。

水道管掘り出して、勝手に水を使ってる貧困層がとても多いらしい。もちろん、そんなにきちんと整備されているようには見えないので、管の腐食などによる漏水もあるかも知れません。

これでは二階にトイレやシャワー作っても、水が上がって来ないということになります。そこで余裕のある家は、平屋でも給水塔を立てるのが一般的。建材屋に行くと、いろんなサイズの水タンクを、店先に並べて売ってます。日本では団地やマンションなどの中〜高層の集合住宅でお馴染みですが、個人住宅ではあまり見たことありません。


近所の二階建て住宅の給水塔


私の自宅の場合、幸い余白はあるのでどこにでも建てられますが、配管の問題もあり、施工が始まってから悩んだ挙げ句、ガレージの奥に落ち着きました。ここに小さな倉庫を鉄筋コンクリートで作って、その上にさらに2メートルほど高さの塔を立てます。サイズは1トン。水を汲み上げるために、電動ポンプも設置。



これに加えて、浄化槽も作ります。今日は二人掛かりで一日炎天下深さ2メートルの縦穴を掘抜きました。先週まで屋根の上で鉄骨溶接してたアントニオ君、お疲れさま。




2014年2月16日日曜日

フィリピンの同窓会

数日前に準備完了していた、一階の床コンクリート打ち。今日ようやく終わりました。一階の基礎、一階の梁、二階の床、二階の柱、二階の梁に続いて、合計6回。それぞれ、だいたい一日がかりの作業。この手の大掛かりなコンクリート打ちは、これが最後。




まだまだコンクリート自体は沢山使う予定ですが、残りはほとんどが壁の仕上げ。ミキサーをゴロンゴロン回して、総掛かりというのは今日でおしまいです。そして怖かった屋根の鉄骨作業もようやく終了。誰も落っこちたりしなくて本当に良かった。
ただし、スチール瓦を葺く仕事は来週が本番。こちらは瓦メーカーの専門職の人が来ます。

今日は、家内の高校の同窓会がありました。これが日本のように学年やクラス単位のささやかなものとは違って、全校挙げての年中行事。毎年学校によって「ホーム・カミング」の日が決まってるそうです。その日に各学年ごとにチームを組んで、お揃いのTシャツまで作って集まる。家内は1983年卒なので「Batch 83」。食べ物や飲み物持ち込みで、椅子やテーブル、テントまでこのチームで協力して用意しました。私も同窓生でもないのに、Tシャツのデザインやら荷物の運搬などのお手伝い。

シライ市は小さな街で、公立の全日制高校と言えば、家内が卒業した一カ所しかなくらしく、市民のほとんどが同窓生になってしまいます。つまり今日はほぼ街全体がお祭り状態でした。



最近、日本でもフェイスブックの影響で、ずいぶん昔の同窓会をやったりしますが、こちらは規模も歴史も段違いです。フェイスブックが普及する前から、何かというと同窓生が集まる習慣があるので、とても強い絆が連綿と続いています。今日も私が生まれた年の頃の卒業生も結構沢山集まっていて、少し驚きました。

それにしても、フィリピン人はつくづくお祭り大好き。二日ほど前から、夜になると屋外ディスコで終夜騒ぎ、今日は目抜き通りを通行止めにして、朝からパレード。夜までダンスパーティがあって、家内も珍しく夜遅くまで家を空けてました。

うるさすぎるのは閉口しますが、この屈託のない人付きあいというのは、素晴らしいですね。兎角、人間関係には悩みがつきものの日本では、想像できない開放感でした。


2014年2月14日金曜日

バレンタインデー

自宅建築現場、母屋の構造はだいたい完成に近づき、一階の床コンクリートと屋根葺きが済めば、窓や扉枠の建具の取り付けや、塗装前の下地に掛かろうかという段階まで来ました。ここ数日は、母屋だけでなく併行して、周囲のフェンスの基礎、給水塔の建屋、そして浄化槽などの作業をしています。

浄化槽がくる辺りには、着工前から樹が一本立ってました。これがここ数年で急に茂ったもので、なかなか立派に育ってます。もちろん当初の予定には入ってなかったのですが、何とか残そうと、建物全体の位置を1メートルほどずらしたりしました。



しかし、ここまできて浄化槽の位置とどうしても被ってしまうことと、風向きから考えて、このまま残すと台風などの強風時に倒れて、家を傷つける可能性も分かってきました。フィリピンの樹木って、育つのが早すぎるせいか、簡単に根こそぎに倒れるんですよね。

ということで、昨日ついに伐採。
予想通り、樹の大きさのわりにはスカスカの感じ。ノコギリと手斧であっさり切り倒されてしまいました。結局助けられなかった、許せ。この家の場合、敷地の余白はたくさんあるので、この樹の実からまた育てて、家の周りに茂らせたいと思ってます。



今日は、聖バレンタインの日。フィリピンでは日本ほど大騒ぎはしませんし、チョコレートは無関係。カトリックの国らしく、学校で親への感謝のカード書いて持って帰ったりします。キリスト教本来の「愛」を祝う日というわけです。なかなかいい習慣ですね。私も家内に花でも買おうかと思いましたが、シライ市は田舎すぎて、洒落た花屋さんがありません。仕方がないので、敷地に自生していた花を適当に切って、花瓶に飾ってみました。



花の名前はフェイスブック経由で、日本の友達が教えてくれました。「極楽鳥花」というそうです。亡くなった義母が好きで、この宅地を見回った時に切って自宅に持って帰っていました。明日は、お墓に供えることにします。


2014年2月12日水曜日

窓はオーダーメイド

昨日、一階の床に砂利を敷き終わって、てっきり今日コンクリート打つのかと思い込んでいたら「床は最後じゃ」とのことです。まだ二階の壁積みや屋根の作業が終わっていないので、先に床仕上げてしまうと、汚れたり凹んだりでまたやり直しがでるから。

砂利を敷いたのは、朝から雨で上の仕事がやりにくい天気だったので、先にできる範囲でやったようです。言われてみればそうですね、合理的。

今日も朝は小雨だったんですが、昨日ほどでもないので、二階より上の作業が進みました。それにしても相変わらずとは言え、命綱もなく、雨で滑りやすくなった屋根の鉄骨の上で、サンダル履きで溶接作業しているアントニオ君。頼むから落ちないでね。



午後には、一昨日依頼していた、窓の製作と取り付けの見積もりが来ました。フィリピンの一般的な住宅で、窓はオーダーメードが基本です。なぜかというと、既製品の方が高い、それもかなり。

人件費が安いと、窓に限らず大抵のパーツがこうなります。例えばもう購入してしまいましたが、キッチンの流し台。コンクリートで作ってタイル張りで仕上げます。戸棚の扉も大工さんが自作。あまり良い木材を使わないので、シロアリ被害のため数年でボコボコということになりやすいみたい。ただし、材料だけみたいなものなので、既製品と比べると、何十分の一の価格になると思われます。

今日来た窓屋さん、サンプルを持ってきてもらいました。これがないと、仕事の善し悪しが全然判断できません。実はここで三軒目なんですが、過去二軒が「いくらなんでも、これはないでしょ? で、その値段?」でした。今回はようやく我慢できる範囲のようです。

しかし、監督の父はいろいろ文句があるらしく、別パーツが付けられないか?と自分で作図した、窓サッシの図面を見せて、食い下がってました。驚くことに、この窓屋さん、図面が読めないんですよ。どうも、断面図という概念そのものの理解が難しいようで、分かってもらうまで、1時間ぐらいかかってしまいました。

結局、何とかしようとなったのですが、その材料サンプルが手元にないので、明日また出直し。親父〜。技術供与しに来たんとちゃうし、値段はこれでエエから、もうこの業者で作ってもらおうよ〜。


2014年2月11日火曜日

札束怖い

床、壁、屋根…建物の土台がそれぞれできて来ました。長らく灰色のコンクリートの色彩だけだったのが、もう一息で仕上げ色に変わりそうです。

先月の後半ぐらいから、内装材の買い付けを開始。今日はようやく床に使うタイルを購入完了しました。本当は二週間前には終わっていたはずなんですが、建材店で「お取り置き」しているはずだった、一番大量に使うタイルが、あっさり他所へ売却されてしまっていたことが発覚。

やっぱりお金払わないとダメですね。せめて何らかの書類の残しておくべきでした。とまぁ、そこでキレてもしょうがないので、気を取り直して別の建材店へ。当初のタイルが相当気に入った色と柄だったので、それに合わせて似たものを探し出すのに一苦労。

そして、やっと「これ!」と思い定めたものは、お約束のように数が足りない。少々やけくそ気味のところで、そこそこのが見つかったので、もうエイヤっと決めてしまいました。えらい高くなってしもた...。家内が気に入ったデザインだから良いとしましょう。



続いて、洗面台のサイズを出さないと、窓の位置と幅が決められないという状況になっていたので、洗面台も決めて来ました。これは内装材ではなく家具ですね。当たり前ですが、セメントやブロック、鉄筋などより、タイルや扉、窓枠などは、単価が高く感じられます。さらに洗面台ともなると、この値段でどんだけセメント買えるか?という感覚。



一回の買付けもかなりの額を用意しないといけません。しかもフィリピンでは、建材店のような場所では、カードがほとんど使えません。使えても、月の使用上限が数万円程度なので、あっと言う間に今月の規定額終了。

毎回、銀行で現金卸してくるわけですが、フィリピン紙幣の最高額は1000ペソ。(約二千数百円)。今日などは、ほとんど500ペソ札で渡されたので、物凄い札束になってしまいました。円に換算すれば、大した金額でもないのに、何百万円も持ってるみたいで、支払いが済むまで、とても怖かった。



施主が買付けに走っている間も工事は進み、現場に戻った頃には、一階の床のコンクリート打ちに向けての準備が終わってました。廃材や足場がキレイに取り除かれて、ずいぶん屋内が広く見えます。
明日は、またまたコンクリート作業です。


2014年2月10日月曜日

増員

現場監督のために、父がフィリピンに来てこの四月で半年が経過します。フィリピンでは、日本のパスポートでツーリスト扱いの入国して半年を過ぎると、とても面倒なビザ手続きになります。
その手間を考えると、一度出国して再入国が妥当なんですが、ちょうど完成するかどうかギリギリのタイミング。無理に急かす気もないですが、これはできれば四月までに何とかしたいところ。

よく考えたら、もう先は見えているので、大工さんの数を増やせばいいと気付きました。建築の経費で、一番安いのは人件費というフィリピン。しかも大工のリーダーのリトさんは、ここらではかなり人望が厚く、彼に任せれば変な人は来ないだろうという安心感があります。聞くところによると、ウチの現場で働きたいという人が多いらしい。

父とリトさんに相談してみたら、やっぱり同じようなことを考えていたようで、即決で人を増やすことになりました。そして今日、月曜日から5名増えて14名体勢に。
昨日書いたように、日当の微増策で士気が上がったところへこの増員なので、朝現場に行って見たら、もう活気が溢れていました。





屋根の鉄骨の溶接、壁のブロック積み、そして先週末からガレージ周囲の外壁と、それに付随して給水塔の基礎作りが始まりました。先々週に義兄さんが亡くなって、一週間に及ぶ葬儀(フィリピンではこれが普通)が終わった、パワー・ヘルパーのエルビスさんが、今日から復帰。大車輪でコンクリート練りやってます。

1月、ずっと不順で雨模様だった天候も、さいきんやっと熱帯らしくなり、私のしつこかった風邪も、昨晩ようやく咳に悩まされず眠れました。何となく運気が上がってきたようです。これはしばらくサボっていた、日曜のミサに昨日与ったからでしょうか?
神さまに感謝。


2014年2月9日日曜日

プライド高きフィリピン人

生まれて、移住するまでの約50年間、ほとんどずっと日本人ばかりの中で育ち、良くも悪くも日本人独特のコミュニティーにくるまれて生きて来ました。その間、仕事で海外で何ヶ月も出張したり、フィリピン人の配偶者と一緒になったり、日本人ではない人たちと過ごした時間も、そこそこはありましたが、やはり実際に海外に住むことのインパクトとは比べ物になりません。

このブログでは、フィリピンで家を建ててもらっている、フィリピン人の大工さんについて、何度も書いてきました。そこに嘘はないつもりでしたが、まだまだ表層的にしか見てなかったなぁ、と感じたのが先週。

大工という職業は、こちらではあまり厳密な能力評価はない、もっと言うと頑張ってもサボっても変わらない、みたいなことを書きましたが、それでも技能職なので出来る人とそうでない人の差は見れば分かりますし、まず本人が一番よく自覚してます。

時々他所の現場で見かける、サボってる状況は、放置してたまにしか仕事を見ないフォアマン(監督)の責任と言っていいと思います。(これだけを見て、フィリピン人は怠け者だと言うのは、あまりに一面的な見方。そういうことを言ったり書いたりしてる日本人は多いですが…。)

実はウチに来てもらってる大工さん、一律に同じ立場ではなく、専門職とヘルパーに分かれてます。専門職は溶接、左官仕事、高所作業など、どれかあるいはいくつかの技術を持っている人。ヘルパーとは力仕事のみで、土方やコンクリート練り、資材運びだけしかしません。




先月、二階の柱と梁のコンクリート打ちが終わった頃から、監督の父がどうもやる気が落ちてる、頻繁に見て回らないと、仕事せずお喋りしとる、とのこと。心配になって、家内を通訳に、リーダーのリトさん呼んで話てみると、日当に不満があったようです。

それも、日当が安いからではなく、専門職とヘルパーで同額というのが気に入らなかったらしい。専門職からすると「ヘルパーと同じ日当で、やってられるかい」てことなんでしょうね。お金のことは、基本家内に任せているのですが、これにはフィリピン人の家内も「しまった」と思ったようです。話し合うって世界のどこでも大切ですね。

いくら低賃金で働いていても、モノ作りに携わる人のプライドは、侮れません。自分もちょっと前までメーカー勤務だったので、この感覚は、言われてみればよくわかります。しかも、フィリピン人は特に呼称や肩書き、権威の類いにすごく敏感です。

そこで、今さらヘルパーの人の日当を下げるわけにはいかないので、専門職の人への金額をほんの少し上げることにしました。(ほんとにほんの少しです)もともとリーダーのリトさんには、少し高めに支払ってたので、これでこの小さな職場で日当が3段階になったわけです。

これをリトさん経由で聞いた大工さんたち、一挙にモチベーションが上がりました。父も驚く頑張りぶりで、3月中には何とか終わらせたいという希望も、現実的になってきました。


プチ闘病

気がつくと一週間ぶりの投稿になってしまいました。何とも情けない話、ずっと風邪で臥せってました。先々週に少し書いたのが、実は引き始めでして、この後「少し回復して、また発熱」を二回繰り返し。

誰かに、子供が風邪で高熱出しやすいのは、まだ抗体がしっかりできてないから、という話を聞いたことがあります。この伝でいくと、私の身体にはフィリピンの風邪の抗体が出来てなかったということでしょうか? それともやっぱり年齢とか、移住による環境変化のインパクト? 多分いくつかの原因が重なっていたのでしょうね。

しかし、間違いないのは、以前に書いたように、お医者に診てもらわず我慢してたのが大きいと思います。別に入院すると決まったわけでもないのに、変に意地になって、処方箋なしで薬局で買える咳止めと熱冷まし、後はひたすらベッドで横になってました。

食事は一日三回、ほぼ普通に摂れていたのと、熱帯性の怖い感染症によくある、ひどい下痢や発疹などの症状が出なかったのも、これは自力で治せるという根拠なき自信につながってました。

結局発病からは約十日たった昨日、止まらない咳と、軽い蓄膿症みたいな鼻詰りから来る頭痛に堪えかねて、とうとう近所の診療所に家内と一緒に行ってきました。

去年の八月に入院した総合病院は、イマイチ清潔感がないのと、いろんな設備が壊れても放置されているのを除けば、見た目は日本の病院とよく似てましたが、昨日のは、なかなか長閑で、思ったよりかなりいい感じでした。

幹線道路から、細い路地を少し入ると中庭のような空間があって、一瞬オープン・カフェかいな?という雰囲気。座っているのが、いかにも具合悪そうな患者さんだと分かって、やっとこれが診療所の待合いだと気付く。



BGMが流れてる?と思ったら、同じ建物の二階が本当にカフェ・レストランになっていました。待ち時間はそのカフェで、久しぶりの外でのコーヒー。家内が一緒で子供は学校だったので、何だかデートみたい。

さて診察ですが、50代ぐらいの穏やかそうな、頭髪がグレーの男性のドクターで、最初にお約束の「君、韓国人?」みたいなやり取り。これは興味本位で訊いているのではなく、問診を何語でやったらいいかの確認みたいなものです。

その後万国共通の、喉の奥見たり、肩や首筋の触診など。そして、ここ十日間の病状を簡単に説明すると、それを聞きながらドクターが何やらメモってましたが、それがそのまま処方箋に。最後にごく簡単に、今の私の状況と、それを緩和するために何の薬が必要かを、そのメモを見せながら解説してくれました。

診察代200ペソ(約500円)、薬代1050ペソ(約2500円)。保険とかまったくなしで、向こう十日分がこの値段。安く感じますが、現地の感覚からすると痛い出費ですね。ウチの大工さんの三日分の稼ぎでも追っ付かない。

とにかく、帰宅して飲んでみたら…抗生物質って場合によってはこんなに効くんですね。咳はまだ続くものの、あの重たい頭痛が数時間できれいに消えてしまいました。家内には、だからもっと早くお医者さんに行っとけばこんなにひどくならなかったのに、と怒られてしまいました。まったく返す言葉なしです。


一夜明けて、中四日ぶりに現場に出ました。玄関付近に現場監督の父がこだわっていた、アーチ形状ができてます。窓の庇も。外見的に大きいのは、何と言っても屋根の鉄骨が八分通り完成。そして二階の壁積みもかなり進みました。





今日は風邪でへばる前に発注しておいた、スチールの屋根瓦の支払いを、業者さんの事務所まで行って済ませました。久しぶりの運転。つい左ハンドル初めての時のように、ワイパーとウインカーを逆操作。

これで、週明けには瓦も届き、段々と仕上げ段階に入っていきます。
まだ咳は出るし、鼻詰まっててにおいがよく分かりませんが、抗生物質で早く風邪、完全に治したい。しかし、そろそろ二週間。長引いたなぁ。


2014年2月1日土曜日

台風2号は元日に来る

旧暦の元日だった昨日の深夜から今朝未明にかけて、ここネグロス島は台風2号の影響で、集中豪雨に見舞われました。月並みな表現ながら、バケツをひっくり返したような降り方でほとんど一晩中だったようです。寝てたので確かではないですが。

仮住まい中の我が家は、ダイニング付近の天井に不具合があって、こんな雨の時は、わずかながら雨漏りがします。今日も起きたら、その下の床がびしょ濡れ。床は全部タイル張りで、濡れて困るようなモノも近くにないのですが、雨漏りって何とも惨めったらしくて、嫌ですね。阪神淡路の震災の時、実家の屋根にひびが入り、長いことブルーシートかけていたのを思い出してしまいます。

土曜日でしたが、息子の学校ではクラブ活動が今年度最後で、朝からパーティ。道の両側の溝が溢れそうになってるのを横目に、子供を連れて学校へ行ったら…中止だった。すっかり忘れてたんですが、フィリピンでは日本の警報に当たる「シグナルナンバー」というのがあって、強いほうからナンバー4、3、2、1と4段階あります。学校はナンバーにかかわらず、これが発令されたら即臨時休校。
昨夜から付近にはシグナルナンバー2が出ていたので、何の連絡がなくても自動的にお休みになっていたのでした。

心配なのは、自宅の建築現場。実はついこの間の年初にも一晩の強い雨の後、浸水したことがあるので、息子を車に乗せたまま、そちらへ直行しました。

宅地のゲートを入ってすぐに、もうくるぶしぐらいまで、道路が冠水状態。あらま〜。



建物自体は、こういう状態を想定して、かなりかさ上げしてあるので、まったく問題なしなのですが、周囲の作業スペースがすっかり水浸し。前回よりもかなりひどい状況でした。さすがにこれで仕事したら、釘の出た廃材でも踏んづけそうで危ないので、現場も今日は臨時休業。



昨日、ようやく上棟式したところだったのに、出端くじかれたようで、ちょっと残念。もうあと何週間かで、庭の部分にも盛り土する予定だったんですけどね。相手が台風では仕方がありません。せっかく集まった大工さんには早々に帰ってもらいました。
ただ、今日は雨はもう降らず、昼前からは天気も回復したので、夕方にはすっかり水も引いて、夕日もきれい。



それにしても、いくらフィリピンでも1月に2回もこんな浸水するとは、家内もびっくりです。やっぱり異常気象なんでしょうか?