2013年12月30日月曜日

25人来た

年末ギリギリで二階床の配筋が完了したのが昨日の夕刻。さて、今日は満を持してのコンクリート打ちです。心配だったのはお天気。土砂降りだったら困るし、逆にかんかん照りだと、ただでさえ真夏並みの温度のフィリピンでは、硬化が早過ぎてこれも困る。幸いにも朝から薄曇りで、現場監督の父に言わせると、絶好のコンクリート打ち日和だったそうです。


さて、この作業。一度始めてしまうと、何が何でもその日のうちに終わらせてしまわないと、構造が一体化せず強度が出ません。100平米近い床と梁、しかも二階。機械といえばガソリンエンジンで稼働するミキサーだけ。いつもは多くても8名程度の大工さんですが、今日だけはリーダーのリトさんの要望で、仲間を増やすことになりました。

朝、現場に出てみると…。話は聞いていましたが、一体何人いるんや? 三倍以上の25人。この中には、コンクリートの中に予め電気や水道を通す配管のために来た電気・水道工事屋さんもいますが、それでも多い。これなら、昼過ぎには余裕で終わりそうです。

しかし、人数が多いとはいえ、ミキサーまで砂利と砂を運び、できたコンクリートを少しづつ運び上げて床に均す。昼休み以外の休憩は2時間に一回10分程度。ペースを落とさず、延々と仕事は続きます。すごい体力やなぁ〜。

当初は安心してましたが、これが終わりそうで終わらない。とうとう沈む夕日と競争のような感じになってきました。一年を通じて日の長さがほとんど変わらない、赤道近くのフィリピン。それでも6時には仕事ができないほど暗くなります。




最後の30分はラストスパートみたいになりましたが、何とか6時に終了しました。見てるだけでも、結構疲れた。みんな、お疲れさん!

昨日までは1月1日だけ休んであとは頑張ると言ってましたが、何とかコンクリート打ちを年内に終わらせることができたので、結局日本並みに1月の5日まで正月休みということになりました。一日の仕事が終わって、日当を手渡して「Have a happy new year.」の挨拶で解散。また来年もよろしく。


2013年12月29日日曜日

年末の追い込み?

いつまで経っても、最高気温が30度を割り込むことが滅多にないフィリピン。永年年末とは寒いものと、刷り込まれて育った身にとっては、真夏の師走はまったくピンと来ません。クリスマスも終わって、去年までなら慌ただしいはずのこの時期。

気候の違いが大きいんですが、それ以外にも、クリスマスの飾り付けがそのままだったり、挨拶がメリー・クリスマスだったり、何よりも誰も忙しそうにしてない。だいたい、お正月までに掃除終わらせるとか、仕事を納めるという感覚がないので、当たり前。

新年を祝わないわけではありません。大晦日にはクリスマスよりも盛大に爆竹が鳴り響きますし、夜を徹してのどんちゃん騒ぎもありますが、やっぱりクリスマスの持つ特別な意味とはちょっと違うようですね。外国で働く人も帰省して家族と過ごすので、こっちが日本の正月と似ています。


さて、ウチの自宅建築現場ですが、この年末にようやく二階の床の配筋が完了しました。別に正月を意識したわけでもないと思いますが、今日は日曜日返上で頑張った大工さんたち。明日12月30日にコンクリート打ちができる運びとなりました。さすがに1月1日だけは休むそうですが、他は通常通りの仕事になります。


二階の床ができて、仮枠が外せると一気に一階の作業が楽になります。これで前半の山場が済んで、年明けは工事が進みますように。


2013年12月28日土曜日

階級を感じる時

貧富の差の大きさを何かと実感するフィリピン。日本に住んでいると、なかなか理解しにくい、ちょっとしたこと。

例えば、車を買える人とそうでない人の間。当然ながら、車を持ってる人は、自分の家があって、車庫もある。車で自分の家の前まで帰ってきたら、私は車から降りて、自分で車庫の扉を開けますが、こちらの人はまずそれはしない。

早朝であろうが深夜であろうが、使用人が扉を開けるまで、車から出ずにクラクションを鳴らし続けます。筋向かいの家が日に何度もこれをやってくれるので、やかましくて仕方がない。それぐらい自分でしなはれ、と思うんですけど。

それから、テニス。
地元のテニスクラブの人に混ぜてもらって、何度かプレーした時のこと。二面のコートに3〜4人もボール・ボーイが付きました。日本でテニスする時は、テニススクールでも自分たちでボール拾うのが当たり前ですが、こちらではボール・ボーイに拾わせます。

よっぽど足下近くに転がってきたようなボール以外は、意地のように自分では動かない。拾ってもらってもいちいち「ありがとう」とは言わない。楽でいいんですが、どうも居心地が悪いなぁ。
丸々2時間も付き合わせて、チップが10〜20ペソ程度(30円〜50円)。
う〜む。

いいとか悪いとかではなく、こういう社会なんでしょうが、おそらくこれは死ぬまで慣れないと思います。


2013年12月27日金曜日

二階の床

クリスマスと親戚の結婚式が続いて、バタバタだったので、ちょっと久しぶりの更新です。自宅新築現場のクリスマス休みは22日から25日まで。昨日の26日(月)から工事は再開しました。

そして今日、今月の始め頃に注文していた、二階の床に使うスチール・デッキがやっと到着。契約書では、納期2〜3週間となっていた、遅い方ギリギリまでかかってしまいました。そして今日の納品も一筋縄ではいかなかった...。

朝8時半頃に業者の事務所に電話して、工場のあるセブ島から、こちらのネグロス島バコロドの倉庫に、品物が入ったのを確認。でも配達の段取りはしてないとのこと。え?
業者の車を使うと高いので、だいたいどのお客さんも自分達で何とか運ぶらしい。さて、どうする? と、悩んでいても仕方がないので、取りあえず人夫代わりに大工さん二人と、家内と息子(クリスマス休み中)、そして監督の父の乗せて車を飛ばしました。こういう時、7人乗りのアバンザはいいですね。

事務所に着いて、発注時に前金で半額払っていたので、残りの半額を払い、地図を渡されて近くの倉庫へ。


お〜〜、やっとできた、スチール・デッキ。思ったよりチャっちい感じだけど…。
ぱっと見は少量に見えますが、さて運ぼうとなると、自家用車では全然無理な重さと容積。こういう事は多いようで、デッキの業者が運送屋の電話番号を教えてくれました。知ってるんなら、最初から言ってくれたらいいのに…。

そこから運送屋に連絡して、待つこと約1時間。お昼ご飯が食べられるかどうか、心配になってきた頃に、やって来ました軽トラック。え? 電話ではキャンター(中型トラック)と、言うてたやんか〜。でも乗って来た運転手は「当然」という顔でデッキを軽トラックの天井に積み始めました。う〜ん、これは怖い。


さらにウチの大工さんを二人乗せて、現場へと向かった軽トラック。荷崩れの心配も何のそので、ちょうどお午頃に無事到着しました。午後からは、真夏同然の日差しの下、強烈は照り返しの中、溶接作業開始。暑ぅ。


でも、何とか年内には二階の床のコンクリート打ちが、できそうな気配になってきました。頑張れ大工さん。


2013年12月23日月曜日

不器用なラッピング

本当は、もっと前に買っとけばよかったんですが、ついつい面倒で直前の日曜日になってしまった、クリスマスプレゼントの購入。いろいろ考えましたが、まだ八歳の子供相手なので、結局大手の玩具店に買いに行きました。昨日、土曜日の午後に一度行ったのですが、あまりの人の多さに諦めて、翌朝の出直しでた。



開店時間の十時ちょうどに、扉の前で待機。しかし日本の百貨店とは違って、ここでも遅れるのですね。暑いし早よ入れてぇな。と待つこと十分、やっと扉が開いて、早速お目当ての玩具店で、ラジコンの車を買いました。さすがにこの時間、レジはガラ空きだったので、すぐに支払いも終わり、ラッピングを頼んだのですが…。

店員はいっぱいヒマそうにしているのに、なかなか誰も来ない。やっと、お兄ちゃんが来てくれたと思ったら、恐ろしく段取りが悪くて、どのサイズの包装紙を選ぶか、どの方向で包むかで延々悩み始めました。こんなことしてるから、昨日ラッピング待ちで長蛇の列ができてたのね。

やっと包み始めたと思ったら、カッターはまっすぐ使えない、セロテープは何度も張り直す、隙間は空ける、不器用すぎるよ、お兄ちゃん。その手付きを見ていて、何か見覚えのある感じだと思ったら、ガタガタのブロック塀やハリボテみたいな修理跡の自動車のボディとかと共通してますね。

要するに「行き当たりばったり」。先のこと考えずに、まず手を動かし始めるから、途中で辻褄が合わなくなる様子が、まったく同じ。フィリピン人全部がそうとは言いませんが、こういうメンタリティの人が多いなぁ。近所にも、作りかけでお金がなくなって、二階の半分がまだできてない家とか、外装が途中の家に住んでる人、よく見ます。

子供のプレゼントですが、帰りに包装紙買って、自分で包み直すことにしました。よく考えたら、(一応)サンタさんが持って来るはずなので、玩具店のロゴ入ってたらマズいですよね。今回は、私も行き当たりばったりだったようです。


2013年12月20日金曜日

二階の鉄筋

なかなか二階の床部分のコンクリート打ちができません。これは今回使う予定の「スチール・デッキ」が届かないからです。スチール・デッキとは、天井に使う、断面を波状に加工した鉄の板で、これを乗せた上から鉄筋を配置してコンクリートを打って、床面を作ります。本来なら必要ないし、鉄骨作りならばともかく、日本では強度が出にくいので、鉄筋コンクリートでは用いない工法だそうです。

しかし、フィリピンではまだ一般的なのと、今回申請用の図面作成を指示した義弟が、このスチール・デッキの業者さんとコネがあるというシガラミで採用しました。かなり早めに発注かけたんですが、案の定、予定の今日にはやっぱり間に合いませんでした。
このネグロス島内ではなく、お隣のセブの工場で作ったものを船便で運ぶとのこと。契約書にも納期は二週間〜三週間と幅を持たせてあったので、多分遅い方になるんでしょうね。ということはクリスマス明けか…。

資材がなくても、大工さんの日当は払わないといけないので、今週は、できる仕事を前倒しでやってもらいました。敷地内の木が思ったより早く成長して、二階の屋根にかかりそうだったので、枝打ち。コンクリート打ちに備えて、前回ガタがきて使えなかったミキサーの固定と修理…等々。


当初の予定では二階の床ができてからのつもりだった、上階の柱の配筋も始めました。これは電気が通ってグラインダーが使えたお陰で、えらく早い。ちょっと段取りが違うとは言え、ついに完成時の高さが見えてきました。


ところで、このスチール・デッキ。二階部分の約九〇平米分で約十万円。父に日本ならどれぐらいするものか、訊いてみたら「そんなもん、バラで買うたことないから分からん」そうです。普通は鉄筋とか鉄骨の料金込みらしい。


2013年12月18日水曜日

遅いぞフィリピン

フィリピンではだいたい何でも時間より遅れるもの、と考えておかないと精神衛生上とてもよろしくないです。例えば家具を買って、配達頼むと絶対に時間通りには持って来てくれません。数時間遅れならまだいい方で、何の連絡もなしに翌日になったりします。

運転免許やビザ取得の時の待たされ具合は、芸術的と言いたくなります。何人待たせいても、窓口の数がいくらあっても、一つしか開けず、しかもその担当のおばちゃん(女性の場合が多い)は携帯で喋ってたり、化粧直したりしてる。飛行機の離発着など、1時間以内だと遅れたという感じがしなくなりました。銀行然り、スーパーのレジ然り…。

こういう国なので、電気や水道の公共サービスの対応が早いわけないですね。昨日、自宅建築中の現場に、工事開始当初から頼んでいた電気の敷設がやっと完了しました。二ヶ月以上待たされたことになります。


敷地内の事務所兼休憩所として購入したニッパハウスに、ようやく灯がつきました。そして何よりも、電動工具が使えるようになったのが大きい。柱や梁に使う太さ16mmの鉄筋を、今まで手挽きの金鋸で、一カ所切断するのに20分はかかってしたが、グラインダーを使えばものの二秒!これぞ秒殺。


これが着工当初からあったら…。待たせるのは得意のフィリピンですが、請求書だけは遅れず忘れず届くなぁ。


2013年12月17日火曜日

フィリピンの馬積み

馬積み、馬目地とも言う、ブロックやレンガの積み方の話です。今、我が家の建築現場ではブロック積みの作業が真っ盛り。以前も書きましたが、こちらでは鉄筋コンクリートの建物の場合、小規模な個人住宅でも高層ビルでも、柱と梁以外はほぼ全部コンクリート・ブロック積んで、上から塗り籠めてしまいます。


その積み方が、日本ではあんまり見たことがない、ブロックを左右にずらして積み上げる「馬積み」がとても多い。目地がキレイに通っていれば、それなりに美しいのでしょうけど...。


素人目には上下に目地を通す、日本で一般的な「芋積み」よりも強度がありそうですが、馬積みにすると鉄筋を上下に通せないので、弱くなるそうです。実際、この前の台風では、傾いたり倒れたりしたブロック塀をよく見かけました。私の家では、現場監督が日本人の父なので、当然のように芋積みでやってますが、実は当初、大工さんから少し異論が。


フィリピンでは馬積みが当たり前で、それでないといろいろ問題があるとのこと。しかし、何が問題なのかを問いただしても「昔からそうしている」の一点張り。結局、そこは押し通して、積み方も父が大工さんに伝授しました。出来映えは日本の職人さんレベルにはほど遠いものの、近所で見かけるブロック塀より、よほどよくできてます。


しかし、取りあえず基礎部分はこれで完成させて、上から早速塗り籠めてしまいました。絶対この方が強いと分かっていても、あんまりおおっぴらにするのも何となく憚られたからです。

ここから先は、窓や扉があって最初から芋積みで通すのは無理なので、馬積みにしようか?と父と話してます。意外なところで日比建築慣習の相違が露呈した先週でした。


2013年12月16日月曜日

フィリピンATM事情

ATM。銀行の自動支払機は、フィリピンでは24時間営業が基本。そして日本と同じく提携している大手の銀行間ならば、他行の口座からも現金を下ろせる。これだけ聞くと何も問題ないように思えますが、実際には24時間どころか、窓口営業時間の平日昼間でさえ使えないことがあるので、要注意です。

これはネグロス島のシライ市という、田舎な環境だからなんでしょうか?市の中心部に、いくつも銀行の支店があるのは、日本の地方都市と大差はないのですが、どういうわけか、一店にひとつっきりしかATMの機械が設置されてません。こういう事情なので、年金の一斉支払い日などは長蛇の列ができてしまいます。急いでいる時はとてもヤバイ状況に。

しかもとても頻繁なのが「オフライン」。この言葉だけだと、何か通信上の問題でも発生したのかと思いますが、要は単なる現金切れ。これが当然そうなるだろうというような、休日明けの朝に起こります。そしてATMでお金を下ろしにくる人の多くは、自分の口座を持っているのではなく、雇い主からカードを預かったお手伝いさん。本人でないと窓口から下ろすこともできません。こうなってしまうと、装甲車のような現金輸送車が来るのをひたすら待つしかなくなります。


もっと可哀想なのは、山間部の遠方から、はるばるやってきた人たちです。クリスマスが間近に迫ると、いろいろ入り用なのはフィリピンの庶民でも同じ。クリスマスまで後十日を切った月曜日の今日、オフラインがありました。子供を何人も連れて、よっぽど遠くから来たのかなぁ?この暑いなか、それでも皆さん騒ぎもせず、文句も言わずひたすら待っていました。


2013年12月15日日曜日

どんだけクリスマス好きやねん?

アドベント(待降節)も三回目の日曜日を迎えて、教会も街中もクリスマスムード一色のフィリピン。この時期になると、日本でも一般住宅でイルミネーションを飾ったり、かなりな事になってると思いますが、こちらでは九月からショーウィンドーはクリスマス仕様に変わります。

飾り付けだけ見れば、もう四ヶ月近くクリスマスやってる。そして十二月にもなると、毎夜どこかで物凄い音で音楽かけてます。パーティなんだ臨時のディスコなんだか…?しかも爆竹まで鳴らし始める。クリスマスは過去二回、フィリピンで過ごしたことがありまして、あまりのやかましさに閉口した記憶があります。こんなに早くから鳴らしてたんですね。

日本だと、だいたい師走と共に始まって、クリスマス当日が過ぎたら、今度はお正月に物の見事に模様替え。でもこちらでは一月一杯ぐらいは、ツリー飾りっ放し。飲めや踊れのドンチャン騒ぎも、ケジメなくダラダラ続きます。

これは大人の世界だけではないようで、来週からは小学校でも授業がほとんどなく、月曜日のみ通常で、火曜日はパーティ、木曜日からはクリスマス休みになるそうです。こうやって、子供の時から「英才教育」施して、筋金入りのクリスマス好きを育てるのか…。


2013年12月14日土曜日

ノー・ミュージック、ノー・ライフ

これはフィリピンというよりも、東南アジアからインド・パキスタンなどの南アジアについて言えるかもしれませんが、音楽大好きな国民性。それもドンチャカドンチャカと騒がしくてディスコで踊るような系統の曲が好まれます。

さすがに大きなショッピングモールになると、それなりに選曲されていて、日本人が聴いても違和感はないですが、小さな個人経営の店とかになると、落ち着いて買い物ができないレベルの音量で鳴らしてます。タクシーに乗って、ボリュームを落としてくれと頼むこともしばしば。さらに三輪バイクのトライシクルまで、スピーカーを積んで日本の選挙カーか廃品回収のように喧しく町中を走り回る。

私も音楽は好きで、車を運転する時はいつもFMとかiPodを聴いています。しかしフィリピン人の徹底ぶりには敵いそうにありません。不思議なのは家内の耳の感覚が、フィリピン人離れしていること。助手席に家内を乗せていると、それほどの音ではなくても、ボリュームを絞られてしまうことがあります。

これは相当偏見が入っているかもしれませんが、最終学歴が高い人ほど、音楽や音に対する感性が、私の理解できる範囲に近いように感じます。そういう人たちに話を聞くと、やっぱりあのドンチャカ系の音楽には嫌悪感を持っている。何か因果関係があるんでしょうか?

さて、ウチの大工さんたちですが、ご多分も漏れず、現場では音楽が響き渡ってます。しかしラジオらしきものが見当たらない。よ〜く見ると、飲み物の缶が…。
これがラジオだったのか。




2013年12月13日金曜日

停電の夜

こういう言葉の使い方は、英語圏で一般的なのか、それともフィリピン独特なのかは分かりませんが、ここでは小規模な一部地域の停電をブラウン・アウト。全市やそれ以上の広域停電をブラック・アウトと言います。

先日の台風ヨランダの際の場合は、間違いなくブラック・アウトで、これは比較的被害の小さかったシライ市でも二晩続きました。原因がはっきりしていて、仕方がない場合は何となく我慢ができても、まったく意味不明の小規模停電のブラウン・アウトは意外と辛かったりします。


特に夜間、数時間というのは嫌ですね。寝静まった頃だったら、もうどうでもいいんですが、これがまるで夕食時とか、食後パソコンしたりテレビを見ている時を狙ったように真っ暗になる。あのプチッと電気が消えた時のがっかり感は、たまりません。長くても数時間で大抵復旧はするとは言え、暗い中にいると思考まで暗くなるようです。

毎日停電ということはなくても、続く時は結構続きます。今週は五日連続で、今日の夜も八時から九時頃にかけての一時間ほど停電しました。フィリピンの停電というのは、貧富の差をはっきり見えるようにしてくれるので、ある意味では面白いと言えるかも知れません。

昨夜は、夕食の準備にかかる直前に電気が止まり、ガスコンロでご飯を炊く元気がなかったので、家族で外食しました。レストランへ車で向かう途中、金持ちの家、市長とか地主とかの所だけは発電機を備えているので、煌々と電気が灯っている。室内の明かりだけでなく、この季節なのでクリスマスデコレーションまでピカピカ。何だかムカつく光景ではありました。街灯も信号も真っ暗な中、何の役にも立たない無駄な明かり。

停電の夜の風景は、フィリピンの抱える一番の社会的病巣を象徴しているようです。


2013年12月12日木曜日

フラットな人間関係

昨日、監督の父から「コンクリート・ブロックの積み方」講習を受けた、大工のリトさん。早速、仲間に技術伝播があったようです。今朝は別の二人の大工さんが、もう器用な手付きで「まっすぐ」ブロックを積んでました。

今回、我が家の建設に集まった大工さんたちは、いつもチームで仕事をしているようです。その人間関係は、見たところすこぶる良好。何か新しい技術を身につけると、別に指示したわけでもないのに、あっと言う間に教え合います。また、差し入れの食べ物などを持って来ると、たまたまその場にいない仲間がいたら、ちゃんとその人の分も取っておいてあげる。


これは、この大工さんたちに限ったことではなく、今まで会ったフィリピン人の職場や親戚の間は、とても人間関係がフラットで居心地よく見えます。もちろん実際のところは、いろいろあるんでしょうが、少なくとも日本人同士のような陰湿な感じがない。自殺にほとんど縁がないというのも、こういうところに、背景がありそうです。


この湿度の低い人間関係構築の鍵は、言葉にあるのではないか?というのが私の仮説です。ほんの少しだけ、ここ西ネグロスで話される方言、イロンゴを習って知ったのですが、敬語や丁寧語という概念が、どうもほとんどない。大人と子供、上司と部下が喋っても、全部友達が喋ってるのと同じになる。これだと変な上下関係が、できないのではないでしょうか?

ビジネスで、そういう会話が必要な時は、自然に英語に切り替わっている。英語ですら、晦渋な日本語の謙譲語などのことを考えると「敬語はない」と言われるぐらいです。私が話す時は主に英語で、微妙な感情のニュアンスが理解できるほどの英語力がないのが、ちょうどいい。

思えば生活の場を日本以外のところに求めたのは、経済的な理由もさることながら、根本的には、人間関係の面倒臭さに疲れ果てたからです。こっちに来てからも、数少ない日本人居住者との接触はありましたが、案の定面倒臭くなって、今では完全に距離を置いてしまいました。


今日はフィリピン人大工さんのフラットな人間関係のお陰で、ブロック・ワークは順調に進みました。もう明らかに折り返し点は過ぎた私の人生。精神的に難しいことには、もう近づかないようにしてます。




2013年12月11日水曜日

コンクリート・ブロックの正しい積み方

昨日の日記でフィリピンのコンクリート・ブロックの質の悪さについて書きましたが、今日はそれを使って、どうやって「何とかするか?」の実践編。今、合計八名来ている大工さんたち。そのリーダー格のリトさんに指導。最初は家内の通訳で、段取りを教えたそうなんですが、実際にやらせてみると全然言ったことが理解できていない様子。ついに現場監督の父による、臨時「コンクリート・ブロックの正しい積み方」講座が始まりました。

子供の頃、日本で大工さんがブロック積む作業を、じ〜っと見ていた覚えがあります。それを思い出しました。土台にブロック一個を乗せるコンクリートを敷いて、予め水平に張った糸にブロックの天面がぴったり合うように、金づちで軽く叩きながら微調整。二段積んだところで、ブロックの穴に上から砂との比率を3:1で練ったコンクリートを流し込むと、二段分が一体化して、質の悪いブロックでもそれなりの強度がだせるとのこと。


なるほどな〜。フィリピンの大工さんがこんな風にやってるのを、見たことがありません。言っちゃ悪いですが、ブロック塀の目地を水平垂直まっすぐに仕上げるという意識は、多分なかったろうと思います。

父によると、今回集まった大工さんたちは、みんな真面目でサボる人なし。土方仕事を見ていると、この暑さの中、朝も昼も夕方もペースが変わらず、ものすごい体力だと感心しますが、惜しむらくは仕上げのレベルへのこだわりがない。考えてみれば、当然かも知れません。二十年の経験があっても一律日当200〜300ペソ。(500円〜700円)いくら経済格差があると言ってもかなり安い賃金。これで高いレベルを求める方が無理というものです。

おそらく現場監督も、そんなに細かく指示は出さないのでしょう。他の現場を見ていると、数日に一度様子を見に来るだけの監督さんも多い。しかし、だからと言って、フィリピンの大工さんに能力がないわけではありません。ちゃんと実地でやって見せて、きちんと教えれば、何とかなる。特に最近は、ウチの大工さんたち、父の教えることを金科玉条の如く忠実に守るようになってきました。


これで父がもう二十年も若ければ、こっちで本気で施工業者を始めていたかも知れませんね。見よ、指導を受けるリトさんの真剣な眼差し。


2013年12月10日火曜日

恐怖のコンクリート・ブロック

一階部分の柱ができて、今週から壁を作る作業に入りました。フィリピンでは個人住宅でもビルでも、壁はひたすらコンクリート・ブロックを積み上げて、その上からモルタルで塗り籠めてしまいます。それはいいんですが、以前からフィリピンでは、どこのコンクリート壁見ても、目地がガタガタで、それはひどい仕上がりばかり。今日その理由が分かってしまいました。


昨日、ど〜〜ん、と届いた大量のブロック。ところがこれ、全然強度がなくて、手で触っただけでボロボロ崩れてしまいます。購入した建材店で聞いてみると、砂とコンクリートの割合が「16:1」。現場監督の父によると日本では「3:1」が普通なので、単純計算すると、強度が1/5もないことになります。これは恐ろしい…。


しかも、サイズが揃っていない。高さは20センチのつもりなんでしょうが、ものによっては21センチとか20センチ5ミリとか。これで目地を揃えた壁作れと言ってもそりゃ無理でしょう。しかし、これぐらいではもう驚かない父。「昔のドバイの現場と一緒や」と言って、それなりに強度が出せるやり方があるらしい。


ブロックのつなぎ目に鉄筋立てて、その間だけコンクリート比を高めたものを流し込むそうな。言うだけではこちらの大工さんが作れないので、明日実演するとのこと。


さて、先日の台風で敷地にあるお気に入りの木の幹が、ポッキリ折れてしまったと書きましたが、約一ヶ月経った今日、気がつくと物凄い勢いで新芽が芽吹いてました。年中最高気温が30度前後で、ほぼ毎日夕立が降る常夏の国。植物の生育にとっては理想的な環境なんでしょうね。大工さんの仕事と同じで「即製」そのもの。ただし、災害があったらひとたまりもない。やはり国民性というのは、気候で決まるのか?


2013年12月9日月曜日

これが常夏

まだ初心者のフィリピン住人の私は、人生初の常夏を経験中です。最近は世界のどこに住んでも、インターネットやフェイスブックがあるお陰で、友達の動向がリアルタイムに知ることができて、ここ最近、日本では紅葉や寒さの話題が多い。こうなると、世界中にはいろんな気候があるのだと、つくづく感じます。日本から飛行機でわずか三時間半で来られる距離なんですけど。

日本だけでなく、アメリカのニュージャージーや、ハンガリーのブダペストにも友達がいるので、温度差はさらにすごいことに。もともとあまり寒さには強くない方だったので、大阪の寒さですら憂鬱になるほどでした。だから四季が恋しいとか、寒くなってほしいとは全然思いませんが、ここまで気候が単調だと、何か変わってほしいという贅沢な愚痴も出て来ます。

思えば4月の最初に引っ越した時、フィリピンは暑さの盛りで、子供はいきなり二ヶ月の夏休み。(フィリピンの学校では4〜5月が丸々お休み)それでも大阪の酷暑に比べれば、昼間は同じくらいか少しマシで、朝夕は20度近くまで下がることもあって、かなり凌ぎやすい。今は暑いとは言っても最高気温がせいぜい30度までなので、これで文句を言ったら罰が当たるかも知れませんね。


12月の入道雲

しかし何でこんなに飽き飽きした感じになるのかと、よく考えてみると、気候だけでなく、食べ物に変化がないのが一番の原因だと思い当たりました。お米も野菜も果物も、年に三回も四回もできるので、市場に並ぶものは、ず〜〜〜〜っと同じ。魚も年末になったからといって、いつもと違うものがあるわけでもない。考えてみたら、クリスマスでも誰かの誕生日でも、パーティのご馳走のメニューは、だいたい決まってますね。別にフィリピン料理がまずいと言いたいわけではないのですが、「旬の食材」がないのは、やはりちょっと寂しいものです。


2013年12月7日土曜日

お楽しみはこれからだ


待降節に入って最初の土曜日。朝からいい天気でコンクリート打ちには絶好の日和になりました。熱帯のフィリピンは12月でも晴れたら暑い。さ〜久しぶりにミキサーのエンジンがガランガランと回ってさぞウルサいと思いきや…。朝一から静かに作業は進んでました。


買ったばかりのエンジンは問題ないんですが、借りてきたミキサーが、錆でハンドルや車輪周りがガタついて、使えない。なんじゃそりゃ。

エンジンはどうせ終わったら中古屋さんに転売するつもりだったので、丸損というわけではないんですが、やっぱりもったいないなぁ〜。大工さんの人数はいるので、作業はミキサー使った時とあんまり変わらないペースみたいです。いわゆるバケツリレーというやつで、もうこっちの方が断然手慣れてる。怪我の心配もないし、いよいよエンジン買った意味がない?


さて、今日は隣街のバコロドに行く用事があって、そちらは早くに済んだので、近くのホームデポで内装関係を下見してきました。何と言っても一番目につくのはタイル。室内でも庭でも、とにかくどこでもタイル貼りが一般的なフィリピンの住宅。寒さを気にする必要がないので、これは手軽でいいんでしょうね。ちょっとお金がある場合、大理石の床にする人も多い。


お湯に浸かる習慣のないフィリピンですが、なぜかバスタブの品揃えは充実してます。ガス湯沸かし器はなくて電気給湯だけなので、毎日風呂に入ったりしたら、とんでもない電気代になりそうですが、やはり日本人としては、一つは置きたいところですね。据え付けのボックス型シャワー・ユニットもいいなぁ。


まさか無いだろうと思ってたら、洗浄便座がありました。しかし値段見てびっくり。140,000ペソ! しかもメイド・イン・チャイナ。日本円で30万円以上もして、すぐ故障でもされたらバカみたいなので、さすがにこれは手を出しかねますね。


というわけで、じっくり約1時間ほど2軒のホームデポを見て回りました。一応日本ではデザイナーやってたので、これからしばらく楽しみながら、内装を考えたいと思います。年齢的に考えても、こういうのは、これが最後になると思われるので、後悔のないように…。


2013年12月6日金曜日

規則も予定もゆるゆると

今回の自宅新築工事、着工は先月10月22日で、市役所への図面の提出は、それに先立って8月に済ませていました。その許可が工事が始まって1ヶ月半ほど経過した今週ようやく出ました。厳密に言うとその間、無許可で工事は進んでいたわけです。もういちいち「これが日本だったら」というのも野暮ですが、日本だったらエラいことになってるんでしょうね。

現場監督の父は一時期海外でも仕事してましたが、ほとんどは日本国内で、50年以上のキャリアがあります。日本のやり方が骨の髄まで染み込んでいるので、申請図面とか役所の認可とかに極めて敏感。とても厳しいなチェックが当然という感覚なので、話には聞いていても、最初はフィリピンスタイルの「ゆるさ」に戸惑ったようです。


だいたい、申請図面を描いてもらったのが親戚のツテで紹介してもらった、市役所の技術者。これはどうなんでしょうね〜。認可するところで提出書類作ってるので、そりゃ確実でしょうけど。あんまり深く追求すると、多分いろいろマズいとは思いますが、少なくとも誰も悪い事とは思っていないようです。まぁ、いいか。


とにかく、市役所の関係者から「これで大丈夫。」と言われたので、これまたツテで集めた大工さんに仕事を始めてもらいました。いろいろありましたが、一応順調に工事は進んで、明日には二回目のコンクリート打ちで、基礎〜一階の柱と梁がほぼ完成というところまで来ました。そういう時期に市役所から「工事認可」の証明書というような、施主名(家内です)や工事場所、認可した担当者の名前を記した看板みたいなのが届いたわけです。これって、まだ認可が下りてなかったということですね。


フィリピンでは規則も予定もゆるゆるで、そこに日本流の厳密さを求めると、物事が進まなくなるということを、しっかり学習させていただきました。



2013年12月5日木曜日

永住ビザ取得顛末

渡航前の準備から約十ヶ月、渡航後の申請から約五ヶ月でようやくフィリピンでの永住ビザ(仮)が発給されました。長かったなぁ〜。実際に手元にあるのはパスポートに押されたスタンプとフィリピン版外国人登録証の「I - Card」(アイ・カード)です。

今回取得したビザは「13a」と呼ばれるもので、制限付きですがフィリピンでの就労もできるようです。そして手間ヒマはかかりましたが、同じ永住ビザでも「SRRV」(特別移住退職者ビザ)だと、指定されたフィリピンの銀行に二万米ドル(50歳以上)の預金をしないと取得できないので、比べると実に格安。

ただし、これはフィリピン国籍の配偶者がいることが前提で、場合によってはそれが致命的なネックになることも多い。土地の取得や銀行口座の開設も同じなのですが、全部配偶者名義が共同名義。離婚でオサラバされたら、それでお仕舞い...という恐ろしい可能性もつきまとうのです。私の身近で直接聞いたことはないですが、ネットで検索すると、この手のお話はゴロゴロ。

かんたんにどういう手順だったかというと...。日本国内では、戸籍謄本の写し、無犯罪記録、その英訳と在日フィリピン大使館か領事館で内容確認の証明を用意。この証明書には赤いリボンを付けるので「レッド・リボン」と呼ばれてます。さらに渡航前に家内との結婚証明書も15年ぶりにコピーを取り出しました。


これだけ揃えて、マニラ空港のイミグレーションで「バリックバヤン・ビザ」という、一年間有効のビザを発給してもらいます。日本人の場合はこれがなくても入国はできるのですが、ツーリストで入ってしまうとコマメにビザの延長をする必要があるので、結構面倒です。

そしてここからが本当に面倒だったのですが、家内本人の身元を示す出生証明や預金残高証明等々を用意して、セブにある入国管理局で申請します。マニラ在住ならば、そちらに役所はあるのですが、私はネグロス島というマニラから遠いところに住んでいるので、最寄りはセブ。それでも飛行機で40分ぐらはかかります。結局ビザと外国人登録証をもらうまでネグロス〜セブを三往復しなければなりませんでした。


中でも一番の手間は、弁護士による面接です。当然ですが日本語が分かる人はいませんので、地元の方言かタガログ語、または英語しか通じません。幸い私は英語を使う仕事をしていたので、ここはすんなりパスしました。しかしフィリピンに何が貢献できるかという質問には、答えていて自分でもかなり空々しかったです。ただ態度だけはデカく、自信満々を装いました。(写真はセブの入国管理局事務所)


家内の全面的な協力で、申請は意外とスムーズだったとはいえ、申請から許可までひたすら待つ時間が長かったですね。指定されたホームページに名前が表示されるという仕組みなんですが、たまに何の理由書かずに「不許可」とされてる人もいいるようなので、これはドキドキものでした。また、途中で急に責任者が変わって追加の書類が必要になったりもしました。

そしてついに先週、最後の難関「I - Card」を貰ってきて、一連の手続きはようやく完了。次は一年後に正式永住ビザ(13e)への更新になります。これは悪さしなければ、私の住むネグロスの役所で申請できるとのこと。


家内を日本に入国させる時のビザ取得にも手間ヒマかかりました。もう、こういう仕事は一生に二度もやれば十分です。


2013年12月3日火曜日

ど素人向け

このところビジュアル的にあまり進展した感じがないので、久しぶりの建築現場の投稿です。本当に進んでいないわけではなく、次のコンクリート家に向けて、鉄筋組みの作業は粛々と続いています。目下の監督の悩みのタネは、図面を読めない大工さんが、適当にやってしまうので、寸法に狂いがでること。

ベニヤの切れ端に大きく柱の断面図を描いて、鉄筋の組み方やコンクリート打ちの方法を何とか説明しようと試みてるんですが、ほぼ黙殺状態。結局やらせてみて、ダメなところを口頭指示でやり直すか、全部自分でやってみせないとできない。効率の悪いことこの上なしですな。


そこで、一週間以上もかかって夜なべして、ついに完成させました。ど素人でも分かる鉄筋コンクリート構造模型。サイズが二十分の一なので、デカイ。さすが日本人の仕事(?)床部分が取り外せて、骨格だけにすることもできる。しかし、建築は素人の私でも、ここまでせずとも分かりますがね。(一応図面を描く仕事はしてましたが)


さて、実はまだ私は大工さんたちの反応を見てないのですが、どうだったんでしょうか? これでスカタンされたらショックが大きそうです。